啓鐘者
「——団長殿!」
ダレンはハッとした。赤く燃え上がるような幻を見ていた。帝国で黒い雨を浴びた影響がまだ残っているのだろうか。ダレンはかぶりを振って不安を振り払った。しっかりしなければならない。
「広場に到着しました。号令をお願いします」
すぐ側に立つ騎士の呼びかけを受け、ダレンは目の前に広がる景色の分析を始めた。王宮前ともあり、公園のような広さを誇るその広場を赤と緑の兵士達が埋め尽くしている。それぞれの軍隊は北と南に背を向けて向かい合っており、東に立つ自分達は大体の戦況を把握することができた。それぞれの軍隊の中央後方に、お抱えの魔術師が生み出したであろう光の馬に乗っている人物が二人居る。ゴッズランドの王と、ブランブル帝国の皇帝だろう。目を凝らしたが、やはり見分けようがなかった。
「——各部隊、両軍の後方に回れ!!」
「「「おおおおおおおっっ!!」」」
雄叫びが上がったことにより、王と皇帝の視線がこちらに向いた。
「ご安心下さい! 我々はどちらが味方すべき母国の軍隊かを確かめに来ました! ゴッズランドの軍隊には、決して危害は加えません!!」
「それは誠か! 貴様らが後方から我々に危害を加えないと、どうやって証明する!」
「今にわかります! 我々は何も致しません!!」
——面倒臭い奴だな! ダレンはそう思ったが、必死に自制した。騎士団長として、作戦に個人的な感情を挟んではならない。
ダレンはもう一つの部隊を率いるハンクスと目配せをしながら、馬を操って緑の軍隊の後方に回り込んだ。
すると、軍隊の後方に居た兵士達が一斉に振り向いた。その瞬間、一本の矢がダレンの頬を掠めた。
「……」
ダレンは無言で頬の血を拭いながら、弓を引いた兵士を見つめた。冷たい眼差しが兵士を射抜く。しかし兵士がたじろいだ瞬間、ダレンは一転して満面の笑みを浮かべた。
「少し聞きたいことがあるんだ。協力してくれるかな? 王様をお守りする為なんだ」
その聖人君子めいた微笑みに、兵士は戸惑いながら弓を下ろした。そして金属の打ち合う音が上がる前線の方をちらりと見て、「早くしてくれ」と叫んだ。
「総員、聞き取りを始めよ!」
ダレンの号令を受け、騎士達が兵士達に向かって駆け出した。
「クルーズ領一番の変わり者が育てているベリーの名前は!?」
「エリントン領の一番辺鄙な場所にある小屋の住人の名前を答えよ!」
「な、なんなんだお前達は!」
雄叫びを上げて隊列の中に入り込み、鬼気迫る様子で突拍子もない質問をする騎士達に兵士達は狼狽えている。
「……こんなくだらない作戦で、本当にゴッズランド軍がどっちかわかるんかね」
ふと、そんな呟きがダレンの耳に入ってきた。兵士と騎士、大勢の人々が入り乱れていて誰が呟いたのかはわからない。しかし、恐らく騎士が呟いたのだろう。ダレンは追及しないことにした。
未熟な騎士団長である自分は、騎士団の中であまり良い評価を受けていない。下される評価は、概ね「能力不足」か「よくやっている」の二択だ。そこに「素晴らしい」という評価はない。
しかし、今はそのことを気にしていても仕方がない。ダレンは一人の兵士に向かって、馬上から身を屈めた。
「ねえ君、カークウッド領の……」
一方で空の上の俺達は、想像を絶する存在と向き合っていた。その存在は、つい先程俺達が固めた覚悟を容易く吹き飛ばし、俺達を恐怖に陥れた。
それは鈍色の繭のようなものだった。繭か、水蚤か、あるいは妊婦か。それは血をいっぱいに吸った蚊のように、不自然に膨れた腹を抱えていた。それに最早人としての原型はない。右肩と思しき箇所からは途方もなく長い、三つの関節を持つ腕に凶悪な鎌を生やしたモノが二本伸びており、頭部を覆う名状しがたきモノの下には、昆虫の口器のような何かが蠢いていた。そして何よりも特筆すべきこととして、ソレの背中には耳障りな怪音を立てて羽ばたく、蝿の翅のようなものが生えていた。
——つまり啓鐘者は、以前見た姿よりもはるかに悍ましい姿に進化していた。
「啓鐘者って人間じゃなかったっけ!? 前回見たときは人間だったよね!?」
「うん。フェレト村で見た啓鐘者は人の形をしていた」
慌てる俺達に啓鐘者は正気の削れるような音を口から溢すと、凄まじい速度で二本の鎌を振り下ろしてきた。俺達はそれを必死に飛び退いて避け、啓鐘者から距離をとった。啓鐘者は覆い隠された目で俺達を見据え、大きな翅で羽ばたいて追いかけてきた。俺達は逃げた。だが——啓鐘者の方が速い。俺はハッと気がついた。
(あの翅のせいで移動速度が上がって、熱竜の読みと一ヶ月ものズレが生まれたのか!)
恐らく啓鐘者は、俺達が熱竜と話をして別れた後にあの俊敏な姿に進化したのだ。もし啓鐘者が進化しなかったら、俺達は熱竜の言う通りにブランブル帝国で彼女を捕まえることができたのだろう。
俺は振り返り、迫り来る二本の鎌に荊を放った。荊は軌跡を描いて飛んでいく途中で、鮮やかな青のオーラを纏った。そして荊は鎌を拘束したが、すぐに斬り払われて解け、俺の眼前に異形の顔が迫った。
「——ッッ!!」
その刹那、重く鋭い蹴りが啓鐘者の顔面に炸裂した。白い手のような骨のような、彼女の顔を覆っていたモノにヒビが入った。
「助かった!」
「やってしまった」
「え?」
レイは俺の手を引き、啓鐘者から距離を取った。ひび割れたモノを鎌で押さえて呻く怪物を、レイはじっと見つめた。
「啓鐘者はかつて人の形をしていた。つまり彼女は、元は人間だったのかもしれない。『厄災』と呼ばれる得体の知れないものである以上、彼女は本物の人間ではなくて、ただそういう形をしているだけかと思っていたけど——そんなことはなかったのかもしれない」
「だ、だったら何……?」
啓鐘者は苦しげに呻いている。その左肩から先はなく、腹部の下半分もまた焼け落ちている。あちこち爛れ、血を垂らしている怪物は、ハンクスの言う通りあと少し攻撃を与えれば息絶えそうだ。だが。
「私は、啓鐘者との対話を試みる。もしかしたら彼女には自我があって、説得が通じるかもしれない」
レイはそんなことを言った。そして啓鐘者の剥き出しの肋の奥から放たれた紫炎色のビームを避け、迫ってきた鎌を蹴りつけて跳躍した。
「この後に及んで何を……!?」
「大丈夫、試みるだけ。もし啓鐘者が分かり合えない存在なら、ちゃんと殺す」
そう言ってレイは啓鐘者の上空で翻り、魔法陣に降り立った。
「啓鐘者、聞こえる——?」




