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そして柵は突き破られた


 俺はベッドで目を閉じているレイを見て、昔のことを思い出していた。

 レイはすぅすぅと寝息を立てている。胸の傷はすっかり閉じている。愛用のネグリジェに着替えていて、悪夢のような青い飛沫の痕跡は一切ない。


 今から数十分前。毒ガスの蔓延する街の石畳の上に倒れていた彼女。その胸のくっぱりと開いた傷には、小さな鉄の蜘蛛のようなものが数匹這っていた。

 それらはレイの体内から出てきたものだ。それらは裂けた筋肉や臓器に這うと、捕食の逆をするようにみるみるとその部分を再生した。

 彼女の体内はガラス細工のようだった。ほんのり白を帯びた透明な外殻の中に、青い肉のようなものが詰まって、人間のそれと酷似した筋肉や臓器の形を作っていた。

 なんとはなしに手を近づけると、強い静電気のようなものが走った。静電気というより、電気だろう。俺はただただその様を眺めて、どこまでも静寂の広がるその場所で、言葉を失うしかなかった。


 ——そしてそれから数分後、レイは何事もなかったかのように目を覚ました。


「……」


 家に帰ってきてすぐ、レイは俺に「話がある」と言った。彼女は着の身着のまま俺ににじり寄った。揺れる瞳が俺を見上げた。


「……私、何も覚えてないの。私が長い眠りにつく前、あの場所……ラボは何かに襲われていた。博士は私をあのカプセルに押し込めて、その後……どうなったのかわからない」


 彼女は顔を伏せ、拳を握りこんだ。普段限りなく無表情に近い彼女が、堪えつつも激しい動揺を見せるのは初めてだった。


「博士には夢があった。どんな夢だったかは思い出せない……ただ、それは凄く壮大で暖かいことだった。切なくて、薄い飴細工みたいな……」


 声がどんどん震えていく。そして、彼女の内でふつふつと煮えていた想いが、遂に堰を切って溢れだした。


「——私は! 博士の為なら死んだって良い! だけど今まで人間みたいに生きてきて、どうしたらいいかわからないの!!」

「今までずっと、あの日のことも博士のことも過去だと思って生きてきた。そんな私に今更彼女を想う資格なんてない! 私があなたと生きている間に、仲間達は博士を想ってあんなことを……! あんな……どうしてあんなことを……」


 レイは蹲り、泣きじゃくり始めた。俺はつられてしゃがんだが、どうすることもできずにおろおろとした。


「ええと……大丈夫だよ、レイ。実は君を思って内緒にしていたけど、あのアンドロイド達はここ数年で世界各地に現れるようになった悪党集団なんだ。みんな村を襲われたり物資を盗まれたりで困ってる。だからつまり、そんな奴らの言ったことを気にすることはないんだ」

「違う……彼らはきっとそんなのじゃない」

「えぇ?」


 俺は何も嘘をついていない。実際、襲われた街や村で大量の怪我人は出ているし、商人の馬車が襲われてダイヤモンド等の金目のものが盗まれたりもしている。

 それは彼らを「悪党」と語るのに十分な説得力を持つ筈だ。

 だが、彼女の否定の声は酷くぐずついたものでありながら、徐々に何かを信じる力強さを取り戻し始めていた。

 冷や汗がじわりと背や脇に染み出す。


「クラブ、ごめんね」

「な、なんのこと……」

「私、明日の朝には発つよ」

「はっ……?」


 びしゃりと頭から冷や水を浴びせられたようだった。顎がガクガクと震えだし、頭も身体も、とても寒い。

 今、なんと言った?


「私はあの子が言っていた「真実」……それを確かめに行く。私に博士を想う資格がなくても、それだけはあの子が許してくれたから。クラブはこの家で私を待っていて。きっと危険な旅になるから、あなたを巻き込むわけにはいかない」

「ま、待ってよ……おかしいよそんなの!」


 あの日抱きしめあったことを忘れたのか!? なんて言えなかった。だが……


「——君は俺が居ないと駄目な筈だろ……!!」


 もっと最低な言葉はまろび出た。ああ、やっぱり俺はクズだ。案の定彼女はムッとして、より一層俺を遠ざけたい気配が強くなっていく。


「ま、待ってよ。違う。俺も! 俺もついていくよ。真実を確かめに行くと言っても君にはあてがないかもしれないけど、俺にはある。それに、例えば東の街に行くのに通行証が必要だって知ってた? 俺は知ってた。きっと俺は君の助けになれる筈だよ! だから……そ……

 ……そんな酷いこと言わないでよ……」


 溜め池の放水のようにとうとうと流れ出た言葉の最後は、とても情けないものだった。「酷いことだなんて、どの口が」……ああ、久しぶりにもう一人の彼女の声がする。まさに安寧の崩壊。彼女を囲っていた背の低い柵が、ゆるい束縛が、みしみしと音を立てて突き破られていく。

 彼女はそうして、果てしない夕暮れの草原へと飛び出していく。


「……わかった。それじゃあクラブもついてきて」


 彼女はそう言って立ち上がり、馬のようにしなやかな足取りで歩き出した。風呂場へと向かうのだろう。その口角が上がっているのはなぜだろう。

 彼女は俺の……女王様だ。


「……着替えを持ってきてくれる?」

「う、うん、わかった!」


 俺は気まぐれな天使に翻弄されている。いいや、彼女は確かな信念を持った正義のアンドロイドだ。だけど……


 ——俺はそんなことを思いながら、眠りについているレイを見ていた。

 切り揃えられたさらさらの黒髪。白くきめの細かい肌。どこか無機質な美しさ。

 俺は彼女に嫌われたくない。彼女の幸せを願い続けていたい。


 だけど、俺は……



 今から千年前、この子の愛する博士を殺した。




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