曼珠沙華の赤い影
その背中を見送った俺達は、改めて互いに向き合った。俺と目が合った瞬間、ダレンは寂しげに目を伏せて、それからもう一度順番に俺とレイを見た。
「命あっての物種だからね。決して無理はしないように。決して、死なないように。俺はもう……君達のような人が死ぬのを、見たくない」
「安心しろよ。俺達って実はすっごい丈夫! 見ろよ、レイたその力こぶを」
「……やだ。恥ずかしい」
レイは自身の上腕二頭筋を隠すように抱き、照れ笑った。つられて俺とダレンも笑った。
「本当に、絶対に死なないでね。死んだら承知しないから。俺を連れていかなかったこと、一生恨むから」
「お前こそな。生きて帰れよ、ボロボロ男」
「いつかまた私の気が向いたら、雇われてあげてもいいよ。口実をしっかり考えておいてね。雇い主さん」
そうだ、俺達は啓鐘者の調査隊の隊員としてダレンに雇われていたんだった。もし啓鐘者を倒すことができれば、口実がない限りダレンとはこれでお別れだ。ヘアゴムを直しに行く約束はしているが、それが果たされればきっと俺達は別れる。なんだか実感が湧かないが、心の準備はしておかないといけないな。
そうして俺達は万感の思いを込めて笑い合い、遂に別れた。
王宮前の広場は街の最深部だ。グローリアの城門の前、整列した部隊の中央後方にダレンは居た。
ダレンは騎士団直属の魔術師が生み出した光の馬に跨っていた。これは聖テオドア騎士団において、団長と副団長のみが乗ることを許された高度な魔法技術の産物だ。
そしてそんなダレンを取り囲むように、ダレンの周りには歴戦の騎士達が居た。創立から日の浅い騎士団に所属する前から戦いに生きてきた、畏敬すべき武人達だ。未熟なまま早熟な存在として扱われ、不相応な立場に据えられた十九歳の青年を、彼らが守っていた。
ダレンが目を閉じると、瞼の裏に燃えるような赤がちらついた。ダレンは自分がこの場所に立つ遠因となった、忌まわしく狂おしい存在を想った。そして次に、様々な感情が心に浮かんだ。未練、恐怖、怒り。
ダレンはそれら全てを振り払い、しっかりと目を開いた。そして肺いっぱいに息を吸い、叫んだ。
「——突撃!!」
その瞬間、騎士達は雄叫びを上げて駆け出した。無数の鎧が騒がしく擦れ、土埃が上がり、魂の叫びが空に木霊する。
帝国軍によって既に突破された、荒れた城門を黒色の蟻のような大群が突き抜けた。突風が起こる。
その瞬間、騎士達の全身に黒い雨が打ちつけた。しかし苦しむ者は居ない。皆、鈍く光る黒い兜を被っていた。戦いが長引けばその限りではないが、今のところは狂気から身を守ることができそうだった。
雲が影を落とす、灰色の半ば滅んだ街を駆けながらダレンは思った。もしかするとこの辺りの民家にはまだ人が居て、話を聞くことができるかもしれない。城門を突破し、この街に突入してきた帝国軍のマントの色が何色であったか、わかる人が居るかもしれない。
しかし、ダレンはすぐにその考えを捨てた。軍隊の襲撃というショックを受けた人々の証言は当てにならないだろう。夫を目の前で殺された妻が、犯人の特徴として実際の犯人とまるで違う特徴を自警団に供述し、無関係の人物が処刑されたという話を聞いたことがある。ショックは記憶を歪めるのだ。
ダレンは大通りを左に曲がるよう、部隊に号令を発した。黒い蟻の群れが蠢き、変形した。今の自分達の前に敵は居ない。恐らく、王宮前の広場に辿り着くまでに敵と遭遇することはないだろう。ダレンは道に折り重なる兵士の屍を踏み越えた。
道を曲がった先で、ダレンは大切な人のことを想った。弟のグレンのことだ。
ダレンの弟のグレンは、カークウッド領に住んでいる。カークウッド領はこの城塞都市・グローリアを抜けた先にあるのどかな田園地帯だ。まさか帝国軍がこのグローリアを落とさないうちから、カークウッド領に手を出しているとは思えないが……今後はどうなるかわからない。ブランブル帝国はゴッズランドの支配ではなく、滅亡を望んでいるのだ。このまま帝国軍の進軍を許せば、田舎の屋敷で父の友人と共に暮らすグレンが、帝国軍の毒牙にかけられてもおかしくはない。
なら、直接助けに行けば良かったのではないか?
「……ッ」
ダレンの心にあの日の言葉がよぎった。
『想いは武器になると同時に、自分を自分たらしめる素敵なものだよ』
レイがバーニーに贈った言葉だ。想いは自分を自分たらしめるもの。レイは博士やフローラ、クラブを想っている。それだけではない。彼女の正義感や優しさは、不特定多数への強い想いだ。
クラブもまた、レイに対して強い想いを抱いている。恋に依存に独占欲と、綺麗な想いばかりではないが、それでも彼は自身の想いと真摯に向き合い、レイの為に尽くそうとしている。
(——じゃあ、俺の想いは?)
なぜ自分は直接グレンを助けに行かなかった? なぜグレンと父の友人を連れて、ノースゴッズにある自分の領地に逃げる方を選ばなかった? なぜ自分は、わざわざ危険を冒してまで騎士団の元に戻り、部隊を指揮することを当たり前のように選んだ?
ダレンに愛国心はない。ゴッズランドに友人と呼べる存在は一人を除いて居なかったし、その一人も今はもうこの世に居ない。人生の暗い時期を過ごしたこの国には嫌な思い出が染みついている。
その上で、個人的な嫌な思い出に関係なく、この国は最悪だ。愚かな王と愚かな国軍は、聞くに堪えない因縁をつけてスノウダムを侵略した。ブランブル帝国に「悪しき末裔の国」だの「厄災」だのと称され、侵略を受けたところで因果応報としか言えない国だ。
……なのに、なぜ自分はこの国を救いに来た?
(苦しい……)
ダレンは苦悶の眼差しで、迫り来る道の先を見つめた。王宮前の広場はもうすぐそこだった。自分の意思に反して、人の流れや物事の流れに流されて、とっくに自分のものではない身体が戦地に向かって動いている。
(俺は何の為に戦っているんだ? 俺が今やっていることは本当に正しいのか? 生活の為、弟の為……弟の為を想っても、これが最善策ではなくて……)
ダレンの心に、眩い赤が影を落とした。
『——我はノースゴッズの領土を、スノウダムに返還してみせる』
ダレンの目の前が、赤く燃え上がった。




