来栖颯真という男
冷蔵庫の中は水水水、とにかくペットボトルの水だらけだった。
呆然と立ち尽くしているとリビングの自動ドアが開く音がした。
「もう起きていらっしゃったんですね」
入ってきたのは、昨日と同じ服のままの颯真さんだった。
「え?あ、おはようございます」
「僕はこれから寝るところです」
……。そうですか……。じゃあ、おやすみなさい?
もしかして、昨日からあいさつが返ってこないのは本人的には寝る時間でも起床の時間でもないからなの…?無視されてるわけじゃなかったのかな。
それにしても、生活リズムどうなってるんだ。
たしかに、よく見るとかなり眠そうな顔をしている。
とはいえ、クセのないまっすぐでサラサラな髪に、これといって特徴のないメガネ越しに見える目は二重で長いまつ毛に縁取られており、眠そうな顔までサマになっている。
天から二物も三物も与えられちゃってるよ、この人。世の中不平等だな…。
悲しくなりながら視線を元に戻すと……水水水。
あー、そういえばそうでした。この状況、ほんと何なの。
あれ、よく見ると、水ばかりだと思っていた庫内に、缶のようなものも入っている。
「あぁ、それはコーヒー豆です、使っていただいて構いませんよ」
私の視線に気づいた颯真さんは、親切にも、器具はこれでこうセットして、と説明を始める。
いやいやいやいや!
「水とコーヒーだけですか…?」
「もしかして、緑茶派あるいは紅茶派でしたか?残念ながら家にはないのであとで注文していただけると」
そういう話じゃないんですが⁈
私の渾身の脳内ツッコミにはもちろん気づかず、颯真さんは手にしていたコップを食洗機に入れている。
「コーヒー、飲んでたんですか」
「はい、飲みながらだと研究が捗るので」
どうやらロボットとは違い、水分摂取はしっかりし、味の違いも感知しているらしい。
「食事は?」
「少し前に、これを飲みましたよ」
そういって、颯真さんが指さしたのは、冷蔵庫の横のキッチン台に置かれた、細かい仕切りのあるクリアケース。
“飲みましたよ”……?
怪訝に思いつつ、何が入っているのか遠目にはよくわからず、私は近づいて中身を覗き込む。
「ええと、これは……?」
「この黄色いのがビタミン、このピンク色のがタンパク質、そして、この白いのがブドウ糖、緑色のがミネラル、赤色のが鉄分です」
これは、まさか……サプリメント⁈
え、これが食事…?
ちょっと待ってよ。食事って“食べる事”だよ?
咀嚼して味わって、生命をいただくものなのでは?
それを、栄養素だけを抽出してなんかいろいろ混ぜて固形にした、文字通り無味乾燥なこの物体を飲み込むだけ?
その薄く形の整った唇の隙間から覗くきれいに整列した白い歯は飾りか!
カルチャーショックというのか何なのか。
困惑する私に構わず、
「では、おやすみなさい」
そう告げて、颯真さんはリビングを後にした。
颯真さんは、結構マイペースな人だということがわかった。まあ、それはいい。研究者なんて程度の差はあれども、みんなそんなもの。大丈夫、慣れてる。
問題は、生活スタイルだ。今のところ何ひとつ噛み合っていない。
さて、これからどうすべきか。
とりあえず……、一刻も早くまともな食事環境を整えるべく、ネットショッピングでポチりまくった。