【改稿】暗夜の太陽を湛える、神竜樹の椀
……レイは、言葉を失った。そして目を大きく見開いて、フローラを見つめた。
現代においてラボは廃墟と化し、広大な森に埋もれている。確かにかつての文明は滅亡したらしい。だが、滅亡「していた」? その言い方はまるで、自分達が滅亡した世界の真っ只中を生きていたようではないか。何を言われたのか理解できない。だが、今まさにレイは思い出してしまったのだ。ひんやりとした真っ白いラボ。窓のないラボ。「外に出てはいけない」という博士の言葉。
「思い出して。あの頃、世界には私達とラボしかなかった。博士だけが滅亡した世界の生き残りで、彼女は自らの孤独を埋める存在として私達を作ったのよ」
そうだ。自分達は、世界にたった一人取り残された女性の心を慰める為に生まれてきたのだった。
(かつて、博士は私達を愛してくれていた。私達も博士を愛していた。孤独でいたいけで哀れな彼女を、今でも私は愛している)
レイの灼かれてしまった脳は、更なる真実を思い出した。博士の願いだ。かつて彼女は、滅亡した世界を再生させることを願っていた。
つまり、フローラの言っていることは正しいのだ。確かにあの頃の世界は滅んでいた。あの頃の世界に、博士以外の「人間」は生き残っていなかった筈。では、ラボを襲ったのは「何」だったのか……?
「私があげられるヒントはこれだけ。でも……あなたが私の手を取ってくれたら、全ての真実を教えてあげる。私、ローレアでは意地を張っちゃったけど、やっぱりあなたが居ないと寂しいわ。あの頃を一緒に過ごした仲間だもの。だからレイ、私達と行きましょう……?」
牝山羊は子羊に微笑みかけた。
一方で俺達は敗北までの残り秒数を数えていた。
空高くから地面へと落下した俺達は、風の魔法によってなんとか即死を回避したが、それは死までの僅かな時間を稼いだに過ぎなかった。周囲にはピラニアのようなアンドロイド達が居た。
俺は地面が見えた瞬間、落下地点に風の魔法を放った。落下の勢いを殺す魔法だ。これにより俺達は五体満足で大地に降り立つことができた。次に俺は荊の魔法を放った。それはかつての仲間から「姑息」と称された魔法だ。俺が荊の魔法を放つと、地面に生えた荊が同心円状に波打って広がり、アンドロイド達の足を絡め取って波の外へと追い出し始めた。多くのアンドロイド達はその流れに逆らえず、俺達から遠く離れたところに追いやられた。
しかし荊の魔法は彼ら全員を追いやれた訳ではない。一部のアンドロイド達はもがきながらも俺達に襲い掛かり、ライアンは俺を守りながら戦い始めた。
戦況は劣勢。俺は空に残したレイを想ったが、この距離では防護魔法も届かないだろう。
「まずいな……」
このままでは二人とも殺される。ライアンはぐっと踏み込んで宙に飛び上がり長い尾を振った。それは鞭のようにしなって前方の一人を薙ぎ倒した。次に彼は俺の背後に着地すると槍を突いて二人を牽制。そして僅かに出来た隙を突いて手のひらを天に向けると火球を放ち、フロストクイーンの宝玉を融かしつくしたが、その瞬間鋭いアッパーカットが彼の顎に迫った。
「危ない!!」
俺は咄嗟に防護魔法をかけた。打撃を食らった彼は僅かによろめく。
「すまない」
「礼はいらない。それよりもこの状況どうする?」
「残る触媒はアンセスターワームの牙だけだ。それを砕いてしまおう」
……アンセスターワームの牙。
「あれ、岩ぶつけても壊れなかったんだけど!」
「流石四皇の母の牙だな。火葬は時間がかかるだろうし……」
ライアンは戦いながら唸り始めた。慌てて「俺が考えるから集中して」と叫ぶ。
魔法による物の破壊は難しい。そもそも魔法とは一部の例外を除き、魔法学外の現象の再現をしているに過ぎないのだ。なのでそれで物を破壊する場合、物理や科学の法則を逸脱することは不可能に近い。
海将マーリンの背鰭は岩の針による突き刺しで砕いた。強風をぶつけたとて破壊はできなかっただろう。フロストクイーンの宝玉はすなわち氷の玉で、今しがたライアンが炎で溶かした。フレイムサラマンダーの尻尾だが、これもまた本体から離れればただの肉。丸焼きにした。
だが、牙はどうだ。岩をぶつけても壊れないとはとんでもない硬度だ。
この状況でのジョーカーは……
「やはり無属性!」
「イカれちゃったのこの状況で!?!?」
突然のライアンの言葉に俺は驚愕した。集中しろと言ったのに! それに無属性だって?
——無属性。それは先程俺が濁した『例外』にあたる。純粋な魔力を練り上げた魔法、すなわち無属性の魔法は前述の法則を逸脱する。防護魔法がその筆頭だ。しかしそれらの弱点として、「破壊が苦手」というものがある。
無属性の破壊魔法はあらゆるものの破壊が可能だ。しかし、一般的にその威力は羽衣で岩を撫でるような微々たるものだ。そんなものを候補に挙げるなんてイカれてるとしか思えない。まあ、今まさに地上から放たれているような高濃度で圧の強いものを撃てれば話は別だが……ん?
まさか撃てるのかこいつ。
「破壊にかかる時間は三秒と見た。策がある。決して私から離れるな」
がらりと一変した彼の声。それは通すべき筋を見つけたような、ゴッドレイを掴んだような強い声だった。
「——嫌だ!」
レイはフローラの手を振り払った。再び足場を生み出して降り立つ。黒の瞳には揺れる希望が宿っていた。
「……どうして?」
対するオーロラの瞳が憎悪に染まる。彼女はふらりと顔を上げると、躊躇いなく刃を振り下ろした。重い刃を片手で受け止め、レイは奥歯を噛み締める。
「何かがおかしいから!」
それが何かはわからない。ただ本能的な直感が、目の前の存在の異常を訴えていた。
彼女が言いたいのは、現在のこの星はかつての人類とは違う、異常な存在に支配されているのだということだろう。正直なところ、レイはその可能性を否定できない。むしろその可能性の方が高いと、にわかに信じだしている。
しかし、それでも。真実は何にせよ、レイの目にはフローラ自身が狂っているように見えるのだ。
狂っている存在に協力はできない。
「ふぅん……だからなんだというの。異常も正常も関係ない。ここにあるのは真実だけよ!!」
牝山羊と子羊は決裂をした。レイの手のひらにのしかかる刃が更に重くなる。
足元の光がぱきりと軋む。オーロラ色の瞳孔の開いた目が恐ろしい。
だけど決して負けられない——愛する博士の名誉の為に!!
次の瞬間。はるか下界から天高くへ、片翼の竜が宙を蹴りながら昇ってきた。
「——アンドロイドは三秒息を止められるか!?」
レイの側に至るなりライアンは叫んだ。ひどく突拍子もない質問。彼の小脇にはクラブが抱えられている。レイはハッと目を見開いて答えた。
「もちろん!」
それを聞いたライアンはにっと笑んだ。そしてフローラに魔力の揺らぐ左手を向けた。彼女はすかさず宙を滑って逃げたが、深淵の森のアギトが彼女を襲った。小鳥の如き彼女は逃れられず、その足は大樹の連鎖に飲み込まれた。
落ちゆくフローラ。レイがその体を蹴り落とすとその勢いは加速した。
すかさずライアンは下界に向けて巨大な光の陣を展開した。それは地上の殲滅魔法、白塗りの月と対をなした。
——暗夜の太陽が唸りを上げ、不浄を焼き尽くす神威を放ち、守り人はやがてその名を口にする。
「神竜樹の盾!!」
その瞬間、轟音を立てて眼下の地盤が爆ぜて散った。浮島のような土塊が打ち上げられて風を砕いた。湖の広さに勝る太さの巨大樹が急速にせりあがり、戦場の全てを呑み込む。迫った枝葉は忠実なしもべのように三人を避け、神の玉座とも言うべき椀を作った。
「これが森竜様の加護の力……」
ライアンは目の前の大自然を畏敬すると、再び森竜へと向き直った。あとはアンセスターワームの牙を砕くだけだ。
ライアンは再び光の陣を描いた。先程よりはるかに小さく精細なものを、しっかりと夜空に狙い澄まして。
「——ライアン!!」
その瞬間、悲痛な声が響き、三人の視界はフラッシュした。




