奇跡の真価
奇跡とは、ブタやワンペアといった弱い手札で交換もせず、ただ運や気迫だけで勝つことを言うのだろう。だが、ブレッドという一人の人間の行動に運は絡まない。コインが裏を向いたからといって彼がフォールドすることはない。ダレンのような若造の気迫も通じない。
「それでは、コールで」
ごく淡々とした調子でダレンがそう言い、二人は手札を広げた。その瞬間——ブレッドは大きく目を見開いた。
「スペードのロイヤルストレートフラッシュ」
その言葉に嘘偽りはなかった。ダレンの手札はスペードの10、Q、K、A——Jの代わりにジョーカーが据えられた、正真正銘のロイヤルストレートフラッシュだった。
第九回戦終了。ダレン所持チップ5750点と金貨九十五枚。ブレッド所持チップ4250点。——ダレンの勝利。
「こんな良い手札でケチ臭いベットやチェックをしたのか!」
「ポットが300点を超えて勝てば、総合点で勝てたので。あなたなら間違いなくレイズをすると思ったので」
「だからってよぉ……」
ブレッドは頬杖をついて不貞腐れ、チップを指で弾いた。飛んでいったチップが場に置かれた低いチップの塔にぶつかり、塔が崩れた。
「あんた、つまんない大人になるぜ」
「もうなってますよ。『団長殿』なので」
ダレンは大人びて微笑んだ。
「上手いことやったな」
「うん、上手いことやった」
宿に帰り、俺達はそう言い合った。互いに顔を見合わせて、にいっと笑んだ。そしてたまらず歓声を上げた。
「どうして途中、あんなにいっぱい賭けたの? かなり点差が開いたかと思えば、金貨まで出して。ヒヤヒヤしたよ」
「それも作戦の一つだよ。形勢逆転の為には勝負好きなブレッドを興奮させて、常に勝負させる必要があった。沢山賭けることで沢山賭けさせたんだ。それで良い手札が来たらむしり取ってやろうと思ってたけど、まさか最上級の手札が出るとはね……あの手札が来た瞬間、俺はハッと逆転の発想を閃いた。そうだ、とんでもなくしょうもない勝ち方をしてやろうって」
「その結果は?」
「さっき見た通り。勝負師のプライドをズタズタにすることに成功した! ああ、最高にせいせいしたよ」
ダレンは今まで見た中で一番嬉しそうに笑った。
「そんなお前に勝利のプレゼントがある」
「えっ」
俺は変な動きをしながらレイを引き立てるポーズを取った。レイは自慢げに胸を反らした。そして彼女は変ではない動きでザックを漁り、革の水筒を取り出した。
「さっきレイが、一人で落としたハンカチを探しに行っただろ。あれは嘘だ。実はこれを買いに行っていた」
「私達二人の間には、頑張った人にご褒美を上げる習慣があるの。だからはい、これ」
「えっ、待って本当に? なんだろう」
ダレンは水筒とグラスを受け取ると、恐る恐る水筒の中身をグラスに注いだ。なみなみと注がれたのは……
「……水? うっ、違う! 凄い匂い!」
「ダレン、ブレッドに『坊ちゃん』って言われたとき、悔しそうにしてたよね。だからより大人っぽくなれるよう鍛えてあげようと思って」
「大人といえば酒だよな。いかにも度数が高そうだろ?」
「ほ、本当に嗅いでるだけで酔いそう……まさかこれをストレートで飲めって?」
「なんだよ、ご不満か?」
「もしかしなくても飲み比べをさせようとしたこと怒ってるよね!? ねえ!」
そう申し立てるダレンに俺はしたり顔、レイはきょとん顔だ。別に? 復讐の為にレイを唆したとかではないが。
「つべこべ言うなよ。それに、それはお前だけの酒じゃない。一緒に飲むぞ。飲み会だ」
「わさわさ、だね」
「ん? レイそれどこで覚えた?」
俺達はやいやいとダレンをせっついて、まずは一口その酒を飲ませた。その途端に咽せる彼を見て俺は大笑い。レイが続いてグラスを煽ると、さしもの彼女も強烈な匂いには耐えられなかったらしくゲホゲホと咽せた。残るは俺だけ。しれっと薄めて飲んでやろうかと思ったが、威圧するようなダレンの笑顔に負けて結局ストレートで一口飲んだ。誰よりも汚く咽せてしまって、とても恥ずかしかった。しかし、そうしている時間はとても楽しかった。
そんな風に俺達は、来たる戦いへの緊張を今だけは忘れ、つかの間の楽しい夜を過ごした……
一方その頃、月の光の届かない場所、夏の名残の風の吹き溜まりのような暗闇にて。白髭の男がグラスを磨くその直前に、二人の男が居た。
「あのう。途中から本当に勝負、楽しんでませんでした……?」
「その通り、お恥ずかしながら。でもまあいいじゃねえか。結果的に、ちゃんと勝負に負けることができた」
オレンジ色のランタンが落とす光と闇の境目で、ローブの男はほくそ笑んだ。一方で青白い肌の男は、まるで断頭台を前にした死刑囚のように、肉食獣に追い詰められたネズミのように、この上なく怯え切った顔で唇を震わせて声を発した。
「あなたのおっしゃる通りに伝えましたよ。こ、これでいいんですよね……?」
「ああ、ご苦労さん。」
「……僕達のことは、摘発しないでくれるんですよね?」
「もちろんだ。ただ……」
その瞬間、悲鳴と共にラベンダーの香りが立った。床の上に仰向けになり、黒い革靴に胸を踏みつけられた男が咳き込む。革の軋む、鈍い音がギリギリと鳴る。
「今後とも、俺のことを忘れてくれるなよ。永遠に」
逆光の中で、ローブの男が怪しく笑んだ。




