由来
部屋に戻った私たちは、運ばれてきたお刺身やすき焼きなどの夕食を堪能した。
その後、もう一度温泉に行ってから、明日に備えて寝ることにした。ちなみに、温泉に行っている間に畳の上にピッタリとくっつけて敷かれていた2枚の布団は、どちらからともなく引き離し、何事もなかったかのように無事就寝した。
翌朝、またもや温泉に行って(颯真さんの愛読書曰く、時間が許す限り何度でも温泉に入りにいくのも極意のひとつ、らしい)から、朝食をいただき、目的地に向けて出発した。昨日とは違い、雲が多くたまに晴れ間がさすといった天気だった。
「今日は、どこにいくんですか?」
私は颯真さんに尋ねた。というのも、2日目は颯真さんが行きたいところがあるとかで、プラン自体丸投げ状態で、私は把握していなかったのだ。
「今日は、“フラワーガーデン”に行きます」
どうやらこの近くにある、いろんな種類の季節の花が見られる場所らしいが、なんともわかりやすい名前だ。というか、そのまんま。
今日の私は、どこに行くのかわからないから、とりあえず歩きやすい服装を、と思い、レモン色のブラウスに白のワイドパンツにしていた。颯真さんも、動きやすい服装で、白い長袖のTシャツに薄い生地のジレを重ねており、紺色のゆったりとしたパンツを合わせていた。
フラワーガーデンでは、チューリップや芝桜、マリーゴールドにルピナス、ラベンダー、バラなど、色とりどりの花が咲き誇っていて、とても見応えがあった。
「わぁー、すごくきれい!こんなにたくさん咲いているのは初めて見ました。まさに、花畑ですね!」
「ええ、僕も、こんな風に地面にちゃんと咲いてるのは初めて見ました。すごくきれいなんですね」
たしかに、ネモフィラでは地植えの花はまったくなく、行事などで花束が贈られるくらいだから、颯真さんは花自体見る機会がほとんどないのだろう。
「花を見るのを選んだのはちょっと意外だなって思ったりもしたんですけど、たしかにこっちでしか見られない景色ですもんね」
「あぁ、まあ、それもあるんですが、見たいものがあって」
「?」
フラワーガーデンだというのに、花以外に何か他に目的があるというのか。
「こっちです」
地図とにらめっこしていた颯真さんは進行方向を指差し、歩き始めた。
ここも昨日と同じく人が多い。私は意を決して颯真さんの手を掴んだ。
「人、多いので。えっと、迷子になったら困るし颯真さんの行きたいところにスムーズに行きたいですし!」
言い訳の嵐でわたわたしている私に、
「そうですね」
颯真さんはなんともない風に対応した。
……。緊張したのに、すごく勇気出したのに!ドキドキしてるの私だけかーい。なんだろう、暖簾に腕押し?なんか違うかな?ま、颯真さんは感情の起伏が大きくないし、そうそう私ごとき意識しないよねー。
昨日からいろいろ感情がジェットコースターな私は、颯真さんことばかり見つめながら歩いていた。その間にも、私の内心には1ミリも気づかず、颯真さんは目的地まで丁重にエスコートしてくれた。
「着きました」
颯真さんに声をかけられて、私はようやく颯真さんから、視線を前に向けた。
「わあ……」
そこは一面真っ青な空間だった。空や昨日見た海にも似た青い絨毯のような景色。ここには一種類の青い花が咲いていた。
何の花…?吸い寄せられるように花に近づき、見てみると、その形には見覚えがあるような気がしてきた。
「これは?」
すぐ隣にいる颯真さんを見上げると、颯真さんは花を見つめたまま言った。
「“ネモフィラ”です」
え……。これが、ネモフィラ?あれ、都市?いや、花の話だよね。そうだよね、そういう名前の花あるよね、たしか。大混乱のうちにいる私に、颯真さんが尋ねてきた。
「この花の形、見たことありませんか?」
「あるような気がするんですけど、どこで見たのか…、て、あれ?もしかして」
私は、昨日、飛行機から見えた景色を思い出す。
「わかりましたか。そうです、空中都市・ネモフィラの形と同じなんです」
そうだ。昨日、離陸時に上空から見下ろしたあの都市の形はこんなだったではないか。
「まあ、都市の方は白のネモフィラをモチーフにしているらしいですから、少しわかりにくいですけど」
「え、ネモフィラって白もあるんですか」
「はい。あと、紫もあるそうですよ。色によって花言葉が別にあって、白は『成功』だそうです」
「成功…」
「昔、都市を作りだした科学者の奥さんが好きだった花だそうです。その人は科学者をずっと支えてきたのですが、都市が完成する前に亡くなってしまったそうです。当初は都市は円形の予定だったそうですが、科学者は無理に計画を変更して今の形になったそうです。そうまでしても、自分の『成功』を亡くなった奥さんに届けたかったのかもしれない。と、以前、僕の両親が言っていました」
「ご両親が?」
「ええ、その話をして、今度休みをとったら一緒に地上に本物を見に行こうと。結局、行く機会はなかったですけど」
「颯真さん…」
どうすればいいのかわからなくて、私は繋いでいた颯真さんの手をぎゅっと握った。
「だから、今日、亜実さんとここに来たかったんです」
「私で、よかったんですか」
すでにここに来てしまっているのだし、無意味な質問だ。でも、わかっていても、聞かずにはいられなかった。
「はい。亜実さんと一緒に見たかったんです。ありがとうございます」
ああ、颯真さんは、私の存在をちゃんと認めてくれていて、颯真さんなりの方法でそれを私に伝えてくれているんだ。
自分と同じ感情を颯真さんに求めようとしていた私はなんて浅はかだったんだろう。私が向ける感情と、颯真さんが向けてくれる感情がぴったり一致しないからって、私ばっかりとか私だけってわけじゃないんだ。能力とか気持ちとかが釣り合う釣り合わないとかは問題じゃない。お互い、別々の方法で、互いを必要として、大切に思っている。夫婦ってそれでいいんじゃないか。
ここ最近、いろいろ考えてしまっていたけど、ようやくすっきりした。
晴れ晴れとした気分で私は颯真さんの手を引いて、ネモフィラの絨毯の中の小道に足を踏み入れていく。
「私こそ、連れてきてくれて、一緒に見てくれて、ありがとうございます」
自分の気持ちを素直に言う。
すると、ちょうど風が吹いて、雲に隠れていたはずの太陽が顔を出した。光に照らされ、風に揺れる花は、太陽に向かって手を振っているようだ。ふわりと風になびく髪を片手で抑えながら、私はその様子をただただ眺めていた。
ふと、視線を感じて隣を見ると、颯真さんがこちらを驚いた表情で見ていた。
「どうかしたんですか、颯真さん?」
その言葉に、はっとして颯真さんは視線を逸らし、
「あ、いえ、なんでも」
なんとなく挙動不審だ。大丈夫だろうか。
だが、さすがは颯真さん。取り乱していたのは一瞬。すぐにいつもの調子を取り戻して花を観察していた。
「きれいですね」
「ええ、本当に」
しばらくの間、私たちはその場にとどまり、視界いっぱいに広がるネモフィラに囲まれていた。
やっと、おでかけエピソードが終わりました。2日間の話なのに2ヶ月くらいかかってしまいました、、。お待たせしてしまってすみませんでした!
次回からはネモフィラ(空中都市)に戻ることになります。少しずつ、2人の関係性も変わってきたところですが、ここで、なんと、2人だけだった日常に、新たな登場人物たちが加わってきます!
ぜひ、次回からもよろしくお願いします。