「お前を愛する事はないから、今後一切近づくな」と言われたので、従ったまでですが?
「フリージア。俺はお前を愛する事はない!だから今後一年間、一切俺に近付くな!もちろん白い結婚のまま、離縁が出来る1年の間だけ、俺の妻を演じろ!」
「…はぁ…」
今日はザイン伯爵家当主になったミッチェル様と、彼に嫁いだ元メルト子爵家令嬢である私の結婚式当日。
しかも夜遅くに、一人でザイン伯爵家にある寝室のベッドに座っていた所に、いきなり礼服姿のミッチェル様が登場しまして。
そして、そのままの勢いで「お前を愛する事はない!」とはっきり言われたので、私は首を傾げました。
なにせ、私とミッチェル様の結婚は、紛うことなき政略結婚。
例え双方の間に愛がなくても、経済的かつ政治的な理由で婚姻を結ばなければいけないのが、この政略結婚の本質なのです。
…まぁ、今回の政略結婚の目的は、ザイン伯爵家の持っている借金を、財力があるメルト子爵家が肩代わりする事。そして、ザイン伯爵家が取り扱っている事業を、領地経営等に精通している私が、ザイン伯爵家に嫁いで取り仕切る事。この二つになります。
けれど、本当にミッチェル様はこれでいいのでしょうか?婚姻を結んだとはいえ、余所から嫁いだ私が勝手にザイン伯爵領を管理し、事業運営をしてもいいのでしょうか…?
私はうーんと唸ったあと、ミッチェル様にこう尋ねました。
「あの…ミッチェル様。申し訳ないんですけど、余所者である私が、このザイン伯爵家の全てを取り仕切ってもよいのでしょうか?」
「はぁ!?…ふん!そんなの構いやしないさ。そもそも政略結婚で、お前はこのザイン伯爵家の嫁になったんだ。俺に近付く事以外は好きにしろ」
「…はぁ…。分かりました。ではこれから、私の好き勝手に事業を取り行わせて頂きますね。あと、一応言っておきますが、このザイン伯爵家を潰す事は一切しませんので、そこはご心配なく」
「ふーん…。であれば、せいぜい散財しないでくれよ?お前は男に媚を売る売女な悪女として有名だからな!…はぁ〜、なんでこんな女を俺の嫁にしたんだか…。チッ!」
うわぁ…。当主ともあろうお方が、感情を隠す事もせずに舌打ちですか。
しかも、私は『男に媚を売る売女な悪女』として有名だとは、初耳ですね。
…まぁ確かに私は、大きい胸に切長の目を持ち、口の下にもほくろがあるため、初対面ではよく色っぽいとは言われますけど…。こう見えて、まだ男性と交わりを持った事すらない処女なんですけどね。
けれど、やっぱり『悪女』と言われるのは嫌ですので、この一年でザイン伯爵家の経営もしつつ、証拠集めに勤しむとしますか。
私は、部屋から怒って出て行くミッチェル様を、手を振って見送ってから、ベッドに潜りました。
そして、明日から行う業務と証拠集めについての段取りを考えながら眠りについたのでした。
※※※
それから、日が経つというのはあっという間で、ついに結婚して一年となりました。
私はザイン伯爵家の家令が伝えていた通りに、応接間にあるソファででミッチェル様を待ちます。
すると、可愛らしい令嬢を侍らせたミッチェル様が突然応接間やってきて、高らかに笑いながら、こう言ってきました。
「はっはははははは!!これでフリージアと離縁できる!!お前とは今日でおさらばだ、悪女フリージア!!」
「…はぁ…」
あー、もう全く!当主ともあろうお方が、他の令嬢を侍らせて本当にいいのでしょうか…!
私は短くため息をついて、右手を額に置きます。
すると、私のその様子に気付いたのか、私の幼馴染兼護衛であるジャックが心配そうに私の元へと駆け寄って来ました。
「フリージア様、大丈夫ですか?」
「…ええ。でも、あまり私に近づかない方がいいわよ」
「えっ!?」
私が放った言葉に、ジャックは驚いていましたが、それもそのはず。彼は社交界に一度も出た事がなかったため、私の悪評を知らなかったのです。
だから、無意識に私の側に来たのでしょう。…この行動が、ミッチェル様をつけ上がらせるとも知らずに…。
「…ふっ。あっはっはっはっはー!やっぱりお前は正真正銘、汚い売女だったんだな、フリージア!俺がこの屋敷を開けていた間に、既に男を侍らせ、しかも近くに置いていただなんて!本当に、どんだけ男に貪欲なんだ、フリージア。…あぁ、そうか。服を脱いで、易々と股を開いて、この男を誘惑したのか」
うわぁ…今のミッチェル様、人様には見せられないようなゲスいお顔をしておられますねぇ。
でも、先程言ったミッチェル様の言葉は、全部事実ではなく妄想だという事も知っています。
なにせ、そもそも私はまだ処女ですし、仕事で忙しかったがゆえに、そういう閨事をする時間はありませんでしたので。
けれど、この事を私から言うと「嘘に決まってる」と即座に断言されてしまうのも事実ですし…。
うーん…でもまぁ、大丈夫でしょう。
私の近くで、ゆでダコのように顔を赤くしたジャックが、こう反論してくれましたから。
「ええっ!?ゆ、ゆゆゆゆゆ誘惑っ!?フ、フリージア様がっ!?お、俺をっ!?えっえっ、えええええええ!?い、一応閨の知識はありますけど、ま、まだ本番すら全くしてない童貞ですから俺ぇ!!うひゃあああああああ!!」
「……は!?」
「というか、そもそも俺、決めてるんですよ!フリージア様がザイン伯爵と離縁したら、絶対にフリージア様と結婚して純潔を貰うって!それも込みで1ヶ月前に告白したら、『離縁出来たら検討するわ』って女神様のように微笑んで下さったんですよ!!それがもう、嬉しくて嬉しくて!しかもですよ!?護衛の俺から見ても、フリージア様は優秀で美しくて勤勉で美しくて優しくて!ザイン伯爵領の皆がフリージア様を讃えてるんです!売女だなんてとんでもない!むしろ俺の方こそ番犬のように付け回して、美しいフリージア様に近付く男共を威嚇してますのでっ!」
…あー、はい。これは…言い過ぎではないでしょうか。
またここにも、別の意味で悩みの種が転がってましたね。
今度は大きくため息をついてから、私はジャックの方を睨みました。
「ジャック。そこまで言わなくていいわ。貴方が絡むと余計にこんがらがるから、とりあえずハウス」
「はいっ!」
…ふぅ。なんとか駄犬…ではなく、素晴らしき忠犬を私の斜め後ろに立たせる事が出来ました。
これで、準備は万端。あとはミッチェル様と話し合いをするだけですね。
私は、立ったまま『訳が分からない』という顔をしているミッチェル様に微笑み、手のひらを向けて、向かいのソファに座るよう促しました。
「ミッチェル様。立ったまま話すのは疲れるでしょうから、とりあえずお座り下さい。円満に離縁をするためには、手続きが必要ですし、離縁書には貴方のサインも必要ですので」
「はっ!ご丁寧なこった!だが、俺のサインが必要だというのなら、お前が代わりに俺の筆跡を真似て書けばいいんじゃないのか?」
「…はぁ…。そもそも私、ミッチェル様の筆跡は存じませんが…。それに自分は、とことん模写が苦手な質でもありますので、例え私が貴方の筆跡を知っていても、そういう事は致しかねます」
「…ふん!こういう時こそ、男任せってことか。本当に売女らしいな」
「あら、そうですか?であれば、ミッチェル様にくっついているマイアミさんが、代わりにミッチェル様の筆跡を真似して書けばいいのでは?」
「なっ!?」
どうやら、まだ不倫相手を紹介していないというのに、彼女の名前を私が知っている事に、ミッチェル様は驚いているようです。まぁ、最初から知らないはずはないでしょう。
私は不敵に笑いながら、後ろに立っているジャックにこう指示しました。
「ジャック。記入途中の離縁書類と、とある証拠が入った袋を持ってきて頂戴?」
「分かりました!」
そう言って元気に返事をしたジャックは、歩いて応接間の隅に置かれていた大きな棚に向かい、そこの引き出しから分厚い茶封筒を取り出して、すぐに私に渡しました。
そして、私が茶封筒の中から束になったあるものを取り出してテーブルの上に置いた途端、突如ミッチェル様が顔を青ざめさせて、口をパクパクと動かし始めました。
「…あら?この写真達に見覚えがあるんですね、ミッチェル様。…ふふっ、まぁ無理もありません。これは、貴方とマイアミさんが不倫をしている現場を撮ったものです。しかも、私がミッチェル様と結婚した次の日から撮ったものなのですよ。どうでしょう?綺麗に撮れているでしょう?」
「…なっ…なっ!き、貴様っ!しかも、結構近くで撮られているものばかりじゃないか!も、もしや…これは貴様が撮ったのか!?あれほど『俺に近付くな』と、結婚初夜から言っていたというのに!」
「まあ!ちゃんと覚えていらしたのですね!でも…」
私は喜ぶような仕草をしてから、少し考えるフリをします。そして、すぐにミッチェル様をまっすぐ見据えてから、こう口を開きました。
「ミッチェル様は、今まで本当に私を見かけた事はありますか?」
「!?」
ふふっ。目を大きく見開いて、ミッチェル様は本当に驚いているようですねぇ。
でも、彼は思い込みの激しい、虚妄癖のあるお人。きっと「フリージアを見かけた!」と声を張り上げる事でしょう。
…まぁ、その発言を止める証拠もありますけどね。
私はまた、分厚い茶封筒から、とある書類を出してテーブルの上に置きました。
「言っておきますが、私は結婚式当日と今日を除いて、一切ミッチェル様にお会いした事ありませんよ?なにせ、貴方が入り浸っている裏カジノの入退室表を見れば分かりますので。…あぁ。言っておきますが、この入退室表は、一週間前にジャックにお願いして取りに行かせたものですので、勘違いなされぬよう」
「ななっ!なんで裏カジノに行ってる事まで知ってるんだ、フリージア!」
とっても驚きすぎて、とうとうミッチェル様は震える指で私を指しながら、上擦った声を出しました。
その様は、あまりにも滑稽…いえ、無様…も違いますか。とにかく、予想通りの憐れな様子を曝け出したミッチェル様を見据えたあと、私は茶封筒から別の書類を取り出しました。
「それは当然、隅から隅まで調べたのですよ。ちなみに、こちらが証拠を集めて書き記した書類です」
「は!?こ…こんなものまで用意してたのか!?」
「はい。あと、私がミッチェル様と婚姻を結ぶ三日前、お義父様はこのザイン伯爵家の応接間に私とお父様を呼び、『我がザイン伯爵領が金銭的に経営難に陥ったがゆえに、メルト子爵とフリージアには多大なる迷惑をかけてしまった…。私の不注意だ』と仰って下さいました。しかし、それは真っ赤な嘘。実は『ギャンブルと女遊びが激しいミッチェル様の借金を肩代わりして欲しい』というのが、お義父様の真意だったのです。なにせ、ザイン伯爵領はとても治安が良く、一万人の領民から頂く税収もそれほど低い訳でもなかったのですから。しかも、この領では王室御用達の絹糸『銀の繭』のシェアを八割独占しております。光に当てると七色に輝いて美しい『銀の繭』で作られたドレスやジャケットは、それはもう太陽に照らされた満月のように魅力的なのですよ。その『銀の繭』を大々的に宣伝し、いつもよりも少し安く値段を設定すれば、顧客が増えて売り上げが上がるのは必定のこと。ちなみに、ザイン伯爵領が抱えていた結婚前の借金は、結婚してから三ヶ月で返済しました」
「さ、三ヶ月で!?えっ、ええ〜…。す、すごいな…『銀の繭』とやらは。だが、大々的に宣伝すると言っていたが、やはり商人を誘惑したのか?」
「えっ!?私が、女性商人のアミルさんを誘惑、ですか!?んもぅ、ミッチェル様ったら。このままでは、女性同士の恋愛が始まっちゃいますよ?うふふっ」
「…へ?女性、商人…?」
あらまぁ。ミッチェル様が、今度は口をパクパクさせながら、間抜けな面を浮かべていますね。
ええ。これも当然、読み通りです。
ミッチェル様が私を『売女』だと言うのなら、離縁の際にまたそうやって罵られないよう、『銀の繭』を提供するお得意様を全員女性にするのが、常識だと思うのですが…。
やはり、ミッチェル様はおつむが弱いご様子。これでは離縁した際に、このザイン伯爵領を任せる事は出来ませんね。
表では軽く笑いつつ、心の中では呆れるようにミッチェル様を見ていると、ふと応接間の扉がガチャリと開いて、誰かが入ってきました。
あら?どうやら、やってきたのは前ザイン伯爵であるお義父様のようです。
お義父様は、私以外の令嬢を侍らせているミッチェル様を見るなり、大きくため息をつきました。
「…はあぁ〜。やっぱり、フリージアの言った通りだったか。フリージアよ、我が愚息が不貞を働いて本当に申し訳ない…」
「いえいえ。謝らないで下さい、お義父様。そもそもミッチェル様が裏カジノなどにハマらず、借金をせずに、真面目に領地経営をしていれば良かった話ですので。そしたら、私と政略結婚なんかせず、婚姻前から交際していたマイアミさんと恋愛結婚出来たはずですよ?」
「なっ!?なぜその事を言わなかった、ミッチェル!」
私が提示した情報に驚いたお義父様は、驚きのあまり、ミッチェル様につっかかります。
そして、その気迫さに押され、ミッチェル様は目を白黒させながらこう言いました。
「えっ!だ、だってマイアミを父上に紹介したら、絶対反対するじゃないですか!マイアミは貧乏な男爵令嬢なんですよ!?借金を返済するお金も持ち合わせてない男爵家との婚姻は、認めてくれないと思って…」
「あら。確かにそうですわね。でも、男爵家の人間ではあるものの、マイアミさんは令嬢ではありませんよ?…ねぇ、マイラ」
私は不敵な笑みを浮かべて、マイアミさんを…いえ、ジャックの弟であるマイラを見ました。
すると、今まで黙っていたマイラは、ミッチェル様から離れて、低い声を出しながらため息をつきました。
「はああぁ〜…。やっぱり気付いてたんだね、フリージア姉様。あと、わざと悪評も流してごめんなさい。フリージア姉様を『売女』にしたら、彼女が処女だと知ってる兄様しか貰い手がいない状況になるかなって思ったんだけど…。噂で『メルト子爵家の娘とザイン伯爵家の令息が政略結婚する』って聞いて居てもたっても居られず…。ほら、貴族令嬢は結婚するまで処女でいる事が大事だよね。だから、裏カジノに入り浸ってるミッチェルに近づいて、彼のフリージア姉様への評価をわざと落としたんだ。ミッチェルにフリージア姉様の処女を奪わせる訳には行かなかったから」
「なっなっ…なああああああ!?」
まさか、侍らせている令嬢が、男爵令息とは思わなかったのでしょう。ミッチェル様は雄叫びを上げながら膝をつき、四つん這いのまま涙を流しました。
…まぁ、ミッチェル様がマイラを令嬢と間違えるのも無理はないですからねぇ。
母親譲りの大きい目と可愛らしい顔に、女性の私と大差ない身長(実は成長途中)を持つ、服飾デザイナー志望の成人男性が、お気に入りの自作ドレスを着てミッチェル様に会いに行ったのですから。
もちろん、マイラが裏カジノに行った記録もありましたが、一切賭けることなくミッチェル様にくっついていたのも、証拠としてちゃんとありますのでね。
ただ…私の悪い噂を流してミッチェル様と不貞を働いたのは説教ものですが、とりあえずマイラのおかげでミッチェル様の有責で事を進められそうです。
私は、視界の端にミッチェル様を捉えながら、茶封筒から離縁書と慰謝料に関する書類を取り出し、お義父様に手渡しました。
「お義父様。こちらが、私とミッチェル様が離縁するための離縁書と、慰謝料に関する書類です。明らかにミッチェル様有責での離縁となりますので、私はここで慰謝料を請求したいと思います」
「なっ!だ、だが…慰謝料と言われても、ザイン伯爵領の財政は、フリージアのおかげで持ち直したようなものだ。だから、君がいなくなればまた財政難に逆戻りする事に…。そ、そしたら、この領はどうなるんだ!?」
「ふふっ。ええ、お義父様ならそう言うと思いました。でも、安心して下さいませ。実は私、このザイン伯爵領が大好きなのです!領民もとても優しく、『銀の繭』の生産販売も、ザイン伯爵領の領地経営も本当に楽しくって…。ですので、お義父様。この慰謝料に関する書類を最後まで読んでから、貴方の目で最終的な判断をして下さいませ」
そう言って、渡した慰謝料に関する書類をお義父様に渡すと、彼はその書類を最後まで読み進めました。
そして、お義父様は安堵したように笑ってから、私の方に顔を向けました。
「うむ。この書類には『ミッチェルをザイン伯爵家から勘当し、ミッチェルを貴族籍から外すなら、慰謝料は請求しない』と書かれてあるな。そして『フリージアを私の養子にすれば、ザイン伯爵領は今後も安定した収入と、領民および国民からの半永続的な信頼を得る事も保証する』と…。ふむ、いいだろう。元々、ミッチェルを甘やかしすぎたのは、私の落ち度だ。だから、ケジメとして、ミッチェルにはこの家をすぐに出て貰う。これからは平民として生きてくれ、ミッチェル」
「…は?ち、父上…?ど、どうして…」
「誰の差し金で裏カジノにハマったのかは知らんが、我がザイン伯爵家の財産を食い潰す悪虫は排除せねばな。…だが、このままのたれ死んでしまっては、お前を産んですぐに亡くなった妻に顔向けできない。…フリージアよ。こんな愚息に甘い私は、父親失格か?」
お義父様は眉根を下げて、悲しそうな顔をしながら、私にこう問いかけました。
しかし、慰謝料に関する書類の内容を読んで、ミッチェル様を勘当する決心をしたお義父様は、私にとっては素晴らしい父親だと思っております。
なので、私は首を横に振ってニッコリと笑いました。
「いいえ、お義父様。甘い父親であれば、このような条件を呑むこともせずに、未練タラタラなまま息子を擁護しようとするでしょう。ですが、貴方はすぐにミッチェル様を勘当する決心をしたのです。それだけでも素晴らしいと思います。ですので、お義父様の不安を鑑みて、ミッチェル様が路頭に迷わないよう、勝手ながらミッチェル様の働き口を私の方で事前に決めさせて頂きました」
「ほう。まぁ、私はもう伯爵ではない身。フリージアが勝手に決めても文句は言わんよ。それで、ミッチェルの働き口はどこだ?」
「ええ。この国の西の方にある金山の採掘場です。ガッポリ稼げて、勉学と経営の手腕があれば、早い出世も見込める素晴らしい職場です。しかも、住み込みですし、食事も必ず出ますので、飢える事はありません」
「えっ!?ま、待ってくれフリージア!あ、あの金山って、もしや呪いの…」
おっと、ここでメソメソ泣いていたミッチェル様が、急にガバッと顔を上げて私を見ました。
目が赤く腫れて、顔も不細工になっていたので、つい笑いそうになりましたが、私は顔を引き締めてこう言葉を続けました。
「ええ。あの金山はお金を大量に稼げる代わりに、鉱毒が酷い場所でもあります。上手い話にはリスクが付きもの。ミッチェル様がこの一年間裏カジノで負った借金は、この鉱山で働くと約一年で返す事が出来ますわ。…ただ、鉱毒を浴びる量を少なくしたいのであれば、あの鉱山で責任者になる他ありません。実際に、半年前にあの金山で鉱毒の測定値を測った事があるのですが、責任者になると、鉱山で金を掘る人より九割ほど鉱毒を浴びる量が少ないという結果が出ました」
「は!?フリージアよ、実際にあの金山に足を運んだのか!?」
「ええ、お義父様。結局、鉱毒は浴びずに帰ってこれましたけどね」
私のこの意味深な発言に、ミッチェル様とお義父様は首を傾げ、マイアは当然と言わんばかりに首を縦に振っています。そして、ジャックは私の後ろで「そんな事言ったら、前ザイン伯爵に心配されるでしょう!?」と小声で呟きながら、大きなため息をつきました。
ええ、この反応も予想通りです。なにせ、私の本当の能力をザイン伯爵家の皆さんは知らないのですから。
さて、これでお義父様の懸念していた事は、私を養子にする事以外全てクリアしました。あとは、離縁書をミッチェル様に書いて頂いて、提出するのみですね。
「では、ミッチェル様の働き口の件については、ここまでと致しまして、早速離縁の手続きをしましょう。もう既に私は離縁書を記入済みですので、あとはミッチェル様のサインを残すのみですわ」
「…え…?ほ、本当に離縁するのか?」
ここでふと、離縁を忘れていたであろうミッチェル様が、間抜けな声を出しました。
あんなに結婚初夜から「一年後に離縁する」と豪語しておいて、ここにやって来た時も言っておいて、忘れるとは、都合のいいおつむを持った方です事。
そんな方はこちらから願い下げですので、私は四つん這いのままになっているミッチェル様に向かって、満面の笑みでこう伝えました。
「離縁する事は、貴方が最初から言ったのですよ、ミッチェル様。そして、一切近づく事を禁じたのも貴方です。私は貴方の言葉に忠実に従ったまでですよ?さあ、離縁しましょう、元旦那様?」
「ぐっ、ぐうぅ…!」
こうして、私はミッチェル様に離縁書を書かせ、無事に離縁をする事が出来ました。
そして、お義父様はというと、シクシク泣いているミッチェル様を応接間から放り出して「二度と敷居は跨ぐな!」と叱責したあと、ザイン伯爵家の家令に「この離縁書を神官に渡してくれ」と伝えました。
ふふっ、これで一件落着ですね!…と言いたい所ですが、どうやらお義父様は応接間の中に戻るなり、「ん?フリージアはどこだ?」と辺りをキョロキョロ見渡し始めました。
…あらあら。私はまだ応接間にいますよ、お義父様。
しかも、ジャックもマイラも知らぬ存ぜずで首を横に振るばかりですしね。ふふっ。
さて、しばらくはこの間抜けで面白い未来のお父様を、彼から見えない状態で観察しちゃいましょうか。
そう思って、私は手を口に当てて、クスクスと笑ったのでした。
※※※
ミッチェルさんと離縁して、あれから半年が経ちました。
私は無事に、前ザイン伯爵家の養子として、そしてザイン伯爵家の女当主として、今日も領地経営に励む日々を送っております。
ちなみに元夫のミッチェルさんはというと、働き口である金山で、金を掘る少数チームのリーダーにはなれたそうですが、鉱毒に悩まされて体調を崩す事も多くなったそうです。
出世のために頑張っているのはいい事なのですが、このままだと、降格されるのも時間の問題かもしれませんね。
そしてマイラはというと、ミッチェルさんと不貞を働いたという事で、罰として趣味の裁縫をする事を一時的に禁じたそうです。
可哀想ではありますが、マイラが次期男爵になるためには、裁縫の時間を削って勉強するしかないのです。
「…あんなにデザイナーになりたいと言っていたのに、マイラってば本当に自業自得ね。けれど、最近銀の繭の生産も益々伸びてるし、将来は銀の繭を使った布で男爵になったマイラにドレスを作って貰いたいから、これでいいのかも…。あっ、やばい!見つかっちゃうわ!」
私はザイン伯爵家の屋敷の庭で、今日も誰にも気付かれないよう、声を顰めて、使用人達の目から逃れていました。
あぁ…しきりに遠くから「フリージア様ー!」「どこにいらっしゃいますかー!」と私を探す声が聞こえて来ますね。
もう仕事は八割終わったんですから、ここで仕事を忘れて、一人のんびりしても…
「フリージア、みーつけたっ!」
「うぎゃあああああああ!!」
突然聞き慣れた声を持つ人物に後ろから抱きつかれて、私は出した事もない声で絶叫しました。
「ふはっ!もー、そんなに驚かないでよ、フリージア。そもそも、透明人間になられたら、誰だって焦るし探すし、泣いちゃうよ?だから、『ここだよー』って示すために、こういう行動を起こしたんだけど、ダメだった?」
「うぅ…。だ、ダメじゃないけど、驚かさないでよバカ犬!ジャックのせいで、使用人に気付かれちゃったじゃない!」
「あははっ。ごめんね?」
そう言って、ジャックは嬉しそうに笑って、私の唇に軽いキスをしました。
突然キスをされた事に驚き、私は顔を真っ赤に染めます。それを見て、ジャックはまたも蕩けるような笑顔を向けてきました。
「やっぱり、フリージアはウブで可愛いなぁ…。君と結婚出来てよかった」
「っ!…ああもう!私もよ、ジャック!ザイン伯爵家に婿に来てくれて感謝するわ」
「うん。けれど…まだミッチェルと君が夫婦だった頃、君が透明人間のままミッチェルに近付いたり、透明人間のまま金山に向かっていくのを見るの、本当にヒヤヒヤしたんだからね」
「ふふっ。それはごめんなさい、ジャック。証拠集めとはいえ、悪気はなかったのよ」
私は、目の前で冷や汗をかいているジャックに手を伸ばして、彼の頭を優しく撫でました。
そう。もうお気付きかと思うのですが、本当は私、ミッチェルさんに近付いて、音が出ない最新式のカメラで何枚も不貞の証拠を撮っていたのです。
…でも、あの時は透明人間のままでしたし、透明人間になった私を見つけられるのは、ジャックやマイラ、そして私の両親ぐらいなものなので、別にこれぐらい許してくれますよね?
「でもね、フリージア。君が透明人間だったからこそ、こうして証拠を集めてミッチェル有責で離縁出来たんだし、良かったって思ってるよ。だから、俺はミッチェルのようになんか絶対ならずに、死ぬまでずっと君を愛するし、沢山近付いて触るから。だから、フリージアも俺をずっと好きでいてね」
「ええ!私もずっとずっと、死ぬまで愛するわ、ジャック」
そうして私とジャックは、使用人の一人が「フリージア様、見つけました!」と言って向かって来るまで、ずっと抱きしめあっていたのでした。
(完)
最後までお読み頂きありがとうございました!
ちなみに、フリージアは持っていたカメラも一緒に透明に出来ますし、透明人間ゆえに、鉱毒も浴びずにいないものとして扱われます。
まさにチートスキル!
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