02
わずかの時間で、夜捕らえる事が難しいとされる獲物を二匹も持って帰ったラヴァスを見てライーが感嘆の声をあげた。
ラヴァスは砂の上にひろげた鞣革の上で、手早く茶色の毛皮をむき、内臓を抜く。仕留めた時に傷口から絞り出しているので血はほとんど飛び散らない。
肉は骨付きのまま、ぶつ切りにした。火にかけた鍋にていねいにこそいでおいた脂を入れる。混ざっていた血がジュッと音をたてて跳ねた。
砂で両手と短剣、鞣革をこすって血を落とす。
内臓と肉を軽く炒めてから水を注ぎ、乾燥大蒜と、生のまま叩き潰して団子にし天日干しした玉葱を落とし込んで蓋をした。灰汁をすくって貴重な水分を捨てるような真似はしない。
「ほのおのくにって どこ?」
頭から毛布をかぶって膝を抱え、うとうとしているように見えたライーが唐突に口を開いた。
火力の調整にこっそり魔法を使ったラヴァスはギクリとして一拍返答が遅れる。
「ずっとずっと西の方だ」
言って、干した香草とひと欠片の岩塩、王国から大事に携えてきた胡椒の実を小さな真鍮の鉢と棒ですり潰し始めた。
「あぶないとこ?」
「何でそんな風に思うんだ?」
怪訝な表情をしたラヴァスの問いにライーはニッと笑って答える。
「だって『いっしょにいってくれるバカがみつからなかった』っていってたでしょ。あぶないとこだから ほかのひとが いきたがらないんじゃないか とおもって」
鋭い指摘に喉の奥でうなった。
「ライーの言う通りなんだろうな」
「おにいちゃんは なんで そんなあぶないとこに いくの?」
「友達に……」
ラヴァスの眼が一瞬遠くなった。何かをなつかしむように。ふわりとしたかすかな笑みが唇をほころばせる。
「会いに行くんだ」
「おにいちゃん、そのともだちが すっごくすきなんだね」
ライーの言葉はなぜかラヴァスをどぎまぎさせた。それでもこくりと頷く。
「いいなァ。……ぼくも そんなともだちが ほしいな。はやく あえるといいね」
「……ありがとう。きっとライーにもできるさ、そんな友達が」
その科白にライーは寂しそうにフッと笑っただけだった。無邪気に話すライーに似合わない気がかりな微笑。
「さて、あんまり腹ぺこさんを待たせちゃ悪い。そろそろいいだろう」
鍋を火からおろして、薬味を混ぜた。木の匙で味見をすると、ライーにあぐらをかいて膝にたたんだ毛布をのせるように言い、その上に鍋をのせてしまう。
「全部食べちまっていいからな」
「ホント!」
喜びのあまり飛びあがりかけたライーはあやういところで膝の上の鍋の事を思い出した。
「でもおにいちゃんは……」
「まだ腹は減ってない。……熱いから気をつけるんだぞ」
少しでも早く口に入れたい気持ちと闘いながら、匙の上の肉をフウフウ吹いているライーの真剣な顔つきを見て吹き出しそうになったラヴァスは、空腹を無視してやるべき事をやり始める。
木の棒を十字に結わえたものを二つ作り、交差した部分に長い棒 ―― 実際には短い二本を接いだ物 ―― を渡してそれが四本の脚で自立するようにした。棒の上端に毛布の四隅を縛りつければ、砂に杭を打ち込むという難問を克服しなくても天幕を張れるという訳だ。
お粗末な代物ではあるが、この下で眠れば風通しを確保して陽射しをさえぎる事ができ、ミイラにならずに夜を迎えられる。
作業を終え、ラバ達の様子をみてから戻ると、ライーが脂のついた指をしゃぶっていた。
「腹はいっぱいになったか?」
「うん!」
満面の笑みと力強いうなづき。ラヴァスも思わず微笑み返す。
「こんなおいしいものたべたの はじめてだよ!」
「腹ぺこは最高の調味料って言うからな」
ラヴァスは間に合わせの材料と道具、短時間で作ったにしては良くできたという程度だと思っていたが、誉められて悪い気はしない。
「ごめんね……」
毛布と鍋を横に置いたライーが急にしゅんとなって呟いた。
「おにいちゃんのおみず のんじゃって。おにいちゃんのごはん たべちゃって……」
「ライー……」
「ぼくね……ぼく……すてられたんだ。……ちがってるから」
捨てられた、というのも気になるが……違ってる? 違ってるとはどういう意味だ?
目の前の砂の上に渦巻き模様が描かれていく。まるで目に見えない誰かが指で落書きしているように。
「ライー?」
地面を見つめていたライーが顔をあげ、落書きが止まった。
「ぼく、かるいものなら てをつかわないで ものをうごかせるんだ。だから……」
「だから捨てられたって言うのか? この砂漠の真ん中に!」
考えられる事ではある。ライーの属していた共同体の成員がライーの能力を悪魔が憑いたせいと考えたとすれば。
自身も魔力を持ち、魔法が貴重な才能のひとつである社会で育ったラヴァスには許し難い所行だったが、住む場所が変われば価値観や倫理も変わるのだという事は理解していた。
ライーを親元に帰すどころか、この近辺で彼を受け入れてくれる場所を探すのは難しい、いや不可能に近い。
ライーは魔法を操るためのきちんとした訓練を受けていない。たとえその能力を隠してどこかに預けたとしても、無意識に魔法が発動して、悲劇が繰り返される事も考えられる。
かといって、この先ますます困難を極めるだろう炎の国への道行きに連れて行くなど論外だ。
「しんぱい しなくていいよ」
ライーは黙り込んだまま険しい面持ちを浮かべていたラヴァスから、明るくなり始めた東の空へ視線を移して目を細める。
暁の光をやさしく受け止める雲も、やわらかな色合いに染まる瑞々しい大地もない砂漠の夜明け。まばゆく、素早く昇る太陽と同じ色をした広漠たる砂が強烈な光をはね返す。
「ぼく、ホントはもう しんでるから」
「おい、何言って……」
ラヴァスは言葉をなくして凍りついた。
曙光を受けたライーの体が水晶のように透き通り始めていたのだ。
「ぼくね、すっごく のどがかわいてた。すっごく おなかがすいてた。おみずがのみたかった……なにかたべたかった。そのおもいが あんまりつよすぎたみたい。しんじゃったって わかってからも、かわいたのどとペコペコのおなかが ぼくをひきとめたの……ここに。
だからずっとまってたんだ。だれかがおみずをくれるのを、だれかがたべものをくれるのを……。おにいちゃんのまえにも なんにんか ここをとおっていったけど……だれも、なんにもくれなかった」
記憶が、ライーの顔をゆがませる。
ラヴァスがレイプトを構えた時、ライーは怯えて<らんぼうしないで!>と叫んだ。ライーと出会った旅人達は彼に水や食料を与えなかっただけでなく、おそらく……
「でも、いまはおみずもいっぱいのんだし、おなかもいっぱいだよ。ありがとう。ほんとにホントにありがとう。おにいちゃんがつくってくれたの、サイコーのごちそうだったよ!」
ライーの笑顔が輝いて、朝の中にとけていった。
ラヴァスの心にこんな囁きを残して。
「おにいちゃんも ちがってるんだね。ぼくがまだいきてたら ともだちになれたかな?」
「ライー……俺は……」
ラヴァスは自分が利他主義者でも、楽天家でもない事を知っている。ライーを助けたのはそのゆとりがあると判断したからだ。
もし一人分にもギリギリの水と食料しか持っていなかったとしたら? 砂漠がどこまで続いているかわかっていなかったら?
彼はどうあっても炎の国へ、ヴァルガスの元へ行きたかった。
その為に何年も辛く厳しい修練を積み、長く危険な道のりを旅してきた。何人もの盗賊の命を奪い、隊商に彼の居場所を確保する為だけに、職を求めてきた傭兵を傷つけた事もある。
ライーが既に死んでいると知って、哀しみを感じるよりもむしろほっとした。
彼が持って生まれた特殊な能力ゆえに捨てられたのだと聞かされた時、決断しようとしていた事を実行せずに済んだから。
きっとライーにもそれがわかったのだろう。だからあんな風にさっさと消えてしまったのだ。ラヴァスの返事も聞かずに。
苦い思いを噛みしめている間に、太陽があらゆるものの上に容赦ない熱を叩きつけ始めていた。
フンと鼻を鳴らして肩をすくめ、のろのろと荷物を片づけにかかる。
鍋の中には、きれいに舐めとられ、肉の欠片も残っていない骨。
ラヴァスは遠い西の果てでまどろみながら彼を待っているはずの巨大な銀竜に話しかけた。
「なぁヴァルガス、幽霊にメシを作ってやったなんて話、おまえ以外に信じてくれる奴がいると思うか?」
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