森羅我が剣に肩を打たるる
俺達は濡れた土を踏み締めて進んだ。雨上がりなのだろうか? つい先程までの地面はこんな風じゃなかった。やはり俺達は別の時代に来てしまったのだろう。
ぞろぞろと行くは獣道。俺達の背後にあるラボはつい最近まで未発見だったものだ。ラボの周りには誰かが切り拓いた道もなく、まともな道に合流する頃には俺達の身体は土と草の汁で汚れていた。
「こっちかな?」
東=右、というコンパス的な考えに従って、俺達は目の前に横たわる道の向かって右へと歩き出した。
本当にこっちで合っているのだろうか? できればローレアに行きたいのだが。もしこの時代が元の時代の数年前であれば俺の家があるだろうし、そうでなくとも街は時間経過を待つのにうってつけだ。
……いや待てよ。元の時代には角笛を吹いた場所から離れれば戻れるパターンもありそうだな。ローレアで待つより移動し続けた方が良いのか? ええいともかく直進だ。
無駄な考えを振り払い、ひたすら愚直に道を進んでいると、不意に俺の意識の外で何かが蠢いた。やがてそれが意識の中へと入ってくる。音だ。なんの音だ? 声だ。人の声と、口笛のような動物の鳴き声。
叫び声がして、がらんと何かが落ちる音がした。俺達は顔を見合わせて走り出した。一気に森が拓けてくる。そして草原に躍り出ると、俺達の耳を大きく甲高い音がつんざいた。
「キャーーッッ!!」
鋭い怒りの声。ぬらつく鮮血のような赤に染まった巨大な牡鹿が、俺達の眼前に立っていた。
「ギャーーーーッッッ!!!!」
俺は牡鹿よりも大きな声を上げた。物凄い力で首根っこを引かれて倒れ込むと、先程まで俺が居た空間を太い双角が貫いていた。そしてそれをレイが両手で握り、押し返さんとしていた。
(縄張り争い!)
奇しくも鹿の縄張り争いに似た構図になった。頭と頭を突き合わせての力比べ。アンドロイドは怪力だが、巨大な魔物が相手では互角となるらしい。ずり、と彼女の踵が土の上を滑った。
「何眺めてるんだよ!! 加勢しろ!!」
背後からかかった声に振り向くと、そこにはボロボロの青年が座り込んでいた。えらくモテそうな美形だが、長い灰色の髪はボサボサに結われ、白いチュニックはほつれて色褪せ、黄色い瞳は焦燥に見開かれている。その側には鉄の剣が転がっていた。
「そのまま返すよ!?」
「俺は立てない!!」
なんという奴だ。俺は最初の彼の言葉を聞くなり駆け出し、言い返す頃には既にレイの背後に立って角を掴んでいた。彼は俺達の背後から形勢を眺めて、荒い呼吸を整えている。
ずり、とまた彼女の踵が擦れる。互角に見えた状況は実は劣勢だったようで、彼女は徐々に後方へと押し返されていた。その状況はひ弱な俺一人が加わったところで打開されるものでもない。
「万事休すか」
「お前が言うな!!」
さっきからふてぶてしいなこいつ。レイなら助けに行くだろうという読みで俺も同時に駆け出したのだが、本当に助ける必要があるのか? というか、このままだと俺達も危ない。
何か打開策はないか。もし二人で同時に手を離して横に退いたらどうなる? 牡鹿は勢いあまってあのふてぶて野郎に突っ込むだろう。そしてその隙に俺達だけでも逃げられるんじゃないか? いや、そんなのはレイが許さないだろう。だけど、この発想は使えるかもしれない。
「レイ、ちょっとずつ右に回れない……?」
俺がレイに囁きかけると、彼女はこくりと頷いた。「せーの」と合図し、俺達は同時に右足を一瞬だけ持ち上げた。その瞬間力の均衡が崩れた。ぐわりと押されそうになるのを、俺達は再び地を踏み締めて堪えた。これは中々厳しそうだ。
それでもなんとか俺達は息を合わせて、じり、じりと回っていく。だが、何度もバランスを崩しては耐えてを繰り返しているうちに、俺達は変な体勢になってしまった。不等辺三角形のように地面に垂直に立つことができず、中腰となって角を掴む腕も震えている。
もう駄目だ。最早一歩も動けない。俺は現実逃避をするように、ある物語を思い出していた。
昔、どこかで聞いた話だ。一国を率いた王だかが、臣下達を連れて草原へと保養をしに来た。そこに巨大な牡鹿が現れて、臣下達を襲い始めた。
それを見た王は、えーと……なんだか立派なことを言って……ええと……
「——『森羅我が剣に肩を打たるる』!!」
その瞬間、凛とした声が響き渡った。
次にいななき。灰色の影が飛び上がって、蒼天に一番星が煌めいた。
「はああああああっっっ!!!!」
星——煌めいた剣の先は強かに半回転、流星となって牡鹿の肩へと突き立てられた。牡鹿が悲鳴を上げて仰け反る。俺達は尻もちをついた。
「キャアーーーッッ!!」
「刮目! 貴殿の相手はこちらであるぞ!! この剣を目指し追ってきたまえ!!」
そう高らかに叫んだのは、燃えるような赤い髪の青年だった。彼は濃い眉を勇ましく吊り上げて笑み、より暗い赤に染まった剣を掲げ、葦毛の馬を繰って振り返り駆け出した。




