急転
フローラが俺達の方を見ていたのはほんの数秒だった。しかしそれだけで十分悪い予感がした。
レイはバーニーを抱き込み、ローブで包み込んだ。敵意のある眼差しをフローラに向けて、その一挙手一投足を見逃さまいとしている。俺もまた、フローラを注視することにした。
フローラはリンゴの木の側に立つと、空を見上げた。黒い雨が降りしきる空。フローラの顔を、髪を、ドレスを、黒が染め上げていく。
「——彼女は、不老不死の薬を作ろうとした」
フローラがよく通る声でそう言った。その言葉を聞いた瞬間に俺の全身から血の気が引いた。
「クラブ……?」
がたりと客席の椅子を揺らして震えた俺を、ダレンが心配そうにちらりと見た。だが、それどころじゃない。俺はフローラから目を離せなかった。
「世界最後の人類、私達の愛する博士は、不老不死の薬を作ろうとした。それは、この星——滅亡した星の再生機構を、何百年先まで守ろうとしたから」
フローラは木に向かって俯き、細い手を差し伸べた。木の葉が意思を持つように揺れて、彼女の手のひらの上にリンゴが落ちた。
「私達は半有機半機械生命体。不老不死の彼女と共に、再生した世界を生きる筈だった存在。私達は彼女を亡くした今も——美しい世界を望んでいる」
フローラの持つリンゴが怪しく輝き始めた。「備えて!」とレイが叫び、構えをとった。何か恐ろしいものが襲い来る。それはわかっていた。だけど俺は動けなかった。
「クラブ!!」
レイが叫ぶ。ダレンが剣を抜く。だけど俺は動けない。
世界が怪しい輝きに包まれた。
……
——安い揚げ鶏に噛みついた。
たっぷりの筋弛緩剤を打たれたような、ピックル液漬けの揚げ鶏に歯を立てる。じゅわりと濃厚な塩と油が口内に染み出し、肉と衣を咀嚼すると、俺はそれを喉を鳴らして飲み込んだ。
「うま……」
俺は黒色の革のジャケットのポケットから、タバコを取り出して吸おうとした。しかし、対面の時計台の前に立つ人に睨まれてやめた。俺はため息をついて空を見上げた。
ビルとビルの間を突き抜ける天空高速道路が見える。そこをバイオ由来のエコでクリーンな半有機半機械自動車が走っている。
雑踏の中で一人佇む。ここはカレッツィア王国の首都、その駅前だ。数え切れないほど乱立しては空を目指すカーテンウォールの摩天楼が、秋の日差しに輝いていた。
俺はビルのスクリーンを見た。そこにはふわふわのブロンドを胸まで垂らした、若い女性が映っていた。
「——シキ様。この度発明された義手とは、一体どのようなものでしょうか?」
「あ、はい。実物を持ってきました。これなのですが……」
記者の質問に応じ、シキと呼ばれた女性は人間そっくりの腕を取り出した。そのあまりの精巧さに記者からどよめきが上がる。
「これは青い血と肉で動く、半有機半機械の義手です。この義手は既存の生体組織としっかり結びついて、自分の手のように動かせます。また、自己修復機能も備えています」
「夢のような発明ですね。我々はシキ様の素晴らしい発明によって、確かな歴史の転換点を迎えています。その青い血と肉は、腕のみならず足や胴体、ひいては内臓の代わりをすることも可能なのでしょうか?」
「まだ実験段階なので確かなことは言えませんが、ゆくゆくはそのようにできればいいと思っています」
シキを取り囲む記者団から歓声が上がった。誰もがマスコミとしてあるべき冷静さをなくして、偉大なる彼女を褒め称えた。
「流石はシキ・ローレンス様! 我らがカレッツィア王国の王族が一人! シキ・ローレンス様!」
「……シキ・ローレンス……?」
その刹那、俺の脳に激痛が走った。電撃のような痛み。そして俺は思い出した。鼻を刺す生々しい血の臭い、残響、流れる赤——
——俺は今、殺した女の報道を見ている。
「あ゛あああああああああっっ!!」
俺の胴体に横一文字の激痛が走った。胸と腹を分断する痛みが、赤い血の流れる痛みが走った。次に腕。足。首。痛みがいくつも襲い来た。たまらず地面に倒れると、今度は激しい熱風が襲い来た。俺は訳もわからず吹き飛ばされながら、そこが先程までとは違う場所——砂漠だと気がついた。
「あつい、暑い、暑い暑い暑い——ッッ!!」
痛みは止まない。何度も斬りつけられている感じがするのに、暴風に吹かれて飛ぶ俺の身体は少しも傷ついていなかった。
身体が白塗りの塔に叩きつけられた。塔の扉を全力で引っ掻く。開け、開け開け開け!
やっと開いた。中に倒れ込む。熱風の脅威からは逃れたが、それでも原因不明の痛みは止まない。ひんやりとした空気。顔を上げると、幽霊のように長い髪が俺の視界に垂れ下がった。俺の、髪だ。
これはなんなんだ? 夢か? どうして俺は夢を見ている?
俺の不明瞭な視界の先に、ガラスに覆われた育苗箱が見えた。薄緑色の、希望を象徴するような芽。
——それが最後に見た景色だった。一際鋭く苦しい、心臓が潰れる痛みが走って、俺は呼吸と鼓動を止めた。




