手のひらの上でスシは踊る
「どうして私が『団長殿』だと?」
「まあまあ、細かいことはいいじゃないか。さあ、中に入りな」
思っていたよりも軽薄な口調の彼は、冗談っぽく肩をすくめた。俺達は警戒しつつ、まずは男越しに室内を覗いた。
中はバーになっていた。真っ暗な部屋の天井からランタンが数個吊り下がっていて、オレンジ色の光を怪しくもムーディーに放っている。その光を柔らかく反射する、よく研磨された上質そうな木製のカウンター。その上には何やら奇妙な料理が載った皿と、金色の液体が入ったグラスが一人分置かれていて、カウンターの向こうには静かにグラスを磨くダンディなマスターが居た。
……中に入ってもいいのだろうか。
「中に入る前に、あなた達の素性を聞いても?」
「ああ、いいぜ。まずあそこに居るのが俺にこの場所を提供してくれている、ただの隠れ家的バーのマスター。そして俺はゴッズランド人専門の情報屋。知りたいことをなんでも教えてやろう」
「……俺は、お前にここで仕事をするなと言った」
「ええ?」
男は千年前の映画の登場人物のように気取った動きでマスターの前の席に腰掛けると、頬杖をついて上目遣いでマスターを見上げた。
「そんなこと言って、このバーに新鮮な魚を提供してるのは俺だぜ? マスター、あの三人にハマチを」
「……」
男に手招きされ、俺達は彼の隣に腰掛けた。マスターは眉間に皺を寄せたまま、茶葉を変わったポットに入れてお湯を注いだ。そして間髪入れず、手慣れた手つきで米を握り、生魚の切り身と合わせて奇妙な何かを作った。ポットを氷の入ったグラスに傾け、金色の液体を注ぐ。マスターは出来上がった二つのものを、俺達の前に差し出した。
「ハマチのスシと、アイスグリーンティーです」
「スシ」? サンズウェイの郷土料理だろうか。それにしては、なんだからしくない感じがするが。米の上に載っているのはどう見ても生の魚だが、俺達は今何かを試されているのか。
「……多分大丈夫」
しかしレイがそう言ってスシを口に運んだので、俺もそれに続いた。柔らかく弾力のある食感がして、脂の旨味が口いっぱいに広がった。甘酸っぱい酢飯と、ディップした黒いソースの塩味が見事にハマチを引き立てている。なるほど、これは美味しい。小皿に盛られた薄緑のペーストを少量ソースに溶かし、またディップして食べると今度はツンとした刺激が鼻に染みた。
なんとはなしに二個右隣、ダレン越しの男の様子を覗き見ると、到底信じられない量の薄緑のペーストをスシに載せて食べていた。美味いものを食ったとき特有の含み笑いをしているが、あいつの味覚は壊れているのか?
最後に俺は、アイスグリーンティーを口に含んだ。黄金色の草原の風のように澄み渡った香りが立ち、深い旨味とコクが口の中に広がる。飲み込んでもなお口の中いっぱいに余韻が残るそれは、丁寧に煮込んで仕込んだ魚介のスープにも似ていた。
「……君達、そうがっついては失礼にあたるよ」
訳:君達、よく得体の知れないものを食べられるね。
「お前さえ食わなければなんとかなるだろ?」
「でも毒だったら……んんっ、失礼。ところで、あなたの名前は」
「ブレッドだ」
「では、ブレッドさん。どうして私が『団長殿』だとわかったのですか?」
ブレッドはトントン、とローブの下の左手首を右手の人差し指で叩いた。ダレンは自身の左手首を見て、顔を顰めた。そこには椿のヘアゴムがあった。
「あなたはゴッズランド人専門の情報屋とおっしゃいましたね。あなたはサンズウェイの人間ですよね? 何故私達専門なのですか」
「そりゃああれさ。ゴッズランドの連中は、コッチの具合がいいからな」
男は「金」のハンドポーズをした。ダレンはますます嫌な顔をした。
「一応、それで納得して差し上げますよ——今の所は。その調子だと、私達の目的もわかっていますね?」
「ああ。ブランブル帝国への入国だろ。啓鐘者を追う為に。それを知って俺はあんた達と接触した。単刀直入に言おう。俺はその便宜を図ってやることができる」
「代金は?」
「金貨五十枚だ」
「馬鹿にしてます?」
ダレンはブレッドを睨みつけた。金貨五十枚といえば、この旅の予算が金貨百枚だからその半分だ。流石にふっかけすぎだと俺も思った。
「じゃああんた、いくらのつもりで考えてたんだ? 元々、悪い商会組織か何かを頼る腹ではあったんだろ? 甘いぜ、全く。こっちにも人生がかかってるんだ」
「では、あなたのことを信頼できるという証拠を見せていただけますか」
ダレンは首を横に振り、真剣な表情でブレッドを見つめ直した。いつか見た交渉者としての表情だ。しかしそんな表情にも、すっかりペースを乱されてしまっていたことへの後悔が滲んでいた。
ブレッドは愉快そうに厚い唇を歪ませて、そっと自身の仮面に触れた。そして仮面を取り外し、フードを脱ぎ——隠していたものを露わにした。
やや緑がかったブロンドをオールバックにした、映画の俳優のような顔。赤みがかった肌にはっきりした鼻、掘りの深さを強調する二重瞼の下には意地悪そうな空色の瞳があった。
ブレッドは懐から紙を取り出すと、サラサラと筆を走らせた。何が書かれるのか、じっと見つめているとそれはどこかの住所だった。
「俺の行きつけのサロンの住所だ。詩が上手くて肌の綺麗な女が居る。本来なら滅多にお目にかかれない女だが、俺のツテで会わせてやってもいいぜ、坊ちゃん」
「……」
ダレンは何も答えなかった。しかしやや乱暴に立ち上がって、銀貨十枚をカウンターの上に置いた。
「ご提案どうも。明日の同じ時間、また来ますので」
「ああ、是非」
去り行くダレンを見て、俺も慌てて席を立った。その焦りが災いし——
「うわぁ!!」
——俺は足をカウンターチェアに引っ掛けてすっ転んでしまった。
「おいおい、大丈夫か?」
と、ブレッドがチェアを降りて手を伸ばしてきた。顔を上げるとふわりと甘い香りがした。……どこから香ったのだろう?
俺はブレッドの手を取ろうとしたが、その前に素早くレイに手を掴まれて抱き寄せられた。レイが緊張した眼差しを彼に送っている。
「フラれちゃったな」
ブレッドは苦笑して一歩後ろに下がった。俺はレイに手を引かれ、辺りをきょろきょろと見回しながらバーを去った。外に出て扉を閉める瞬間、振り向いてもう一度ブレッドの方を見ると、彼はにこやかに手を振っていた。




