スペードのA
扉を抜け、螺旋階段を上り、中庭へ。渡り廊下を一生懸命に駆ける。前を行く男は、錯乱しながらこちらに何かを投げてきた。トランプだ。
「俺の陰に隠れて! 当たってもそんなに痛くはないけど!」
「いや、結構痛いぞ」
俺とレイはものともしないダレンの影に隠れて、トランプの弾幕の中を駆けた。
「落ち着いてください。私達はあなたに話を聞きたいだけです!」
「ぼ、僕は何もしていない!」
「私達はブレッドのツテでここに来ました!」
その言葉に男は足を止めた。怖々とこちらへ振り向き、俺達の様子を見てほっとしたような顔をした。
「なんだ、摘発にやってきた訳じゃないのか……ハハ……」
男は手招きをして歩き出した。そして草花に埋もれたガゼボに辿り着くと、中の椅子に座るよう俺達を促した。
「初めまして、僕はノーマンです。あなた達が僕を訪ねた理由というのは……」
「あなたの想像する通りです。……あなたはブランブル帝国に人々を入国させていますね?」
ノーマンは躊躇いがちに頷いた。俺は男を観察した。眉が下がっていて気が弱そうだが、身なりにけばけばしいところはなく、信用できそうな男だ——普通の商人として見るなら。
「ブレッドとは長い付き合いなんですか?」
「ブランブル帝国の入国規制が始まってからですよ。美味い話があるって聞いたから乗ったんです。とはいえ、ただ悪どくて美味しいだけじゃない。僕達は義賊みたいなものです」
「義賊?」
「ああ、えっと、盗みをしている訳ではありませんよ。義賊のように、正義の為に悪いことをしているという意味です。
僕達はゴッズランドの貴族としか取引しないんです。ゴッズランドの貴族社会って殺伐としてて、騙したり騙されたりが横行してるんですよ。『汝、欲に従いなさい。木苺で口を染める鳥のように、十人の子を持つ母のように、あまねく全てを支配しなさい』……それを曲解した力のある貴族が暴れ回って、力のない貴族を追い立ててるんです。
そうしてありもしない罪を着せられ、国を追われた貴族を、僕達はブランブル帝国に逃してるんです。なんせ鎖国をしている国です。一度入ってしまえば追手も中々追ってこれないでしょうしね……」
なるほど、そういうことか。俺はダレンの顔を見たが、さしもの彼も首を傾げた。ゴッズランドに居た頃の彼は平民だったし、ジョージと幼馴染だったとはいえ、貴族社会の内情までは知る余地がなかったのだろう。とはいえ、あの騎士団の様子やかつてゴッズランド軍がスノウダムを侵略したことを思うと、ノーマンの言葉は信憑性が高そうだった。
「——ところで、あなた達は貴族なのですか? 失礼ながら、そうは見えませんが……」
「えっ、あっ」
出し抜けにノーマンにそう問われ、俺達はぎくりとした。だが、ブレッドに入国の斡旋を持ちかけられたのは嘘ではないのだから、後ろめたく思う必要はない。俺はダレンが戸惑っているのを見て、「貴族ではありませんが、特別な事情があってブレッドに持ちかけられたのです」と助け舟を出した。
「なるほど、わかりました。ブレッドさんの頼みなら仕方ありませんね」
「ちなみに、ブレッドを介さず直接あなたに依頼をすることは難しいですか?」
その質問をした瞬間、ノーマンの身体がびくりと跳ねた。彼は怯えたように俯いた。
「ブレッドさんを通してほしいです。彼が僕の身を守ってくれるので……」
俺達は彼の様子をじっと観察した。なんだろう、この奇妙な感じは。
「——よお、薔薇色の人生は送れているか?」
ふと、ガゼボの外から声がかかった。ハッとして声のする方へ振り向くと、赤色の薔薇が咲き乱れる庭園の道を仮面の男が歩いていた。ブレッドだ。
彼はバーで見たときとは違う華美なマスカレードマスクを着けて、黒と赤の絢爛な衣装を纏っていた。貴族と見紛うその姿に俺達は身構える。
「暗がりで待つのはお嫌いでしたか?」
「いいや? 俺はただ、偶然の遭遇に挨拶を添えにきただけだ。それともなんだ? あんたは今ここで、俺に昨日の返事をくれるっていうのか?」
「……ええ、まあ」
ブレッドは仮面の下の笑みを深めた。ダレンは立ち上がり、彼の前まで歩み寄った。
「あなたは入国の斡旋について、人生がかかっているとおっしゃいましたね。私は先程、私の仲間に、サンズウェイのウッド商会なる商会が不法入国の援助に手を染めていることと、そしてそれをあなたが斡旋していることを教えました。
今はまだあなた方に何もしません。しかし、ブランブル帝国に入国した私達から仲間への連絡が絶えれば、それ相応の報復を与えます。
そうなればあなたは、今後一切薔薇色の人生とやらを送れなくなるでしょう」
「おいおい、そんな条件を出されちゃあ……俺があんた達と取引するメリットがなくなるじゃねえか。あいにく、生活の為の金は足りてるんだ。人生を豊かにする為の金が足りていないだけで」
「この条件で何か困ることがあるんですか?」
ダレンはじっとブレッドを見つめた。ブレッドは顎を軽く上げてダレンを見下すと、さも愉快そうに答えた。
「いいや? ただ、何が恨まれるかわからない。保守的なだけだ」
「なら——」
ダレンは懐からトランプを取り出し、ブレッドの前で翻した。ちらりと見えた絵柄はスペードのA。
「——この邸宅の地下で勝負しましょう。あなたもきっと、賭博がお好きでしょう」




