謀略の狐狸
「やっぱり雨が降っているね……」
ダレンはそう言い、ローブのフードを深く被り直した。城壁より内側の街の上に、不気味な雨雲と黒く太い雨柱が出来ていた。
俺達は北に目をやった。すると、城壁から少し離れた丘の上に、テントが立ち並んでいるのを見つけた。恐らくは騎士団の拠点だろう。俺達はほっとしてそちらに向かった。
「ハンクス副団長!」
「ああ、団長殿。ご無事で何よりです」
俺達を出迎えたのは垂れ目にオーバル型メガネの壮年男、聖テオドア騎士団が副団長のハンクスだった。数ヶ月ぶりの再会だ。
「状況はどうなっていますか?」
「酷いものです。結論を言うと、まず、現在私達が直接戦争に介入する術はありません。グローリアに到着してから半月の間、私達はひたすらに、あの雨柱の中に居る啓鐘者に攻撃を続けてきました。魔導砲による地上からの攻撃です。そして遂に魔導砲の弾が切れ、我々にできることはなくなりました」
「……どういうことですか? なぜ帝国軍ではなく啓鐘者に攻撃を……?」
ハンクスの言葉にダレンは困惑した。ハンクスは無言ですぐ側のテントを指し示した。俺達はそのテントの中を覗いた。そこには瓜二つの銀色の鎧を纏った二人の兵士が居て、両者共縄できつく拘束されていた。二人はそれぞれ赤のマントと緑のマントを纏っていて、それが唯一の相違点だった。
「彼らは……」
「ゴッズランド軍の兵士と、ブランブル帝国軍の兵士です」
ダレンはゆっくりとテントの中に踏み入ると、二人の兵士の直前に立った。
「名を名乗れ」
「私はゴッズランドの誇り高き兵士! アンガス・アビントンです!」
「名を名乗れ」
「私はゴッズランドの忠実なる兵士! バリー・バックリーです!」
「……」
どちらも興奮したような、不安定な口ぶりで名を名乗った。口ぶりまでもが瓜二つだった。どちらも狂気に侵されていた。
ダレンは俺達の方へ振り返った。彼は二ヶ月前と同じ、引き攣ったような瞬きをした。そしてハンクスに問いかけた。
「……私は一年程前にゴッズランドに帰郷して、ゴッズランド軍の兵士達を見かけました。彼らは私が物心ついたときから変わらない、ゴッズランドの紋章が描かれた銅色の鎧を着ていました。ハンクス副団長、これはどういうことですか。この鎧は、誰が差し向けたものなのですか」
「——サンズウェイの王です」
俺達は息を呑んだ。
「どちらの兵士も、自分の着ている鎧はゴッズランドがサンズウェイから輸入したものだと証言しました。なんでも、従来のものよりも強固で優れたものを求めたとのことで」
「あいつらめ……!」
ダレンは顔を歪め、固く拳を握り込んだ。俺もまた、してやられたことが自分のことのようにショックだった。
サンズウェイの連中め、まさかこんな形で戦争に介入してくるとは。ブランブル帝国の友好国であるかの国は、軍事的な味方でもあったのだ。この所業は間違いなく騎士団を撹乱し、ブランブル帝国を勝利へ導く為のものだろう。瘴気に侵されているとは思えない芸当だ。いや、もしかすると……?
「つまり、サンズウェイの謀略によって両軍が共にゴッズランド軍を自称していて、同じ鎧を纏っていて、我々がどちらに味方すべきかわからないということですね。まさか、軍旗さえも模倣されているのですか?」
「ええ、そうです。今現在街の中で戦っている両軍は、どちらもゴッズランドの軍旗を掲げています。最早両軍の外見に、マントの色以外に見分けられる要素はありません。私達は半月の間、彼らを尋問していたのですが、判断のつく情報は得られませんでした」
それで騎士団は戦争に介入することができず、手をこまねいていたということか。絶望的な状況に俺は唇を噛んだ。
「どうにかして両軍を見分けないと……そうだ、王は戦いに出ていますか!? 王に兜を取っていただければ……」
「既に両軍が交戦していない隙を突いて、それぞれの軍隊を統べる方とはお会いしました。どちらもゴッズランドの王を名乗り、どちらも兜をお取りになりませんでした。『貴様が聖テオドア騎士団の騎士になりすました敵国の兵士である可能性がある』とのことで……あれは相当瘴気に侵されている様子でしたよ。一歩間違えれば、周囲の軍隊に私は殺されていたでしょう」
「そんな……じゃあ、啓鐘者を倒せば戦争が終わったり……!」
「いいえ、恐らく終わらないでしょう。啓鐘者の狂気は催眠術のように一時的な混乱ではなく、人間の精神そのものを深く傷つけて後遺症を残すものですから。そうである以上、啓鐘者が息絶えた瞬間に全ての狂気が消え去る可能性は低いと思われます」
「ッ……!」
ダレンは頭を押さえ、苦悶の表情をした。必死に頭を回し、打開策を導き出そうとしているのだろう。そんなダレンに、今までずっと配下らしい口ぶりで話しかけていたハンクスが遂にその調子を崩してこう言った。
「ダレン、落ち着くんだ。君は私が認めた騎士団長なんだ。こんなときこそ冷静を保ってくれ」
それは、かつてハンクスが騎士団本部で俺やレイに見せたのと同じ、恐らくは彼の素であろう口ぶりだった。穏やかで頼もしい、年長者らしい口ぶり。
そもそも俺は、いかにも円熟した壮年のハンクスが聖テオドア騎士団の副団長で、若く未熟なダレンが団長であることに疑問があった。ハンクスは、ダレンは、一体どのような経緯でそれぞれの役職に就いたのだろう。
ハンクスはダレンを諭すように見つめ、ダレンは堪えるようにかぶりを振って顔を上げた。
そして俺達はテントを出た。これからどうすべきかを冷静に議論しようと思った。そのときだった。
一人の騎士が俺達の元に駆け寄ってきて、慌てた様子でこう叫んだ。
「王宮前の広場にて、両軍の本隊が接触しました!」




