セクシーは空を舞う
さて、そのようにしてレイはダレンの元を発った。しかし——
「——レイ……ジャムの蓋が開かないんだ。こんなこと君に頼むの、恥ずかしいんだけど……」
上目遣いでそう言われ、レイはジャムの蓋を開けた。カチカチの蓋がバコリと音を立てて開き、クラブは頬を赤らめて礼を言った。
また、その後。
「ギャアーーッッ、助けてーーーっっ!!」
イソガニを獲ろうとしたクラブが足を滑らせて海に落ち、サメに追い回された。レイは見事なクロールで彼の元に駆けつけると、彼を岸まで引き上げた。
また、その後。
「だ……大丈夫だよ、レイ。俺がなんとかするから……」
へっぴり腰で蜂の巣と向かい合うクラブの手を掴むと、レイは大急ぎで砂浜を逃げた。途中でクラブが足をもつれさせて転び、蜂の大群が彼に迫っていったので、レイは一匹残らずタオルのヌンチャクで叩き落とした。
また、その後もそんな調子が続き……
「私よりもクラブの方が弱い」
「ああ、そう……」
レイは一つの結論に達した。船員達とクラブによる賑やかな昼食の輪を外れ、適当な倒木に腰掛けた二人。イソガニの素揚げをばりりと噛み砕いたレイは、カリッと揚がった衣のように荒れた眼差しをどこへともなく向けた。
「まあ、そうなるか……あの人、心身共に君より弱いし」
「クラブの弱いところ、見たことあるの」
じろりと眼差しがダレンに向く。ダレンは「え、あ」と吃り、目線を逸らした。なぜ後ろめたい気持ちにならないといけないのか。
「見たことあるけど、それはいいでしょ。俺の心は微動だにしないよ」
「私は……弱いクラブは可愛いと思う。割とちゃんと、どうしようもないから」
酷い言われようである。可愛いと思われていることを羨むべきなのか、どうしようもないと思われていることを憐れむべきなのか。しかし作戦を遂行した結果が、レイからクラブへの印象が良くなっただけというのは、ダレンにとって大赤字に他ならない。どうにか次の作戦で、失った分を挽回しなくては。
「大丈夫。実は凄いとっておきがあるんだ」
拙いウインクをしてそう言ったのはレイだった。脳内で必死に考えていた作戦が霧散したダレンは、レイがザックを漁るのをただただ眺めた。そして……
「え……」
レイが取り出したそれに、ダレンは言葉を失った。——あまりにも眩い輝きと清楚。いや、それは作りからして清楚な筈がないのだが、それでもダレンのような者を騙してしまう——さながら偽のダイヤモンドのような、けばけばしくも奥ゆかしい輝きを放っていた。
「セクシー悩殺セーターだよ」
それは胸と背中に大きな穴の空いた、ホルターネックのセーターだった。
——街には、清楚系の娘を揃えていると謳う娼館がある。娼婦が清楚であるという、なんとも矛盾した謳い文句。にもかかわらずホイホイと呼び込みについていってしまうような親父達を、ダレンは心底軽蔑していた。だが……
(清、楚……? これは、これを着たレイは……俺が清楚だと思っていた子は……清楚、なのか……?)
ダレンの脳内に矛盾のビッグバンが生じた。催眠にかけられたように目がぐるぐると回り、訳もわからず膨張しゆく思考の宇宙に揺蕩う。
レイはむふーっと、謎のドヤ顔をした。そのときだった。強い風が吹いて、レイの手からセーターがすっぽ抜けて風に躍った。
「あっ!」
ひらりふわりと、舞い上がるセーター。それは天女の羽衣のようにはためきながら、澄んだ大空へと羽ばたいていった。
「どうしよう、セクシー悩殺セーターが……!」
「セッ……ん゛んっ。レイ、その呼称はあまり口にしない方が良いよ。それよりもどうする? あれ、追いかける必要ある?」
「必要あるよ!」
さも当然と言わんばかりの声を上げ、レイはすっくと立ち上がった。走りながらザックを背負い、振り返る。
「追いかけるよ!」
ダレンはため息と共に首を横に振り、仕方なく彼女の後に続いた。
この孤島は土地の形が円形で、周縁部の下半分には砂浜、上半分には崖、内陸部には深い森が広がっていた。その森の中に二人は飛び込んだ。
アルーヴ村より暑いこの場所は恐らく温帯で、ブナやナラといった木々が大変元気に茂っている。そんな森の四方八方から、これでもかという程やかましい動物や魔物の声が波状攻撃のように絶え間なく聞こえてくる。準ジャングルとでも呼ぶべきだろうか。二人は持ち前の身体能力で、茂る木を避け草を避け、赤褐色の土の上を疾走した。
(なんだかおかしい……)
それは、周りのうるささがだ。本当に異様なまでに、鬼気迫るような動物や魔物の声がギャアギャアと響いているのだ。まるで「出て行け」と言わんばかりに。
(ならばどうして襲ってこない? ……いや、違う!)
——まだ襲われていないだけだ。そう気づいた瞬間、草むらから大きな蛇が飛び出してきた!
「レイッ!」
蛇は大きく口を開けて、一直線にレイに飛びかかっていった。




