泥ゲロの亡霊達
黒い雨の中、俺は必死に目を凝らした。なんとか街の状況を知りたい。歩き、目を凝らし、歩いていく。そのうちに俺は言葉を失っていった。
なんと、この悍ましい雨の中を歩いている人々が居た。俺達が恐々と街を歩いていると、一寸先の漆黒から、本当に一切の予兆なく、何度も亡霊のような人々が現れては消えていった。俺はその度に悲鳴を上げた。
なぜ彼らは突然現れては消えていくのか。それは、彼らが一様にこの雨景色にすっかり溶け込む姿をしているからだ。全身沼に落ちたように泥塗れ。彼らは泥塗れの髪を泥塗れの顔に張りつけながら、虚ろな様子で去っていく。もちろんローブも手袋も靴も身につけていない。
あるレストランのテラスでは、泥塗れの店員が泥塗れのピザをテーブルに置いていた。それを泥塗れの客が、生前の行動を繰り返す亡霊のようにゆっくりと食べていた。黒塗りの顔から赤黒い舌が出て、唇を舐めた。側に置かれたコーヒーには、絶え間なく泥が降り注いでいた。
「な、なあ、ダレン……そろそろこの雨の正体を教えてくれよ……」
「ああ……そうだね。この雨はね、啓鐘者が齎す雨だよ」
「啓鐘者が?」
レイが少し驚いたような表情をして、ダレンに問いかけた。ダレンは深く頷いた。
「うん。この雨は啓鐘者が滞在している場所に降る、いわば呪いの雨。一滴一滴が凄まじい量の瘴気が凝縮されたものだと言われているよ」
「っていうことは、つまり……」
俺は今すぐ逃げ出したい気分だった。しかしレイは静かに前を見据えた。その瞳には凛とした気配があった。
そんなレイの姿を見た俺は、嫌な気分を堪えて辺りを見回した。そして観念した。俺も真剣になるしかなかった。
同じ瘴気に侵されているといっても、サンズウェイとは格段に違う恐ろしい街。俺は自分が化け物の胃の中に来てしまったことを悟った。肌でヒリヒリと感じる狂気。
——間違いなく、啓鐘者はここにいる。
最終決戦が近いのだろう。俺は気を引き締めた。
「そうとわかればまずは情報収集だな」
俺がそう言うと二人は頷いた。俺達が知りたいのは啓鐘者の所在ただ一つ。どうすればそれをこの街の人々から聞き出せるだろう?
考えた末、俺達は商店に入ることにした。その辺の通行人よりは、何かしらの店の店員の方が話を聞きやすいだろう。話のきっかけに商品を買うにしても、飲食物はNGだ。それ以外の物であれば、手袋をしているので触っても大丈夫だろう。飲食物でない何かを取り扱っている店。俺達はある建物の庇の下に「雑貨屋」と書かれた看板があるのを見つけると、さほど汚れていない扉の前に立ち、開いた。
「いらっしゃいませ。あら、その服装……外人さんかしら」
「どうも、お邪魔します。そうです。俺達は商人なんです」
俺は店の奥の安楽椅子に腰掛けた、店主と思しき女性に微笑みかけた。口紅を塗った中年の女性で、穏やかな微笑みを湛えているが……泥塗れだ。
「外人さんは、この聖なる雨を避けたがるのよね。まあ、この国が特別なのだからとやかく言わないけれど」
「聖なる雨?」
レイとダレンは店内に踏み入ると、棚に並べられた商品を物色するフリを始めた。俺はそんな二人の間を抜けて、ゆっくりと女性に近づいていった。二人の気配を背後に感じながら、俺は店主の直前に立った。
「ええ。我らが聖女様が齎す聖なる雨」
聖女様? この雨は啓鐘者が齎すものだから……まさか。
「聖女様というのは、あのシスターのことですか?」
「そうよ!!」
店主は突然に大きな声を上げて立ち上がった。そして目をひん剥いて天井に手を伸ばし、熱狂して叫び始めた。
「彼女は我らが聖女様! 黄金宇宙からいらっしゃった聖女様、始祖王テオドア様の使い! 彼女は私達に叡智を与えてくださるの!」
「へ、へえ、そうなんですね! あぁーっ! この小物入れ素敵ですね〜! 他の色ってありますか!?」
「ないわよ」
店主は突然に熱が冷めたように表情を無くすと、再び安楽椅子に腰掛けた。黒目がちな目で空中を見つめている。
「ええと……聖女様はどのようにしてあなた達に叡智を授けるのですか?」
「この地に降り立つことによって。それだけで聖なる雨が降り、この地に叡智が染み渡るわ」
「聖女様と会って話したことがある人とか、頻繁に会っているような人に心当たりは?」
「あなた達商人じゃないわね?」
その瞬間、俺は勢い良く首根っこを掴まれた。視界がぶれ、激しく身体が引き摺られていく。ゆらりと店主が立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。
「あるぬみねぬる・ぬるねりこん……」
「お邪魔しました!」
ダレンが叫んで、すんでのところで扉を閉めた。店の外だ。どうやら俺はダレンに助けられたらしい。
「聞き込みが下手」
「ごめん……」
返す言葉もなかった。ダレンの隣でレイもなんとも言えない表情をしている。最近お株を奪われてる気がしてちょっと前に出てみたのだが、やはりこの手のことはダレンに任せた方が良いのだろう。悔しい。
「次の聞き込みは私がやってみてもいい?」
「えっ、それは……」
レイが珍しい提案をした。しかし、よく考えれば決して意外なことではない。彼女は孤島での出来事を経て、一つの壁を越えたのだ。あらゆることに挑戦したい彼女の気持ちは尊重するべきだろう……平時なら。
「お願い、二人共」
「……俺としては尊重したいよ。ダレンは?」
「そう言われちゃあね。わかった。でも俺は平等だから、もし君がしくじったら今度は君の首根っこを掴むよ」
「わかった」
レイは頷いた。




