レッドグレイヴ家の間男
一階に降り立つと、向かって右側の扉の前にレイが立っているのが見えた。
「レイ、今何時?」
「八時だよ。みんな待ってる」
彼女はそう言って扉を開いた。部屋の中央には白いクロスの長テーブルと椅子が並べられており、テーブルの上には燭台と空っぽのバスケット、四セットのカトラリーが置かれていた。そして部屋の最奥、火の揺れる暖炉を背後にしたいわゆるお誕生日席には、カトラリーが置かれていなかった。
「おはよう。良い夢は見れた?」
既に席に腰掛けているダレンが微笑む。嫌味か、悪夢しか見なかったわ。などと心中で悪態をついていると、「クリスティーさんを待たせてはいけないよ」と追い討ちがかけられた。
ふうん、この女性はクリスティーさんというのか。彼女は相変わらずの使用人姿で、盆を抱えて壁際に立っている。
「クリスティーさん、ご主人は……」
「はい、先に自室でお召し上がりになられました」
「そうですか。ではクリスティーさん、ご一緒に食事を……」
「失礼ながら先に食事を頂きました。申し訳ありません」
クリスティーの態度は冷たい訳ではないのだが、まるで取りつく島がない。突然転がり込んできた客に対して仕方がないことではあるのだが、心を閉ざされている感じがした。
さて、俺達は席に座った。テーブルを挟んで俺の対面にはダレン、俺の隣にはレイが座っている。俺とダレンが上座で、レイが下座。ダレンの隣には使う者の居ないカトラリーが寂しく置かれている。
「それでは、食事を運んで参ります」
そう言ってクリスティーは部屋を去った。取り残された俺達は見つめ合った。
「俺の弟と、弟の教育係の人とたまに会うんだけど」
ダレンが突然に切り出した。何のことかと思ったが、そういえば、家に一人残した弟の教育を父の友人に任せているとか言っていたな。
「三人で机を囲むとき、必ず教育係さんが対面に一人で座るんだよね」
「そりゃそうだろ」
そうとしか言いようがなかった。兄弟は血の繋がった家族で、弟の教育係は他人。机によって隔てられて当然だ。しかしダレンは微笑みを崩さず——
「でも前回会ったときは、逆だったんだ。俺が対面に一人で座った」
——そんなことを言った。
「……知らねえよ」
俺はテーブルクロスの陰で、しきりに両手を揉んだ。
しばらくして、クリスティーが料理を運んできた。どこか浮かない顔で、自信なさげに俺達の前に皿を置く。
「お口に合うと良いのですが……」
それは、一見普通のステーキだった。サシが入りまくっている訳でも全く入っていない訳でもない、街のレストランでよく見かけるタイプのステーキだった。しかしその表面には、きび砂糖のようなものがまぶされていた。ちょっと味の想像がつかないが、まあローカルな調理法なのだろう。俺はステーキにナイフを入れた。すると……
「ん……?」
ざら、ときび砂糖が切れ目に落ち、何やら生々しい断面が露わになった。いや、わかっている。この「生々しい」の用法は正しくない。
赤かったのだ。赤く艶やかで、ぷるんとした断面だった。薄ピンクの脂が模様を描き、肉汁の一滴も垂れていない。それは生々しく、生で、そう——生肉だった。
「あの——」
——と口にしかけた瞬間。乱暴に俺の皿が取り上げられた。クリスティーは次々とダレン、レイの皿を取り上げ、自らの盆の上に載せた。
「申し訳ありません、作り直してきます」
その顔は心なしか青ざめていた。俺達は走り去る彼女を呆然と見送った。
「今のは……っ!?」
ふとすぐ側のレイを見た俺はぎょっとした。フォークを口に入れたまま固まり、レモン汁を吹きかけられたような顔をしている。
「ぺっしなさい!」
俺は大急ぎで吐き出させた。じゃり、と音がした気がした。
それからしばらくして、クリスティーは再びステーキを運んできた。きび砂糖はかかっていなかった。俺達はそれを恐る恐る切り分けた。中はちゃんと焼けていた。
口に運ぶと、水に濡れた生温い肉の感触がした。味はなく、時折硬い粒を噛むような感じがした。
次にサラダが出てきた。俺達はそれを無言で食べた。ソースはかかっておらず無味だった。パンが出てきた。どう考えてもパンではない味がした。最後に一杯の水が出てきて、夕食は終わった。
「どう思う?」
俺は自室にダレンを招いていた。窓際のローテーブルを挟んで座り、声を潜めてそう切り出した。
「害意はないと思う。ただ、人間ではない感じがするね。人の姿を真似る魔物なら、冒険者の君の方が詳しいんじゃないか」
「詳しいって、俺はローレアの周りの魔物しか知らねえよ。ローレアの周りだと、そういう真似をするのはコトリドリだな。でも、あいつらは春の魔物だし」
「ローレアの春の気温は、ドリームヒルズと同緯度の地域において夏の気温だ」
「じゃあドリームヒルズは?」
ダレンのしかめっ面に汗が伝い、ぽたりと落ちた。
「暑すぎる」
「そうだな」
俺はため息をついた。空になったダレンのグラスに魔法で氷と水を注ぐと、彼はそれを一気に飲み干した。
「なんにせよ、俺達の意見は一致する筈だ」
「相手が何だろうが、俺達はこの嵐の夜を乗り切れば良い」
「そう。そして、絶対にレイには危害を加えさせない。何としてでも彼女を守るんだ」
俺達は頷きあった。そして、示し合わせたように同時に立ち上がった。
「探りに行くぞ」
「おう」
俺達は部屋を出た。さながら、黒服のバディのようだった。




