涙を見せる訳がない
広かった草原が南下するにつれ狭まり、道となった。道の左右は崖と小さな森に挟まれており、森を少し進んだ奥には大きな岩の台地があった。台地は曲がりくねった道と並走するように、地平線まで続いていた。
太陽が光の尾を伸ばし、空を瞼の裏のように赤らめている。すると、急激に空が曇り始めた。そして一粒雨粒が落ちると、ほんの数秒で俺達は土砂降りの雨に見舞われた。
「あの洞窟で夜営をしよう」
幽霊のようにずぶ濡れになりながらダレンが言う。俺は頷き、台地の中へと続く洞窟に足を踏み入れた。
ダレンがザックの中からランタンを取り出し、洞窟の入り口の外に置いた。
「それは?」
「シマコへの目印。流石に今はどこかで雨宿りをしているだろうけど」
念には念を入れて、ということか。俺は洞窟の地面にあぐらをかき、タンクトップを脱いだ。ものの数分で桶いっぱいの水に浸けたようになってしまったタンクトップを絞り、杖に引っかけて風魔法を当てる。……簡単に乾くものでもない。俺は大人しくザックから替えの服を出して、上から下まですっかり着替えた。
ふと顔を挙げると、ダレンもまた着替えていて、白色の袖口の広いチュニックを着ていた。何やらこちらをじっと見つめている。
「なんだよ」
「……君って、タンクトップしか持ってないの?」
「そういうお前こそ、袖口と襟ぐりの広いチュニックしか持ってないのか」
涼しさ至上主義なセンスを指摘され、俺も洒落臭いセンスを指摘し返す。ダレンの服はやたらゆったりとしていて、整った顔と相まって垢抜けたアンニュイさを醸しているが、言語化できない洒落臭さのようなものもまたあった。品の良い生地と広すぎる襟ぐりに浅ましい矛盾のようなものがある。これは非モテの僻みだろうか。
悔しいが、そんな洒落臭さを踏まえた上でもダレンは俺なんかより余程かっこいい。この先レイはダレンに恋をするのだろうか。レイと俺の間には共に暮らした一年半分(もうすぐ二年分になる)の関係値があるが、ダレンにはそれを補って余りあるほどの地位だとか賢さだとか見目の良さだとかがあると思う。……性格はともかく。
一度弱気になるとダメだった。最初の不安はファッションセンスのことでしかなかった。しかし一つの不安は癌が身体中に広がっていくように、様々な潜在的な不安を呼び起こして回った。そしてその中でも一際大きな不安は、やはり目下のことだった。
「やっぱり俺がダメだったせいだ」
「またそんなことを言う……」
ごめん、と心の中で思った。ダレンに対してだ。また俺のウジウジが始まってしまったのだ。
「レイはきっと昨日の夜、クリスティーの恐ろしい正体を見たんだ。迂闊だった。絶対に守るって思っておきながら、彼女を一人にさせてしまった。扉を外から開かなくするだけでは足りなかったんだ。いっそ一緒に寝ておけばよかったんだ……」
「そんな過保護な……」
ダレンの呆れた声が苦しい。しかしその声は尻すぼみで、喉まで出かかった言葉を飲み込んだような感じがあった。言葉の調子を変えようとしてしくじったような。
一度喉を鳴らして空気を呑み込んでから、再びダレンは言葉を吐いた。
「大体あの子って、クリスティーの恐ろしい正体を見たところで一人だけ逃げるような子かな」
「それは……」
再び吐き出されたダレンの言葉には、丁寧で角の取れた感じがあった。つまり、さっきは優しく話そうとしてしくじったのか。なぜかはわからないが、彼の芯の強さを感じた。
「きっと何か事情があったんだ。クラブ、ネガティブに浸る為に認知を捻じ曲げてはいけないよ。一緒に寝るのはやりすぎだし、あの子は俺達を置いて逃げるような子じゃない。そこから導き出される真実は……『彼女の失踪は防ぎようがなかった』、そして『何か事情があった』。それだけだよ」
俺は胸に染み渡る感情を堪えたくて唇を噛んだ。俺はレイのことになると涙脆くなってしまう。それが特にダレンの前では情けなく思えて、一滴の涙も見せたくなかった。
やはりダレンは芯が強い。十五歳の頃からそうだった。辛く苦しい状況に対して、芯の強さをしっかりと保つのだ。むしろ青々と芽を出した麦のように、踏まれて芯が強くなると言ってもいい。踏まれるとみるみる枯れてしまう俺とは大違いだ。
「そうだよな……レイがお前に惚れる訳がないよな。あのときお前の泣きべそ顔を見たんだから」
「急に何の話かな。捏造はやめてね」
そうだ、彼は決して涙なんか見せない。十五歳のあのときも、「こなくそ」と言わんばかりの感情を剥き出しにして周囲に噛みつきながらも、弟が大切だという思いを貫いたのだ。だからこれはあくまでジョークだ。
そういえばいつかレイに涙を見せたのは俺の方だったな。ブーメランを投げてしまった。
「……本当に君って、レイが居ないとダメなんだね」
ダレンが小さな声でそう呟いたことを俺は知らない。なぜなら俺はネガティブと涙を堪えるべく地面に寝そべり、ダレンに背を向けてタヌキ寝入りを始めていたからだ。
だから知らないったら知らないのだ。俺は地面の硬さに耐えながら、浅く薄い眠りについた。




