孤島を駆ける
そしてクラブはナナフシに向き直ると、まっすぐにその顔面を指さした。
「やい、汚いカビ色のガリガリナナフシ! 身長はあるけど筋肉がなくてこけおどしだな! お前よりも俺の方が、まだ強そうだぞ!!」
そう言ってクラブは右腕を曲げ、力こぶを作るポーズをした。上腕二頭筋は全く膨らまなかった。
ナナフシは一瞬動きを止めた。その反応はまるで呆気に取られたのようだった。やはり人間の言葉が通じているようだった。それの意味するところは、つまり……
「フ シ ナ ナァァーーーッッッ!!!!」
「ぎゃーーっ、やっぱり怒ったーー!!」
ナナフシは激怒し、上体を起こして立ち上がった。今やその高さは島の高さの二倍はあろうか。いよいよナナフシの挙動の原型を留めない二足歩行で、ナナフシはクラブを追い回し始めた。
だが、幸いにもナナフシが足を振り上げ、振り下ろす動作は緩慢にして威風堂々、典型的な巨大生物の動きといった風でさほど速くなかった。それでもそれを補って余りある一歩の大きさと、サーチライトのように夜空をぐるりと照らしては気まぐれに下を向く極太熱線に翻弄されながら、クラブは逃げて逃げまくった。
やがて戦場は島の北側、崖が連なるエリアへ。超巨大ナナフシの横幅と同じぐらいの広さの土地をクラブは駆けていたが、やがてくるりと振り返った。
「お前、そのセーターマジで似合ってないぞ! お前なんかよりも! レイが着た方が! ずっとずっと可愛いからなぁーーっ!!」
言い切るか言い切らないかのうちに、一帯は白に包まれた。ナナフシが目から放った熱線、今日一番の熱く眩しい熱線が全てを焼き尽くしたのだ。——それは、ナナフシの視界さえも。
眩んでいた視界が晴れ、ナナフシがはるか下界を見下ろすと、灰色の崖の上にあの憎たらしいガリガリ男の姿はなかった。ナナフシは勝利を確信した。
「フシナナ、フシナナッッ!!」
ダレンの見込み通り、ナナフシは意地が悪かった。ナナフシは再び四つん這いになると、対等に命を賭して戦う戦場であれば誰もがしないような、失われた命に対する煽り行為を行った。ナナフシダンスである。
それが、命取りになった。
「ナナッッ!?」
ナナフシダンスこと左右に伸脚する運動は、本来ならナナフシの横幅の倍以上の広さの土地でしか行えない。しかし右側に崖があることで、ナナフシは右方向にのみ存分に伸脚することができた。ダンスを行っていたナナフシは、伸脚姿勢から直立姿勢へと戻る途中で天井のようなものにぶつかった。頭も背中も何かに阻まれ、起き上がることができない。それはほんの一瞬のことだった。
しかしその一瞬のうちに、すぐ側の森に身を隠したクラブはしたり顔を浮かべていた。杖をナナフシに向け、限りなく地面に近づいたナナフシの身体の上に複数の魔法陣を召喚していた。
そして今の今まで森で機を伺っていたダレンは剣を抜いて飛び出すと、全速力でナナフシの首元を目指した。クラブが魔法陣を維持できる時間は長く見積もって三秒。だが、ダレンは騎士団の誰よりも足が速い。
(間に合う!)
——しかし、駆ける足が次の一歩を踏み出そうとしたその瞬間。想像を絶するような重みが、ダレンの足にのしかかった。
(なん、だ、これ)
曲げた太腿が、足の甲が、いや、足だけじゃない。腹も、胸も、頭も腕も全てが重い。そして熱い。凄まじい勢いの熱の情報が沸騰した血のように超高速で全身を巡って、過剰に活性化した脳は自分以外の全ての動きをスローモーションで捉えた。息が詰まり、全身がはち切れそうだった。
だが、しかし。
「——ナッ……!」
ダレンがふらついて前に倒れる瞬間、最後の抵抗で放り投げた剣がナナフシの首に触れ、かろうじて頭を斬り落とした。それは本来なら何も斬り落とす筈がない、でたらめで無力な投擲だった。それでもその切先がナナフシの首に触れた瞬間、熱気と細い煙が立ち上って、なぜか頭を斬り落とした。
頭は残光のような光を散らしながら回転して飛び、崖の下へと消えて数秒後、ぼちゃりという遠く生々しい音を立てた。しかし二人はそれどころではなかった。
「ダレン!」
クラブはダレンに駆け寄ると、地面に突っ伏した身体を助け起こした。
「ああ、ダレン……滅茶苦茶良い奴ではなかったけど、悪い奴でもなかった。安らかにな……」
「勝手に殺さないで。生きてるから」
ダレンは閉じていた目を開くと、じっとりとクラブを睨みつけた。幸いにも受け身は取っていたらしく、鼻が折れた様子はなかった。しかし急にどうしたというのだろう。あの謎の熱病がぶり返したのか。
クラブは崖の方を見た。幸いにも剣はギリギリのところで崖の上に落ちていた。クラブはそれを慎重に拾い上げ、ほっと息をついた。——そのとき。
「誰か、誰かそこに居るの」
不意に心臓を掴まれるような声がして、クラブは咄嗟に息を止めた。邪魔な呼吸の音を消して、野生のうさぎのように耳を立てて、声のする方へと向かっていく。崖にしゃがんではるか下を覗き込むと、そこには今にも海中に沈みそうな砂地があり、レイがクラブを見上げていた。




