休暇のすすめ
「どこか行きたいところはありますか?」
今、私たちは、颯真さんの休憩をかねてリビングにいる。
最近、私はお菓子作りにまで手を出し、休憩のときにコーヒーのお供として出している。今日は、抹茶のシフォンケーキだ。中には小豆も入っていて、甘さ控えめのホイップクリームを添えている。
颯真さんは意外と甘党らしく、いつもおいしそうに食べてくれる。作り甲斐が!あるというものだ。
そして、シフォンケーキを半分くらい食べたところで颯真さんは唐突に質問をしてきた。
「どうしたんですか、藪から棒に」
面食らってしまった私は何とか質問返しをする。
「実はそろそろ研究休みなんです」
ネモフィラでは、研究を一定期間休み、リフレッシュして、新しい刺激によってより研究に精を出させるという仕組みがある。それは、強制的に休ませる制度であり、すべての研究者に与えられた特権でもある。
そして、その期間は、申請をすれば、地上のいろんな観光地や旅館をお得に旅行することができるのだ。
「例年はどうやって過ごしていたんですか?」
「研究に使うサーバーなどはアクセス制限がかかってしまい、論文なども閲覧できないので、数学の本を片っ端から読んでいました」
「……。それ、休んでいないのでは」
「ここから出るメリットを感じなかったので」
ここまでいくと、筋金入りの研究バカだ。そんなんだからロボットか何かだと思われるんだ、私に。
「それなら、なぜ、今回は行こうと思ったんですか」
私が純粋な疑問を投げかけると、颯真さんは、そわそわと目線を漂わせながら
「その、体調不良になったときはお世話になりましたから何かお礼ができたらと思って。あと、たまには違うこともしてみるのもいいかな、と」
まさか、あの(数学依存症の)颯真さんが!他のことにも目を向けようとするなんて!颯真さんも順調に歩み寄ろうとしてくれているのだろうか。私は嬉しさが込み上げてきた。
「何ですか…」
「変わりましたね」
「おかげさまで」
なにか含みを感じる気がするのは気のせいかな。
「じゃあ、とびきり楽しい計画立てちゃいましょう!」
「そうですね。休暇が終われば忙しくなりそうなので、その前にしっかり休むのもいいかもしれません」
「?」
「実は、今度新しく共同研究をしようかと思っているんです。以前からお誘いは受けていたのですが、あまりメリットを感じなくて。でも、あなたのおかげで少し思いついたことがありまして、共同でやってみようかと」
そのこと言葉を聞き、私でも何かの役に立てているんだ、と何だか胸の奥が温かくなった気がした。
「すごいですね!共同研究ってどんなことするんですか」
「まだ、いろいろ準備もありますし、それは追い追い。とりあえず、目の前のことを決めませんか」
颯真さんはタブレットをテーブルの上に載せ、観光地の画面をいくつか見せてきた。
おお、いつになく前向きだ。
「えー、やっぱり王道に海とか!」
「海、ですか」
颯真さんはいまいちピンときていなさそうな顔をする。
「白い砂浜、青い海!ってよく言うじゃないですか。私も昔、一度だけですが、祖母に連れて行ってもらったことがあるんですけど、すごくきれいな景色が広がっていて、空気もとっても爽やか!颯真さんにもぜひ生で見てみてほしいです!」
私が力説すると、颯真さんはサッとタブレットを操作して、それならこの辺とかですかね、といくつか候補を挙げてくれる。
画面に見入ってしまい、気がつくと、操作をするために身を乗り出していた颯真さんの顔が思いの外近くにあった。
「す、すみません!」
私は慌てて身を引く。心臓がドキドキしている。美形のドアップは心臓に悪すぎた。ある意味、顔面凶器だ。
対して颯真さんは、特に気にもとめず、ここなんかどうですか、などと相変わらず画面を操作している。
なんだか私ばかりが意識させられてばっかりで悔しいが、仕方ないのかもしれない。毎日自分の完璧なご尊顔を拝んでいる人にとって、私の顔ごときが接近しようと何も感じないのだろう。
落ち着こうとするが、まだ頬が熱い気がする。
今までも何度か颯真さんの美のオーラにやられかけたが、なぜだか今日のは少し違うような気がした。何だろう、ドキドキするのと同時に、もっと近づいていたかったような…?って何思ってるの私!
自分の思考のおかしさに一人でわたわたしている間にも、颯真さんは真剣に行き先を検討している。私の思いつきの言葉も尊重していろいろ調べてくれている、なんて優し…、いや、なんでもない。うん。
とりあえず、自分の意味不明な思考回路については一旦考えることを放棄した私は、気を取り直して再び画面を覗き込んだ。
その後、私と颯真さんは、あれこれと案を出しながら、旅の計画を順調に立てていった。