【改稿】森竜とライアー
俺は飼い主の腕に抱かれた小型犬のように吠えまくった。吠えて吠えて、目の前の大型犬を追い払おうとした。黒い毛並みの大型犬――黒髪の青年は最初こそ驚いた顔をしていたが、やがてその表情は呆れた風に変わっていった。
「……あまり大きな声を出さない方がいい。体に響くぞ」
そんな言葉と共に俺の渾身の威嚇は彼に無視され、再びゆっくりと押し倒された。唸りながら暴れるが、肩を押さえられていてびくともしない。背中に藁の感触がする。
「待って、寝かせる前に薬を飲ませなきゃ」
「おお、それもそうか」
レイの言葉を受け、青年が再び俺の上体を起こした。俺はされるがままだ。レイが何やらすり鉢を持って近づいてくる。
「クラブ、毒に効く薬だよ。頑張って薬草をすり潰したの。だから、はい」
「んんんんーーー!?!?」
レイは俺の前に片膝をつくと、すり鉢を俺の口元で傾けた。その瞬間、口の中にどろりとしたとてつもなく苦くえぐいものが流れ込んだ。そのまずさだけで再び気を失いそうになる。
「ゔえっげほっ、げほ!! まずくて死にそう!! 何!? 状況が全く飲み込めないんだけど……!?」
飲み込めないのはこの劇物もだ。喉に張り付いて中々落ちていかない地獄の物体に思わずえずく。レイはハッとして俺のザックから水筒を抜き取り、俺に手渡した。がっつくようにその中身を煽ると、清涼な水が僅かに痛めつけられた喉を癒した。
……かくして俺は落ち着きを得た。ようやくだ。俺は改めて疑問の眼差しでレイを見た。すると彼女は「あ」と言って頷いた。
「そっか、気を失ってたからわからないよね。 えっとね……」
彼女が事の次第を語ろうとした、次の瞬間。
「——わしの守り人がお主らを助けたのじゃ」
ざわりと森がざわめいた。低く重い音の波だ。腹の底を震わすほどに森厳なそれは、大地に広がり染み渡り、大樹のうろに反響した気がした。
ひと聞きしただけで人智を超えた存在の声とわかる。それが俺の鼓膜に響き、神経を伝って脳の中心に届いた瞬間、俺は目の前の景色にある違和を感じた。
森に溶け込んで、何かが居る。始めは巨大なモザイク模様があるのかと思った。やがてそれが人の手のひらほどもあるカビ色の鱗の集まりだと気づき、俺はその正体を知るべく目を動かし始めた。
逆鱗。切り傷。腕と思しき膨らんだ部位に、長く太い尻尾。そして一際細かい鱗が連なった場所——ひび割れた石畳のような場所——いったい何の部位だろう?と思った次の瞬間! そこが一文字に大きく裂けて、ぎょろつく爬虫類の目が現れた!!
「うぎゃーーーーーーっっっ!?!?」
「ほっほっほ! 良い反応をする坊主じゃのう」
老爺のような笑い声が響き、その巨体がぐわりと起き上がった。杭のような牙の並んだ口が開き、口角が裂ける。
「わしは森竜。全ての森と共に生き、森の全てを司る者じゃ」
にんまりと細められた目は意地悪げだ。粘っこく紡がれたその言葉を聞いて、俺の脳に閃光が走った。
「あぁーーっっ!! レイ、こいつだよ!! こいつの記憶に用があるんだ!!」
「なっ!? 森竜様になんと失礼な……!!」
俺が森竜を指差して叫ぶと、俺を支えていた青年もまた叫んだ。しかしそれはハリボテの怒気のようで、芯に冷静さを感じられた。理性的な人間のようだ。
——竜。それはこの星を構成する大きな要素を司る存在。
水、風、熱、森、影……そして砂。彼らはそれぞれの司るものに魂の根を張り、それと共に生きている。
司るものが変化すれば竜も変化する。例えばこの俺の目の前でふんぞり返っている存在は、この星のどこかで木が切り倒されれば傷つくだろう。この星全てが更地になれば死ぬだろう。しかし、再びどこかで若芽が生えれば蘇る。そんな存在だ。反対に、竜が死んだからといって森だの熱だのがこの世から消え去ることはない。
また、そんな竜は、司るもの全てが「目」であった。それがどういうことかというと。
「森竜。お前はこの星で生きた全ての『木』の記憶を持ってるんだろ。木々の生えた場所であれば、そこで起きたことは全て知っている筈だ」
「如何にも。この星の始まりから今に至るまで、森で起きたことで知らぬことはない」
「じゃあ、あのローレアの西の森にラボがあったことも知ってるか? 随分と昔の話らしい。そのラボが襲われたことがあったんだけど、何か覚えてるか?」
俺はじっと森竜を見つめた。真剣な表情を必死に保ち、ごくりと唾を飲みそうになるのを堪える。
……これは俺の今までをかけた大ハッタリだ。森竜の細められた黄色の瞳に像が揺らめき、俺の姿が映る。
「ふむ……そうだな。わしの知ることであれば、教えてやらんこともない……が、何事もタダでとはいかぬのぅ」
「ッッ!!」
——きた。引っかかった。
俺はぎゅっと拳を握り込み、全身を駆け巡る高揚に耐えた。たった今、レイが真実へと辿り着くまでに大きな遠回りをすることが確定した。
今から千年前——俺がラボを襲った頃。そこには一切の緑がなかった。
つまり森竜には、ラボの記憶がない。
それでも彼が俺のハッタリに乗ってくれたのは……
(俺に恩義を感じているから……)
俺は心中でほくそ笑んだ。あとは森竜の提示する対価が何であるかだ。俺は満を持して問いかけた。森竜は答える。
「そうさなぁ……わしが憎くて憎くてたまらない、四皇を倒してもらおうか」




