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計算すべき距離1 side 颯真

数字は嘘をつかない。でも、人は……。


結婚が決まったときは、正直、とても不安だった。ネモフィラで研究者としてやっていくには、ネモフィラのルールは絶対だ。そのためには、仕方のないこと。ただ、住人が1人増えるだけ。

もちろん、結婚の話を持ってきてくれた陽平は、僕にとっては数少ない信用できると思える大人だ。でも、そのことと、結婚相手が信用できるかは別問題で、信用できない人が同じ家にいるというのはどうにも心が休まらなかった。

一緒に暮らし始めた頃は、相手が本当に人間が一般的に寝静まるはずの夜に寝ているのか、実は起きていて何か探っているのではないか、などと疑心暗鬼になってしまい、夜はどうしてもねることができなかった。朝方から昼にかけてやっと寝ても、眠りが浅く、寝不足のまま、研究に没頭してなんとか気を紛らわせようとした。


たぶんそれがよくなかったんだろう。

何年振りか、いや、もはや十何年振りかくらいに熱を出した。大人になってからの体調不良はなかなかに堪えた。苦しくて、辛くて、他には何も考えられなかった。

でも、亜実さんは看病してくれていた。見返りを求めるわけでもなく、ただ純粋に心配して、必死に世話を焼いてくれていた。

それで絆されたわけではないが、必要以上に疑ってしまっていた負目もあって、頑なに口にしないようにしていた手料理を気づけば口にしていた。

正直、体調不良が味覚にも影響していて、あまり味はわからなかったけど、あたたかくて優しい味がしている気がした。



それからは、食事を一緒にとるようになった。あんなにも何も食べられないと思っていたはずなのに。一度食べてしまったからにはニ度も三度も変わらない気がしたのかもしれない。



亜実さんは、ネモフィラでは会ったことのない人種といった感じだろうか。でも、それが不思議と心地よくて。僕は数学以外のことで話すのは得意ではない。人との会話に疲れて、脳内で独りで素数を数え出してしまうことも多々ある。でも、亜実さんは他愛もない話でも楽しそうに話してくれて気まずくならないし気疲れもしない。それに、よく笑う。とにかく感情表現が豊かで、僕とは正反対。まるで生きる世界が違う。


旅行に行こうと思い立ったのは、亜実さんが、ネモフィラという閉じられた世界じゃない、違う場所ではどんな表情をするのか見てみたかったからかもしれない。


案の定、地上での亜実さんはいつも以上に生き生きして見えた。まるで花が咲くような笑顔から目が離せなくなっていて。その明るい声も、笑顔も、もっと聴きたくて、ずっと見ていたいと思うようになっていた。


共同研究だって、今までは人となるべく関わるのが億劫で断っていた。でも、自分とは違う視点を知ることで世界を広げられるチャンスをふいにしていたんじゃないか、たまには挑戦するのもいいんじゃないかと初めて思えたからこそ一歩踏み出せた。


本当はわかっていた。

すべての人が嘘でまみれているわけではないし、数字だって嘘をつくことはある。それでも、人は人を信じることをやめない。信じることで生きている。僕は信じる勇気がなかっただけだ。

そのことに気づかせてくれて、もう一度信じる勇気をくれた人。亜実さんには感謝しかない。でも、それだけでは言い表せない感情もあるように思う。


とにかくまずは感謝を伝えたい。研究を始められたのも、没頭できたのも、無事に世に発表できるのも全部亜実さんのおかげなのだから。

学会から戻ったらたくさん話がしたい。研究のことも発表までは詳しく話すことはできなかったから、いろいろ教えたい。知ってほしい。自分のことを話すのは苦手だけど、研究から、数字から、僕のことを知ってほしい。



いつもの笑顔で送り出してくれた亜実さんを思い浮かべながら、頭の中でたくさんの会話のシュミレーションをして、自分の口角が自然と上がっているのを感じながら僕は学会に向かった。

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