【改稿】お願いがあるの
(くそっ、くそっ!)
裏切られた、最悪だ! あの冷めた態度の時点で気づくべきだった。
俺はレイを抱えながら、ねぐらの反対方向にある森の中を疾走していた。
どれだけ走っても悍ましい光の吹き荒ぶ中から抜け出せない。光からは痺れるような魔力を感じた。森竜は高濃度の魔力を撒き散らしたのだ。
俺は腕の中のレイを見下ろした。魔力の氾濫は人体に強い害はないが、アンドロイドは魔力に弱いのだろう。
魔法とは古来から魔物達が生存の為に駆使してきた技術のことだ。彼らは体内に魔力を蓄積し、放出することで魔法を発動する。基本的に無生物や生物は、光合成レベルのごく自然な現象として空気中から魔力を吸収した後、無生物は蓄積し、生物は放出する性質を持つが、魔物はその両方の性質を併せ持った。故に魔物は種族的な特権として、生まれつき魔法を発動することができた。彼らは魔法を使うことで弱肉強食の世界を生き抜いてきた。
一方でそんな魔物を羨んだ人間は、彼らの性質を研究し、杖を発明した。人間はこの杖を用いることで魔物に匹敵する魔法を使えるようになったが、本来は小鳥のさえずりのような魔法しか発動できない存在だった。それは人間が魔物とは異なり、生物に近い存在だったからだ。この「生物」「無生物」というのは自我を持ち活動し繁殖をするかどうか、という一般的な分類ではなく、魔法学的な分類の話だ。人間は生物、魔物は中庸、そして竜は無生物に近い。
竜は莫大な魔力を体内に溜め込める一方、放出が難しく、生身では杖なしの人間と同等の魔法しか使えない。人間の杖を使ったところで、人間と竜では構造が違うのだから上手くいかない。そういう意味では、彼らは人間よりも魔法が苦手だった。
しかし今まさに森竜はとんでもない規模の魔法を使っている。それはひとえに、彼が溜め込んだ魔力を放出する為の太い「ホース」を得たからだ。
「フレイムサラマンダーの尻尾」、「フロストクイーンの宝玉」、「海将マーリンの背鰭」。この三つは強い魔物である四皇の一部で、つまり強力な「ホース」としての力を持っていた。
先程森竜が抱えていた「アンセスターワームの牙」も言わずもがな強い「ホース」になる。そして「幽霊砂漠の雨」は……
「他の『ホース』を持ち帰らせる為のフェイクだ! やられた!!」
俺は叫びながら、目についた洞窟へと転がり込んだ。
ごつごつとした地面の上にレイを横たえる。流石に洞窟の奥深くには虹色の嵐も入ってこない。
「レイ、聞こえる!?」
レイがうっすらと目を開けた。その姿に俺の心は遂にはちきれた。
「ああ、良かった! どう、治りそう? 治るよね!? ……どうしてこんなことが続くの? やっぱり旅なんてやめて帰ろう!? 身体が治ったらきっと帰ろう。そうだそうしよう。ね? 治る……よね? あぁ……」
俺は彼女の手を祈るように握り、彼女の腹の上に顔を伏せた。
なんだか凄く疲れた。が、どこか安心している自分も居る。流石にこれでレイも「帰ろう」と言う筈だ。こんなにも苦しそうなレイは見たことがない。俺ももう二度と見たくない。心の一本松がぼっきりと折れた先の、朝焼けの海を眺めているような気分だ。
「そこに……誰か居るのか?」
不意にそんな声がした。洞窟の更に奥を見ると、周囲の暗闇よりも僅かに暗い色の何かが倒れていた。
杖に明かりを灯して近寄る。そこにはうつぶせに倒れている男が居た。ローブの袖口から覗く手に青い擦り傷がある。……アンドロイドだ。俺は一つの作戦を閃いた。
「ああ、俺だ」
「……? その声、ビリーか?」
「そうだ。ちょっと別行動をしていたがな。しかしお前、フェレト村を襲いに行くんじゃなかったのか? どうしてこんなところで転がっている?」
「……別行動? そうだったか……? どこまで……? そう……」
男は意識が朦朧としているのか、疑問を抱きつつも深くは考えられないようだった。しかし「ビリー」を信じる方を選んだらしい。彼は催眠術にかけられたように、掠れた声で語り出した。
「フローラの指示通り、俺達はローレアの森で計画を語ってから出発した。魔力避けのローブも買って……そしてここまで来て……ワームの襲来は想定外だったが、結果として読みは当たった。しかし俺は特別魔力に弱かったらしい。一人この洞窟に逃げ込んだきり、動けずじまいさ……」
俺はその言葉に耳を疑った。
「読み? 読みってなんだ?」
指示通り計画を語ったとは? どういうことだ。心に生温い何かが差し込まれるような違和感。嫌な予感がする。
「……森竜が魔力で俺達を仕留めようとするって読みさ」
——ぞわりと背筋に冷たいものが走った。チェスの盤面が物理的にひっくり返されたようだ。不快さが全身を這い回り、俺は唇を震わせる。
「な、それって……」
「行商人を襲って手に入れた魔道具があっただろう? モリオンの核と黒山羊の頭を合わせた強力なあれだ。濃厚な魔力の充満した中であれを使えば……あの地域一帯を破壊し尽くす殲滅魔法を放つことができる」
「!!」
俺は苦虫を噛み潰したような顔をしていたと思う。温かい生肉を触ったような不快感。そしてにじりよる恐怖。面倒な課題を目の前に放り投げられたような感じがあった。
「……行かなきゃ」
「何言ってるんだよ!」
レイの言葉にサッと血の気が引いた。しまった、やっと得た安心が消え去ろうとしている。俺は立ち上がろうとした彼女を抱きついて止めた。絶対に彼女を行かせてはならない!
「ローブを着たアンドロイド達にライアンの魔法は効かない。私が行かなきゃ……ダメ!」
「バカッ! そんなボロボロの身体で勝てる訳ないだろ! この洞窟に居れば殲滅魔法の爆風だって飛んでこない筈だ! あんな奴放っておけばいいだろ!?」
「……あんな奴? どうしてそんなことが言えるの!? ライアンならそんなこと言わない! ライアンは私達に良くしてくれた!! その恩を仇で返すなんて……!」
その言葉に俺の中で何かが切れた。なんだよ、ライアンライアンって……!
「そんなに凄いライアンなら肉弾戦でもなんとかなるんじゃない!? やたらとなんかムキムキだし!!」
「それって本気? 人間がアンドロイドの集団に勝てる訳ない!! 私達は博士の傑作なの! 馬鹿にしないで!!」
「二ヶ月前の傷が完治してないのはどの傑作!?」
……俺が弾けるように言い放つと、彼女は言葉を失った。彼女の見開かれた瞳が揺れた。
「あいつと空を飛ぶ練習をしてるのを見たよ。君にしては早く息が上がってた。あいつは気づかなかったみたいだけど……君、肺の傷がまだ治ってないんでしょ。それに、四皇やワームと戦ってできた傷も残ってる」
狼狽する彼女の目をしっかりと見据える。その瞳はとても澄んでいて……愚かだった。
「俺をただのわがまま男だと思わないで。俺はちゃんと君を見ている」
「……」
レイは静かに俯いた。両の人差し指を突き合わせ、思案するように動かしている。……庇護欲をそそられる姿だが、彼女のこれは萎縮ではない。
やがて彼女は声を弱め、儚げに言葉を紡ぎ出した。
「……あのね、クラブ」
「うん」
彼女は俺の手を握った。上目遣いで、いたいけな風に。
「お願いがあるの」
……暗がりの中、俺はゆっくりと頷いた。




