二つの異なる存在として
熱竜は深く俯いた。確かに人々を攫ったことは悪いことだが、死者を出していないなら情状酌量の余地はあるだろう。人々を村に帰し、村人全員に謝ればいい。だけどそれは、俺の口からは言わないことにした。熱竜は自分で贖罪の方法を考えるべきだろう。
さて、こちらとしても色々聞きたいことはあるが、俺はひとまず熱竜との話を打ち止めにすることにした。それよりも気になるのはレイのことだ。
「レイはどうしてアルーヴ村に?」
レイは少し頬を赤らめ、もじもじとした。その仕草は可憐でいて、どこか緊張のようなものが入り混じっているように見えた。
「あのね。一昨日の夜……クリスティーが変形したの。凄く恐ろしい姿になったの。それで、そのクリスティーを見て、私は——人間は変形するものだと思った」
「に、人間が?」
「うん」
人間が変形するだって? 俺は戸惑う。
「私は人間のことがよくわからない。だけどクリスティーの変形を見た瞬間、心の底が、こう……生理的な違和感みたいなもので凄くぞわぞわとして、やっぱり今の人類は千年前の人類とは違うんだと思った。エイリアンか魔物か、とにかくとても恐ろしいものが人間に成り代わって、この星を支配しちゃったんだって思ったの。だから私は、館を逃げ出してアンドロイド達のところに行こうと思ったの」
……あまりにも突飛な話に俺は絶句した。いや、しかし、彼女は至って真剣なのだろう。真剣に恐怖し、真剣に悩んだのだ。
人間が動物の行動を見たところで、その行動の理由はわからないことが多い。動物と会話することはできない。人間がどれだけ研究したところで動物の全てを永遠に理解できないように、アンドロイドである彼女もまた、人間の全てを永遠に理解できないと——そう思っているのだろう。
だから、自分の判断に自信を持てない。群れの中で一匹だけ異常な行動をする動物が居ても、それがその個体だけの異常だと、確信を持って言えないのだ。彼女は自分に自信が持てないあまりに、一匹だけの異常が群れ全体の異常だという、突飛な発想をしてしまったのだ。
「でも、やっぱり何かがおかしいと思った。人間が変形するなんて絶対におかしいけど、クリスティーが変形したのには、きっと何か事情があるんだと思ったの。だから二人のところに帰ろうと思った。
でも……昔、クラブがあの事件を起こした私を探し出してくれたことを思い出して、下手に動くよりここで待っていようと思ったの」
あの事件とは、ローレアで彼女が意図せず万引きをしてしまったときのことだろう。俺はあのときの彼女の憔悴した様子を思い出して、胸が苦しくなった。きっと一昨日の夜から今までも、ずっと気を張っていたのだろう。お風呂で眠ってしまったのも、疲れていたからかもしれない。
「賢明な判断だよ。無事で良かった」
俺はゆっくりと起き上がり、そっとレイの手を握った。
すっかり夜も更け、空には雲一つなく美しい月が昇り、一面の草原を仄かに照らす頃。俺達は熱竜の背に乗り、館への帰路についていた。
まだ村人達の失踪事件は解決していない。村人達が館から解放されるまでを俺達は見届けなければならない。
俺は月の香りを含んだような風に吹かれ、その涼しさを感じながら回想した。先程、熱竜が連れ去ろうとした少女の家族に謝り、レイが村長に泊めてもらったことへの礼を言っていた頃、ダレンと二人だけで話したことである。
ダレンはこう語った。
『『彼女の失踪は防ぎようがなかった』——それは間違いだったね。
今回、俺達は二人だけでクリスティーの謎を解き明かそうとしていた。それが間違いだったんだ。俺達二人にとって大切な彼女——レイを問題から遠ざけ、情報を共有しなかったことで、かえって彼女をパニックに陥らせてしまった。
俺達は協力をするフリをして、戦っていたのかもしれないね。危険を知る恐怖、ほんの少しの恐怖さえも与えずに好きな人を守れるのだと、互いに主張したくて仕方がなかった。互いのことしか眼中になかったんだ。彼女を無力な存在として扱い、人としての力や尊厳を軽んじてしまった。二度とそんなことはしないようにしよう。
それと、彼女は思ったよりも怖がりなのかもしれない。不安に敏感で、パニックを起こすと猫のように逃げていって、隠れられる場所で何日でも縮こまる。何が彼女をそうさせているのかはわからないけど、これからはしっかり気にかけておこう。尊厳ある彼女の一つの弱点としてね……』
俺はダレンの隣で、悔しさに唇を噛んだ。俺がわからなかったことを沢山並べ立てんじゃねーよ。そう思った。
情けなかった。俺は何もわかっていなかった。レイの弱さも、守るという言葉の愚かさも。俺は自分が彼女の保護者や理解者であると思い込んでおいて、本当は全くそうじゃなかった。
今まで俺は彼女の何を愛していた? 人殺しで何もかもダメダメな自分の前に現れた、無知で無垢な天使。俺はそんな彼女の表面だけを愛していたんじゃないのか?
俺はとても悲しくなり、俯いてしまった。そんな俺の肩をダレンが軽く叩いた。
『何を自信喪失してるの。『俺じゃ彼女に相応しくない』って言うなら、遠慮なく俺が隣を奪っちゃうけど?』
『それはダメだ!』
咄嗟に俺は反発した。ダレンはからかうような顔で笑った。そんな俺達の前に、レイが姿を現した。村長との話を終えて俺達の前に戻ってきた彼女が、戸惑って足を止めていた。
俺はなんだか恥ずかしくて、ほんの少しだけ黙り込んだ。しかしすぐに意を決し、ネガティブを捨てて口を開いた。あらかたの謎が解決しても、彼女には聞きたいことが山程ある——そんな気がした。アンドロイドだとか人間だとか、動物だとか、そういった違いよりも先に立つ違い。ただ単純に、二つの異なる存在として、まずわかりあう努力が必要だと思った。
『ねえレイ、君は——』




