盲目の自分と蚊帳の外
更新未定です。
気紛れに書き始めたものです。更新に時間が掛かる可能性があります。また更新されない場合があります。の了承ください。
世の中には守護とか恩寵とか、とにかく有り難いものがあって、見えないそれをエルフとかドワーフとか人間とか、ありとあらゆる生物が享受しているらしい。他人事なのは、自分が特に感じていないからである。目に見えないものの話をされてもねぇ…。困るだけだと思うのは自分自身の創造力がないからだろうか。
目を開いて、辺りを確認してみる。相変わらず光の1つすら差し込んでこない。ただ暖かな何かを感じて、水の滴るような音を聞く。味はなにも感じない。つまり五感の内、視覚と味覚の2つが感じられないということ。
今日も今日とて平和な1日である。朝から波に揺られ、ザブーン。昼になってもザブーン。このままでは夜もザブーン。特になにもザブーン以外ない。詰まらない1日である。
本当ならあちこちに出掛けたい気もするのだが、毎回真っ暗なため不便で仕方なくやめた。出掛けるために怪我をするのは馬鹿馬鹿しい。人生諦めも必要である。
"オーナー、オーナー。どちらにいらっしゃいますか"
玄関辺り_といっても、勝手にそう呼んでいるだけから、何やら音が聞こえた。適当に返事をすると、彼らの音は次第に近づいてくる。
彼らは何故か自分のことを"オーナー"と呼ぶ。理由は知らない。呼びやすいからとかその辺の理由だろう。ちなみに自分の名前は忘れた。性別も忘れた。今までの記憶も、親しい人のことも、全部全部忘れた。寧ろ清々しい程である。5分前の記憶すら怪しいこともあるため、よく怒られる。反省はしない。後悔…は少しするかもしれない。
気付けばこの状態だったため、残念だとかその辺りのことは思わない。仕方ないとな諦念の方が強い。滅多に訪ね人もいないため、記憶の彼方にいた自分は人とは切り離されていた存在なのだろう。
"オーナー!やっと見つけました!"
音が近く、目と鼻の先で聞こえた。そして腕を引っ張られる感覚がする。それも力強い。最近、扱いが雑に感じるのは気のせいではないはず。
「…暇なのかい。そうちょくちょく来なくてもいいんだよ」
彼らが来なければ、自分を訪ねて来る人はいない。つまりずっと寝てようが、起きてようが問題になりやしないのだ。彼が来て騒ぐから、安眠が妨げられる。
"そうも行きません!オーナーにどこかに行かれては困るんですから!"
意気揚々と彼らが騒ぐ。だが、逃げるつもりは到底無かった。この真っ暗な視界の中、どうやって逃げようというのだろう。すぐに躓いて転ぶのがオチだろう。それに逃げ出す理由は大してない。
「逃げ出すもなにも、この暗さで逃げ出すことは出来ないよ」
"オーナー…"
事実を言っただけだというのに、彼らは寂しそうな声色である。何かしてしまったのだろうか。彼らの中にある自分か、今の自分か、気に触るようなことを。
それにしても、彼らは毎回自分に真っ直ぐ歩いてくる。特殊な能力でも持っているのだろうか。何処にいても駆けつけてくる。
彼らは自分の手を握った。暖かい温もりが、手から全身へと伝わってくる。
"オーナー。何度でも言いますが、外に出ましょう"
子供に言い聞かせるようなゆっくりしていて、穏やかな声色。そういえば前に彼らが来たときも、こんなことを言われた気がする。その前もその前も。
飽きもせず、頑張るのは彼らの良いところだった気もするが正直覚えていない。ボンヤリとした記憶でそんな風だった気がすると思っているだけかもしれない。
「とりあえず外に出て何をするの。外に出ていいことでもあるのかい」
"オーナー、外は貴方が思っているよりも良いところです"
"外は良いところ"。彼らは決まってそう言う。だが、スッカラカンの頭が訴えるのである。外は危険だと。だからこの暗闇の中行かないと出ずに、自分が終わるのを待ち続けた方が良いと。思い出すと毎回、胸が苦しくなる。
「外に出ても、特にしたいこともないんだけど」
"オーナー、そういうモノは探すものですから"
さあ行きましょうと腕を引っ張られる。何度この流れをするのか疑問に思うが、今回は気紛れに付き合ってやることにしよう。このときは気分がよかった方だったと思う。分かった分かったと返事をすると、明らかに彼らの音のトーンが上がったのが分かる。
1度付き合えば、暫くは言って来ないだろうと思った。だから、今回は特別サービス。またとない機会を彼らに与えてあげることにしよう。暫くはまた平穏になるに違いない。
こっちですと彼らは、自分をグイグイと引っ張って行く。足元に何かあれば注意してくれるし、平たい道を選んでくれているのだろう。たまに彼ら自身が転びそうになっている。
「やっぱり、君たちは不思議な能力を持っているんだ。この真っ暗な中を自由自在に歩き回れるなんて信じられない」
"オーナー……オーナーもいつか見られる日が来ます"
彼らは自分よりも年下のように思っていた。しかし時折不思議な力を見せたり、自分よりも多くのことを知っている。姿が見えないため、何とも言えないがもしかすると年上だったりするのかもしれない。
ずっと聞いていた水滴の音が次第に小さくなっていく。暖かな光が消えていくのを感じた。
自分の行動範囲よりも随分遠くに来たらしい。嗅ぎ慣れないニオイと感触がする。別世界に放り込まれたかのようだった。
「もう外ではないのかい」
"まだまだ先です。貴方が居たところは、最奥部ですから"
散歩にしては遠すぎると思った。もうそろそろ帰らないと取り返しのつかないところまで行きそうで、引き返したい欲が出る。だが、引く手がそれを遮る。
このまま行ってしまっていいのか。そう思うと引っ張られていく体が、足が棒のようになり動かなくなっていく。体力が尽きたわけではない。ただ理性が動きを止めているのだ。
動きが悪くなったことに気付いた彼らは、心配そうに自分に声をかける。休憩をするかどうかと聞かれるが、この状態は時間が解決するものではないようだった。
明るい空が、暖かい空気が、繁る草の感触が、匂いが、人が、声が、記憶が全てを拒絶しようとして来る。自分を受け入れてはならない。少なくとも今の自分は受け入れてもらえそうにない。行くな。そう記憶の中の自分が呼び掛ける。
「…ここで帰ってもいいだろうか。外には到底届かぬが、居た場所からは大分離れたようだ」
"オ、オーナー…ですが、もう少しだけ。無理を承知でお願いします。もう少しだけでいいのです"
「…分かった。君達が言うんだ、そうした方がいいのかもしれない」
いつもすぐに引き下がってくれる彼らは、今回はしぶとさを見せた。それほどこの散歩が重要なのかどうなのか。身体は棒のようになるが、決して歩けないわけではない。ゆっくりと引っ張ってもらうようにお願いすると、彼らは了承してくれた。
そこからはゆっくりと歩いた。1歩1歩慎重に。足取りは牛のごとく眠ってしまいそうなスピードであるが、頭の中は酷く冴え渡っていた。
帰れ。頭の中ではそう訴える声が聞こえる。この先は進んではならない。今すぐ踵を返し、住処に戻れ。二度と外に戻ってはならない。さもなければ後悔するだろう。
全て自分の声だった。後悔するとずっと訴え呪いをかけてくる。つい耐えきれなくなり、跪く。咄嗟に手を地面に付き身体を支える。眩暈のようなものまでする。
"オーナー、大丈夫ですか"
首を縦に振る。返事をするのでさえ辛かった。外に出ようとすることがこんなにも辛いことだとは知らなかった。これまでの自分が外に出ずに過ごしていたのは正解だと思える。
ぐらつく視界で顔を上げると1つの骸が見えた。真っ暗な視界の中で初めてまともなものが見えた気がする。
「あそこに骸があるね…誰のものなんだろうか」
冷や汗を滴しながら、自分はソレに指を指した。肉片すら残っていない真っ白な骨は、所々欠けている。服はボロボロで、かつてのデザインすら分からない。
"持ち主がいない骸は、誰のものでもありませんよ"
「ソレ言えてるね」
笑うと眩暈も相まって余計に不快である。
"…骸は誰かの落とし物なんです"
「骨が落とし物か、生きていたモノたちの最後に残る証拠がアレという訳だ」
彼らにしては的を得ている。乾いた笑いを漏らした。
彼ら曰く、私が過去に言ったことらしい。だが、私にそんな記憶はない。無理やり思い出そうとすると、脳裏に何か情景が浮かんできては消えた。かつての記憶が甦ってきているのだろうか。忙しなく悲鳴を上げる体にはキツい。
骸に近づき、苔を払う。大きさは大人よりも少し小柄のよう。骨格からして女、なのかもしれない。
骸を前に手を合わせ願う。自然とそうしていた。恐らく身体に残っている習慣である。
「魂の還る場所に無事にたどり着くよう、この先の旅路が長く、幸あるものであるように」
口が勝手に動いた。今日だけで一気に記憶に触れた気がする。だが、完全に甦った訳ではない。違和感が生じる程度。これでは記憶が戻ったとは言えない。
体は相変わらず重いが、何とか立ち上がる。そしてまた手を引いてもらおうとした。しかし彼らの気配を感じられない。先程まで供にいたというのに、まるで煙のように消えてしまったようだ。
彼らの名前を呼ぼうとしてはたと気がついた。彼らの名前を知らない。過去は名乗っていてくれたのだろうが、自分の記憶力に呆れて名乗らなくなってしまったのだろう。仮で彼らと呼ぶことにした。
「彼ら、どこに行った?」
自分の声が反芻して聞こえる。返事はない。もう一度呼び掛けるが、返ってくるのは自分の声だった。
真っ暗な視界の中、これからどっちに行けばいいのだろうか。右か左か前か後ろか。進んできた方向さえも分からない。ただ骸が目の前にあるのは分かった。
骸は口を開かない。開く筋肉すらないのだから。完全に置いてけぼりの自分と、どこにも行けない骸。1人で過ごしていたのが、2人になっただけ。骸の隣に腰を下ろした。暫くすれば彼らが迎えに来てくれるだろう。今まで何度も追い返してもめげずに会いに来たのだから。
「骸よ、君は何処から来た」
退屈しのぎに口を開き尋ねてみた。名前、出身地、好きなもの、嫌いなもの、家族はいるのか、恋人は、友人は等々世間話とも言えないことを。勿論のこと返事はないし、期待もしていない。時間潰しである。
人に尋ねたので、自分も何か言わねばなるまいと口を開いた。自分のことを考える。しかし肝心なときに脳はなにも教えてはくれなかった。
「俺の名前は………分からない。知り合いはオーナーと呼んでくれる」
「出身地は多分ここの最奥部。暗いが良いところだ」
「好きなもの……は特にない。嫌いなものも」
「家族はいない。恋人も、友人はいたかもしれない。だが、残念ながら思い出せない」
我ながら寂しいヤツだ思った。類をみないほど薄い自己紹介であったと思う。
風が吹き荒れる音がした。そして遠くからすごい速さで風が迫ってきて、顔、全身に吹き付ける。服と髪が揺れる、息を止めて砂ぼこりを吸い込まないように口と鼻を抑えた。突如として吹き荒れた風は一瞬のことで、すぐに止んだ。
完全に止んだことを確認すると、そっと腕を離す。風が運んできたらしき様々な香りがする。きっとこれが外の香り。
"さあ、行け"
後ろから音がした。振り向く間もなく何かに押し出される。
「え、ちょっと待て」
制止を聞いてもらえることもなく、勢いに任せてグイグイと押された。引っ張られる次は押されるらしい。矢張自分の扱いは雑らしい。
何かに押されて進む。その間、あの過去の声は聞こえなかった。その代わり、彼らとは違う誰かの声がする。
"ほらほら、置いていかれてもしらんぞ"
"そういって勝手に突っ走って迎えに来てもらうのは誰だっけ"
楽しそうな音。これが声というものだったことを思い出した。今まで彼らが発してきた音は、全部声だった。どうして声と音の違いも分からなかったのだろう。不思議に思う。
「兎に角、こんなところに引きこもっていては、本当に虫になる」
「失礼なこと言わないであげて。そのお陰でこんなに色白で綺麗な肌があるんだから」
知らない声の主は、勝手に2人で盛り上がる。自分は完全に蚊帳の外。戸惑うことしか出来なかった。
「ほら何か言ってあげてよ」
「こっちの台詞だ。何かコイツに言って差し上げたらどうだ」
4つの瞳が自分を捉えた。後ろには花が咲いている。甘い香りと、彼らの声。全てが心地よく、先程までの不快感は気の所為のように収まっていた。
「君達は誰」
思い出せるようで思い出せない。
1人悩む自分をみて、彼らが笑ったように思う。そして俺は、初めて外の世界を感じた。