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甲賀学苑古武士道部  作者: 悠鬼由宇
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第八章

 全ては、一瞬であった。


 カンカンカン バキッ

 かな、澪、雫の木刀は宙に舞い、三次の打ち下ろした木刀は真っ二つにへし折れた。


 柴田の声は喉から発せられることはなく、逆に胃の腑に逆流していく。


 一体、何が?

 周りを囲っていた部員は我が目を疑っている。

 当の本人であるかなは口をポカンと開け、目を見開いている。

 澪と雫は己の両手を眺め、今何が起きたのか必死に思い出している。

 三次は折れた木刀を凝視し、口を半開きにし首を小さく横に振っている。

「おい忠助。もっとマシなのはおらぬのか?」

 紅葉のゆったりとした声が修行場に流れ、やがて湿った地面に吸い込まれていく。

 遥が忠太の脇に近寄り、

「やっちゃいました、ね」

「ああ… 割と、最悪な状況だ…」

「サウスポー、完全にマスターしていますね…」

「ああ、ったく困ったやつだ」

「ど、どうするんです? この後…」

「俺が知りてえよ…」

 紅葉は部員達をギラリと睨み、

「次。」

 槍役の真央が、ギラギラに眼差しでスッと立ち上がる。


 その後、『甲賀三本槍』は秒で『甲賀さんぼんやり』と化す。

「次。」

 弓役『魔弾の射手』の大久保充、小泉浄蓮が

「五間練、いいよな」

 五間練とは、約九メートル離れた位置から弓を相手に射、相手は武器や身体の動きでその矢を防ぐ修行である。

「構わぬぞ、来い」

 結果は二人が十矢ずつ射るも、全て弾かれ躱わされ。

「まだまだの射手じゃ。ホンマにヘボいの」

 二人は呆然とし、ガックリと首を項垂れる。

 真央が忠太に近づき、

「一体… 何者じゃ、化け物か?」

 忠太はシレッと、

「あのクソ坊主が手塩にかけて育てたんだろ」

 槍役の大原は唖然としつつ、

「じゃっどん、あげん子寺におったか? 前、寺に遊び行た時、見ちょっ覚えんのじゃけど」

「この春に記憶が戻るまで、引きこもりだったからな。奥の部屋に隠れてたんだわ」

 同、佐原は愕然としながら、

「そうやったんか。それにしてもあん動き、人間離れしちょるぞ、てげ同じ中学生には思えない…」

 佐原の肩を叩きながら、

「ガキの頃から志徳寺の山を駆け回ってたらしいぞ、昔の忍者みてえに」

 佐原は半分泣き顔で、成る程と頷く。

 真央がまだ痺れている両手の掌を眺めながら、

「ちゅーた、勝てるぞ、伊賀の百地なんて目じゃねぇ、近畿大会優勝間違いないでぇ!」

 と叫ぶ。

 おおおおおおおおお!

 全部員が唸り声を上げる。


「阿呆言うてんやないで、われら」

 紅葉が浮かれている部員達に鋭い視線を向け、言い放つ。


 拍子抜け、とはこの事であった。

 滋賀県大会をスタンドで見ていた時からコイツらどうか、と思っていたが。

 あれから殆ど練習していない左構えで対峙したのだが。

 彼らの動きはノロマどころでなく、正直止まって見えた、刀も槍も。弓に至っては、夜に飛び交う蛍よりも遥かに緩やかに見え、なんなら全矢を素手で捕まえるのも容易であった。

 遅い。遅すぎる。

 それよりなにより。彼らには闘争心のかけらも窺えず、刀、槍、弓を持つに値しないレベルである。

 戦場で最も大事なのは、技や身体のキレではない。心構えである。言い換えれば気迫、であろうか。

 一人でも多くの敵を削り倒す。自分と味方を守り抜く。そう言った『気迫』が彼らには一分(約9グラム)も感じられない。

 こんな奴らと刀を振り回す気には到底なれず。


「だぁれが入部する言うた? こんな腑抜けた古武士道、願い下げや。ほなさいなら」

 そう吐き捨てて、紅葉はスタスタと修行場を出て行ってしまう。


「こ、これは想定外かと…」

 遥は愕然としながら忠太に呟く。

「そうだな… こう、来たか…」

 部員は皆全身の力が抜け、紅葉の後ろ姿を呆然と見送っている。


 そんな中。

 二年生の弓役。望月一宇が何も言わずに浄蓮の弓をひったくり、後ろ姿の紅葉目掛けて渾身の一矢を放つ。

 余りの一瞬の出来事に部員達は物も言えず一宇の矢が紅葉の背中に突き当たるのを眺めー

 いや。

 まさに当たらんとする矢を、なんと紅葉は素手で掴まえる。

 その紅葉目掛けて一宇が木刀で襲いかかる。その一連の動作が余りに速く、一部の部員以外は何が起きているのか認識するのも困難である。

 袈裟斬りに振り下ろす木刀を余裕で躱し、紅葉は一宇の足に蹴りを入れる。一宇は宙を飛びそれを躱し、右手一本で木刀を紅葉の側頭に叩きつける。

 紅葉が余裕の動作で首を逸らすと木刀は空を斬る。同時に紅葉の右足が一宇の顎を狙い蹴上げるも、後方に飛び去り一宇はそれを避ける。

「ほう。これは中々。さあ、殺す気で来い」

 紅葉はニヤリと笑い、未だかつて見たことのない形相で一宇に対峙する。その迫力はこの世の人間とは思えぬ圧倒的なオーラを放っており、一宇は以後身動きが取れなくなり。

「動けぬか、ならばこちらから行くぞっ」

 と言った刹那、一宇は後方に宙を舞っていた。紅葉は上段蹴りの残心をとっている…

 ドサリ

 一宇は大の字に倒れ、ピクリとも動かない。

 部員は誰一人物も言えず、一言も口から出せず。

 数秒後、柴田は慌てて一宇の元に駆け寄った。


 救急車の中から柴田は前田りえに電話をかけ、状況を伝える。りえは後のことは引き受けたから、容態を逐一連絡しろと言った。

 柴田は白目を剥いている一宇を見下ろし、それから目を閉じてみる。

 ……

 どう考えても、紅葉の動きは脳に保存されていない。あるのは一宇がまるでアニメのやられ役の様に宙をとんで地面に叩き付けられていた映像だけだ。紅葉の攻撃は全く画像に映っていなかった。

『うち、古武士道の達人なんや、なーんちって、てへぺろ』

 冗談ではない。達人、どころではない。もっと言えば、人の所業では、ない。

 それ以前の刀役達や槍役との乱取りも、まるで異次元の強さであった。あの近距離から一本も弓矢が当たらない? 柴田は思わず笑ってしまったものだった。

 そして一宇への攻撃。

 途中までは中々善戦したと思う。だがあの目に見えない蹴り上げ…

 柴田は全身の鳥肌が収まらない。手先の震えも止まらない。

「フゥーーーー」

 一宇がゆっくりと目を開く。

「望月っ 大丈夫か? 今、病院向かっとるで!」

 一宇は柴田をぼんやりと眺めながら、

「マロン、散歩連れてったろな」

 そう呟いて口角を上げ、また意識を失った。

 柴田は思わずヒッと叫んでしまった。


 検査の結果、軽い脳震盪であり、今日一日安静にすれば明日から運動に支障ない、と診断を受け柴田は心からホッとする。

 前田にその旨を伝えると、六時過ぎに車で迎えに行くからそれまで待っていろと返信が来る。

「せんせ、迷惑かけてすんません」

 しっかりと意識の戻っている一宇が本当に済まなさそうに言うので、

「アホ。これが顧問の仕事や。なんも気にせんでええ。それより、身体大丈夫か?」

「ええ、顎がごっつう痛いですけど、あとは特に」

 柴田は頷き、

「今夜は飯よう食えんかもな、親御さんにお粥でも作ってもらうとええよ」

 はあ、と一宇が頷き、

「それにしても、あの人、何者ですか? 伴先輩の寺の人だって聞きましたが」

「なんでも子供の頃に怪我で記憶喪失になって、ずっと志徳寺におったそうや。きっとお寺の坊さんに仕込まれたんちゃうか」

 一宇はうーむと唸り、

「なんか、そーゆーんじゃない気がする。俺らとは全く別の次元の人、な気がする。知らんけど。ま、あの人から見たら、俺らなんて雑魚どころじゃないんやろな、クソっ」

 あれ? 悔しがっている?

「当然ですわ。あれだけチンチンにされたの、生まれて初めてですわ。俺、小三くらいから大人にも負けたことないんで。この学校入って、伴先輩とはいい勝負やな、とは思ってますが。でも、あの人はそんなレベルやない。全く異次元の動きと強さや。ああー、またやってみてぇ、一本でいいから決めてみてぇー」

 柴田はゴクリと唾を飲み込む。あれだけの目にあったと言うのに、こいつは…

 心のケアは大丈夫そうや、と思いながら、

「そう言えば望月、犬飼っとるんやね、マロンちゃん言う。何犬や?」

 一宇はキョトンとして、

「去年死んだ犬ですけど。何か?」

 …お前、三途の川、渡りかけてたんじゃ?


     *     *     *     *     *     *


「はい、はい。そーすか、はい。はい、そんじゃ、あとあの事は、そーゆー事で。はぁい、あざーっした」

 忠太がスマホを切ると、ホッとした声で、

「一宇、軽い脳震盪で明日から部活おけだって。」

 遥は呆れ顔で、

「あの人、意外に猪突猛進タイプなんですね。お姉ちゃんに突っかかって行くなんて。身の程知らずもいい所だわ」

 紅葉はかっかっかっと笑いながら、

「それでもあの中では一番マシじゃな。甲賀の郷の衆の中では一番雑魚やけど」

「心折れちゃってないかしら?」

「大丈夫らしい。またコイツとヤリたいってさ」

 忠太が紅葉に視線を向けるも、

「もーえーわ。古武士道は終いじゃ。他にオモロそうな部活、探そうかのぉ」

 案外、それが一番良いのかも知れない。それならば紅葉も学苑生活を満喫出来るし、全国に知られることもなく、謎の組織に狙われることもなく…

 はあーーーー

 忠太は大きく息を吐く。

 一応シバセンには伝えといたけど。近畿大会、勝てっかなぁ…

 遥も小さく溜め息をつく。


 夕食後。

 恒例の山間走駆。未だに遥は『二重息吹の術』が体得出来ず、忠太、紅葉に遥かに遅れて深夜の山をヨタヨタ駆けている。

 だが足取りは確かなものとなり、木の根や置き石に躓くことは皆無、遅いながらも着実に前に進めるようにはなっている。

「やはり伊賀者には甲賀の術は無理かのぉ、無体無体」

「いや、地域関係ないだろ」

「おいチビハル。伊賀にも似たような術があろう、母者にでも尋ねると良い」

「いや…です…」

「意外に頑固だよなお前。ま、そのうち突然出来るようになるかもしんねえから、頑張れ」

「お兄ちゃん…今…ちょっとこいつめんどくさい、って…思ったでしょ?」

「ウザ… よし紅葉、もう一駆けするか」

「おぅよ!」

 二人は遥の目の前から消え去る。

 今に、見ていろ!

 遥の目の色が変わって行く。


 翌日、教室に紅葉が入ると真央が仁王立ちしており。

「山中。今日はアタシと勝負じゃ、ええの?」

 紅葉は呆れ顔で、

「やめとき。死ぬよ」

 長野琴美がヒッと呻く。

「なんじゃわれ、逃げるんか?」

「うち、ばれいぼうるやってみたいんや。はいきゅーや、はいきゅー」

 真央は顔を真っ赤にし、

「それならウチとやり合うてから入れ。」

「面倒くさいのお、秒で片したるわ」

 放課後、紅葉はそれを有言実行する。

 但し、忠太に昨夜こっぴどく叱られたので、頭を強打しないような戦術を行使し、真央は修行場に大の字に伸びる。

「ほな行くで、ばれいぼうる部に」

 すると一宇が紅葉の前に進み出て、身構える。

「おま… しつこい奴じゃのぉ、」

 そしてまたもや秒で一宇を片付け、

「ほなサイなら、体育館はあっちやっけ?」

 と言って去って行く。


 更に翌日、土曜日。

 紅葉が教室に入ると、

「山中。今日も尋常に勝負じゃ。覚悟せい」

 と真央がイキリ立つ。

 紅葉は、

「うち、卓球部に入るんや。そんな暇ないわ」

 昨日あれからバレーボール部に体験入部したものの。安土桃山時代の近江の国にゴム製のボールなぞ無い、初めてゴムボールを扱った紅葉はレシーブもトスもアタックもてんで出来ず、半日でウチには向いてないと入部を諦めたのだ。

「それならウチとやり合うてから行くと良い。ええな?」

「嫌じゃ。お前、弱いにも程がある、付き合っていられんわ」

 真央は腰から頭を下げ紅葉を睨みつつ、

「頼む、武士の情けじゃ」

 武士の、情け。

 忠太は一瞬ヒヤッとする。紅葉は深く目を瞑り、しばし考える。

 それでは、仕方あるまい。

 午前中で授業は終わり、昼食前。

 今日も秒で白目を剥き大の字に伸びる真央。

 そして一宇が立ち塞がり、それを秒で片し。

「ほな学食でまっずーい昼飯食うか、おい忠助、チビハル、行くで」

 何となくこれが甲賀学苑古武士道部の日課になって行く。


 月曜日、朝、教室。

「山中。今日は勝負じゃ、ええの!」

 紅葉は不貞腐れながら、

「ウチにはあんなてーぶるで向かい合うせせこましい球技は向いとらん。やはりばすけっとぼーるが向いとるんやないか?」

「バスケ部の部長紹介しちゃる、じゃげぇ放課後―」

 秒で白目を剥き、一宇もその横にて白目で倒れる。

 翌朝。

「山中、今日こそ勝負じゃ、負けんぞコラ!」

 紅葉は凹みながら、

「球が言うことを聞かへん。規則もややこしゅうて分からん、なんじゃだぶるどりぶるとは? やはりウチにはそふとぼうるしかあらへん。きっと天職や」

「ソフト部ならグランドは隣じゃ、放課後待ってんぞ!」

 今日は二秒で白目を剥く。

「ほう。すこぉしは進歩したかの」

 一宇も三秒もった。

「ほぉほぉ。まあ精々精進するんやね、かっかっか」

 隣のグランドに去ろうとする紅葉に、二年生の三次が堪らず声をかける。

「山中先輩、教えてください、俺たちの何がダメなんすか!」

 紅葉はゆっくりと振り返り、三次を見下す。

「鈍い。愚鈍過ぎるわ。おい小僧、良い刀じゃの、刀を振ってみせよ」

 三次は刀を抜き、数回振ってみせる。

「貸せ。むむっ この刀、どこまでも滑らかで刃紋の美しきこと… ハッ」

 三次は呆然と紅葉の素振りを眺めている、まるで三次の愛刀が生きているが如くしなやかに動いているではないか、それも目にも止まらぬ速さで…

「ふぅむ。これ程の名刀、うつけの目に入れば目玉を飛び出して喜ぶだろうに、かっかっか」

 うつけ? 三次は首を傾げながら刀を受け取る。

「お前の素振り。今の三倍速にせよ。ちなみにうちの振りはお前の五倍速じゃがの」

 三倍の速さ…

 かっかっか、と笑って去って行く紅葉の背中を見ながら、早速三次は素振りを繰り返してみる。


 翌朝、教室。

「山中、話がある」

 紅葉は凹みながら、

「遅緩遅緩 あないなのろい球、かえって当たらんて… それに守備の時に暇すぎや。何がおもろいのやあの競技は… 結局ウチにはー」

 突如、真央が紅葉の目の前に土下座をする、教室がどよめき、やがてシンと静まり。

「頼むっ 大会が三日後なんじゃ。ウチらは断じて負けられんのじゃ!」

 長野琴美がゴクリと唾を飲み込む。その音が教室に響く。

「それまでの間、ウチを鍛え抜いてはもらえないじゃろか? 頼む、武士の情けじゃ!」

 忠太はまたまたヒヤッとする、一体この女、武士の情けなんて言葉…

 紅葉は大きな目をカッと見開き、

「よくぞ申した! その心意気や良し。放課後、確かに相手しようぞ!」

 おおおおおおー

 なんだかよく分からんけど、教室は盛り上がる。

 琴美は小さくガッツポーズをする。


「まず。刀、槍。強く握り過ぎじゃ。もそっと、柔らかく持ち、振る瞬間突く瞬間に渾身の力で握るのじゃ、やってみよ」

 もはや誰も紅葉の武家言葉なぞ気にしない、一心不乱に紅葉のアドバイスに聞き入り、実行している。

「丹田に力を込めておるものは、忠助と遥のみじゃな。知っておろう、丹田。おい一宇、丹田はどこぞ?」

 一宇が臍の下あたりを摩る。

「そこに気を集中させよ。始めっ 集中じゃ、気を集めるのじゃ、全身の力を臍の下に集めるいめえじじゃ、ううむ、違う違う。いいか、こうじゃ!」

 紅葉が一瞬で丹田に気を集める、部員達は紅葉に薄っすらとオーラがかかっている様に思え、思わず唸り声を上げる。


 ぷぅーーー


 紅葉が潔く放屁する。皆は思わずズッコケる。

「丹田に気が集まれば、余計ながすが放出されるのじゃ。ささ、お前らもやって見せよ!」

 試しに柴田も臍の下に力を込めてみる。ふぅうううううんっ

 プーーーーーーーーーー

 皆が一斉に柴田を見て、口をアングリと開ける。

「ほぉ。柴田先生、流石、師じゃの。お前ら、師を見習え。それっ 力を込めぬか!」

 皆、首を傾げつつ顔を真っ赤にしながら丹田に気を込め始める。

 ぷぅー

 プッ

 ぷぴゅー

 スーー

 あちらこちらから、丹田に気が集中した証が発せられる。


 前田りえはその様子を眺めながら、近畿大会三連覇の偉業を諦めるのであった。


     *     *     *     *     *     *


「結局、紅葉ちゃんは古武士道部に入部しなかったのですな。賢明な判断かと」

 鈴木次郎がノートパソコンを眺めながら呟く。

「本人にとって、それが良かったかどうかは分からんけどな。でもこれで奴らが紅葉ちゃんに目をつける危険性は無くなったと考えていいだろうな」

 田所がお茶を啜りながら頷く。

「あの、ちょっと気になる情報が…」

 田中華子が目を細めパソコンの画面を睨む。

 鈴木と田所が華子の元に行くと、

「どうやら、武具メーカーの『オリハルコン』が数名の道士とスポンサー契約を結んでいる様なのですが、この会社がボーケーの関連会社の様なのです」

「何だと?」

 田所が大声で叫ぶ。華子は耳を塞ぎながら、

「高校生道士も三名ほど、契約していますね」

「名前、分かるかい?」

「ええとですね、長崎修道館高校の天草一郎、新潟の越後東高校の鬼小島修斗、滋賀の甲賀学苑の…… ええええ!」

 田所は息を飲み込み、

「そんな… 」

 絶句する。

 しばらくして次郎が、

「このことは忠太くんに?」

 華子は首を振り、

「こちらが探っていることがバレてしまうわ。泳がせた方がいいと思うの」

「でも、このままでは忠太くんに接触が?」

 田所は頭を抱え、

「上に… 相談してみる…」

 そう言うとスマホを取り出し、上司の電話番号をタップする。


     *     *     *     *     *     *


 近畿大会、二日前、木曜日。

 小さな奇跡が起きる。

 真央の捨て身の突きが、紅葉の脇腹を掠ったのだ!

 別に紅葉は手を抜いていたわけではない、むしろ日に日に上達していく真央に一泡吹かせたろ、と熾烈な攻撃を加えていた最中であった。

「お主。今? 全く気配を感じなかったぞ、無心の一撃じゃな。秀抜秀抜」

 真央は己の一撃が信じられなく、未だ呆然としている。

 すると、一宇にも奇跡が起こる。十間練にて、見事紅葉の太腿に一矢を当てたのだ!

「小僧… 生意気な。無心の一矢じゃのぉ、精良精良」

 この感覚。狙った訳でなく、肩の力を抜き丹田で呼吸し、そして放った一矢。まるで矢が紅葉の太ももに吸い寄せられるように飛んで行った。

 二人は、無心の一打、の感覚を身に付けた。


「それにしても、紅葉師範は凄過ぎるで… 三十人相手して、平気の平左や。どんなスタミナしとんのや」

「誰? 平左、誰? てか、ウチら、めっちゃ強くなってね? 刀がビュンって振れるよーになったし」

「このクソ暑さの中、二時間休みなしで乱取りしてるし。有り得なくね?」

「てか、一年坊の伸び、やばくね? 俺さっき長野に一本取られたし」

「俺も杉谷に一本突かれた… あんなノロマな奴に…」

 二年生達はゴクリと唾を飲み、

「明日、本選どーなるんだろ…」

「遥以外から一年坊、入るのアリかも…」

「逆に、コーキとかレオ、まさかのインあるんじゃね?」

「何だかみんな上達度ヤバすぎて、誰が上なんだか分からんな」

「特に紅葉師範が入ってからやぼうない? 俺、三次から一突き取っちゃったし」

「それなっ ウチもかなさんに一矢当てたし。やっべー」

 それ程までに、一、二年生の上達曲線はエグい右肩上がりを見せている。

 最早乱取り中の放屁音に顔を顰めるものは皆無、寧ろいい音が出ると心意気が増し、太刀筋が鋭くなったりしている。


 前田りえはその様子を眺め、軽く丹田に力を込めてみる。

 シュッ

 まだまだ若い子には負けないわ。

 りえは頷きながら高等部の修行場に背を向ける。


     *     *     *     *     *     *


 第百十二回 古武士道近畿大会 

 第一回大会は明治三十九年、太平洋戦争とコロナ禍で四大会が中止になったが、日本一長く続いている伝統ある大会である。

 中学生以下が参加する『少年の部』は昭和二十一年から始まり、甲賀学苑は一一〇回、百十一回大会を連覇している。

 かつて大会三連覇を成し遂げた学校、団体はなく、今回甲賀学苑が優勝すれば前人未到の記録となる。

 それだけに甲賀学苑への注目は凄まじく、顧問である柴田勝己の元には数週間前から取材申し込みの依頼が殺到していた。


 今大会には近畿七府県から八団体が出場する。

 先週の抽選の結果。


 Aブロックの四団体に、

 滋賀  甲賀学苑中等部

 大阪B 池田大学附属中学校

 兵庫  ひよどり

 京都  壬生院みぶいん古武士道会


 Bブロックの四団体は、

 三重  伊賀中等教育学校

 大阪A 堺古武士道研究会

 和歌山 市立和歌山中央中学

 奈良  斑鳩いかるが


 初日の予選の舞台はAブロックが奈良県営古武士道スタジアム、Bブロックが神戸市営古武士道フィールド。

 上位二団体が翌日の決勝トーナメントに進み、京都の伏見スタジアムで雌雄を決す。


 ブロック予選当日。五月二十八日、土曜日。

 予想通り、雲一つない快晴で、気温は三十度を超えるだろうと気象庁は言っている。

「それにしても、あれは意外やったな」

 一年生刀役の長野鍵が同刀役の黒川大地に呟く。

「あれって、紅葉師範か?」

 この数日で紅葉は師範と呼ばれてしまっている。

「そや。いつの間にか入部届受理され、ほんで本選にも入って」

 大地はコクリと頷き、

「レギュラーではないみたいやけどな。でもあの人がおるなら優勝間違いなしや」

 鍵も同意し、

「伊賀の百地とやる時に出るんやないか? めっちゃ楽しみや」


「ったく。いつの間にうちが入部しとったんや。忠助お主、中々の策士じゃのぉ」

 一晩経っても紅葉はぐちぐち忠太を責める。

 忠太と柴田は相談し、紅葉に内緒で入部届を受理し、大会登録メンバーに挿入していたのだ。先日のメンバー発表の場は一瞬静まり返り、その後まるで優勝が決まったかの如く大歓声が修行場に鳴り響いたものだった。

「決勝戦だけでいい。それもウチがいよいよヤバくなった時だけ。あとは屁こいて寝てて良し」

 遥は一人真顔で、

「大丈夫だよ、お姉ちゃんの出る幕ない程、私斬りまくるから」

 紅葉はジロリと遥を睨み、

「呼吸術も会得できぬ奴が何を言う、笑止」

 遥はテヘペロを決めてみせる。


 Aブロックの試合会場、奈良県営古武士道スタジアムの一般観客席は既に満員御礼。アボマTVが全試合配信するほどの高い注目度である。

 第一試合の開始時刻が近づき、甲賀学苑と大阪B代表の池田大学附属中学の道士達がフィールドに現れると、大歓声に包まれる。

 大事な初戦の本選メンバーは以下の通りだ。


 総大将 伴忠太

 弓役  大久保充、小泉浄蓮、望月一宇

 槍役  和田真央、大原譲治、佐治冬馬

 刀役  小川蓮兎、宇田かな、三雲三次、百地遥

 サブメンバーとして、

 池田美咲、上野澪、大野雫、服部光輝、葛城みさと、杉谷美晴、そして山中紅葉。


 対する池田大附属は大阪予選を二位で通過し、年々大阪の絶対王者である堺古武士道研究会に肉薄している実力校だ。

 実力のある道士を西日本を中心に集め、決して気の抜けない相手である。


 開始時刻の十時となり、スタジアムに試合開始の法螺貝が鳴り渡る。

 フィールドの道士達は一斉に動き出し、観客の声援が一気に高まっていく。


 先手を取ったのは、前半十三分、甲賀学苑の百地遥。鮮やかな三段突きからの足技で相手刀役を転ばせ、刀を跳ね飛ばす。

「池田大附属 吉村颯太くん 脱落ぅ」

 大歓声が響き渡る。ネット上でもさまざまな書き込みが次々と押し寄せる。

 その勢いのまま相手右翼を蹂躙していくが、弓隊の激しい反撃に遭い、それ以上は突き進めず。

 池田大もそれ以上の侵攻は許さず、守りを固め甲賀学苑の攻撃をよく防ぐ。

 池田大は弓と槍陣の防御のバランスが良く、色々な角度から攻撃の糸口を探る甲賀学苑であるが、そのまま試合は膠着状態となり、前半は終了する。


 後半、甲賀学苑は刀役を二枚替えてくる。

 宇田かな → 上野澪

 小川蓮兎 → 大野雫


 後半開始早々から圧倒的な攻撃を池田大付属に仕掛け、防戦一方となる池田大付属。

 底知れぬスタミナで池田大陣営を突きまくり、池田大は反撃の糸口を全く見出せない。

 後半十八分、上田澪と大野雫の連携からの崩しにより一瞬の隙が生じ、そこを甲賀学苑の『魔弾の射手』望月一宇が抜け目なく射止める。

「池田大附属 片平かなえさん 脱落ぅ」

 二枚落ちとなり、もう攻勢に出るしかなくなり焦り出す池田大に対し、甲賀学苑は立て続けに道士交代策をとる。

 大原譲治 → 服部光輝

 佐治冬馬 → 杉谷美晴


 中盤の槍役にフレッシュな面々が入り、池田大の攻勢を運動量で防戦していく。

 更に焦る池田大に対し、

 大久保充 → 葛城みさと

 小泉浄蓮 → 池田美咲

 精度は落ちるが、勢いのある弓の連射により池田大の攻勢はすっかりと萎んでしまう。


 意表をついた道士交代策が的中し、思い切った反撃が出来ない池田大。ラスト一分、一か八かの『総掛かり』で甲賀学苑陣内に雪崩こむ。

 中央二名の刀役と槍役三名がすかさず後方奥深くに下がり、フレッシュな弓の連射を背に鉄壁な守備陣を構築する。

 池田大は全く攻め切ることが出来ず、逆に両翼に控えた三雲三次、百地遥の両刀役にサイドを抉られる次第に。

「池田大附属 田村ウィリアム君 脱落ぅ」

「池田大附属 キム・ホンビョウン君 脱落ぅ」

 戦意喪失した池田大道士達が立ち竦む中、試合終了の法螺貝が鳴り響き渡る。


 甲賀学苑 11対7 池田大附属中学

 Bグループ第一試合は甲賀学苑の圧勝であった。


     *     *     *     *     *     *


「よっしゃ、よっしゃ! ナイスゲームじゃ、ナイスゲーム!」

 副将の真央が小躍りしながら甲賀学苑本陣に駆け戻る。

 本陣の皆が満面の笑顔で道士達を出迎える。

 フル出場した真央、三次、遥のフィールドメンバーは滝のように汗を流しており、すぐに控え室に入って行く。

「お主、なぁーんもしとらんの。ほれ、これを持たぬか!」

 同じく出場機会がなく欠伸ばかりしていた紅葉が忠太にアイスボックスを放り投げる。

「どうよ、いい戦略だろうが? 消耗を最小限にし、敵を徐々に削っていく。っクー、黒田官兵衛も真っ青だろうが、ええ?」

 紅葉は首を傾げ、

「誰じゃ、黒田あかんべえ、とは? 敵をバカにする良い名じゃとは思うが」

 隣で聞いていた一宇がプッと吹き出し、

「何言っとるんですか師匠、戦国時代の名軍師やないですか」

 あれから何度も白目を剥かされた一宇は、今では紅葉を師匠と呼び慕っている。

「全く知らぬ。てかどーでもええ、ほらとっとと控え室行くで、暑くてかなわぬ」


「てことで。初戦はほぼ作戦どーり。紅葉以外のメンバー、全員出場出来たな?」

 ウィースと声が控え室に籠る。外の暑さとは別世界でクーラーがよく効いている、暑さバテの遥は胸を肌け少しでも涼を取り込もうとしている。

 それを男子道士達が横目でガン見しているのに忠太は気づかず話を進める。

「次の第二試合、鵯会と壬生院の試合、偵察に行ける奴、行くぞ。暑さバテの奴は一時間涼んで回復しろ、いいなっ」

 シレッと座り涼を取ろうとする紅葉を引き摺りながら、忠太は真央達と共に観客席に向かう。

「さぁて、鵯会に壬生院、どんな感じだろーな」

 真央が冷えピタをおでこに貼り頭に氷嚢を乗せながら、

「壬生院は名門中の名門じゃけぇ、よく見とかにゃあまずいよ」

「おう。鵯会ってどーなん?」

 忠太は川崎で生まれ育った故、近畿の古武士道事情に疎い。

「まぁ、昔からある兵庫じゃ有名な会じゃな。ちゅーたがやった『忠太斬り』の元ネタの『鵯越逆落とし』で有名じゃろうが」

「何じゃそれ?」

「鵯越逆落としじゃと! 九郎義経が一ノ谷合戦で断崖絶壁から奇襲した作戦の名称じゃ!」

 真央は紅葉に微笑み、

「よう知っとるのぉ、さすが寺育ちじゃ」

 などと意味不明な褒め方をする。

「槍役の背中を踏み台にして刀役がジャンプしながら相手に斬りかかる戦法じゃ、まぁ大したことないけどな」

 うわ、見てみてえ!

 忠太はワクワクしながら観客席に登って行った。


 第二試合、兵庫県代表の鵯会と京都府代表の壬生院古武士道会の戦いは十時三十分に開始される。

 四百年の伝統を持つ日本最古の古武士道団体は、何故か浅葱色のユニフォームを纏い大声を上げながら相手を圧倒して行く、

「あれ、幕末じゃんか。しかも国賊だし…」

 対する鵯会はやたら小回りを効かせた難波走りで相手を翻弄して行く。

「ちょこまか動きやがって、機動性が凄えな。あれでこの暑さの中、持つんかい?」

 忠太の懸念をよそに、鵯会道士達のスタミナは一向に衰えず、ちょこまかちょこまか壬生院道士にちょっかいをかけている、

 時折見せる鵯会名物『鵯越逆落とし』に観客は大喜びし、やんやの喝采を送っている。

「ぎゃははは、全然効いてねえし。壬生院の奴ら、笑ってるし」

 どちらも決定打のないままに前半は緩やかに進んで行く。

 気温が上昇し、観客席で観戦しているだけで額に汗が滴る。

 そんな暑さの中、まるで両チーム共体力を温存するが如く、の前半終了。11対11。

「大体、見たな。控え室戻ってミーティングするぞ」

 忠太が立ち上がると真央も頷いて立ち上がる。真っ先に立ち上がると思われていた紅葉が、

「うちは後半も観ていく」

 と言うので、忠太は紅葉に任せて皆と控え室に向かう。


 機動力のある鵯会への対策として、やや自陣に引き敵を迎え入れて挟み潰す策を総大将の忠太が提案し、皆に了承される。

「三試合目もあるからな、体力は温存しなきゃやね」

「ただ、鵯会は連戦だからそれ程攻めてこないのでは?」

 一宇が提唱するも、

「その時にはこちらが左右から攻め込めばいい。左の遥、右の三次を中心にな」

 二人は頷く。

「どちらにせよ、攻守の匙加減は総大将次第や、頼むで忠太」

 忠太は力強く頷く。


「あー、アチー。試合、終わったで。壬生院が一人差で勝ちや」

 控え室に低い唸り声が響く。

「こんな暑い中、ホンマにやるんか? えげつない暑さやな、こんなことなら渇水丸作っとけばよかったわ」

 渇水丸が何か分からぬ部員達は、曖昧に頷きながら控え室からフィールドに出ていく。

 忠太が紅葉に近寄り、

「後半、どうだった?」

 紅葉は口を曲げつつ

「この暑さじゃ、両方とも明らかに力を温存しておった、特にヒヨドリの方は。つまりじゃ、奴らはウチらに全力でぶつかってくると思っていよいぞ」

 ああ、任せておけ。忠太が紅葉に軽く頷く。

 紅葉は大欠伸をしながら甲賀学苑本陣のテントの一番風通しの良い場所に陣取る。

「これ一年坊、暑い。扇げ」

 一年生槍役の杉谷美晴が即座に団扇を扇ぎはじめる。

 こんな相手では今日は自分の出番はあるまい。

 紅葉は涼しい風に気持ちが良くなり、うつらうつらし始めるのだった。


     *     *     *     *     *     *


 第三試合 甲賀学苑 対 兵庫県代表、鵯会。


 十二時の開始時刻には気温が三十度を超え、更にあと数度は高くなる勢いである。

 連戦の鵯会はこの気候を想定していたか、前の試合からメンバーをガラリと変えてきている。

 むしろこの試合に主力メンバーをぶつけてきている様である。

 甲賀学苑のスターティングメンバーは初戦と同じ。

 定刻通りに法螺貝が重く鈍く響き渡る。

 スタンドはこの暑さだが名門同士の一戦とあってほぼ満員。皆固唾を飲んで勝利の行方を見守っている。


 試合開始から躍動したのは鵯会。

 自慢の機動力は前試合より迫力を増し、中央の刀役、蓮兎とかなは防戦一方だ。

 スタミナの面ではこの一月の特訓で相当な自信を持っていた甲賀学苑だったが、三十度を超す蒸し暑さへの対策は万全でなく、時間の経過と共に自陣に引かざるを得なくなってきている。

 両翼の刀役、遥と三次も相対する相手に無限のスタミナ戦に持ち込まれ、刻一刻と疲労感が増していく。

 ジリジリ下がる甲賀学苑だが鵯会は決して深追いをせず、何なら引き分けでも構わないような雰囲気を出している。

 二十五分間の前半が終了時、想定よりも遥かに激しく消耗した甲賀学苑道士たちであった。


 正直、初戦とは相手のレベルが違う。鵯会、そしてこの後に控える壬生院は引き分けも十分あり得る相手だ。

 だが引き分けてしまうと、一位抜けが厳しくなるー即ち、明日の決勝トーナメントの初戦で伊賀中等と当たってしまう可能性が高くなる。

 忠太は一瞬、紅葉の出場が頭によぎるが、苦笑いしながら頭を振り、後半の入れ替えメンバーを真央と相談する。

 遥と三次の疲労度から、


 百地遥  → 上野澪

 三雲三次 → 大野雫


 遥は忠太に喰ってかかるも、

「三回戦。壬生院戦が本命だ。体力温存しておけ」

 と言われ渋々引き下がる。

 三次は軽い熱中症の症状を起こしており、その後柴田教諭がつきっきりでアイシングしてやる羽目になる。

 その際、柴田は三次に前から思っていた疑問を投げかける

「なあ、なんで一宇を刀役にせえへんの? 紅葉ちゃんに鍛えられてめっちゃ強くなったやんか?」

 三次は軽く頷きながら、

「その辺のことは大将の一存なんすよ、ウチは。他のとこは指導者が決めるんすけどね」

 そうかなるほど。試合後に前田りえに意見を聞いてみたくなる柴田であった。


 十分間のハーフタイムが終わり、後半が開始される。


 鵯会は戦法をガラリと変更し、開始早々自陣に引き下がり防御陣形を構築する。

 あからさまな引き分け狙いに場内は騒然となり、あちらこちらでブーイングが鳴り響く。

 こうなると攻め手の甲賀学苑も迂闊に攻撃出来ない、本当に鵯会が引き分け狙いでドン引きなのか判断しなければならない。

 もしそうならば、甲賀学苑としては終了直前に強引に突破し一人削る作戦を取らねばならないが、そのカウンターを鵯会は狙っているのかも知れず、じっくりと見極めていかねばならない。

 忠太は突っ立っているだけで倒れそうな暑さの中、必死に思考を巡らせる。

 このまま相手のペースに乗っていていいのだろうか。これが王者甲賀学苑の古武士道なのか。

 ふと本陣を見ると紅葉が明白にうたた寝をしている。余りの退屈さに呆れて寝てしまったのだろう。

 馬鹿野郎。

 忠太の口元はニヤリと笑みがもれ、

「真央! 中央から突っつくぞ。トーマ、ジョージ、また背中借りるかも!」

 槍の三名の背中が急に大きくなる。凄まじい闘争心が発せられるのを感じ、

「(敵の)弓、要ケア! 槍中央突破、刀は両側からサポート、突っ込むぞぉー」

 甲賀学苑が一つの塊となり、鵯会防御陣に襲いかかる。

 観衆のボルテージは瞬時に沸騰し、皆立ち上がり大歓声を送り始める。


「なんやこの圧力……」

「堪えろっ あと十分や!」

「っくー、押されとるで、押し戻すんや!」

 甲賀学苑と鵯会は一塊となり、押し合いとなる。当然鵯会の弓は機能しなくなるー味方に当たってしまうから。

 この形になると、自力に勝る甲賀学苑が有利な展開になっていく。

 じわじわと鵯会陣内に押し込んでいき、徐々に総大将の行き場が狭まってくる。

 これ以上攻められるとー

 鵯会道士らの脳裏に、伴忠太の『忠太斬り』がありありと浮かんでくる。

 動画で『忠太斬り』を見た時。これはウチらの『鵯越逆落とし』の真似やないか! と憤慨する者が多々いた。何人かが『忠太斬り』を実際に試してみたが、誰一人成功した者はいなかった、それ程難易度の高い技なのだ。

『鵯越逆落とし』は決して必殺技ではなく、まあ士気を上げるための『儀式』みたいなもの、と自他ともに認知している。

 なのでこの切羽詰まった状況で、鵯会が『逆落とし』を繰り出す要素は皆無なのだが、甲賀学苑が『忠太斬り』をかましてくる可能性は刻一刻と高まってきている!

 もし、伴忠太がその必殺技で鵯会総大将を討ち取ってしまったら。

 総大将討死、と相成って。

 11対0で甲賀学苑の勝利となってしまい、鵯会の予選敗退は決定だ。

 奴だけはあかん、奴に手を出させてはあかん!

「押せ、押し戻せ!」

「あと五分や! 耐えろ、戻せぇー」

 鬼の形相で押し返そうとする鵯会防御陣。

 この時温度計は三十二度を超える。


「甲賀学苑 大久保充くん 脱落っ」


 観客と道士たちは一瞬何が起きたのか分からず、辺りを見回す。アナウンスの間違いではないかと誰もが考えるも、甲賀学苑の弓役が一人、木からずり落ちて下のマットで大の字になって倒れているのに気付き出す。

 恐らく熱中症なのだろう、金創役(救護班)が慌てて処置に向かっている。


 まさかの弓役の脱落。滅多にない状況に甲賀学苑道士の動揺は隠せず。逆にこれぞ天の御加護とばかりに勢いづく鵯会。

 このままでは負けてしまう。

 このままなら勝てる。


 二つの相反する思いが衝突する。

 その刹那。

『甲賀さんぼんやり』もとい、『甲賀三本槍』が火を噴く!

 副将の和田真央は完全に逆上し、大声で喚きながら相手の防御槍に物凄いプレッシャーをかける、それに呼応するように大原譲治、佐治冬馬が

「ちぇすとぉーー」

「おりゃあぁーー」

 と絶叫しながら相手に強烈な槍を突き立てる。

 それを両脇から後半から入って勢いのある二年生の上野澪、大野雫がサポートする。

 余りの猛烈な攻勢に鵯会がパニック状態となり、刀役が一人防御陣から一瞬弾き出される。


 宇野かなは、その様子を目の前でスローモーションの様に見ている。


 かなは地元甲賀出身、幼い頃より古武士道に邁進し、小柄ながら俊敏性に富み頭脳的な動きを見せ、将来を嘱望されていた。

 地元の超名門甲賀学苑に入学し、同期の忠太、土山健斗に度肝を抜かれるも、生来の負けん気の強さでこの二人にしっかりとついて行き、この春から本選のレギュラーメンバーとなった。

 性格はクールで他人や物事をやや冷めた見方をすることが多く、逆にそれが他人からは冷静沈着の頭脳派道士と見なされ、自分もそんなものかも知れぬと自己分析したものだった。

 また非常にプライドが高く、人前で喜怒哀楽を出した試しがない。修行中も大声で喚いたり絶叫したことはなく、同期や後輩達はかなが大笑いしたり逆上した表情を知らない。

 そんな、かなが。

 未だかつてない熱い何かが丹田から湧き上がるのを感じている。

 この数日、志徳寺の引き籠りだった(と、かなは認識している)山中紅葉なる謎の山猿が、伝統ある甲賀学苑古武士道部をひっちゃかめっちゃかにしているのを苦虫を噛み潰す思いで眺めていた。

 特に、丹田、だ。

 臍に力を込め打ち込む。当然の所作だ。だが山猿はさらにその下の丹田なる臓器(と、かなは認識している)に力を込めよと言う。

 普段なら冷徹に無視するところであるが、真央や一宇が連日この山猿に秒殺されている状況を鑑み、試しに力を込めてみる。

 何度か試すうちに、自然と重心が下がり下半身にかつてない安定感を感じる。

 と同時に、

 ぷうぉーーーー

 かなの人生で初めて人前で放屁してしまった。

 かなは慌てて周囲を見渡し、誰も気づいていないのを確認してから二度と丹田に力を入れないとプライドにかけて誓った。

 そんな、かなが。

 かなの、丹田が、何かを噴き出そうとしている!

 目の前の敵は、慌てて防御陣に戻ろうとしている、これを逃せば二度とチャンスは戻るまい。


 かなはプライドをかなぐり捨て、丹田に気合いと力を存分に入れる、うちが、このうちが決めてやる!


 ブウォオーーーーーーーー


 まるで戦闘機のエンジンブラストのような轟音がフィールドに響き渡り、防御陣に戻ろうとしていた鵯会の刀役は度肝を抜かれ一瞬立ち尽くす。

 その隙を逃すはずがない、

 かなは丹田に力を込めたまま前方に跳躍する、嘗て経験のない身の軽さだ、感じたことのない景色の流れだ。

 かなの突き出した刀に相手は全く反応できない、気がついたら目の前に刀が迫っているー

 その刀は相手の面を直撃し、衝撃で彼は意識を失う、そしてそのまま仰向けにフィールドに倒れ込む。


「鵯会 江川太陽くん 脱落っ!」


 大歓声が巻き上がる、試合時間残り四分三十七秒、甲賀学苑 10対10 鵯会


 フィールド上の鵯会総大将は歯軋りをする。

 も少しで勝ち切れたのに、大金星を上げられるところだったのに…

 だが彼は冷静にフィールドを見回し、現実を客観視する。

 このまま引き分けに持ち込めば良い、甲学相手に引き分けならば、最終戦次第で勝ち上がれるチャンスは十分にある。

 だが、しかし。

 この様な試合展開は初めてだった。相手弓役の脱落によりスコア的には引き分けなのだが、フィールド上では一人足りない展開なのだから。

 彼は咄嗟に判断し、後方の弓役に最大支援の合図を送る。

 これは密集状態では味方を射抜く危険があるのだが、甲賀学苑対策として十分に修行してきたから問題ない、彼は一人頷き、目前の防御陣に、

「後方支援開始ぃ、刮目せよ!」

 と大声で指示を出した。


 この弓の大攻勢に甲賀学苑槍陣はこれ以上の前進が出来なくなり、飛んでくる矢の対応に追われてしまう。

 良く訓練された鵯会弓役の矢は見方を射抜くことなく、正確に甲賀学苑の攻撃陣に雨霰の如く降り注ぐ。

 これは、まずい

 すぐ後方の忠太は飛来する矢を二、三本刀で払いながら躊躇する。

 この状況で突っ込めば、流れ矢に当たる可能性がある…

 かと言ってこのままでは引き分けに持ち込まれてしまう。

 ふぅーー

 丹田に力を込め、冷静に戦場を見渡す。

 ラスト、だ。

 試合終了ギリギリに、こないだの奴をやる!

 あれから何度も試してみたが、一度も成功しなかった。

 あの時は、アイツが憑依していたから出来たのだと、自分を納得させ今に至るのだが。

 この状況で、総大将の俺が何とかしなければならない。

 上手くいくかなんて、もはやどうでも良い、このまま膠着したままの引き分けなんて断じて許されない。

 一か八かになるが、ここで引き分けは有り得ない、こんな試合結果は甲賀学苑らしくねえ!

「ラスト十秒、例のやつやるぞ!」

 三本槍に後ろから囁く。佐治冬馬が右手でサムアップする。


 試合終了が刻々と迫り、スタンドは騒然としてくる。まさか、このまま甲賀学苑が引き分けになるのか?

 左翼攻撃陣の蓮兎は歯軋りしながら飛来する弓矢を払い続けている。

 このままではあかん。部を去った健斗、前半で交代した三次、遥に申し訳が立たぬ。

 新品の刀をギュッと握りしめる。三次と共に会津若松で手に入れた刀。

 様々な想いが蓮兎の脳裏を通り過ぎていく。

 レギュラー落ちで暗闇を彷徨ったこと

 人の心を捨て三次の刀をひび入れたこと

 因果応報を目の当たりにし人に戻れたこと

 そして、

 刀と言うものが、どれほどの刀工の努力、苦労、思いが込められているのか、と言うこと

 丹田に力を込め刀をギュッと握り直す。

 スーーーー

 体内に不要なガスが無用な力みとともに体外に放出され、頭が明晰になる。

「ラスト十秒、例のやつやるぞ!」

 右後方から忠太の囁きが耳に入る。

 チラリと後方の忠太を見ると、目が合う。

 蓮兎、その少し前に陽動してくんね? 左翼から揺さぶりをかけて欲しい!

 任しとき、俺が突っ込んだ直後にあれを出すんや!

 分かった、タイミングは蓮兎に任せたぞ

 承知。

 蓮兎は矢を払いつつスコアボードの時計を確認する、残り時間は一分五十四秒。

 忠太、残り十五秒で俺が左から突っ込むで、ええな!

 蓮兎、頼んだぞ!

 再び丹田に気合を込める、

 スーーーー

 更に無駄な気負いが抜けていく。


 残り一分を切ると、スタンドは大騒ぎとなる。

 アボマTVの実況者が絶叫しながら鵯会の奮闘を伝えている。

 甲賀学苑関係者は生きた心地がせず、中には顔を覆いうずくまる人も多々いる。

 甲賀学苑本陣も、一人を除き全員が腰を浮かし真っ白な顔で呆然としている。

 柴田は意識の戻った大久保に氷嚢を当てながら、下唇を噛み締めてフィールドを眺めている。

「大丈夫、だよな… 先輩達、やってくれるよな…」

「まさか、引き分けなんて…」

 遥は目を怒らせ、

「そんな筈ない! 必ず最後に仕留める! 黙って見てなさい!」

 あまりの形相に二年生の服部光輝は後ずさってしまう。

 そんな空気の中。

 ついさっきまでうたた寝をしていた紅葉がよいこらせと立ち上がり、大きく伸びをする。一年生の杉谷が慌てて立ち上がり、団扇の風を紅葉の顔に送る。

「ふわぁーー。相変わらずノロマな連中やな、愚鈍愚鈍」

 うどん? 布団? 杉谷は首を傾げる。

「おいあとナンボや?」

 杉谷はスコアボードを眺め、

「あど四十秒すかね、このままだど引ぎ分げになってまります」

 紅葉は杉谷の頭を叩き、

「お前、何言うとるかさっぱり分からん。ほんま日の本の人間か? ああ、蝦夷人か。納得納得」

 このやりとりに甲賀学苑本陣の雰囲気が少し緩み、悲壮感が薄らいでいく。

 その瞬間。

 紅葉はフィールド上の忠太に向かい、

「ちゅーたろぉーー さっさとかまさんかーーい」

 と絶叫する。スタンドの大歓声の中、不思議と紅葉の絶叫はフィールド上に響き渡る。


 忠太は本陣の紅葉の仁王立ちを見る。

 忠太の中の何かがムクムクと首をもたげる感覚に陥る。

 丹田の辺りが濃縮された熱を帯び始め、頭の中に何かが入ってくる感覚…

 ああ、これは、また…


 ここは、何処ぞ…

 また、合戦場ではないか

 おおおお、紅葉が本陣で仁王立ちしておるではないか

 良し。敵の大将首をそっとと挙げ、

 久々にきつく抱擁してやるかの


 紅葉を抱き締める? その瞬間に極楽浄土か三途の川に逝ってしまいそうなのだが…

 忠太がプッと吹き出すや否や、左の視界に蓮兎が動き出すのを感じる、同時に敵の圧力が左側に傾いたのを逃さず、

「ミオ、シズク、右翼撹乱じゃ」

「はいよっ」

「がってん」

 今度は右翼に敵守備の重心が分散され、真ん中に僅かな隙がくっきりと見え、

「トーマ、背中じゃぁーー」

 待ってましたとばかりに冬馬が腰を落とし身構える。

 忠太郎は一陣の風となり、冬馬の背中に足を踏み込む。


 蓮兎の突撃と共に、敵の全弓が蓮兎に降り注ぐ。

 当たってはならん、掠ってもいかん、蓮兎は鬼の形相で凄まじい数の矢を払い続ける。


 敵の応援席からのカウントダウンが耳に入る。

 じゅう きゅう はち

 忠太、早く飛べ、早く飛ばんかい!

 なーな ろぉく ごぉー

 くそ、これでは間に合わん、このままではあかん!

 よぉーん さぁーーーん

 やっと忠太が跳躍した、が、これでは絶対に間に合わない。敵の総大将が巧みに後退し時間稼ぎをしたのだ。

 忠太は間に合わん

 俺が、俺がこの位置から!

 丹田に力を込め、足を踏ん張り、大声を張り上げながら敵総大将目掛けて突撃する

 敵刀役を振り切り、更に突き進もうとした瞬間。

 左上方から弓矢が飛来するのが視界に入る、ぐんぐん矢は近づき、近づき、

 しまった… 俺が射られ、引き分けどころか、負けてー

 蓮兎の頭は真っ白となり、身体が動かなくなる。


 その瞬間。

 全く無意識のうちに刀が動き、飛来した矢を右後ろに払っていた!

 蓮兎は目を見開き、ホッとすると同時に、忠太の大きな姿が敵の総大将の頭上に襲いかかっている!

 ああ、あと少し! あと一瞬早ければ……


 ブウォーーーーーー


 試合終了の法螺貝がスタジアム中に鳴り響くのであった。


 蓮兎はガックリと跪き、総大将を仕留めきれず引き分けてしまった悔恨と、自分が矢に当たり敗北しなかった安堵の思いで頭が大混乱している。


 忠太が総大将を『忠太斬り』で仕留めたのは明かに法螺貝の後であった、観衆は忠太斬りが決まったと思い大歓声をあげている、だが、落ち着いたアナウンスが場内に響き渡るー


「場内の皆様、只今VARによる審議が行われています。試合結果は少々お待ちください」


 鵯会の応援席から大ブーイングが上がる。

「どう見ても、法螺貝の後やろ! 何しくさってんねん!」

「とっとと結果出さんかい! 何が忠太斬りや、逆落としの真似やないか!」

「絶対、法螺貝の後や! これで結果変わったら、暴動起こすで!」

 フィールド上でも困惑する甲賀学苑と鵯会道士達。

 特に、遅かりし忠太郎、当の本人がガックリと項垂れている。

 法螺貝が鳴り、その後に相手総大将の防ぐ刀をへし折りながら面を強打し、相手が大の字に倒れた時、忠太郎は忠太に戻っていた。そして、ガックリと項垂れ、大きく息を吐き出したのだ。


 そんな様子もスクリーンに映し出され、スタジアムは早く結果を出せと大騒ぎになり始めた丁度その時。


「VARによる審議の結果。鵯会 田嶋洸太くんの脱落が試合終了の二秒前と判定されました。従って、10対9 甲賀学苑っ 勝利ぃー」


 スタジアム内の全員が首を傾げた。

 鵯会総大将は横山翔大、とスコアボードには出ている、田嶋洸太は刀役ではないか!

 何だそれは!

 意味が分からねえ、

 ふざけるなぁー

 怒号が湧き起こるのと同時に、スクリーンに横山翔太脱落のシーンが試合経過時刻と共に映し出されるー


 なんと!

 横山翔太は、蓮兎が刀で払った矢が当たっていたのだった!


 甲賀学苑メンバーが呆然と立ち尽くす蓮兎に全力で駆け寄り、本気で押し倒したのだった。


     *     *     *     *     *     *


『それにしても、全くの想定外の結果となりました、解説の村中さん、いかがでしょうか?』

『いやぁ、この判定はねぇ、今までなら見逃されてましたよ。でもね、今年からの矢のセンサーシステム採用がね、結果を分けちゃったねぇ、まさにね、真実を映し出すセンサーシステム様さまですよ、ねぇ』

 田所は軽く舌打ちをしながらパソコンの画面を睨みつける。

「これではオグネル社の株が上がってしまいますわ。ああ、よりによってあの子の試合で何故にこんなことに…」

 田中華子が頭を抱える。

「この解説者の村中何某にも、ボーケーかオリハルコン社の手が入り込んでおるのではないか?」

 鈴木次郎がふと呟く。

「そうね、協会の上層部にも手伸びでらがもおべぃねわ、すらべねば」

 華子がパソコンの画面を替えながら言う。

「頼み申した。それがしも幕府内に協力者がおらぬか調査してみよう」

 ははは、いつの間にかお国言葉同士で仲良く話すようになって。

 そう言えば旅人同士の婚姻例ってどれぐらいあったかな? ちょっと調べて…

 いやいやいや。

 それもとても大切なことだけれど、今はそれどころでは無い。

 幸い、彼女はまだ試合に出ておらず、世間の注目外である。

 出来ることならば、このまま戦力外でいてもらえないだろうか…

 そして、世間が『旅人』に永遠に気づかないでいてくれないだろうか…


 画面上で抱き合い喜び合う甲賀学苑道士達を眺めながら、青春の苦さに溜め息が出てしまう田所である。


     *     *     *     *     *     *


 奇跡的な勝利の喜びも束の間。

 控え室に戻った甲賀学苑道士達はすぐに現実に引き戻される。

「充、ダメすか?」

 柴田はコクリと頷き、

「さっき、柴田先生が病院に送って行った。今日明日の出場は不可能だ」

 甲賀学苑が誇る『魔弾の射手』が破綻したのだ。

「ちゅーた、弓誰にする?」

「まあ、前半美咲で後半は様子見、だな」

 真央は悄然としている小泉浄蓮を一瞥し、

「明日は… 伊賀とやる時は、どうすんのじゃ?」

 忠太は首を振りながら、

「まずは次ぜってー勝つ。それから考えるわ」

 真央は納得顔で、

「そうじゃった。次の壬生院に勝たにゃつまらん。そうじゃった」

 壁に貼ってある組み合わせ表を眺めながら、

「まあ、これで明日のトーナメント出場は決定じゃ、あとはー」

「ああ。必ず壬生院に勝って、A組一位を取らなければー」

「準決勝で伊賀とー」

「それだけは、避けなきゃ、だな」

「それな」

 望月一宇が心配顔で二人に寄ってくる。

「壬生院対池田大、前半終了です、11対8です…」


 忠太と真央は目を大きく見開く。

「ちょ… 今のとこ、俺たちの残存差…」

 一宇は頷きながら、

「五、です」

 忠太と真央は顔を曇らせる。


 古武士道の大会における順位付けの話。

 サッカーと同様に、勝ち点差が優先される。勝利が三点、引き分けが一点、敗北はゼロ点。

 勝ち点が同じ場合。

『残存差』の多い方が上位となる。

 残存差とは、試合終了後に残っている道士の数の差だ。勝利チームが11名残っており敗北チームが8名残っていた場合、11引く8で『残存差』は3となる。

 甲賀学苑の場合。

 初戦の池田大附属との戦いが

 11対7

 二回戦、鵯会とは

 10対9

 よって、現在の時点で残存差は

 5

 となる。

 今二回戦を戦っている壬生院だが、

 初戦の残存差が1

 現在、前半を終わって3

 よって、残存差が4である。

 もし後半に残存差を2拡げたら… その値は6となり、甲賀学苑を上回ってしまう。

 従って、次の三回戦の壬生院戦は、引き分けならば壬生院が一位、甲賀学苑は二位となってしまう!


「一宇、後半も見ていてくれ、何人か一年坊連れて行け、逐一報告しろ」

「承知」

 一宇は硬い表情で数名の一年生を引き連れてスタンドに戻っていく。

「壬生院は連戦になるじゃけん、この試合で引き離しておいて、うちとは引き分け狙いじゃろうか?」

「ああ、間違いねえ、そうくるだろう。ドン引いた相手を崩すのは、刀の運動量が必要なんだけど…」

 二人が刀役の蓮兎とかなを伺う、二人とも肩で息をしており、到底次の試合のフル出場は見込めない。

 忠太と真央が二人の元に近寄り、

「よう蓮兎、美味しいとこ持ってきやがって」

「それにしても凄え技思いついたな、相手の矢を相手にぶつけるなんてよ、今まで考えたことねえぜ」

 蓮兎は憔悴した面持ちで、

「まぐれやまぐれ。自分に当たりそうなのを払ったらたまたま敵に当たっただけや」

 忠太は頷きながら、

「ま、そうだとしてもさ。今日までお前が部を引っ張って来てくれたのをさ、仏様がちゃんと見てたんだぜ、大会終わったら志徳寺にお陰詣に来いよ」

「何でやねん。何で志徳寺やねん」

 ツッコむ元気はあれど、げっそりと頬はこけ、次の試合は後半から何とか出れそう、といった感じである。

「かな、お前の突き、あれすげかったな。どうやったんだよ?」

 かなは冷たい視線で

「死んでも言わん」

 冬馬がプッと吹き出し、

「あれやろ、丹田に気合いぶち込んだっちゃろ? 凄え音したかぃなあん時」

 聞いていた部員が爆笑する。

「響きわたっとったよなぁ、まるでジェット戦闘機の騒音のようやったわ」

「そんでミサイルみたいな一突きで一機撃墜ってか?」

 この時以来、宇野かなは別名

『かな☆マーベリック』

 と言われるようになったものだ。


 立て続けに、偵察の一年生が控え室に駆け込んでくる。

「鵯会、一人脱落っす、11対7っす」

 その五分後。

「また一人脱落です、11対6です…」

 恐れていたことが現実となる。

 忠太は本選メンバーを集合させ、引き分け狙いの相手の対策を練り始める。

 紅葉はそれを鼻くそを丸めながら、聞いている。

 その途中、真央が

「紅葉、そろそろ出した方がええんじゃない?」

 と主張し、皆が激しく同意するも、当の本人が

「嫌じゃ。つまらん。暑い。ムリ」

 と言い張るし、忠太も

「こいつは、明日の伊賀戦にとっておきたい。それまでに誰にも見せたくない」

 と頑なに言うので、皆は渋々それを受け取る。

「試合開始は三時、大分涼しくなってきてる頃だ。最初からガンガンかましていくぞ、いいなっ」

 メンバーは力強く頷く。

 柴田は心の中で手を合わせる、どうぞコイツらがこれ以上怪我なく無事に試合を終えますように、と。


     *     *     *     *     *     *


 結局、壬生院古武士道会は11対6で池田大学附属中学を下し、暫定的にAグループの首位に立った。

 二位の甲賀学苑までが明日の決勝トーナメントの出場が確定し、あとはどちらが一位で突破するかである。

 アボマTVの速報では、Bグループは圧倒的な強さで伊賀中等教育学校が首位に立ち、それを堺古武士道研究会と和歌山中央中学が追っている状況だ。


 三十分の休憩時間を挟み、午後三時。

 運命の首位攻防戦が始まろうとしている。


『近畿大会 少年の部 Aグループ第五回戦が始まろうとしております。実況は私山本省吾、解説は日本古武士道連盟関西地区副代表の高田光悦さんにお願いしております。高田さん、何と言っても甲賀学苑の大会三連覇、日本中の注目が集まっております。今のところ如何でしょう?』

『そうですな、甲賀学苑は大将の伴忠太君を中心によくまとまったチームです。この試合如何によって、その可能性も大いにあるかと思いますわ』

『その甲賀学苑に対する京都の名門、壬生院古武士道会、今日の出来は如何でしょうか?』

『そうですな、特筆すべき道士はおらんけれど、大将の吉村君を中心によくまとまったチームです。残存差で首位に立っているので、このまま引き分けに持ち込めば明日の優勝も大いに期待できそうですわ』

『壬生院は第四試合からの連戦となりますが、その影響はありますでしょうか?』

『そうですな、壬生院さんはな、それは激しい修行をなさるので有名や、これくらいの疲れは屁でもないやろな』

『その壬生院の道士がフィールドに現れました。超満員の観客席から大声援が上がっております』

 全く疲れた素振りも見せずに。

 浅葱あさぎ色の防具をつけた壬生院の道士達が、元気にフィールドに姿を見せる。

 それに少し遅れて、甲賀学苑の鼠色の防具をつけた面々がゆっくりとフィールドに現れる。


『さて、スターティングメンバーです。甲賀学苑、


 総大将 伴忠太

 弓役 望月一宇、小泉浄蓮、池田美咲

 槍役 和田真央、佐治冬馬、大原譲治

 刀役 三雲三次、上野澪、大野雫、そして注目の百地遥


 です。高田さん、甲賀学苑は刀役が二年生と一年生に振り分けました、如何でしょう?』

『そうですな、県大会から大活躍の百地遥を中心に、卒のない攻めを見せてくれるんちゃうかと思います』

『弓役の大久保充が熱中症で病院に運ばれ、その代役に三年生の池田美咲が選ばれました、甲賀学苑と言えば『魔弾の射手』、そのうちの一人を欠く形となりましたが、影響は出ますでしょうか?』

『そうですな、池田君も十分な実力を持ってるさかい、大いに活躍するんちゃうかと思いますわ』


 試合開始の法螺貝が奈良県営古武士道スタジアムに鳴り響く。

 道士達が一斉に動き始める。


『さあ、注目の一線が始まりましたっ おおお、早速壬生院は防御陣を構築しています、それを甲賀学苑が、ああ、早い、鋭い、刀役が躍動していますっ』

 刀役が四人、並列に並び一気に壬生院陣内に入り込む。左から遥、澪、雫、三次の四人が絶妙な感覚を保ちつつ、壬生院にプレッシャーをかけていく。

 その合間から槍役が、左から冬馬、真央、譲治が顔を覗かせ、圧倒的な攻撃態勢を整える。

 最後尾の総大将、忠太も左右に走り回り敵を撹乱する。

 積極的な甲賀学苑の攻勢に観客のボルテージも鰻登りだ。


『圧倒的な甲賀学苑の攻勢に壬生院はどのような防戦を強いられるのでしょう、高田さん』

『そうですな、強力な弓役の援護を受けながら、じっくりと耐える試合となるんちゃいますか、まあそれが出来るのは相当な実力がなければあかんですが』

 前半の十分が経過する。

 小競り合いはあれど、決定的な攻防は見られずに時はゆっくりと過ぎていく。

 忠太が大声で指示を出す。

 すると、前に出張っていた刀役四名がサッと自陣に戻り、槍役と交互に一直線に並ぶ。そして最後尾の忠太から見て、Vの字の形となりー

『おおおお、甲賀学苑、鶴翼の構えです! ただこれは、主に守備の構えではないですか高田さん?』

『そうですな、まさかここで守備に入る訳ないんやろけd― あああ、そう言うこと! これはこれは…』

 最左翼の遥が突如敵陣に入り、その後に皆が連なって行く。敵陣の最前線の刀役に遥が左から襲いかかり、そのまま右へ抜けて行く、するとすぐに遥の後ろを走っていた冬馬が襲いかかり、更にその後ろから澪がー

『これは、車懸かりです! 鶴翼からの車懸かりです! これは物凄い圧力だ、ああ、壬生院最前列が乱れたっ コケたっ ああ、そしてェーーー』


「壬生院 山崎蒸路くん だつらくぅーー」


『甲賀学苑だぁーー、甲賀学苑、槍役の和田が突き倒したぁー、山崎耐えきれず、背中を着いたぁーー、甲賀学苑、先制ですぅーー』

 甲賀学苑本陣はお祭り騒ぎとなる、一人を除いて。

「よっしゃぁーー」

「さすが、副将―」

「いけるで、これでいける!」

 蓮兎が叫ぶとその横であのクールキャラだったかなが、

「そのまま、潰さんかぁーー、攻めろやぁーー」

 と熱く叫んでいる。

 下級生達は呆然とかなを見つめ、一体何がこの先輩をこうまで変えたかをヒソヒソ話し合うのであった。

 紅葉はとろんとした目付きで、

「暑い。おいミハル、扇がんかい」

 と杉谷を呼び、風を送らせる。するとすぐに寝息を立て始め、皆苦笑いする。


 柴田は拳を握りしめ、何度も力強く頷く。

「よっしゃ、それでええ、あとはじっくりと守ればええ」

 と独り言を呟くシーンがアップで撮られ全国、いや全世界に流れる。

(名将! ちょいイケメン? He is cool! 优秀的教练 若いのに渋い 達人デスカ? 槍上手そう Excelente entrenador いや刀やろ )

 などと、見当違いなネット諸氏のコメントが画面に垂れ流される。

 そして徐に手帳を取り出し、何事かメモを綴る。

(サッカー代表監督かよ 知的やんか 很聪明 何書いてるのぉー Хороший тренер)

 病院からの帰りの車の中で、前田りえが大笑いし危うく縁石に乗り入れてしまいそうになる。


『さて、壬生院ですがー あれぇ、攻めてきません、自陣に籠ったままです、高田さんこれは一体?』

『そうですな、ここは無理をせずに前半をこのままで終わらせたいんとちゃうかな。そして後半に何とかして一人削ろうという作戦ちゃうかな』

『なるほど、無理をせずに、と言う訳ですね、前半二十五分が間も無く終了します、スコアは11対10、甲賀学苑が一人差でリードしております』


 前半終了の法螺貝が鳴り響く。


 甲賀学苑本陣は一人を除き沸き立ち、先発出場した道士達を迎え入れる。

 忠太も息を少し切らせながら本陣に戻り、皆の疲労度を確認する。やはり、刀役の疲労度がマックスに近い状況だ。澪と雫は地面にしゃがみ込み、二度と立てそうにない。

 三次は、

「まだまだっす、これからっす」

 とは言いつつも、自分で両方のふくらはぎを懸命にマッサージしている。

 遥も疲労困憊で今にも倒れ込みそう… と思いきや。


 表情も軽く、全く息が荒くない、いやむしろ整っている!

「まさかお前、あの術を会得したのか!」

 忠太は顔を綻ばせるが、

「分かりません、気づいたら、スー ハー スー スー ハー スー ハー ハー って感じで呼吸してたんです、そしたら全く息切れせず。これ、ちょっと違います、よね?」

 この天才め、勝手に新しい呼吸術を作りやがった…

 忠太は遥の頭を撫でながら、

「それでいい。お前オリジナルの呼吸術。それで通せ、いいなっ」

 遥はキュンとなって満面の笑顔となる。

 それをアボマTVがドアップで撮らえたものだから、大変な事態(書き込み)となり……

(タヒね ころす 消す Kill him Я забью тебя до смерти 我要杀了他)


 これは後にかなり大事となり、アボマTVはこの大会後、古武士道の放送を連盟から半年間停止処分を喰らうこととなるー


     *     *     *     *     *     *


 後半開始の法螺貝が高らかに鳴り響く。


 あと二十五分、このまま凌げば一位通過だ。

 戦術としては定石通り、自陣に下がり弓の援護を受けつつ防御陣を構築する。

 そして飛び込んでくる敵を一人ずつ削っていき……

『これは壬生院、どうしたことでしょう、全く攻めていきません! 自陣に引き篭もっております、これは一体どういうことなのでしょう、高田さん?』

『そうですな、これはもう明日に備えて体力の温存とちゃいますか。無理して体力を削られれば明日の準決勝に大いに響きますんで』

『なるほど、では壬生院はこのまま敗北を受け入れた、と言うことでしょうか?』

『そうですな、ただ壬生院さんはそんなタマやないんですけどな。何か秘策を隠し持ってるかも知れへんですわ』

『秘策、ですか。それが炸裂するのはやはり終了間際、とか?』

『そうですな、僕が指導者なら、後半の後半辺りかな』

『ではこれから壬生院の秘策をじっくりと見ていきましょう、フィールドは膠着状態、甲賀学苑も壬生院もかなりの距離を空け互いを睨み合う状態です』


「こう、きたか。色々考えてくるな」

 忠太は感心したように真央に話しかける。額からの汗が目に入り沁みる。

「これは最後の方、何か仕掛けてくるよ。それまでうちはどうするんじゃ?」

「その仕掛けって、何だろな」

「分からん。でもこれなら蓮兎とかなのスタミナが削られんくて、いい」

「それな」

 後半開始時点で、


 上野澪 → 小川蓮兎

 大野雫 → 宇野かな


 となっている。


 時間は悠々と過ぎて行き、スタジアムの雰囲気も前半のそれとは大いに異なり、何かお祭り前の静けさを感じさせる様子だ。

 紅葉は熟睡中なのだが、美晴があおぐのをサボると白目で美晴を睨み付け、美晴はヒッと言いながら試合終了まで扇ぎ続けねばならなかった。

 青森県むつ市出身、中学一年生ながらに身長180センチの堂々たる体型の美晴なのだが、内気で口数が少なく、緊張しいであり『絹ごし豆腐のメンタル』と評されていたが、今日一日紅葉の付き人をまっとうすることにより、『レンガ豆腐のメンタル』へと成長するのであった。


 新しい呼吸術を会得した遥は嬉々として走り回り、左翼から壬生院陣を刺激するも、鉄壁の守備網を構築した彼らはびくともしない。

 右翼の三次は下手に突っ込み討たれるのを恐れ、中央の蓮兎、かなとの距離を一定に取り慎重に伺っている。

 スコアボードの時計が残り十分を示す、忠太は真央と言葉を交わし、更に二間(約3.6メートル)程自陣に下がり、一人差を守り切る戦術に切り替える。

『どうでしょうか高田さん、このまま膠着状態が続くのでしょうか?』

『そうですな、壬生院が仕掛けてくるとしたら、まさにこの瞬間やないやろか』

『なるh― ああ、壬生院に動きが!』


 総大将の吉村何某が大声を張り上げる

「諸君、時は来たり! 敵は、池田屋に有り! 全隊、出動ですっ!」

「おおおおーー!」

 壬生院の道士達は守備陣形から鏃形の突撃陣形に隊列を変え、甲賀学苑右翼目掛けて突進し始める。

『これは高田さん、一体何が… 池田屋とは何かの暗号なのでしょうか?』

『そうですな、甲賀学苑右翼の弓役の池田側から攻め立てる、と言うことやないですか』

『な、なるほど。そう言えば甲賀学苑が誇る『魔弾の射手』、今戦では右翼側の大久保道士は欠場しており、三年生の池田美咲道士が入っております、』

『そうですな、故にその脆弱な弓側から攻撃を行う、さすが壬生院さんや、敵の情報を良く掴み的確な作戦を立てました!』


 場内は一気にボルテージが上がる。

 壬生院側の応援席は全員立ち上がり、

「御用改や! 不当浪士を討ち取れぃ!」

「斬り込め! 歯向かうものは斬り捨ていっ」

「上意や、上意や! 幕府に刃向かうもんは斬り殺せぇ」

「四国屋やないで! 池田屋や! 行けえぇー」

 壬生院応援席の『誠』と染め抜かれた応援旗が大きくはためいている。


「美咲ぃー、気ぃつけろ、お前の方から攻めてくるぞっ」

 中央の木から小泉浄蓮が叫びつつ、右翼から攻めてくる敵に遠矢を放つ。

 それまで一矢も放つことなくボーッとしていた美咲は一瞬にしてパニックに陥る。


 高等部二年の大エース、池田駿の妹。

 あまりに偉大な兄を持つ点で遥と似た境遇を過ごしたかと思われがちだが。

 実は美咲は全く兄を意識していない、いや勿論一古武士道士として尊敬してはいるが。

 物心ついた頃から、美咲は体を動かすことよりも絵を描いたり本を読んだりするのが好きな内向的な少女だった。

 兄が幼少より頭角を表し、五歳にして小学生の部の主力となっているのもどこ吹く風で、人形で一人遊びをして喜んでいるのを心配した両親が無理矢理刀を持たせたのだった。

 興味の無いもの、特に本人の特性に沿わないことをさせるのは育児論で言えばあまり宜しくないのであるが、性格が温厚で従順な美咲は素直にそれに従い、三歳から道士として歩み始める。

 当然兄とは隔絶の差、刀も槍も同世代の子よりも遥に劣り、弓だけは何とか人並みな腕前なのであった。

 それでも身体を動かし仲間と交わることによって、美咲の心身は成長していき、親的にはまあこれ位で十分、道士としての素質は兄に程遠いのであとは楽しんでくれれば良い、そう思っていたらしい。

 だが内向的な性格を持つ人間に多々ある『物事をとことんまで突き詰め、己の中に同化させる』要素が発現し、美咲は弓にのめり込んでしまう。

 その集中力は天才道士と呼ばれる兄も真似出来ないほどであったー

 一日中、三間(約5.4メートル)先の壁に貼った麦わらのルフィーのシールを的に矢を射続けて、三日後には麦わら帽子が擦り切れて無くなりただのルフィーにしてしまった。

 小学生になる頃には、五間(約9メートル)先の市議会議員選挙ポスター全員の目玉を射抜き、両親が選挙法違反で警察に連行された。

 中学は周囲の推薦で兄と同じ名門甲賀学苑に入学した。

 だが。

 元々、それほど古武士道が好きなわけでなく、ただ的に矢を当てることだけが楽しかった美咲は、本選(一軍メンバー)入りを目指すわけでもなく、何となく過ごしてきた。

 ただ、

 古武士道部の仲間達は大好きだった。何かを目指し真剣にそれに向き合っている仲間は眩しく見え、そんな仲間と過ごす学校生活が大好きであった。

 故に、

 三年生になり本選に入ったことは正直驚きであったし、まさか試合に自分が出られるとは夢にも思わなかった。

 初戦のラスト十分、浄蓮と交代し試合に出た時、自分が何矢放ったか全く記憶にないほど舞い上がってしまった。

 この三回戦、充の代役でレギュラーに抜擢された時も何でウチ? と驚いたものだった。

 試合は前半から膠着状態で敵陣内で進んでいたので、未だに一矢も放っていない。

 このまま試合終わるんとちゃうかな、なんて思っていた矢先、壬生院が自分のサイドに突撃したきたのだ!


 浄蓮の掛け声で正気に戻る。

 慌てて弓を引き、先頭の刀役目掛けて矢を放つ。

 美咲の矢の正確さは恐らく甲賀学苑随一だろう。だが矢の勢いは一年生にも劣り、連射などは小学生レベルなのであった。

 美咲の矢は刀役の心臓目掛けて正確に放たれたが、いとも簡単に刀で弾かれ、集団の突撃の勢いは全く止まらない。

「連射や、矢幕を張るんや、これ以上突っ込ませるな!」

 浄蓮が叫び、美咲も慌てて矢を三本同時に持ち、構えて放つ。だが勢いは弱々しく、三本とも敵集団の遥か手前で失速し落下する。


『すごい勢いだ、甲賀学苑、慌てて左翼に後退です、矢のサポートが効いていません』

『そうですな、さすが壬生院、頃合いと言う言葉をよう知っとります、この状況で弓役の交代は困難、甲賀学苑を左翼後方に押し込み、あとは力技で一人だけ削る、そんな戦法ですわ』

『ああ、すごい、すごい圧力! 耐えられるか甲賀学苑、小川と宇田に攻撃を集中させます、甲賀学苑自慢の弓役は混戦に入り援護射撃が出来ない状況です、残り五分、まさかの試合展開に観衆は大声援です!』

『そうですな、ここが耐えどきですわ。ここを凌がねば甲賀学苑の勝利はあらへん。勢いは断然壬生院や、追うものと追われるもの、どっちに勝利の仏様が微笑むやろな』


「耐えろ! もっと槍、突き出せ! 遥、右翼に回って三次のヘルプだ!」

 甲賀学苑は左隅に押しやられ、これ以上右翼の防御は意味を成さないので、左翼の遥を右翼に回し敵の圧力に対抗する。

 忠太は後ろを振り向き、

「一宇、何とか狙えねえか!」

 左翼の木の上の一宇に叫ぶが、一宇は虚しく首を振る。

 それは当然だ。如何に弓の名人でも、この大混戦の中、味方を避けて敵を射抜くなぞ不可能だ。それこそ那須与一レベルの技術とハートを持っていないと、絶対に無理な話である。

 壬生院は決して集団からはみ出ずに、巧みに甲賀学苑守備陣を包囲している。少しでもはみ出ていれば、矢で射ることが出来るのだが。

 残り、三分。

 あと三分。

 忠太にとって、いや甲賀学苑にとって永遠とも思える長さの攻防が続く。


「諸君、中央の非力なおなご刀役に集中せよ、三番隊隊長、斎藤くん、九番隊隊長、鈴木くん、突撃してくださいっ」

 別に隊長ではない壬生院刀役の斉藤何某、鈴木何某が「承知したっ」と叫び、かなに集中攻撃をかける。

 更に壬生院総大将が、

「その小さく醜悪なおなごは疲れ果てていますぞっ 諸君なら必ず斬れます!」

 と叫ぶ。

 すぐ後ろの真央が総大将を睨め付け、

「何じゃワレ、ケンカ売っとるのか!」

 とキレかける。

 吉村総大将はニヤリと笑い、

「諸君、そこの大顔の槍は無視しなさい、どうせ当たりません、つまらない槍です!」

 と挑発するように声高に言い放つ。壬生院道士達は

「ハッハッハ 承知承知。それにしても鬼瓦のような巨大な顔や」

「くだらない槍や、放っておかんかい」

「それにしてもデカい顔や、スイカップ位あるんちゃうか?」

 攻撃しながら一同大爆笑する。


 プチン


 真央の中の何かがキレた。


「ブッ殺す、ワレら!」

 そう叫びながら、かなの脇から猛然と走り出した。

「待てっ 行くなぁ!」

 忠太の絶叫は真央の耳に入らず…


 吉村総大将は満面の笑みで、

「さあ、諸君! 今ですっ!」

 その掛け声と同時に真央は包囲される、背中に渾身の蹴りを入れられ、よろめいた足を引っ掛けられフィールドに転倒し……


「甲賀学苑っ 和田真央さぁん だぁつぅらぁくぅー」


「さあ諸君! 撤退です、手筈通りに撤退です!」

「おおおおお!」


『早いっ 早いっ あっという間に壬生院道士達が自陣に駆けていきます、余りの事態に追いかける甲賀学苑はおりませんっ 何という、何という展開なのでしょう!』

『そうですねっ 挑発に乗った和田を速攻で仕留め、速やかに撤収。一連の流れは美しくもありますな、いやぁさすが壬生院さん、よう鍛えられますわぁ』

『さあ、残り時間は二分! 伴総大将の掛け声により、猛然と壬生院陣地へ殺到する甲賀学苑、

ああ、三方向からの強烈な弓の援護が入ります、容易に壬生院陣内に入れません、このままですと壬生院の一位抜けが決定しますっ』


 冗談ではないっ

 このままで終わるわけには絶対いかないっ

「突撃体勢を取れっ 一人だっ たった一人削ればいいんだっ」

 忠太は叫び、皆も呼応する。

 遥が先頭になり、両脇を蓮兎、かなが固め鏃形の体勢を整える。

 遥の目が妖しく光り、壬生院守備陣を睨みつける。


「撃ち方、やめっ」

 弓矢の防御がピタリと止まる。

 中央に陣取る吉村総大将は遥の動きを凝視している、それこそ指一本の動きさえまでも。

 遥が顎を引く、上体が前のめりになる、今だっ

「撃ち方、始め!」

 遥の突進と共に中央、左右から夥しい弓矢が飛来する。

 遥は舌打ちし、飛来する矢を払うために立ち止まるしかなかった。

「撃ち方、やめっ」

 弓矢がピタリと止まる。

 吉村総大将はニヤリと笑う、遥は歯軋りを止められない。


『残り、三十秒! 奇跡の逆転はあるのでしょうか! 県大会から数々の奇跡を起こしてきた甲賀学苑、また視聴者の皆さんの度肝を抜く大逆転を見せてくれるのでしょうか!』


 やられ方が不味過ぎた。

 総大将を支え、チームを支えねばならない副将が呆気なく討ち取られてしまったのだ。

 やられ方が非道すぎた。

 常人の二倍近くある表面積の真央の顔の大きさは、甲賀学苑中等部内では

『決して触れてはならないこと』

 として知られている。例え上級生や教師であっても、断じてそこに触れてはならない、何なら両親でさえ一度も触れたことのない禁忌なのである。

 その禁忌を破り、真央を挑発した壬生院。

 甲賀学苑の道士達は、その挑発に乗った真央に驚いたのではない。彼らがその禁忌を知っており、ここぞと言う場面で出してきたのだ。

 あの場面以外で挑発しても真央は耐えたであろう、だが彼らは…

 かなを罵倒し、真央の仲間意識を刺激し、そして個人攻撃を繰り出した。

 自分達は、完全に奴らの掌の上にいる、自分達のことは何から何まで知られている…

 恐るべき壬生院の情報力…

 忠太の叱咤激励も、底知れぬ壬生院の悍ましさに凍りついてしまう甲賀学苑道士達なのであった…


『残り、十秒、甲賀学苑の足は完全に止まっています、総大将の掛け声が虚しくフィールドに響いております、ああ、また弓の一斉射撃、甲賀学苑前に進めません、時間が無い、時間がありませんっ』


 ブォーーーーーーーーーーーーーーーーーー


『壬生院、一位通過ですっ 大波乱です、あの甲賀学苑がぁ、二位通過ですっ これで明日の決勝トーナメントォ、準決勝で伊賀中等学校との対戦が決まりましたぁーーーー』


 ネット諸氏の書き込みは秒で100件を超す勢いだ。


 甲賀学苑は、引き分けたものの、壬生院に完敗した。


     *     *     *     *     *     *


 うずくまり立ち上がれない真央を皆が宥める。

 真央の号泣する姿に下級生達も悔し涙を流している。

 何とか立ち上がらせ、甲学本陣に連れて行くと、紅葉が冷ややかな顔で、

「大方、その大顔をバカにされでもしたんやろ。この痴れ者がっ それでも副大将か? 腹を切れっ」

 と言い放つ。

 皆は硬直し、この人は何と言うことを言うのだと恐怖する。

 が、当の真央は

「その通りじゃ、その通りなんじゃ、クッソォーーーー うわああーーーーん」

 と事実を受け入れ、それを洗い流すか如くに号泣している。

 鬼かこの人は、と殆どの道士が身震いする外で、柴田は案外これは良い、と考える。

 普通この様な事態が起こったら、周囲の人間は腫れ物に触らぬ扱いをする。今回のケースならば、真央の大顔に絶対触れない様にする。

 だがそれは、メンタルの弱い人にはそうするべきだが、真央の様な鋼のメンタルを持つ人間には逆効果なのだ。

 己の弱き所を周りが指摘してくれてこそ、それを打破し前に進めるのが真央の様なタイプの人間なのだ。

 柴田は紅葉を感嘆の思いで眺める。

「ふんっ 明日までにその大顔はどうも出来まい、精々たらふく飯食うて屁こいて寝るがええ、そんで明日」

 紅葉はいつの間にか真央の前にいる。

「決勝戦であの田舎侍共を皆殺しにせいっ」

 全員、固唾を飲み込み二人のやり取りを眺める。

 真央は泣き腫らした顔を上げ、

「コロす… 絶対にアイツらを、ウチがブッ殺す! うわぁーーーーん」

 そう言って紅葉に縋り付く。紅葉はしゃがみ込み、真央の頭を撫でながら、

「武士に二言はないぞ。骨はウチが拾ったる。明日は死ぬ気でいけ」

 真央は何度も何度も頷く、歯を食いしばりながら頷く。


 皆の目に感動の涙が浮かぶ中、付き人の杉谷美晴はそのデカい体と顔を震わせながら、

 このふとについであべ。一生このふとについであべ。

 と心に誓った。

「だから、貴様は何言うとるか分からんて! 日本語喋らんかボケ!」


 こんな使えぬ下僕は懲り懲りだ、紅葉は明日の下僕は誰にしようか、と部員を見回したものだった。



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