戦いの覚悟
「最早一刻の猶予もありませんね」
少し遅れて、他の騎士達も俺達の元に集まってきた。ハンクスの指示を求めて集まってきたのだろう。そこで初めて彼らは黒い髪のダレンを見た。中にはぎょっとする者も居たが、髪を留めている割れた椿のヘアゴムを見て納得したようだった。遠征から帰還した騎士団長の存在は、彼らにとって頼もしいものだろう。全員の視線が、ダレンとハンクスに向いていた。
だが、俺は二人が何かを言う前にこう言った。
「二手に分かれましょう。空を飛べる俺とレイは啓鐘者を止めに行きます。ダレンと騎士の皆さんは広場に向かって下さい」
ダレンは驚いたように俺を見た。ダレンだけじゃない。ハンクスも周囲の騎士達も一斉にこちらを見て、俺の発言にざわめいている。
「啓鐘者を止めても、戦争を止めることはできないんだよ」
「雨柱の中をよく見ろ。……雨に混じって、隕石みたいなものが降ってるだろ。多分啓鐘者が降らせてるんだ。あんなのに当たったら地上の人々はひとたまりもない。止めなきゃいけないだろ」
「それでも無茶だ! せめて、俺も君達の方に着いていくよ。俺には熱竜の加護がある」
「でも、その髪だろ? ちょっと元の色に近づいてきたけど、まだ黒い。ってことは、多分あの凄い技は使えない。それだけじゃない。お前はあの冷えた炎に生気を抜かれて、骨も折れてボロボロだ。ならお前は、騎士団長としての顔を生かせる方に行った方がいい」
「……」
「一つ作戦がある」
俺は右手の人差し指を立てた。
「ダレン。お前は騎士団を率いて、赤と緑の両軍の中から故郷の知り合いを探せ。お前はカークウッド家の領民だったんだろ。じゃあ、同じ領民にしかわからない符号がある筈だ。地元の名物料理の名前でも、有名人の名前でも何でもいい。それについて質問して、答えられる奴を探すんだ」
「その手の質問なら私が拘束した彼らにしたよ。でも、二人とも正確に質問に答えた」
ハンクスがそう言ったが、俺は首を横に振って人差し指の先をダレンの胸に突きつけた。
「もっとコアな内容を聞くんだ」
彼の黄色い瞳が、水面に映った月のように揺れた。
「騎士団総出で、コアな質問に答えられる奴を探すんだ。二つの軍隊の前方じゃなく、後方に居る奴をあたれ。救援を求めているなら、後方支援の手を止めて話に応じてくれる筈だ。そうしたらきっと、一人は難問に答えられる奴が現れる」
「……確かに……」
「そうだろ? この作戦は騎士団を二つの部隊に分ける必要がある。赤のマントの奴らの後方に回る部隊と、緑のマントの奴らの後方に回る部隊だ。どっちの部隊にも、部隊の誰かが同郷の仲間を見つけたときに、説得力のある号令を出すことができる奴が必要だ。一人はハンクスさん。もう一人は……お前だ。お前しか適任が居ない」
「——随分と頭が回るようだけど、もしかして軍隊に所属した経験があるのかな?」
「えっ!? あっ、いや、な、ないんですけどぉ……物語の受け売りというかぁ……」
ハンクスの含みのある微笑みに俺はドキリとして、頭の後ろを掻いた。出しゃばりすぎたかもしれない。冷や汗が脇に滲んだ。
「……そこまで言われたら仕方がないね。君の作戦も理に適っているし」
ダレンは眉を下げてため息をつき、緊張の緩んだ微笑みを浮かべた。そしてそっと目を閉じると、意を決したように開き、威風堂々と拠点中に響き渡る声でこう言った。
「以上の作戦で我々は王宮前の広場に向かう! なんとしてでもブランブル帝国軍の脅威を退け、我らが王をお守りせよ!!」
「「「おおおおおおおおおおっっっっ!!」」」
騎士達から大地を震わせるような雄叫びが上がった。疑心、忠誠、それぞれ様々な気持ちを抱いていたことだろう。それでも彼らは母国の存亡をかけた戦いを前に、武人の誇り高き血を騒がせ、一致団結することを決めたのだ。彼らは剣を掲げると、それぞれ出撃の準備をするべく散開していった。
そして、この場には俺とレイとダレン、ハンクスだけが残った。ダレンが俺の耳に口を寄せ、「ありがとう」と言った。礼を言われる筋合いはない。ただ俺は、先程までの彼の様子を見てサンズウェイでのことを思い出したから、あのときのように助け舟を出しただけだ。俺はプレッシャーに打ち勝った後の彼が誰よりも強いことを知っている。
「レイ、勝手に啓鐘者と戦うって決めちゃったけど良かった?」
「うん、大丈夫。最初からそのつもりだったから」
俺はほっとした。正直さっきの提案は、レイの気持ちを勝手に汲んでのことだった。
レイは啓鐘者の善悪の判断に迷っていた。しかしそれでも、レイはきっと、啓鐘者と戦いたいと思っているのだろう。俺は先程そう思った。そしてそれは事実だった。
以前の俺ならば、危険な戦いに自らレイを巻き込むなんてことはしなかっただろう。俺はありとあらゆる危険から彼女を守りたくて仕方がなかった。彼女を自ら戦いに引き入れるなんて所業は言語道断だった。
しかし彼女のアイデンティティは、勇敢で優しいことにあった。俺は彼女が頼られたとき、心からの微笑みを浮かべるのだと知った。ならば、俺は彼女を頼りたい。彼女に背中を預けたい。もちろん、命に代えても守りきる前提で。
ハンクスは魔導砲とやらの弾が切れて、自分達にできることはなくなったと言った。ならば騎士達の応援は期待できない。恐るべき啓鐘者の討伐を、なんとか二人だけで成し遂げなければ。
そうして戦いへの覚悟を固めた俺に、ハンクスが近づいてきた。彼はいつの間にか三人の騎士を従えていて、二人の騎士は新品の鎧を一式ずつ、残りの一人は新品の胸当てと兜を持っていた。
「こっちの二人が持っているのは、私達が君とレイの為に作った鎧だよ。啓鐘者を追う危険な旅の道中、ノースゴッズに戻る機会があれば渡せるようにと準備しておいたんだ。軽くて動きやすい一方で、防護魔法を定着させてあるから衝撃にも強い。そんな代物だよ」
「え、あ、ありがとうございます」
「一応言っておくけど、これは団長殿の命令で作ったものだからね。感謝なら団長殿にするといいよ」
俺とレイはダレンを見た。無意識にゆるく頭が下がり、ダレンが気味の悪いものでも見たかのような声を上げて慌てた。
「啓鐘者についてだけど」
ハンクスが真剣な声色でそう切り出した。俺とレイは振り返り、彼の眼鏡の奥を見つめた。
「これまで騎士団は彼女に対して、雨晴の魔法と魔導砲を駆使して確実に傷を負わせてきたよ。あと少し攻撃すれば討伐することができるだろうね。だけど、本当にいいのかい? 弱っているとはいえ、相手が強大であることに変わりはないよ」
彼の穏やかな海のような瞳が、音もなく揺れる水面のような厳しさを湛えていた。
しかし彼の言葉を聞いた俺は、むしろ僥倖だと思った。まさかそこまで啓鐘者が弱っているとは思わなかった。弱っていてもいなくても、俺はあれとやりあうつもりだった。きっとレイもそうだっただろう。啓鐘者はフローラを狂わせ、フェレト村を滅ぼした、俺達にとって深い因縁のある存在だ。
「もちろんです。俺達は必ず彼女を討伐します」
「……そうかい。それなら私は武運を祈るよ。終戦の鐘が鳴り響く地上で、また会おう」
ハンクスは俺達の元を去っていった。




