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01

ギュッ……ギュッ……

 砂が鳴る。彼の足下で。砂に沈まないよう(ひづめ)に革を(かぶ)せた三頭の騾馬(らば)の十二本の足の下で。

 サラサラとした粉雪のような砂塵(さじん)。二十七夜の細い月にほのかに照り映える砂。砂の道、砂の丘、砂の谷、砂の……

 昼間の熱暑とはうって変わった冷気に吐く息が白く輝く。見あげると確かな道へと彼を導いてくれる満天の星々。

 ラヴァスアークが西域奥地にひろがるこの砂の海に足を踏み入れて四夜。最も西まで旅すると思われた隊商と別れて半月。

 父の死後、十五歳の誕生夜を迎えるまで母と共に過ごしたアズルの地を離れて八ヶ月余が過ぎていた。

 西域

  《 ()淡海(あわみ) 》の西方約十ラスタからウェリアの西端までの広大な土地。王国にも帝国にも属さず、自由都市群のようなしっかりした自治組織もない無法地帯。いまだ正確な地図の作製された事のない未知の大地。

 とはいえ何人かの竜騎士が遺した覚え書きや局所的な地図のおかげで、ラヴァスは彼が横断しようとしているのが砂漠の最も狭い部分であり、あと四夜もあれば抜けられるだろうと知っていた。何事もなければ。

 視野の隅に白い影が動く。

 とっさにベルトにつけられた革帯の留め具を外し、《稲妻(レイプト)》と呼ばれる縄鏢(じょうひょう)……細縄の先端に小さな刃のついた武器……を手にする。

「らんぼうしないで! ……おねがい」

 小さな子供の声。こんな砂漠の真ん中で?

「誰だっ?」

「ぼくはライー」

 横手の砂丘の頂きにボサボサ頭がひょこっと突き出した。見渡す限り続いている砂と同じ橙色の髪。大きな緑の瞳、小さめの鼻と口が淡い褐色の顔に行儀良く並んでいる。

「ライー? ……どうしてこんな所にいる? おまえ一人か?」

「おにいちゃんこそ だれ? どうしてこんなとこに ひとりでいるの?」

「チッ、ちびのクセに一人前の口ききやがる……」

 ラヴァスはごく上品な家庭で育ったのだが、荒くれた傭兵や世慣れた商人と旅したせいで多少言葉遣いが下品になったようだ。

「俺はラヴァスアーク。一緒に炎の国へ行ってくれる馬鹿がみつけられなかったんで一人で旅をしてるのさ」

 まだ少年であり、母方の血筋のせいでどちらかというと小柄なラヴァスを見て警戒心が薄れたようだ。大量の砂といっしょにライーが砂丘を滑り降りてきた。

 それでも少し距離をおいたまま、おどおどとラヴァスを見つめ、目に入りそうな前髪をうっとうしそうに払いのける。

 素足で、ガリガリに痩せていて、腰を荒縄で縛った服は敷布に首を通す穴をあけただけに見えた。背丈からみて六、七歳といったところか?

 ラヴァスは右手にレイプトを持ったまま左手で一列に繋がれたラバの()き綱をつかんで歩き出した。やっぱりこんな場所に小さな子供が一人でいるなんてどう考えてもおかしい。関わりにならない方がいいだろう。

「まって!」

 慌ててライーが走り寄ってきた。

「おみずちょうだい! なにかたべさせて!」

 恐慌をおこしかけているといえそうな声。ラヴァスの上衣の裾をつかんだ震えるちいさな手。近くで見ると頬がこけ、肌や唇は乾きでひび割れている。

 迷子、なんだろうか? 悪霊でも魔物でも、まぬけな旅人を油断させて罠に誘い込む盗賊団の手先でもなく?

「おねがい! なんでもいいから! のどカラカラで、おなかペコペコで、ぼく……もう……」

 砂が、倒れ込んだライーの体を受け止めた。






 水を含ませた布をライーの唇にあてがう。半開きの口の中へ(しずく)が滑り落ち、唇と鼻、閉じたままの目蓋がヒクヒク動いた。かすれたうめきをあげてとび起きたライーがひったくるように布をつかみ取り、喉に詰め込まんばかりにして水を吸い出そうとする。

「落ち着け、窒息しちまうぞ」

 ラヴァスはライーから布を奪い取り、代わりに水の入った器を渡した。半分ほど飲んだところでライーがむせて咳き込み始め、残っていた水のあらかたがこぼれてしまう。

「大丈夫だ、まだ水はある」

 咳がおさまり、舐めるように水を飲み干して、空の器を手にしたまま胸や膝の上に飛び散った染みを恨めしそうに見ていたライーに革の水袋を振ってチャプチャプいう音を聞かせてやった。

 安堵と喜び、新たな不安がライーの顔をよぎる。

「心配するな。ちゃんと飲ませてやるさ。ただし、もうこぼすなよ」

 ラヴァスは眼を輝かせて頷いたライーの器に何度も水を注ぎ足してやりながら、何夜か、ひょっとしたら十何夜か回り道になるが、ライーを彼の親元、それが無理でもどこか安全な所へ送って行かなくてはならないなと考えていた。

「もういいだろう。これ以上飲んだら水だけで腹がいっぱいになっちまう」

 頃合いを見計らって水袋に栓をする。

 図らずも抱え込んでしまった道連れに、これから節約しなければならない水と食料を思って厳しい表情を浮かべたが、すぐになんとかやれると割り切っていた。

 修養の為の断食などで飢えや渇きを乗り切った経験が、辛くともそれが可能であると教えてくれる。

 夜が明けるまでもうそれほど長くない。その場で昼をやり過ごそうと決めたラヴァスは騾馬達の牽き綱をはずして荷をおろした。

 一頭ずつ慎重に量をはかって水をやる。

 そして、ある程度自由に動いて一見不毛に見える砂漠に点在する草……ほとんどは騾馬には食べられない(とげ)のある硬い植物なのだが……を探す事はできても、遠くへは行けないように左右の足の間を短い縄で縛った。

 ライーが足踏みしながら腕をこすっている。

 渇き、という最優先事項が満たされて急に寒さが身にしみてきたのだろう。弱った体に砂漠の夜気は厳しい。暖をとらせる必要がある。

 毛布を放ってやったラヴァスは、どのみち火をたくのならライーには固い乾燥糧食より消化に良いものを食べさせるべきだと考えた。

 だが手持ちの伝統的な砂漠の燃料……乾燥した動物の糞……が足りない。ついさっき騾馬の足の間から拾いあげた物が使えれば良いのだが、まだ湿っていた。

 ラヴァスには魔法で強引に火をつける事もできるが、王国と違って西域では神官や巫女以外の者が魔法を使うと(よこしま)な力と取り引きしたと見なされる地域が多い。

 軽く溜め息をついて側面に小さな穴がたくさんあいている(すす)けた金属容器を取り出す。半分ほど砂を詰め、偶然手に入れた貴重な黒い水を注ぎ入れた。だぶだぶした脛覆い(レッグカバー)の下に隠し持っていた細身の短剣を抜き、刃に火打石を打ちつける。

 乾いた音と共に火花が散り、炎が赤金色の舌をひらめかせた。まるで黒く染まった砂が燃えているように見える。

 しばらく一緒に旅をしていたゴーンという傭兵が教えてくれた。この火は驚くほど長持ちするのだと。

「すごい! それって まほう?」

 ラヴァスは黒い水を知らない者にとってそれが魔法に見えるだろうと考えつかなかった自分を(あざけ)った。こんな事なら最初から魔法を使っていたって同じじゃないか。

 だが、ライーは興奮こそすれ、恐れたり(いきどお)ったりしている様子はない。彼の文化では魔法は禁忌ではないのだろうか?

「いや、こいつは魔法じゃない。この黒い水はとても燃えやすいんだ。酒が燃える事は知ってるか? それと同じようなもんだ」

 その説明を聞いたライーはふーんと言って少しがっかりしたような、納得いかないといったような風情で黙り込んだ。

 ラヴァスは携帯焜炉(こんろ)をライーの前に置くと、少し待っていろと言いおいて砂山を登り始める。素早く、静かに。

 三つ目の砂丘を越えた時、幸運が訪れた。体長一スパン程の小さな影がふたつ、ピョンピョン跳ねながら星影の中を横切っていく。

 跳び(ねずみ)だ。

 強力な後足を持つ夜行性の生き物で、動きがとても速い。長い尻尾を(かじ)にして空中で方向転換する事もできる。普通は昼間巣穴にいるところを捕まえるのだが、ラヴァスはレイプトに魔力を送り込んだ。

 竜の牙を()ぎだした刃が頭上に蒼白く輝く輪を描く。

 次の瞬間、十ヴァズマールも離れた場所で二匹の跳び鼠が貫かれ、ラヴァスの手元へと宙を舞った。


※十ラスタ(約百二十キロメートル)

※一スパン(約十八センチメートル)

※十ヴァズマール(約十五メートル)



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