【改稿】虹は虫の工と書いて
ベッドの中に入ると、俺は壁に面したベッドの左端にへばりつき、限界までレイから離れた。一方でレイはベッドの右側やや中央寄りに横たわり、こちらを向いて目を閉じている。
……透き通るような白い肌、黒く長い睫毛。すっと通った鼻筋と艶やかな髪。彼女の言うアンドロイドの定義はわからないが、少なくともこうして見ている分には、全く人間と見分けがつかない。が、例え見分けがつくような容姿だったとしても。
二人なら心から愛し合える。それは人間だとかアンドロイドだとか、親子だとか恋人だとか、そういったものを超越した、深くて崇高な関係だと思う。
……その筈なんだけど。
(凄くドキドキする……!)
このしつこいまでの胸の高鳴りは、「この感情は○である」という赤裸々な答えを示すようだ。○に入るのは崇高とはかけ離れたごく普遍的な言葉。
俺はそれが嫌だった。自分達の関係性をそんな言葉で言い表してしまっては、俺はお山の大将では居られなくなる。平地に降りて、あのライアンさえとも対等にやりあわなくてはならなくなる。そうすると俺は、顔、性格、体格、家柄、全てにおいて彼に負ける。そしてそんな相手が恐らくこの世界には——今しがた英雄と化した彼には及ばないかもしれないが——沢山居る。
そんなのは嫌だ。だから俺は、レイとの関係を特別なものだと思っていたい。レイと二人で山の頂上に居座っていたい。……そんなことを思っている時点で……と思いかけて、思考を振り払う。ダメだ、何も考えるな。
俺は気を紛らわせる為、再びレイの顔に意識を向けた。すると……
「……ん?」
なんか、苦しそう……?
——そう思った次の瞬間。レイは呻き声を上げて頭を抱えた。
「ううぅぅ……っっうう……!!」
「クラブ! レイ!」
突然に部屋の扉が開け放たれた。そこには目を見開いたライアンが居て、冷や汗を垂らして鬼気迫る声をあげていた。
「ライアン!? 今何が……」
「いいから家の外に出ろ。レイを連れて」
俺はベッド脇の杖をひっつかむと、レイに軽量化魔法をかけて抱き上げた。右手で彼女を小脇に抱えて、左手で二人分のザックと杖を持つ。
部屋を出ると暗い廊下が広がっていた。一寸先に見えるライアンの背中だけを頼りに走り、俺達は家の外に出た。——その瞬間、俺は目に映る光景に言葉を失った。見渡す限りに、油のような虹色の風が吹き荒んでいた。そして……
「あれは……!?」
村の先、ねぐらの森の上空に昇る巨大な黒い影が見えた。その背後では光輪はたまた衛星のように、四つの何かが円を描いて回っている。見間違えようもない。あれは……森竜だ。
「生無きものは魔力を蓄える器。生ある物やその死骸は魔力を放つホース。森竜様は前者に近い存在じゃ。あの『ホース』を集めたのはお主らかえ」
「お婆様!」
いつの間にそこに居たのか、ライアンの祖母は俺達の隣に立ってそう言った。
「竜とは本来魔法を扱えぬもの。しかし、湖のように莫大な魔力を蓄えておる。そんな魔力を放出する術を得たとき、竜は世界に大きな変化をもたらす。祝福かあるいは厄災か……」
「つまり森竜は今、規模が大きくてヤバい魔法を使おうとしてるってこと!?」
ライアンの祖母の言葉を理解し、俺の頭は怒りで煮えたぎった。あいつがこんなことをした理由なんてどうでも良い。
——レイが苦しんでいる。
「森竜! お前、俺に恩があるんじゃなかったのか!?」
「どういうことだ……?」
「今すぐこの妙な色の嵐を止めろ!! 俺のレイが苦しんでるだろ!!」
俺の絶叫はこの距離でもあいつに届いたらしい。レイが更に苦しげに呻く。森竜はぬらりとした黒塗りの影に染まったまま、全身の産毛がぶわりと逆立つような声で応えた。
「黙れ、塵芥め。いつ誰がお主に恩を感じていると言った。わしはただお主らを利用したのみ」
風威が強まりパキパキという音があちこちから響く。木々の軋む音だ。怪奇現象のようなその音は森竜の声と共に徐々にその勢いを増し、無数の怨霊の囁きのように絶え間なく鳴り始めた。
「アンドロイド——木々のある場所、わしの領域内を荒らし回る害虫ども。あやつらははるか北の森で、この村を襲う計画を立てておった。わしはあやつらをワームと共に攻撃魔法で散らそうと思っておったが、今やそれは叶わなくなった。ならばそこの小娘諸共、この魔力の海で散らしてやろう!!」
ばきり、と遂に木が折れた。それと同時にライアンが叫ぶ。
「逃げろ!」
俺は弾かれるように走り出した。




