【挿絵あり】ホログラム・ガーデンの夢
夢を見た。二人は荒れた村を発つと、初夏の太陽に照らされながら北上した。目指すはローレアの西、森の遺跡群である。二人はその道中で夜営をした。小さく狭いテントの中で、疲れに身を任せて深く眠ったレイは、こんな夢を見た。
白い天井を眺めている。硬いものの上に仰向けに寝ている。身体が拘束されていて動けないが、不思議と嫌な感じはしない。見覚えのある天井だ。
不意にバタバタと足音が近づいてきて、すぐ側で止まった。レイは僅かに顔を傾けた。
「ごめんなさい、レイ! 待たせちゃったね。すぐに不具合を直すから」
優しく耳触りの良い声と共に、女性がこちらを覗き込んだ。まだ幼さの残る愛らしい顔。目の下に青い隈があり、くたびれた笑みを浮かべている。
「……博士」
彼女はレイの呼びかけを受けて微笑んだ。そしてレイの頭を撫でると、振り向いて何かを弄り始めた。そこには道具を載せたカートがあるのだろう。金属とガラス、油脂と液体の音が入り混じって聞こえてくる。
やがて彼女はメスを取り出した。彼女は苦しげな表情を浮かべ、「痛くしないから」と言った。そしてメスの切先をレイの胸にあてがい、ぷつりと肉を断った。痛みはない。
「……博士」
「なあに?」
もう一度呼びかけると彼女は応えた。目を胸に向けると、青い液が溢れている。そこに彼女の手によって、細いペンのようなものが差し込まれていく。
非現実的で、幻のような光景。レイはこれが夢であることを悟った。夢の中で彼女に会えた。ならば、一つ聞かなければならないことがある。それは話の流れも何もない疑問だったが、どうしても聞かなければならなかった。
「アンドロイドとは、なんですか」
……彼女は押し黙った。返ってきた答えは、レイもぼんやりと知っているような内容だった。
「……半有機半機械生命体。半分生き物で半分機械。大剣で斬られても絶対に死なない、熱い風の吹く世界でも生きていける存在だよ」
「どうしてそんな風に作ったのですか」
レイはもっと深いことが知りたかった。彼女はどうして自分達を作り、どうしてここまで頑丈に作ったのか。
最もあのときフローラの言葉を聞いて、おおよその理由は思い出していた。しかし、他でもない彼女の口から、はっきりとした理由を聞きたかった。|他でもない彼女の口から《・・・・・・・・・・・》、|聞かなければならない気がしていた《・・・・・・・・・・・・・・・・》。
彼女は唇を震わせた。はくはくと口を開いては閉じて、まるで何かに抗っているかのようだ。
そして彼女はごくりと息を飲み込んだ。震えの止まった唇で、彼女はどこか冷静な言葉を紡いだ。
「厳密にはあなた達は……アンドロイド、『みたいなもの』というか……」
そこで彼女は言葉に詰まった。暗い色の目を泳がせ、それでもなんとか意を決する。そして再び口を開くと。
「……そうなってしまったの」
レイの胸に、ぽたりと一滴の塩水が落ちた。ぽたりぽたりと落ちていく。
「ごめんなさい。私は……私は……!!」
彼女は自らの眼を拭った。しかし手術の手は止まない。鉄の蜘蛛がレイの柔肌を伝う。
レイはただただ放心して、泣きじゃくる彼女と己の流れ出る血を眺めた。
……夢は覚めない。意識が闇に沈み、再び浮き上がり、場面が変わった。陽光が降り注ぎ、薄桃色の薔薇が咲き乱れ、蝶の飛び回る庭園が目の前に広がっている。レイと博士は白いガーデンテーブルを挟み、向かい合って腰掛けていた。
「どう? 味はする?」
レイは自分の手元に目を落とした。いつの間にか持っていたティーカップの中に、スプリンググリーンの液体が揺らめいている。レイはそれを口に運んだ。まさしくこの庭園のような、春の香りと味がした。
「……美味しいです」
「よかった。なら成功ね。さっきはごめんなさい。取り乱してしまって……」
どうやら先程の手術はレイの味覚を取り戻す為のものだったらしい。細いウェーブの髪をふわりと揺らし、微笑む彼女は女神のように美しかった。
「私に味覚は必要なのですか」
「必要……ではないけれど。私が願ったの。あなた達に味覚があってほしいと。ほら食事って、とても幸せなことでしょう?」
「普段食事をぞんざいにしているあなたが言いますか」
無意識にそんな言葉が口をついた。彼女の普段のことなんて何も知らないのに。何も……そう、彼女の名前すらも自分は知らない。レイは不意にそれを自覚して、愕然とした。
「……博士」
「なあに?」
先程と全く同じやりとり。彼女の声はとても柔らかく、優しく……子うさぎの肉のようだった。
「あなたの名前は——」
——レイが彼女に問おうとしたそのとき。庭園一面にノイズが走った。色と形がズレて壊れ、二人の間の景色が歪む。
そのときレイは、この庭園がラボの一室に作られたホログラムの空間だということを思い出した。全ては偽り。ノイズはどんどん増殖し、博士の姿をも覆い隠した。歪んだ景色の中で、彼女の唇が言葉を紡いだ。
しかしその意味はレイにはわからず、抗い難い夢の終わりに引き摺られ、意識は深い断絶へと沈んでいった。
「……ん」
もぞりとテントを這い出たレイに対し、俺は「おはよう」と声をかけた。
彼女の綺麗なストレートヘアも、寝起きは多少の癖がついている。彼女は目をしぱしぱとさせて、テントから取り出したザックを漁り始めた。
俺は鍋に視線を戻し、くつくつと煮立つ野草入りのスープにちょっとの塩を振りかけた。焚き火から火の粉が立ち昇っては消える。その様子を眺めてしばし悩み、ほんの少しだけ塩を追加した。
「……うーん」
なにやら不穏な声。俺が彼女の方を見ると、彼女はザックの口をじっと見つめていた。
「どうしたの?」
「櫛の入ったポーチがなくて。ねぐらに置いてきちゃったのかもしれない」
「あー、じゃあ俺の櫛を使いなよ。丁度テントの中に出しっぱだし」
俺は開きっぱなしのテントの奥を指差した。鏡だの髭剃りだのと共に木製の櫛が転がっている。レイは「ありがとう」と言って再びテントに這い入ると、櫛を手に取って髪を梳き始めた。
俺の髪はそこそこ長い。ふわふわと跳ねた髪は肩につくかつかないかぐらいで、何故そこまで伸ばしているのかというと特に理由はないのだが、ともかく長い髪には櫛を使う必要がある。そういう訳で俺は櫛を持っているのだが、髪が長くて良かったな、と今この瞬間に強く思った。
やがて彼女が再びテントから這い出てきた。陽を浴びた黒髪につやつやの天使の輪が出来て、うーむ、快晴なり。
そうこうしているうちにスープが完成したので、俺達は食卓を囲んだ。とはいえ「卓」はなく、各々木の椀と硬いパン一切れを持って地べたに座った。野草の味の染み出した熱い汁と月面のようなベージュの塊とで、口を潤しては乾かした。
「……クラブ」
不意にレイが呼びかけてきた。俺が彼女の方を見ると、彼女は何やら深刻そうに俯いていた。「なあに」と応えると、彼女はぴくりと肩を震わせた。
「……あの、私……」
「うん」
レイは俯いたまま目を逸らした。そしてしばし黙り込み、やがてゆっくりと顔をあげると、こんなことを言った。
「……博士の名前、忘れてるの」
……え?
レイが、博士の名前を?
あんなに博士博士って言ってたのに。記憶がないのは知っていたけど、まさかここまでとは。
俺は「そっか」と言って再びパンを口に運んだ。
なんというか……レイが博士を必死に想ってるのって、アンドロイドの本能なのかな。アンドロイドに本能があるのかわからないけど。
その人についての記憶がないのに何故か強く求めてしまう、っていう感覚がよくわからない。愛って、魂に刻まれるもんなんかね。
などと考えているうちに、レイは食事を平らげてしまった。彼女は食器を持って立ち上がり、川へと駆け出していく。しまった、「あのこと」を言うタイミングを逃してしまった。
……いや、まだ時期尚早か。昨日の今日だし。
こんなにもすぐ催促をするのは、誕生日プレゼントを待ちきれない子供みたいで恥ずかしい。レイもうんざりするかもしれない。
俺は一人でスープの水面を眺めた。そっと水面にスプーンを入れ、浸したパンを掬い上げる。口に含むと、硬度は然程変わっていなかった。柔らかいパンが買えたらなあ。そう思いながら、俺はそれを噛みちぎった。




