想いを武器に
「——つまり、フローラはこの国に居るときは男装をしていて、少年俳優・フレデリックとして劇団に所属している。そして、舞台に上がると男装を解いている。そういうことなのか?」
「そういうことだろうね」
俺達は顔を見合わせた。互いに見つめ合い、途方に暮れ、そして……
「ひとまず庇の下で休んでいこうか。ローブの泥を落とそう」
ダレンがそのようなことを言った。俺とレイは頷いた。
そうして俺達は庇の下で散り散りになり、思い思いの場所で脱いだローブを地面に広げた。ローブはすっかり泥まみれになっていた。俺は手袋をつけた手でローブを撫で、泥を落としながら思案した。
ブロッサム一座の座長が「フレデリック」を拾ったという五年前は、まだアンドロイド達は世界中で暴れたりしていなかった。一体どういうことなのだろう?
考えても答えは出ない。俺は無心で頑固な泥汚れと向き合い、やがて汚れを落としきった。そして一息つき、顔を上げて辺りを見回すと、俺は少し離れた場所に居るレイの様子がおかしいことに気がついた。庇の外を眺めてぼんやりとして、心ここにあらずといった感じだ。
「レイ、大丈夫?」
俺がレイの側に近寄ると、彼女は俺を見て頷いた。その仕草は緩慢で、いかにも浮かない様子だった。
「……えっとね、さっき見た夢を思い出してたの」
「夢?」
「うん。樽の中に居る間ね、夢を見たの。多分、クラブとノーマンが私を起こそうとして、仮死魔法が解けかけてたとき。フローラと博士の夢だった」
「それはなんだか、タイムリーな夢だね」
「うん」
レイはローブに目を落とした。泥をこそぎ落とされた、ひんやりとした靄を思わせる青いローブ。
「フローラは私と博士のことを大親友と呼んでいた。全く現実味がないの。あのフローラと私、それと博士が親友だったなんて」
「まあ、確かにそうだね……俺も聞いてて信じられないよ。だけど多分、本当にそうだったんだろうね」
「うん」
相変わらず庇の外では、弾幕のような雨が降りしきっている。とても危険で過酷な環境だ。俺達は今、大きな風が吹けば簡単に消し飛んでしまいそうな、小さく儚い安息の場所に居る。それはまるで、千年前のこの星と彼女達のラボのようで。
「夢の中で、フローラが博士の名前を呼んでいたの。だけどちっとも聞き取れなかった。私は夢というきっかけがあっても、まだ博士の名前を思い出せないみたい。
名前さえ覚えていない人への想いは、本当に本物なのかな」
レイは寂しげにまつ毛を伏せた。彼女の姿は、灰色の褪せた空気をいっぱいに含んだ紫陽花のようだった。華やかなのにどこか侘しげな気配を纏っている。
俺は彼女の言葉を聞いて、少し拍子抜けだと思った。なんだ、そんなことかと。
俺は泥に塗れた手袋を外すと、彼女の頬に跳ねた泥を拭って明るく笑った。
「きっと本物だよ。不安になるなら、気が済むまで確かめれば良いじゃん」
彼女は俺の指についた泥を見て、驚いたような表情をした。そして戸惑ったように俺を見た。
「俺も君への想いが何なのか、よくわかってない時期があったよ。だけどそれは、目を逸らしていただけだったんだ。色んなライバルと戦うのが怖かったし、『こんな俺がよりにもよってこんな感情を持つなんて許されない』と思っていたのもあった。だけど……
今はちゃんと受け入れてるよ。俺はこの想いで君を守るって決めたんだ。その為には、ちゃんと想いを認める必要があった。想いを認めて、武器にしないといけなかった」
「……想いを認めて、武器に」
俺の言葉を彼女は繰り返した。自分にとって大事なものを、忘れてはいけないものを確かめるように。俺の言葉はそれだけの教訓になったのだろうか。ちょっとクサい、ともすれば彼女に好意がバレてしまいそうなことを言ってしまってなんだか恥ずかしいのだが。
彼女は俺から目を逸らし、劇場の方を見つめた。俺もつられてそちらを見た。すると、人混みの近くの建物から赤い何かが弾き出されるのが見えた。「何か」は黒塗りの人物に何度も蹴り付けられている。あれは……赤いローブを着た子供?
「助けなきゃ」
彼女はそう言って、再び真っ青なローブを着た。咄嗟に俺が振り返ると、ダレンは既にローブを着て俺の背後に立っていた。もちろん俺も意気揚々とローブを着て、出発の準備を整えた。そうこなくっちゃ——そこまで言ったら流石にクサすぎる気がして、俺は一瞬だけ場違いな微笑みを浮かべると、黙って雨の中へと走り出す彼女に続いた。
子供の元に近づくにつれて、黒塗りの人物の上げる怒声がより鮮明に聞こえてきた。それは到底いたいけな子供にかけるものではない、聞くに堪えないものだった。
しかしその人物は途中で俺達の存在に気がついたらしく、俺達が子供の元に辿り着く頃には、既に建物の中に戻っていた。
「大丈夫!?」
地面に仰向けになった子供は力無く俺達を見た。九歳前後と思われる小さな男の子だった。
「う、うん、大丈夫……じゃないかも。ゲホッ」
「どこかで手当てしないと。そうだクラブ、そろそろ宿を取らないといけないよね?」
「うん。手当するなら清潔な所がいいよね。って……ここは宿?」
俺が今しがたこの子供が追い出されたばかりの建物を見上げると、そこは宿屋だった。ということは、さっき彼を蹴飛ばしていたのは宿屋の従業員か。
「君、一人?」
「うん……はるばる旅をして、一人で国境を越えてきたんだ。だから、どこかに泊まらないと……雨が……」
「一人で国境を越えたぁ!?」
鎖国状態のこの国に、こんなに小さな子供がたった一人で入国できたなんて信じられない。一体どんな方法を使ったのだろう? その上、雨を気にしてローブを着ているぐらいだからしっかり正気を保っている。俺は、この子供がとても貴重な存在なように思えた。
「じゃあ、一緒に宿を探そうか。大丈夫。今度は俺達がちゃんと守るから」
「いいの? ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
終末めいたこの環境では俺の善性もそれなりに強まっている。俺達は彼を連れて、ちゃんとした宿を探すことにした。
幸いにも雨脚が弱まってきて、視界も少し良くなってきた。全員で懸命に目を凝らして、街の中から「宿屋」の文字を探していく。や、や、宿屋……十分程して、俺達はようやくそれらしき建物を見つけた。
その建物は石造りで、窓から扉に至るまでの全てが細く、こぢんまりとした佇まいだった。玄関の庇の下には女性が居て、先程まで着ていたであろうローブの泥を落としていた。女性は足元の籠にローブを入れると、籠を持って建物の中に入って行った。庇の上には「宿屋」の看板があった。
俺達はその女性が気になった。彼女は宿屋の従業員だろうか? 宿屋の体制か彼女の個人的な意向かはわからないが、少なくとも彼女はしっかり雨に気をつけているようだ。そうであるならば。
「あそこにしよう」
俺はその宿屋を指差した。誰からも異論は出なかった。
かくしてありついた宿は、俺の見込み通りのところだった。まさしく宿屋の従業員だったらしい女性が驚いた顔で俺達を出迎え、雨の中を歩いてきたことを労ってくれた。宿屋の主人らしい、聖人めいた白髭を貯えた男性も穏やかな微笑みで俺達を受け入れてくれた。彼らは怪我をした子供を見て、俺達に救急箱を貸し出してくれた上、ローブや手袋、長靴の洗濯も申し出てくれた。彼らの暖炉の火のような親切が冷えきった心に沁みいった。
俺達は二階の角の部屋を取った。部屋に入った俺達は、子供の手当てをした。彼はバーニーと名乗り、俺達の手当てに礼を言った。そしてこう語った。
「僕は昔、フレデリックに助けられたんだ」




