名状しがたき太陽は泳ぐ
「実は二ヶ月ほど前から、村に怪物が現れるようになったんです。奴はとてつもなく大きな——怪魚とも怪鳥ともつかない姿の存在です。奴は村人の姿に擬態し、度々村に現れては騙された村人を攫っていくのです」
「怪魚? 怪鳥? それは、ええと……海を泳いでやってくるのですか? それとも空を飛んで?」
「空です。この谷を覆い尽くすほどの巨体で、空を飛んでやってくるのです」
なるほど、その怪物は余程奇妙な存在らしい。そして谷を覆い尽くす巨体か。狩りと食事が目的ならば、そんな身体の持ち主である以上、一人ずつ人間を攫って食うだけでは腹を満たせないだろう。誘拐が目的なのか? 何の為に?
「攫われる人達に共通点はありますか?」
「共通点……ですか。そうですね、老若男女関係なく攫われていくので、なんとも。もう村人の八割は攫われましたが、最初の頃も選り好みしていた感じはありませんでした。初めての誘拐から今に至るまで、規則性のようなものは一つもなかったように思います」
「攫われる人達の職業や得意不得意、性格にも共通点はありませんでしたか?」
「性格……? いいえ、なかったかと……」
老婆は訝しげな顔をした。しかし、ダレンは中々鋭い質問をしたな。怪物の知能が高ければ、見目が良いだとか若いだとかの原始的な特徴ではなく、槌や剣、魔法が使える等の文明的な特徴を持つ者を選んで攫っている可能性もある。性格まで見ている可能性もある。しかし、老婆は首を横に振った。
「では、怪物はどれぐらいの周期で、どのような時間帯に現れますか」
「周期……というものはないように思いますが、そうですね……夕方以降が多い気がします」
「夕方……」
俺は心の底で何かがひっかかった気がした。しかしそれが何かはわからなかった。なんだろう、この違和感は。
「おおよそのことはわかりました。では、これから解決の為に動き始めます。それと最後に一つ、いいですか? お恥ずかしながら仲間とはぐれてしまいまして。短い黒髪の、見慣れない女性を見かけませんでしたか?」
少なくとも俺にとっては最重要な質問だ。俺はダレンと一緒に祈るように老婆を見つめたが、老婆は困った顔をして首を横に振った。
「なにぶんずっと怪物が怖くて、家に籠っていますから……」
「そうですか、わかりました。もう恐れることはありませんよ。あなた方の生活を脅かす怪物は、きっと我々が退治して見せます。今夜は安心して、ゆっくりとお休みください」
ダレンの花が綻ぶ微笑みに、老婆の背後で孫らしき少女が頬を赤らめた。
「だ、ダレンさん、ウチに泊まっていってよ! ウチ、一応民宿なんだあ」
「渡りに船ですね。お言葉に甘えようか、クラブ」
「え、お、おう」
微笑みを湛えたままぬるっと俺に話しかけるな。鳥肌が立つ。
しかし渡りに船なのは事実だ。今夜はこの家に泊まらせてもらうことにしよう。とはいえ、俺達はそれまでにレイと合流しておかなければならない。この小さな村で恐らく唯一であろう民宿にすら姿がないとなると、どこかで野宿をしているのかもしれない。だとしたら危険だ。
「君はレイを探してきて。私はもう少し彼らから話を聞くことにするよ」
そう言われてしまえば、断る理由もない。俺は頷くと、家を飛び出して閑静な外に繰り出した。
俺はひたすら周辺を探し回った。狙いをつけるなら台地の岩肌だろう。そこに俺達の夜営したような洞窟があれば、彼女が居る可能性が高い。
しかし、中々洞窟らしきものは見当たらない。ふと俺は違和感に気がついた。台地と村の間には僅かに木々が生えているのだが、虫や鳥の声がしないのだ。いくらこの場所の緯度が高いといっても、季節は夏。そこそこに過ごしやすい気温を保つこの場所で、虫や鳥の声が聞こえないなんて……おかしかった。
「——キャアアアーーーーッッッ!!」
はるか上空で悲鳴が上がった。振り向くと、谷の割れ目の空には——鷺とアノマロカリスを混ぜ合わせたような、太陽が墜ちたかと見紛うほどに巨大な陽光色の怪物が、悠々とヒレをしならせて泳ぐように飛んでいた。
無数の薄いヒレのようなものが暮れかけの日を浴びて、波を透き通って海底に届く光のように煌めいてている。鷺のような嘴は尖塔のように鋭く、それが上下に割れた隙間には、小さな米粒のようなものが咥えられていた。目を凝らす。咥えられていたのはまさしく——先程まで話していた一家の少女だった。
「クラブ、やっと見つけた! 状況は!?」
ダレンが駆け寄ってきた。何やってるんだ、という思いを込めて睨みつける。
「お前が話してた家族の一人が攫われてる!」
「……家族? 何を言ってるの?」
俺は目を見開いた。
「お前こそ何を言ってるんだ。さっきまで一緒に聞き込みをしてただろ?」
「え? それは……俺じゃないよ。ここに来るよりずっと前に、俺達はぐれちゃったでしょ?」
まさか。俺は空にはためく巨体を見上げた。あのダレンは怪物が擬態した偽物だったのか。してやられたにもほどがある。俺は悔しさに顔を顰めた。
「よくわからないけど、あれを倒せばいいんだね? 俺に浮遊魔法をかけて、谷の上の崖まで飛ばして。その後は勝手に上手くやるから」
「話が早いな。俺もよくわからないけど、わかった!」
俺は杖を振り抜き、ダレンに魔法をかけた。




