三日月は嘲笑う
すると、ダレンの身体が浮き上がった。俺は魔力の抵抗の少なさから、彼が鎧を着ていないことを意識した。鎧を着る時間ぐらいはあるんじゃないかと思ったが、ダレンは迷いなく抜いた剣を握り込んでいたので、俺はきっとそのままでいいのだろうと判断した。
ダレンは俺の操作により、軽々と空を上昇していく。そして谷の上の崖に降り立たせると、「結構」と言ってきたので俺は魔法を解除した。
頭上に暗い影が落ちた。怪物が俺の頭上、そしてダレンの眼前を泳いでいた。するとダレンは崖から跳躍した。
「——はあああああああっっっ!!」
目を疑うような幅と高さを飛んだ。そしてその圧倒的な脚力と体幹で、ダレンは見事怪物の背に乗り移った。そして剣を突き立てた。レイに負けず劣らずの身体能力だ。
怪物は呻き一つ上げない。ただ嘴に咥えられている少女がより一層の悲鳴を上げた。俺は自身に浮遊魔法をかけ、怪物の目の前へと飛んでいった。
「なあ、怪物! その女の子を降ろして、今まで攫った人達を解放したら見逃してやるよ!」
俺は怪物が人語を解する可能性にかけて交渉を持ちかけた。しかし怪物は鳥、あるいは地球外生命体のような呻きを上げると、怪しい紋様が輝きを放つ魔法陣を数個展開した。
「っっ!?」
不可視の熱風がストリームとなって俺に襲いかかった。その瞬間俺は絶叫し、浮遊魔法の制御を失って落下した。
「クラブ!?」
体表の細胞から心臓の細胞までの全てを白く茹で上げ、骨をボロボロになるまで焼き尽くしそうなほどの熱に俺は悶絶し、最悪の記憶を思い出した。
錯乱しながら魔法を乱射する。水、氷、冷風——死中に活を求めて乱射した魔法の中に、怪物が放ったものと同じ熱風を放つ魔法も含まれていたようだ。それは怪物の身体に直撃した。
「——アアアアアアァァァーーーッッッ!!」
熱風を食らい、怪物もまた絶叫した。そして寒すぎるほどの冷風が吹きつけ、俺はやっと我に返った。慌てて浮遊魔法をかけ、空中で体勢を立て直す。
顔を上げると、怪物が風を切って落下しているところだった。その落ちる先には村があった。
「クラブ、浮遊魔法を!」
俺はすぐ側の台地の絶壁に僅かな足場を見出すと、そこに降り立って怪物の身体に必死で浮遊魔法をかけようとした。しかし、鯨ほどもある巨体を浮遊させることなどできない。
「あの子にかけて!」
その言葉を聞いた俺は、怪物の嘴を離れて落下しゆく少女に気がついた。俺は咄嗟に少女に浮遊魔法をかけた。そしてダレンは怪物の背を蹴って離れた。
「これが本物の——俺の剣だ!!」
ダレンは俺のすぐ隣の絶壁に飛び移り、足場もないそこを垂直に蹴ると、とんぼ返りのように怪物の脇腹に突進した。そして構えた剣が怪物の脇腹を貫くと、怪物は反対側の台地の岩肌に縫い付けられた。
俺は少女を引き寄せて抱き留めると、浮遊魔法を解除して怪物に数本の岩の針を飛ばした。それは怪物のこめかみの辺りを貫いたが、怪物は顔を顰めるや否や、身体を大きな尾のようにしらなせて岩肌に打ち付け、反動でダレンを吹き飛ばした。
俺はダレンに浮遊魔法をかけた。しかしその瞬間、足場がパキリと音を立てた。嫌な予感は的中、足場が崩れたことにより俺と少女もまた空に投げ出された。
浮遊魔法の制御が失われた。絶体絶命だ。俺の技術では、浮遊魔法のように高度な魔法は同時に一つまでしか操れない。防護魔法や単発魔法などの簡単な魔法ならば、フェレト村での戦いを経て浮遊魔法と同時にいくつか操れるようになったが、浮遊魔法を同時に二つ以上はかけられないのだ。
今この状況で求められる浮遊魔法の操作は三人分。風魔法を使うことも考えた。しかし、ダレンの落下する地点と俺が魔法を放つ射線の間に、よく茂った森の背の高い木が入っているのだ。杖の先から射出され、何かしらに当たるとつむじ風になって巻き上がる仕組みの風魔法は、その木に遮られれば終わりだ。目標の地点に届かない。
ふと空を見上げると、悪夢のような光景が広がっていた。ぎらぎらとした夕日を一身に浴びて、三日月のように翳り、輝く怪物が空を回遊するように泳いでいた。そしてその周りには、月暈のような魔法陣が何個も展かれていて、今にもあの恐ろしい熱風が放たれそうだった。
(……もうダメだ)
俺の心は夜闇に包まれた。




