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区切りどころがわからず、長めになってます。

「うーん、いい天気!今日は暑くなりそう」


雲ひとつない青空。カーテンを開け、寝室の窓越しに眩しいくらいの朝日を浴びる。ネモフィラにはない強い日差しはエネルギーを与えてくれるように感じる。


家を出てから2週間ほど経った。

私は、ネモフィラ自体を飛び出して、地上にある祖母の家で暮らしている。のんびりと、それはもう快適に。


前触れもなく突然現れた私を、祖母は何も聞かずに受け入れた。祖母である千里ちさとという人は昔からそうだ。来るもの拒まず、去るもの追わず。

それは大変ありがたいことだったが、さすがに少しは事情を話すのが礼儀というもの。

自分の気持ちの整理もついていなかった初日はろくに説明できなかったが、数日過ごし、地上の長閑な空気にあてられ、自分の心にも少し余裕が出てきてから簡単に現状を話ておいた。


「で、いつまでここにいるの」


私の話を聞き終えた祖母が問うてくる。


「えーっと、勧告が来るまでは様子見ってことで…」


ネモフィラは、一定の年齢に達するまで、研究者として教育を施した者たちを逃さない。例外はない。

私の場合、結婚している以上は颯真さんの助手としての職があるため問題はないが、離婚すれば無職になる。そして、次の職場を探すまでに許されている休職期間を過ぎれば、職に就くように勧告される。

さらにこれを無視して何もしなければ、捕縛され、都市の地下にある研究所に軟禁されることになる。そこは、少々危ない研究が多くなされており、命は保証できないそうだ。運良く年季を終えられれば出られるらしいが、そこから実際に出てきて今なお普通に暮らせている人は聞いたことがない。

怖い。普通に怖すぎ、闇深すぎ。


というわけで、勧告されれば死に物狂いで職を探す所存だ。それまでのモラトリアム。だが、今の気分から言えば、できればネモフィラに戻るのは先送りにしたい。

そんな気持ちを感じ取ってくれたのか、


「そう。なら好きにすれば良い。またここを出る時は、ひと言くらい言ってからにしてちょうだい」


祖母はそう素っ気なく返した。

これは、わかりにくいが祖母なりの気遣いがゆえの台詞だ。多くは語らない祖母の気持ちはわからないことも多いが、その根底には優しさがある。

怖い人だと誤解されることもあるけど、その素っ気ない物言いに慣れると、不思議と心地よくすら感じてしまう。


「ありがとう」


「ま、何はともあれ、おかえり」


「ただいま!」


何かあるとこうして真っ先に帰りたいと思える場所。それがあるだけでも自分は幸せだ。


「それにしても、結婚したことすら知らせずある日孫を預けに来る娘に、結婚の報告はあったものの旦那を見ることもなく離婚して帰ってくる孫。私は子育てには向いていないのかしらね」


……。そうなんでしょうね。

あのとてつもなく勝手な母に振り回されてきた私としては、一緒にされるのは業腹だが、客観的にみると似たようなものなのかもしれない。うわ、結構ショック。


とりあえず、当面の生活拠点は無事確保できた私は、毎日祖母の手伝いをして過ごしている。


祖母の家はほぼ自給自足。畑もあれば裏手には山も川もある。畑は大きくはないがいろんな種類の野菜や薬草を育てており、山では山菜が採れ、川では魚が釣れる。

採れたものをそのまま、もしくは加工しては少し行ったところにある町で売って換金し、代わりに肉類やお米、その他の食材や調味料などを調達してくる。

洗濯機などは地上でも普及しているが、乾燥機の類はないし、空調や日差しが管理されている空中都市とは違い天日干しが可能なため、洗濯物は外干しだ。


朝食を終え、私は洗濯物を持って庭に出る。今日はとてもよく乾きそうだ。布団も干せるかな。

もちろん乾燥機は便利だが、太陽の光を浴びた衣類や布団は特有の暖かくて優しい匂いがして好きだ。


バスタオルのシワを伸ばすように両手で持って何回か振ってから洗濯竿にかける。竿は少し高い位置にあり、両手を伸ばして竿を見上げながら干していく。

青い空が白いバスタオルの向こうに広がっている。



あの空は、ほんの少し前までいた場所だ。空に浮かぶ都市・ネモフィラ。最高峰の技術を閉じ込めたその場所はまるで楽園のよう。生活は極限まで合理化され、そこに住む人々はみな研究に打ち込めるための環境が完璧に整備され、守られている。


だけどそれは、私にはまやかしにしか見えなかった。

いつか見たネモフィラの花畑。それは紛れもなく地上に根を張っているはずなのに、まるでそこだけ地面を空に変えてしまっているようだった。

しかし、あの都市は、地上の一部を切り取り空にするだけでは飽き足らず、自身が空そのものに成り代わろうとしているかのよう。地上と文明を分ち、物理的のみならず文化としても地上の上に立つ。

そうやって上下を明確にして、君臨した場所でもやはり争いは起こる。すべての研究者が満足のいく環境に身を置けるなんて現実にはあり得ない。

理想ばかり高くても現実が追いつかない。どんなに天に近づこうとも、楽園とは程遠い場所。



私は研究者としては底辺で、才能もなければ探究心もない。でも、だからといって研究者の素質が全くないわけではないから召集されたわけで。ずっと地上で暮らしてきた人たちとも違う。どちらにいても半端な存在だ。空に浮かべば地面が忘れられず、大地に根差そうにも周りの色に染まりきれない。


それならせめて、誰かの役に立ちたかった。必要とされたかった。そして、颯真さんには私の存在が必要だった。たとえそれが形だけの妻だったとしても。

最初はすれ違ってばかりで、生まれも育ちも違う、才能だって雲泥の差だったけど、一緒に暮らすうちにそれでも同じ人間なんだと気づいた。無表情で無駄な動きのないロボットみたいに見えていたけど、本当はとても優しい心の持ち主。いつも私をちゃんと見てくれて、小さなことでも感謝の気持ちを忘れない繊細な気遣いをしてくれる人。結婚しているからとかそんな表面的な理由じゃなく、側にいたいと思える人。

颯真さんに出会って、私はネモフィラに居続けることを選ぼうと思えた。研究者としては向いていなくても、自分にできることをして、支え合っていければそれでいいと思っていた、あの時までは。



舞香さんの言葉は図星だった。まさしくクリティカルヒット。でも、決意が揺らいだのはそれが嫌だったからじゃない。

なら颯真さんが味方をしてくれなかったからか。いや、そうでもない。言い合いの大半は、どちらか一方が100%悪いというはない。どちらの側にも悪いところはあるはずだ。むしろ第三者がどちらかに肩入れするのはよくない。無論、あの言い争いには確実に私にも非があったのだから、颯真さんが味方をしなくても当然だと思う。感情的には少しは寂しいけれど、理性的には正しいと思った。


ただ、自信がなくなったのだ。私はいざという時、研究者の目線に立てる自信がない。半端者の私は、ネモフィラの価値観を優先することが出来ないことがある。それが、颯真さんにとって害になりうる可能性に気づいてしまった。あの時、舞香さんのように研究者としての颯真さんを肯定することができなかったのだ。

私は本当に颯真さんの側にいていい存在なのか、わからなくなった。そんな迷いのある中でネモフィラの中核を担うような人たちとこれからも一緒に生きていく自信がなくなった。


だから、私は離れることを選択した。してしまった。結局は逃げたのだ。もう後戻りができないよう、一方的に離婚届を叩きつける形で。

彼はちゃんと私を嫌ってくれただろうか。どこまでも自分勝手で卑怯な私を、ちゃんと軽蔑してくれただろうか。

元に戻れるなんて、彼の側にこれからも居座り続けられるなんて、1ミリも期待できないように。



風が吹いた。干した洗濯物たちがはためく。

干した物はよく乾きそうだが、このまま風が強くなるのでは飛ばされてしまうかもしれない。


私が追加の洗濯バサミを取りに行こうと家の中に引き返そうとした時だった。

家の入り口のあたりに誰かが立っていた。

来客なんて珍しい。誰だろう。おばあちゃんの友達か、それとも近所の人?それなら畑に直行しそうなものなのに。


祖母は今、畑に行っていて家の中には誰もいない。不審に思いながらもとにかく来客に対応しようと一歩踏み出す。すると、こちらの気配に気づいたのかその人もこちらを見た。

遠目にその顔を見た瞬間、


「え……、なんで?」


私は思わず呟いた。


視線の先にいたのは地上ここには決しているはずのない人、来栖颯真、彼だった。

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