第五章
試合開始、数分前のフィールド上。
「おい。甲学(甲賀学苑)の総大将、駅ビルの前の奴とちゃうか?」
近江古武士道研究会の刀役、前野某が同じ刀役の原某と槍役の川尻某に話しかける。
「…ホンマや。あん時、めっちゃ可愛子ちゃんに声かけた時にー」
「横から掻っ攫って行ったヤツや、間違いあらへん」
「天下の甲学さまの総大将様は、色男やねえ、チームの女食い散らかしてんちゃうか?」
川尻某がふと思いついた風に、
「そや。あの刀役のちっこい女子、アレに揺さぶりかけてみいへんか?」
前野某はニヤリといやらしく笑いながら、
「ええな、それ。やるか」
原某も荒んだ笑顔で、
「とんだ番狂せになるかも知れんな、おもろい」
「よし、いつも通りだぞ、普通にやれば負けるはずねえ、特にサンジ(三雲)、遥、下級生だからってビビってんじゃねえぞ。いいなっ」
大将らしく檄を飛ばすのだが、何せこの大観衆。下級生がビビらない訳がなく。
最上級生達も、入学以来初めての公の大会、しかも有観客の試合は初めてである。それえに加え、滋賀では過去三十年以上負け知らずの名門校、もしうっかり負けてしまえば母校の名誉をどれ程傷つけてしまうか、そんな名門校ならではの重いプレッシャーに既に飲み込まれており、副将の和田真央でさえ、さっきから尿意に苛まれているのだ。
「大丈夫だって。俺たちは甲賀学苑なんだから!」
だーかーらー、それがプレッシャーなんだってば!
口には出さないが皆宙太の言葉に胃が痛くなる思いであるー
忠太は自陣後方の三本の木を振り返る。
それぞれの木に弓役の三人が配置されており、ここから見る限りは落ち着いている感じだ、頼むぞお前ら、忠太は藁に縋るような思いで彼らの健闘を祈る。
法螺貝が、鳴り響く。前半二十五分の開始である。
遂に、三年ぶりの熱き戦いが始まる。
甲賀学苑は前半は検分役席から見て左側に陣取り、オーソドックスな1−3−4、後方から総大将の忠太、中盤に槍役の和田真央、大原譲治、佐治冬馬の三名、前列右から刀役の三雲三次、宇田かな、土山健斗、左翼に百地遥の四名を敷いている。
対する近江古武士道研究会は1−5−2、中盤に槍役三名と刀役二名、前列に刀役二名の布陣である。この布陣はやや守備重視の陣形であり、強豪甲賀学苑相手ならばオーソドックスな布陣といえよう。自陣に引き込み固く守りながら攻撃の糸口を探るやり方としては最善の策であろう。
早速中央の刀役二名が切先を交わし始める。右翼の三雲と左翼の遥がスルスルと近江陣内に侵入していく。
「よし、右だ、行くで」
前野が原と川尻に声がけし、右陣を斬り込み始めている遥の前に立ちはだかる。
遥は無心になろうとしていた。
忠太が直前に言っていた
『いつも通りだぞ、普通にやれば負けるはずねえ』
の言葉を信じて。
その通りだ。いつも通りに戦えば負ける筈がない、自分は高等部の先輩とも対等に斬り合えるのだから。
一瞬、兄の姿が心に浮かぶ、が。
『お前はお前だろ? カンケーねえだろ兄貴とは』
会った初日に言われた言葉がその幻影を吹き払ってくれる。
好きですよ先輩、コテンパに負けたあの日から。貴方を守るためなら、私はー
目前に刀二人と槍が一人。見るからにチャラそうな三人だ、構えも全然なってない、よし一気に三人をー
「おい、お前もあの総大将のオンナか?」
遥は急停止し、身構える。
「おたくの総大将、小さいけどごっついイケメンやね、こないだも駅前を可愛い女子連れてイチャイチャしとったで」
な ん だ と ……
「何や知らんけど後つけてったらな、真っ昼間からラブホ入りおって。さすが名門の総大将、ハーレム状態やな、ヒャヒャヒャ」
ラブホ だ と ……
「よし、今や!」
刀が二人斬りかかってくる。
バカめ、私を動揺させる腹づもりか。たわけ!
返り討ちにすべく二歩前に出て遥も返し斬りを試みるも、二人はサッと横に逃げ、二人の陰から槍が突き出てきてー
甘い、それ位!
遥は身を反転させながら槍の一撃をかろうじて避け、その瞬間に槍の肩口に斬りかかる。
バカにするな、そんな戯言で私が動揺するとでも!
遥の一撃が槍役を斜め袈裟斬りするその直前。
カツン
遥は背中に何かが当たる感触を覚えー
しまった! 敵の矢!
彼らの戯言に確実に動揺してしまった遥は、遠矢への注意をすっかり忘れ、目の前の三人に集中してしまっていたのだ。
場内アナウンスが流れるー
「甲賀学苑 百地遥さん だつらくぅー」
観客席が大騒ぎになる。
遥は目の前が真っ暗になり、その場に崩れ落ちた。
甲賀学苑 十対十一 近江古武士道研究会
一人差で負けている。
同じ頃。甲学右翼の三雲三次は一人奮闘している。
相手は刀一人、その後方に槍二人。三次は177センチの長身から振り下ろす連続技で相手刀役をタジタジにしている。
チラリと横を見ると、宇田、土山両先輩が相手の刀を押しに押している。
二年生の副将を務め、誰よりも熱血漢の仙台男は握る刀に力が入り、
(おらも先輩さ負げでいられねえ、必ずごいづはおらがぶった斬る!」
渾身の一撃を相手の頭上に送る、敵は刀で受けるがそれ以上の三次の斬りの重さに耐えきれず、刀は敵の脳天を一撃する。
凄まじい一撃に敵は目を眩ませる、その一瞬の隙を逃さず三次は敵の胴に中段蹴り、敵はそのまま尻餅を付き、背中が地面に触れる。
古武士道では、使用する武器以外に、手技、足技が認められている。特に刀役は刀でダメージを与え、蹴りや殴打で相手を地面に倒すのが常套手段なのだ。戦国時代の実践的な武術が令和の世にも脈々と引き継がれているのである。
「近江研究所ぉー、兼松佳樹くん だつらくぅー」
甲賀学苑 十対十 近江古武士道研究会
同点である。
観客席はお祭り騒ぎだ。
よし、このまま槍二本もこの俺が…
遠矢を避け、槍に近づくと左側の槍が刺突きを入れてくる、それを刀で払うー
パキン
三次の刀は、根元から真っ二つに折れてしまう…
観客席から悲鳴が上がる。
三次は何が起こったのか理解できず、一瞬立ち竦んでしまう。
そんな馬鹿な…
おらの愛刀、会津兼定がこんなしょぼい槍をかわすだげで、折れる筈がねぇ……
その様をフィールド横でニンマリと笑いながら、三年生の小川蓮兎が眺めている。
同期後輩から人格者と慕われ、後輩の指導にも定評があり、何か困ったことや問題が発生すると、忠太も真央も即座に頼る、そんな蓮兎が後輩の刀が折れたことに軽く頷いているー
蓮兎はハッとして辺りを見回す、誰も自分を見ていない。
よし、誰にも気づかれんかったようや、これで次の試合は俺がー
シュッ
遠矢が三次に襲いかかる、三次はハッとして折れた刀で弾きとb―
んぐっ
強烈な槍の刺突きを腹部に受け、思わず二、三歩後退する、いつの間にか左側に回っていた敵の槍が脚を豪快に払ってくる、しまった! 腹部の衝撃が戻ら ず、脚払いをそのまま受けてしまい、三次は尻餅をついてしまう。
転倒しても背中さえつかなければ脱落にならない。故に、敵の背中を地面に触れさせるための地上格闘戦も古武士道の大きな魅力なのである。
慌てて左手を芝につき、右手は刀を離さないように脇を締める。刀を手放したらその時点で脱落となるからだ。
その刹那、片手に槍を持った二人が三次にのしかかってくる、それを避けようと左側に反転するのだが、槍役の膝蹴りが再度腹部に入り、またもや息がつまる。
クソ、槍のセンパイ方、早く助けてくr―
二人がかりで両腕を掴まれ、強引に背中を芝に叩きつけられてー
「甲賀学苑―、三雲三次くんー だつらくぅーー」
甲賀学苑 九対十 近江古武士道研究会
あの、甲賀学苑が県大会緒戦で早々に二人も脱落―
前半開始七分。信じ難い事態に、観客席は大騒ぎとなるのだった。
* * * * * *
(何やっとんねん、サンジ…)
自陣裏の木の上。弓役で二年生のエース格である望月一宇が呆然としている。
相手が弱小チームなだけに、一人少なくなれば確実に自陣に下がり守備固めに入るだろう、そうなると自分達弓役の仕事は、無い。
案の定、近江古武士道研究所は三次を倒すないなや、サッと自陣に引き下がり、後方からの遠矢の支援を受けつつ刀三枚、槍三枚で並列のブロックを作ってしまった。
こうなっては、刀二本、槍三本そして総大将の甲賀学苑は、迂闊に敵陣に突撃出来なくなる。
しかもこんな序盤に一枚多く削られる想定は戦前には全くしておらず、フィールド上で戸惑いの動きが多々見られる。
(このままではすぐに前半終了し、後半も同じことされてしまうやないか…)
ルール上、弓役は木から降りて攻撃に参加することが出来ない。ただ後ろから味方が攻めあぐねるのを眺めるしか無いのだ。
(チュータさん、早くなんとかせんと、あっという間に試合終わってまうで)
弓役として参戦している己がこれ程むず痒く感じた試しは、ないー
一宇が入学した頃。世はコロナ禍真っ只中であり、満足な修行をこなせずに古武士道部に入部した。さぞや先輩道士は修行に明け暮れていたーそう思い身構えていた一宇は、一つ上の二年生達に唖然とし、失望する。
彼らはコロナ禍をいいことに、ろくすっぽ厳しい修行をこなしてこなかった様子で、刀では伴忠太先輩には敵わなかったが、残りの先輩は一宇よりも相当格下であった。槍は流石に重量級が揃っており、和田、大原、佐治には到底敵わなかったが、弓に至っては一宇に敵う先輩はおらず、ずば抜けて強かったのだ。
こんなものなのか、甲賀学苑は?
同期の三雲三次も一年間の修行を経て、堂々刀役のレギュラー入りを果たしている。
彼も三年生の不甲斐なさに不満を抱いており、このままでは近畿大会で惨敗するのでは、と危惧していたのだ。
確かに伴忠太は、凄い。一宇の古武士道道士としての歴史の中でも、これ程アジリティに富み力強い刀を振る道士は見たことがない。
だが、他の三年道士達はー
『甲賀三本槍』と自画自賛しているが、一宇や二年の服部は最近互角の戦いが出来ている、そんな程度だ。力は強いが戦略性に欠けており、誰かが言った『三ぼんやり』の方がしっくりくる。
『魔弾の射手』と言われている、自分達、弓。だがその実態は、突出した自分の弓の技術を三年の大久保、小泉がサポートしているだけであり、二人が誰に変わっても今の実力と大差ないであろう。ハッキリ言って、『まだまだの射手』なのだ。
そして。
刀… まさに絶望的としか言いようがない。
去年まではチュータ先輩が刀役に入っていたし、『甲賀の女狐』がいたから、甲賀学苑の刀はずば抜けた攻撃力を誇っていた。
だが、女狐が卒業しチュータ先輩が総大将で最後列に下がるや否や、その攻撃力は正直言って地の底に落ちた。
三年の宇田先輩は技は確かだが集団戦術に必要なコミュニケーション力が不足しており、いつも一人相撲をとっている。土山はマジで胸糞悪いクソ野郎だ。大して技もキレも無いくせに、 常に偉そうに自己顕示し周りを見下している。当然コミュ力ゼロなクソだ。
小川先輩は本当に優しくとても面倒見の良い人だが、正直その力量は甲賀学苑レベルではない。
二年のサンジは頑張っているが、周りが誰も連携を取ろうとしないせいでよく孤立してしまう、今もそうだった、もっと後方の槍が積極的に後方支援してくれていれば、こんなことにはならなかったのだ。
(大野)雫も(上野)澪も来年は期待出来るが、今年は厳しい。二人とも技術的には三年に遜色ないし、抜群のコミュ力があるのだが。体力が絶望的に足りていない。やはりコロナ禍の修行不足が響いているのか。
もしも。
百地遥が入部してこなかったら。
本当に滋賀県予選も危なかっただろう。
だが、その遥が、真っ先に討ち取られてしまった。正直、全くの想定外であり、樹上の一宇は持っていた弓を思わず取り落としそうになった。
あの場面も、遥は一人で三人を相手していた、遥なら斬り抜けるだろうと思ったが。やはり新入生のメンタルでは、如何に天才的な技術と知性を持ち合わせていても、この大舞台では実力を発揮するのは難しかったのだろうか。
一矢も放つことなく。
あっという間に前半が終了してしまう。
「何やっとんじゃ、甲学!」
「やる気ないなら、とっとと帰れー」
「ちゃんと修行しとたんか、このヘタレどもがぁー」
凄まじい罵声が容赦なく甲学の道士達に降り注ぐ。
「ええぞぉー、近江ぃー」
「このまま凌げやー、大々金星やでぇー」
「甲学ぶっ潰せー」
まさかの近江道士達の奮闘に観客席は大盛り上がりだ。
ハーフタイムは十分間、ここで立て直しをせねば、屈辱の初戦敗退となってしまう。
次期エースとしての自覚を持つ一宇は、樹上から飛び降り見事な着地を決め、真っ先に甲賀学苑ベンチに走って行く。
甲賀学苑本陣は静寂に包まれている。
遥は真っ青な顔でうずくまり、三次は先祖伝来の会津兼定を両手に抱き、ぴくりとも動けない。
忠太はそれを眺め、
「サンジは刀があれじゃ、決勝は無理だな…」
と呟く。それを聞いた真央が、
「次なんて考えとる暇あるか! 後半どうするんじゃ?」
絞り出すように叫ぶ、他のメンバーは下を向いたまま顔を上げられない。
分かんねえよ… こんなこと初めてだよ、どうしていいかなんて俺に分かるはずねえだろ! と叫びたいのをグッと堪える。
そんな中で二年生の望月だけが睨みつけるように忠太を見ている、
「おい一宇、なんか言いたいことあるのか?」
一宇は燃える思いを全て吐き出したい衝動に駆られるが、大きく息を飲み込み、
「敵は後半、完全に引きこもると思います、かといって無闇に攻めれば敵の矢の餌食になるでしょう。敵の大将首狙うんでなく、一人、そう一人でいいから削り、最低でも弓矢戦に持ち込みましょう。それが現実的かt―」
三年の土山が吠える。
「そんな屁っ放り腰な戦い方、甲賀学苑が出来るわけねーだろ! バカ言ってんじゃねえよ、雑魚がぁ」
「では他にどうすれば? 刀二本削られてるんですよ、総攻撃なんて無理でしょ」
「なんじゃわれ、俺を馬鹿にしてんのか、俺とかなの二本じゃ役者不足とでも言いてえのか?」
「…そんなこと言ってないでしょ」
忠太も周りもハラハラしながら二人の討論を眺めているだけである。
「即落ちする一年坊に、刀折られてる二年坊、足引っ張ってんのてめえらだろうが!」
遥がヒッと呻く、そして三次は抱えている刀を取り落とし、号泣し始める。
お前なぞサンジの足元にも及ばねえくせに!
一宇はこの一年間抑えていた感情が抑えきれなくなる!
「オメらがしゃんとしてねえがらだべが! 上級生どしておらだづをちゃんと引っ張ってぎてねえがらだべ!」
二年生は驚愕する、あの無口な一宇がこれ程激情に駆られ怒鳴り散らすとは…
「あんな一宇、チョー初めてじゃん」
「うわ… キレとるわー でも、言ってること間違ってないしー」
サポートメンバー達も皆頷いている。
土山は全身をブルブル震わせ、
「ざけんな、テメェー」
いきなり一宇に掴みかかる、一宇も一歩も引かずに掴みかえす。
やめんか、よせ、放さんかい、やめてー
甲賀学苑本陣の大乱闘騒ぎにスタンドはどよめき、呆れ果てる。
「いい加減に、せんかぁーーーー」
フィールド中に響き渡る怒声。
もみくちゃの甲学メンバーがピタリと動きを止め、その発声源に振り向く。
新任の顧問、柴田勝己が鬼の形相で仁王立ちしている。
「滋賀県の、近畿の皆さんにこれ以上恥晒すんか? 見てみろ、みぃーんな呆れて笑うとるよ、ほら、あの子なんて大爆笑しとるやないか、ウケるー、ってか?」
怒声から一転し、穏やかな諭すような声音にメンバーはスタンドを見回し、己の所業に気付き、犯した罪を知る。
「ほれ忠太、スタンドのお客さんに詫び入れんと。それが社会人としてのケジメやで」
日頃の忠太ならウッセーばぁーか、と無視する所なのだが、無意識のうちに頷き、スタンドに向かい、
「お騒がせして、すんませんしたぁー」
と叫び、四方に頭を下げた。
慌てて他のメンバーも
「サーセンしたーー」
と口々に言いながら、ペコペコ頭を下げ出す。
その様子にスタンドは大爆笑となり、事態は何となく有耶無耶に流された感じとなる。
「よぉーし、お前らちいと集合!」
教室では皆に無視されてしまう所だが。メンバーは素直にサッと柴田を囲む。
「俺な、古武士道のことサッパリ分からんけどな。でも言わせてもらうで。前半のお前ら、みーんなバラバラ。個人個人に勝手に戦っとる。それに対して近江、ちゃーんと連携とって戦っとる。百地も三雲もやられた時、相手何人やった?」
気が動転しているメンバーは、古武士道の素人である柴田の話を不思議と真剣に聞いている。
忠太は、正直乱闘が起こった時、この場から逃げ出そうとした。柴田の一喝で救われた気がした。今はただ、彼の言葉が乾いた大地に滴る水のように、彼の心に染み入っている。
「それに対し、ウチの攻撃。宇田も土山も独り相撲しとるようにしか俺には見えへん。どうなんや二人?」
かなが口ごもりながら、
「それ…は…」
「後ろの槍のサポート、土山との連携、ちゃんと考えとった行動をしとったか?」
かなは項垂れ、
「なんや舞い上がって、目の前の敵斬ることしか、考えてません、でした…」
柴田は頷き、
「土山、お前はどうや? 百地が囲まれた時、サポートに行ったか? 三雲が倒された時、周りに指示出したりしたか? そもそも、二人のピンチに気付いてたんか?」
土山はキッとなり、
「素人が語ってんじゃねえよ、俺には俺のやり方があるんだよ、」
場はシンとなる。主に二年生が一斉に土山を睨み付ける。
「そや。俺は素人や。でもな、こんな素人から見ても、お前は周りを見てない、見ようともしない、単なるエゴイストにしか見えへん、そう言うとるんや。逆に教えてくれへんか。古武士道ゆうんは、お前みたいな奴が十一人バラバラで、団結した相手を突破する、そういう武道なんか?」
土山はぐうの音も出ず、知るかバーカ、と呟きながら水分を取りに囲いから離れて行ってしまう。
柴田はちょっと寂しそうな目で土山を追い、そして
「さあ、忠太。後半どないする? 望月がさっき言った意見、どう思う? 真央、お前はどうや、さ、時間ないで、さっさと話し合わんと」
忠太は柴田に対して初めて、
「はい、分かりました」
と頷き、話し出す。
…あの忠太が俺に敬語、しかも会釈…
教室にいて授業しているだけでは、奴は卒業までこないな態度は見せんかったろう、そう思うと部活動の顧問、実にやりがいのある仕事なのでは、と感じながらメンバー達から離れる。
「随分、顧問らしい振る舞いだったじゃない」
後ろから声がして、振り返ると高等部顧問の前田りえが何故か苦々しい顔で柴田を見下ろしている。そして徐に弓を弾く動作をし、架空の矢を柴田の胸に突き刺した、関西人の柴田は当然のリアクションとして「あああー」と叫び、その場に倒れる。
それを見ていた周りの観客が手を叩いて大喜びするー
* * * * * *
後半開始の法螺貝がフィールドに鳴り響く。
忠太、真央、一宇が中心に話し合った結果。
刀二枚を小川蓮兎、上野澪に変更した。
宇田かなは下唇をギュッと噛み、土山はふざけんなと言って給水用のボトルを蹴り飛ばした。
そんな土山を一瞥し、澪は
(サンジの敵、ウチがとるし。あとチュータの命、ウチが守るし)
初出場の緊張感は全くなく、むしろ込み上げてくるアドレナリンを抑えるのに必死である。
小川蓮兎のこと。
ちょっと違う方向だが、フィールドに立つことができた。
昨夜。
厳重に管理されている部室の武具庫の鍵をそっと開け、三雲三次の刀を手に取る。
仙台出身の三雲家伝来の、会津若松の有名な刀工である会津兼定。その第十二代友弥兼元作の刀を震える手で握りしめる。
戦中にこれが折れれば、俺が交代で入れるし、次の試合はスタメンや。
他人が見たら目を疑うであろう、何故なら蓮兎は人格者であり誰に対しても優しく穏やかでー
冗談ではない!
俺が子供の頃から、どれほど我慢我慢我慢我慢―
どれだけ我慢と忍耐をしてきたのか知っているか貴様ら!
本来の俺は人格者などではない、人格とは生まれ持ったものではなく生後積み重ねていくものだ、それも己を殺しながら歯を食いしばり血を流し続け…
そんな俺の努力と苦痛も知らないで、俺のことを人格者だと褒め称えるお前らは皆馬鹿野郎だ。
俺だって、試合に出たい。後輩に負けたくない。
俺だって…
三次の刀を床に置き、持ってきた鉋で目立たぬように傷をつける。
そして元通りに刀を置き、保管庫の鍵を閉め、部室を立ち去る。
これで、俺は明日…
望み通り、計画通り。自分はフィールドに立っている。
サンジには悪いことをした、だが俺がここに立つためには仕方ないことだったのだ、あとは俺に任せておけ。
蓮兎は重い心を引きずるように、敵陣目指して駆け出した。
前半と打って変わり、甲賀学苑の連携は格段に強くなる。刀役と槍役は間隔が近くなり十分なコミュニケーションが即座に取れる位置取りだ。
刀役二人が前に出て、すぐ後方の槍役が飛来する遠矢の注意を促す。近江側は決して攻めて出ようとせず、総大将の周りを残りの刀と槍で囲い、時間切れを狙い我慢強く守備を構築している。
一宇の提案により、まずは近江を一人削る。
その共通認識の元、誘いをかけるが近江は全くそれに応じず。ただ時間だけがジリジリと過ぎていく。
相手の弓の精度はセンター(真ん中の木)の弓役は中々だが、レフト、ライトは大したことがない、故に右翼から攻撃をかけてみるが埒があかず、左翼に展開し直し仕掛けるも徹底した防戦に甲学メンバーの焦りが募りだす。
残り時間十分を切る頃には、観客席は異様な雰囲気に包まれだす、まさかあの甲賀学苑が初戦で負けるなんて…
在学生や卒業生ら甲賀学苑関係者の声援は悲鳴に変わりだし、それ以外の観客はまさかの大金星の予感に歓声を上げだす、もはや観客席の七割方は近江の応援となり、その雰囲気が重くフィールド上にも漂い始める。
こんな筈では無かった…
自分がフィールドに立ちさえすれば、あっという間に逆転し、自分が甲賀学苑を勝利に導ける筈であるのに…
蓮兎は飛んでくる矢を払いつつ焦燥に駆られだす。このままでは一人差で負けてしまう、後半から出場した自分が何も出来ずに、敗戦の責任を一手に押し付けられるに違いない…
自分が何とかしなくては。
俺が甲賀学苑を勝利に導くんや!
「ミオ、真央、俺が左翼を突っついて誘い出す、サポート頼むで!」
「蓮兎さん、無茶や、ラスト三分のチュータを待った方がー」
「そうだ蓮兎、最後まで我慢じゃ、無理はつまらんっ!」
これも一宇の提言である、もしも敵がガチガチに守備を固め、手も足も出せない状態が最後まで続きそうならば、ラスト三分で総大将の忠太を核に総攻撃をかけよう、と。
古武士道の試合は最終的に敵の総大将を倒せば勝利となる、故にラスト三分に残りの刀と槍が敵陣地に特攻攻撃をかけ、その間隙をつき忠太が敵の総大将を屠る。
敵の総大将と忠太ならば、一、二分で忠太が決着をつけてくれるだろう。
忠太の力量を鑑みた一宇の提案なのであった。
だが。
蓮兎の己を偽る柔い精神は、今この場の窮地をじっと耐えられる程強くはなかった。
「行くぞ、ミオ、真央、ウオォーーー」
突如左陣から斬り込みだす蓮兎の後を
「ちょ、待てって、ヤバいって!」
「ば、バカーー」
と叫びながらも澪と真央がフォローする。
敵のチャラそうな刀役が怯えた表情で構える、蓮兎は無銘の愛刀を渾身の力を込めて振り翳し打ち下ろす。
「ひぃー」
近江の前野某は目を瞑りながら激情に駆られた一撃を受け止める、コイツあかんわ、めっちゃ強烈な打ち込みや、あかんあかんあかん…
パキンっ
フィールドに刀が真っ二つに折れる音が響き渡る。
前野某が恐る恐る目を開くと。
自分が受けた敵の刀がパッキリ折れているではないか!
隣にいる原某と川尻某に、
「チャンスや、押し倒せ!」
と叫ぶと、澪と真央の攻撃を巧みに避けつつ、原と川尻が素早く呆然としている蓮兎を引き倒し、あっという間に背中を芝に押しつけてしまうー
「甲賀学苑―、小川ぁー蓮兎ぉーくんー、だつらくぅーーー」
後半十八分、残り時間七分。
甲賀学苑 八対十 近江古武士道研究所
甲賀学苑は、二人差で負けている…
* * * * * *
紅葉はジッと忠太を見つめ続けている。
何をしとるのじゃ忠助、あんなヘボな矢、刀、槍、お主の敵ではなかろうに!
何故に打って出ぬ、お主の敏捷さと打ち込みならば、簡単に切り崩せるだろうに!
試合開始からずっと、あまりの道士達の動きののろさと技の拙さと、戦略性の無さとそして何より、覇気の無さにウンザリとしていた紅葉であった。
早々に遥が脱落した時には大笑いした、今度たっぷり稽古でもつけてやらぬとな、と。
前半が終わり、後半に入っても後方で何もせずジッと戦況を眺めている忠太にジリジリしてくる、あないな敵、お主なら瞬殺できように。
怯えた様な、諦めた様な表情が忠太の顔に浮かび始めた時。
紅葉は心底、腹が立った。
忠太郎どのはあんな表情は決して見せなかった。
死線の中でもその目に怯えは無く、常に敵を求めそれを破っていた。
種子島(鉄砲)が飛び交うあの戦場で、活き活きとした目で敵を求め、斬り下ろしていた。
確かにお主は忠太郎どのではない、忠助ごときじゃ
じゃが、忠どのに瓜二つのその顔、その声、身体つき、動き、
何故に忠どのの如く出来ぬのじゃ
お主なら出来るのじゃ、うちは知っておる
お主は出来る、お主なら出来る
何故ならお主はー
忠太は足が竦んでいる。
俺が大将をやっているチームが、県大会初戦で敗れてしまう…
何も出来なかった、何も考えられなかった。
ハーフタイムのいざこざも、シバ先が収めてくれなかったら、最悪没収試合とされていたかも知れない。
後半の作戦も、一宇の奴が決めてくれた、俺は何も言えなかった。
前半で脱落してしまった遥とサンジに気にするなの一言も言ってやれなかった。
そして後半、戦況を変えることは何一つ出来ず、ダラダラと時間を使ってしまった、そして今。
蓮兎の暴走を止めることすら出来ず、二人欠けの最悪の状況を作ってしまった。
全て、俺の不甲斐なさだ。
一体俺は今まで何をやってきたのだ…
真摯に古武士道に向き合ってきただろうか
否。辛い修行からできるだけ逃れ、楽な修行を率先して行ってきた。
仲間を、同期、先輩、後輩を敬い信用してきただろうか
否。同期、後輩はいい仲間であるが尊敬どころか信用したこともない、ましてや先輩に対し。
自分を暖かく見守ってくれている者への感謝の気持ちを持っているだろうか。
否。応禅寺の良閻、志徳寺の蕭衍、担任の柴田教諭、『旅人』関係の田所、八田。親に捨てられた自分を拾い、育て、守ってくれている人達への態度は我ながら酷いものであった。
こんな俺が、この場に立っていて、いい筈がない…
忠太の両目に涙が溢れてくる。
ふと、スタンドの甲賀学苑応援席に目をやる。
涙越しにスタンドが揺れて見える、そんな中に。
仁王立ちしてこちらを、自分を睨め付ける姿が目に入る、
ああ、間違うはずもない、
紅葉のやつだ…
そんな紅葉と目と目が合った瞬間。
凄まじい衝撃を感じ、思わず膝に手をやる。
頭がグルグル周り、胸の奥から炎のような感情が湧き出てくる、やがて自分の意識がどんどん遠くなって行き……
ここは、何処じゃ
見たことのない景色に忠太郎は大いに戸惑う、そして己が己でない感覚に思わず両手を眺め入る。
ここは合戦場? それにしてはこの清々しさは何ぞ? 周りから見ておる大勢の人は一体?
忠太は自分が自分でなくなっている感覚に唖然としつつも、一瞬にして状況を把握する。
俺の中に、忠太郎が居る!
忠太郎も漸く状況を把握する、儂は非る時代におり、他人の意識を支配しておる、と。
やがて忠太郎の意識に忠太の記憶が注ぎ込まれ、完全に今置かれた状態を認識する。
忠太も意識は朧げに残り、まるで忠太郎と融和したかの感覚となりー
「「このままでは、いかん!」」
スコアボードは、残り三分を示していた。
「真央、ジョージ、トーマ。時間がない、突撃じゃ、援護致せ!」
「よ、よし」
「が、がってん」
「うっしゃー」
「ミオ、まずはお主が斬り刻め、倒されても構わぬ、破れ目を作り出せい!」
「ういーっす、骨は拾ってよお、いっくぞー、おりゃぁーー」
澪が先頭となりその直後に真央、佐治冬馬、大原譲治が続く、更にその背後に忠太がつく。
五人は一つの鏃と化し、その先端が近江防御網を軽々と打ち破る。
起死回生を狙った突撃に場内は一瞬で湧き上がり、大歓声に包まれる。
甲賀学苑応援サイドはもはや全員が立ち上がり、出せる限りの声を絞り出している。
近江応援サイドも立ち上がり、悲鳴にも似た大声援を送り続ける。
興奮の坩堝と化した観客席だが、数分後の結末は誰も知る余地もない。
「な、なんや突然―」
「囲め、回り込んで突けやー」
慌てて近江守備陣は防御網を厚くし、その突撃を受け止める。
「こっちの方が人数多いんや、耐えろ、耐えるんや!」
「あと三分や、踏ん張りどきや、気合い入れんか!」
大金星を目の前に、必死で食い止める近江道士たち。
先頭の澪が左右から槍で突かれ、思わず前のめりに倒れるが刀は離さない。それを守るように譲治、真央が倒れた真央の前に出て、敵の追撃を食い止める。
弓矢が雨霰の如く襲ってきていたが、混戦となり味方に当たる恐れがあるので、ピタリと止む。
だが人数の多さが敵に幸いし、総大将まであと五メートル程で突撃は膠着してしまう。
「あと一分ですぅー」
場内放送がかかる。
近江応援サイドから、
「あと一分、あと一分」
の大合唱が起こる。
甲賀学苑サイドは膠着してしまった攻撃に全員が頭を抱える。
転倒していた澪が立ち上がり、
「まだまだぁーーー」
と斬り込み始めるが近江も必死、鬼の形相で総大将までの距離を保っている。
「残り、三十秒ですぅーーーーー」
場内が更に盛り上がる。
このまま守り切り、滋賀県史上最大の大金星が目の前で見られるのか、
それとも伝統と名誉が三十秒で近江を打ち砕くのか。
場内で座って見ている観客はもはや一人もいない、全員が熱狂し最後の瞬間を見届けようと大声を出している。
紅葉も一際大きな声で叫ぶー
「飛べぇーー、ちゅーすけぇーーー」
最後部で虎視眈々と状況を睨んでいた忠太と忠太郎の耳に、その声が届きー
「残りぃ、十秒ぅーーー」
のアナウンス。
「冬馬ぁー、背中を借りるぞぉー」
冬馬は背後からの声に、思わず腰を屈め首を下に向け。
その直後。
冬馬は背中にすごい衝撃を感じる。と同時に忠太の意図を理解し、全身の力を腹筋と背筋に集中させ、忠太の踏み込みをしかと受け止め、そしてー
忠太郎は冬馬の背中を踏み台にし、前方へ大きく跳躍する。
忠太は鳥になった気分になる。
忠太郎は敵総大将を視認し、目標を定め体を丸める。
忠太は敵の総大将が呆気に取られこちらを眺めている姿を視認する。
忠太郎はそのまま膝を抱え、前方に回転し刀を構える。
忠太はなんじゃコレと思いつつこの先の結末を予感する。
忠太郎は回転の勢いのまま刀を大きく振りかぶり、総大将の頭上に振り下ろす。
忠太は思わず叫ぶ
「甲賀忍法 車落としぃーーー」
その声が耳に届いたのは、近江の総大将だけであった……
回転の勢いから繰り出された一撃は、近江の総大将がしっかりと刀で受けたにも関わらず、
バキッ
総大将の刀は砕け散った。
そして勢いのついた一撃はそのまま総大将の兜頭巾の脳天を直撃する!
昨年の世界大会から採用され、普及しているセルロースナノファイバー製の兜頭巾。セルロースナノファイバーは樹木のセルロースから作られ、強度は鋼鉄の五倍、プラスチックより軽く透明な素材だ。
兜には衝撃吸収素材も入っているので、激しい打ち込みにもそれまでの素材のように割れたり傷つくことがない『究極の兜』と呼ばれている。
この最新武具を安価に提供しているのがオグネル社の傘下企業のスポーツ用品会社であることは、今は関係ない。
その、『セルナノ』製の兜の脳天に、忠太郎の一撃が打ち込まれる。
凄まじい衝撃に吸収材が耐えきれず、総大将の脳を存分に揺らす。
総大将は、一瞬で気が遠くなる。
そして、そのままの姿で、ゆっくりと後ろに倒れていく。
倒れて、いく。
「近江古武士道研究会ぃーーー、そうだいしょおぉー だつらくぅーーーーー」
一瞬遅れて、法螺貝が場内に響き渡った。
残り一秒、奇跡的な甲賀学苑中等部の勝利に、近江古武士道フィールドは歓喜と悲鳴と怒号が混然とした大歓声に包まれた。
金創役(救護班)が猛ダッシュで、倒れてピクリとも動かない近江総大将の元に駆けつけ、そして絶句するー
「嘘…やろ…」
「割れ…とる…」
最新科学の結晶が、古の忍術に打ち砕かれるー
* * * * * *
忠太に踏ん付けられ大の字に倒れていた冬馬がそのままの姿で飛び起きる。
相手刀役(前野某)にしがみつかれてもがいていた澪が前野を突き飛ばす。
敵の攻撃から身を挺して槍を振り翳していた真央と譲治が槍を取り落とす。
一矢も撃っていない一宇が知らぬ間に弓を落としていた。
皆、一斉に刀を振り下ろした姿のまま硬直している忠太の後ろ姿に駆け寄り、しがみつく。
「なんちゃあれ! お前、なんなんちゃ今んな!」
冬馬が興奮して忠太にしがみつく。
「チュータサイコー、ちょーサイコー、まじ神、まじ尊いっ!」
澪が忠太の首に縋り付く。
「勝った! 勝ったぞこの野郎!」
「やった、やった、やったゾォー」
真央と譲治がそれに飛びつき抱きしめる。
近江の道士たちがその場に崩れ落ちる。
甲学本陣内は大騒ぎだ。
遥はその場に立ち尽くし、流れ落ちる涙と鼻水を拭おうともしない。
三次はしゃがみ込んだまま、折れた愛刀をきつく抱き締める。
それ以外のサブメンバーやスタッフは皆抱きしめ合い、歓喜のジャンプを繰り返している。
柴田勝己はたった今目の前で起きたことが、理解できないでいる。
敗色濃厚であった、いやほぼ負けが確定していた。
だが、ラスト三分、いやラスト一秒
目の前で奇跡が起きた、まるで小説や漫画に出てきそうな、信じられない奇跡を目の当たりにした。
後半は見違えるような動きと連携で、守備を固める近江守備陣に幾度も攻撃を仕掛けていた。
前半からこの動きができていれば、このような結果にはならなかったであろう。
だが、どれほどこちらが攻めても相手はびくともせず、鉄壁を崩す術はないのでは、と半ば諦めかけていた。
だが、ラスト一秒
俺は、見た。
忠太が跳んだのを、見た。
まるで人の為せる技とは到底思えない、人智を超越した術をこの目が見た。
確か、誰かの背中を踏み台にし、そして前方に高く飛び上がり、そして空中で一回転しそのままの勢いで敵将の頭上に刀を振り下ろした。
サーカスじゃないんや、俺の見間違いか? あないな技、人間業やない、できるはずがない。
「化け物ね、あの子…」
気がつくと真後ろに前田りえが立っている。え、いつの間に? 柴田は慌てて振り返る。
「たった一人で戦をひっくり返した。こんな試合、古今東西見たことないわ。」
「そんなもんですか、何せ僕は今日初めて古武士道の試合をちゃんと見たんですけど」
りえは柴田を何故か上から下までじっくりと舐めるように眺めてから、
「貴方、がいいわ。近畿大会に向けて、この子達をしっかりと指導して頂戴ね」
そう言うと、信じられぬ程素敵な笑顔で去っていき、途中立ち止まりまた弓矢で柴田を射る動作をした。思わず真剣に両手で心臓を押さえてしまう。
古武士道。か。
ちょっと高鳴った胸を抑え、喜び飛び跳ねる道士達に近付いていく。
忠太は味方にもみくちゃにされながら呆然としている。
あれ… 忠太郎が、いない…
俺しか、いなくなっている…
一体今のは何だったのだ? 俺の中に俺と忠太郎が居た、そして共に戦った。信じられない身体能力だった、刀を持って蜻蛉返りなんてやったことねえし…
敵も味方も、止まって見えた。飛んでくる矢を手で掴めるかと思った。体が異様に軽かった、息が全く上がらなかった。
これが、あの時代の、伴忠太郎だったのか?
紅葉と共に戦場を駆け抜けた、甲賀上忍の伝説の忍者、伴忠太郎信定その人だったのか?
金創役の人が唖然としている、総大将の鎧頭巾が真っ二つに割れている。
俺、じゃない。
忠太郎だ。
俺にセルロースナノハイバー製の武具を叩き割るなんて芸当は出来ない。
残り数秒で戦況を一転させる知恵も度胸も技も、無い。
俺じゃない、俺じゃない…
でも手には未だに相手の刀をへし折り脳天を叩き割った感触が残っている。
観客席の紅葉を探す。
寺の小僧達と抱き合って大騒ぎをしていやがる……
「よっしゃ、次だ次。次勝たねえと意味ねえぞ。おいいい加減離れろミオ、って痛えなオメエ、首筋に歯形残してんじゃねえ、バカやろー」
勇敢なる道士たちに囲まれ、甲学本陣にゆっくりと歩き出す。
「あの、ハーフタイム、マジでありがとうございました。せんせがアレしてくれなかったら、確実に俺らやられてました」
…あの、伴忠太が、俺に頭を下げておるやて? しかも(ほぼ)完璧な敬語やで!
「この後、決勝戦の相手が決まる試合、一緒に観てくれません?」
…なんか、むず痒い…
「ええよ、でも条件があるで」
…どうしてこっちの人間は、すぐに条件を付けたがる…
「…何すか?」
「その言葉遣い。キモいから、今まで通りで。な」
「マジすか、折角心入れ替えようと決心したというのに」
「慣れんことはせん方がええよ。お前はお前のままで。それでええと思うよ」
忠太はプッと吹き出して、
「じゃ。シバセン、決勝も頼むぜ。しっかり俺らのこと、見ててくれよ」
柴田もプッと吹き出し、
「お前、先生に向かってなんて口きいとるんや!」
忠太は笑いながら、
「これだから関西人はウゼえ」
と呟くと、何でやねん、と美咲にどつかれる忠太を眺め、こいつらの成長をしっかりと見つめていこう、そう心に誓う柴田であった。
歓喜冷めやらぬ甲学本陣で。
開始早々、己の未熟さ故に脱落した遥、先祖代々受け継がれた家宝とも言える愛刀を折ってしまった三次は勝利を喜ぶ心の余裕が全くなかった。
そして、
小川蓮兎のことである。
同期、後輩が集まり、悲運にも折れてしまった刀のことを慰め、あの状況で果敢にも突進した勇気を褒め称えてくれる。
蓮兎は笑顔を顔に貼り付けるのが精一杯であり、返事をすることが全く出来なかった。
何でやお前ら、何で俺に構う? 優しくする?
これがホンマもんの俺や、他人の刀を傷つけ自分がそいつに成り替わり、その代償に自分の刀を折ってしまう、因果応報のど真ん中におる。それが本当の俺や。
昨夜のことを誰かに気づいて欲しかった、他人の命を傷付けるなんてやめろと言って欲しかった。自分を慕う後輩を裏切るなんて人非人だと指差してほしい、そんな腐った心の入った刀が折れるのは当然やと唾棄してほしい…
だが。
その願いは叶わず、大将の忠太までが、
「蓮兎、ナイスファイトだったな。すまねえ、フォロー出来なくて。それと刀、残念だったな……」
思わず蓮兎は耳を塞ぐ。やめてくれ、やめてくれ!
ふと、視線を感じる。膝を抱えた三次が自分を見つめ、
「刀は会津っす。今度の休み、一緒に見に行きません? 俺の親戚が刀匠なんで、安くさせますから」
と引き攣った笑顔をよこす。
あああ、俺は、なんてことを……
蓮兎は三次に抱きつき、涙をボロボロ溢しながら、
「サンジ、すまん、サンジ、許しておくれ、サンジ…」
何も知らぬ三次も蓮兎を抱きしめポロポロ涙を流す。
俺は、お前らのために、これからは、お前らみんなのために…
この日以来、人格者小川蓮兎はこの部から消え、厳格者小川蓮兎と相成り後輩一同に愛の鞭をしならせ続けるのである。
望月一宇は震えが止まらない。
やってくれると信じてはいたが、己の想定を遙かに超越した忠太の攻撃法に、まるで異星人を見るかの思いで忠太を見つめている。
この人は普通じゃない、この世の人間ではない。
一宇の感覚はある意味正確である、さすが次期大将候補、人を見る目が尋常にあらず。
「おう、一宇―、お前の作戦通りだったんじゃね? 決勝もこの調子で色々頼むわ」
「はあ…」
「…何だよ?」
「…何でもないっす、そうだまず刀折れた二人は使えないとして、先発メンバーどうしますか?」
「ああ、その事なんだけどなー」
この人の跡には何が残るのだろう、敵の屍と味方の歓喜、だな。この人についていけば、必ず頂点に辿り着けるだろう。近畿大会、インターハイ、国体……
急に一宇の身体が震えだす。間違いない、これは武者震いって奴や。
一宇はこの日以降、無口な熱血漢ではなく、口やかましい暑苦しい男に成っていく…
そして。
遥、である。
入学以来、別格の存在として扱われてきている。
それはひとえに、あの伊賀の百地の妹、と言うのも当初は確かにあったのだが、その後の修行における遥の実力に伴うものであった。
正直、遥に叶うのは中等部では忠太ただ一人なのだ、その忠太でさえ何本かに一本は容易に取られてしまう。
一宇も三次も、こいつはただの兄の七光ではない、恐ろしい実力と可能性を秘めたとんでもない逸材であると認識している。
故に。
今日の遥の醜態も、誰も非難しない。
「まだ一年や、先月まで小学生だったんやで。それがこないな大観衆の中でいきなり成果出せる訳ないやん」
忠太も含め、これが全員の総意である。
だが。
それは違うの、違うんです! 私はあろうことか、相手のくだらない誹謗中傷に乗ってしまったのです、好きな人を貶められ機が動転してしまったのです!
遥はすくっと立ち上がり、忠太の元へ行き、
「念の為に伺います。先輩、先日どこかの駅前で女子とイチャイチャしてました?」
ちょっと間があって、
「アホか。そんな暇ねーし」
ふむ、と頷き、
「更に確認ですが。どこかの女子をラブホに連れ込んだりしませんでした?」
忠太は呆れ顔で、
「俺、未だ童貞なのだが」
「大変失礼いたしました」
やはり、謂れのない誹謗中傷であった。
なんと愚かで未熟なのだろうか。敵の思惑に乗り、その手のひらで転がされてしまった…
「なあ遥。気にすんなよ、それより切り替えて決勝戦、頼むぞー」
そう言い残し、真央と一宇の方へ歩いていく後ろ姿を眺めながら。
ぶち殺す。この人を汚す者はこの私が地獄へ叩き落としてくれる!
この後の決勝戦でついた遥の二つ名はー
『甲賀の鬼夜叉』
十二歳のいたいけな女子には余りに無体なものであった。
* * * * * *
「おい和尚、どこいっとったんや、もうすぐ決勝戦やで」
蕭衍はほっほっほと笑いながら
「誰かがこさえた弁当が当たったのかの、腹が痛くて便所に込もっとったんや」
その誰かである珍龍が、
「とか言って、こっそり酒ビールでも飲んできたんちゃうか、生臭坊主め」
「やはり飯は忠太が作るが一番やな、ほっほっほ」
よっこらせと蕭衍が席につく。
「それにしても、決勝戦大丈夫かいな、甲賀学苑は」
心配顔で行円が呟く。隣で照天が同意の頷きで返す。
「忠太がパッとせんな、最後のアレは凄かったけどな」
「あいつ緊張で一睡も出来へんかったんやろ、この暑さで決勝はボロボロちゃうか?」
確かに、雲一つない青空の下、気温は急激に上昇しており、紅葉がスマホで調べると琵琶湖周辺の最高気温は二十七度に達するらしい。
「おーー、紅葉ちゃん、すっかりスマホ使えるようになったな」
紅葉はドヤ顔で、
「こんなもん、らくしょおや。阿呆でも使えるわ」
照天がそれは失礼いたしやしたっと笑いながら、
「どや紅葉ちゃん。古武士道ってオモロいか?」
「つまらん」
即返する。
八田が横から、
「何で面白くないの? さっきガッツポーズしとったやないか」
めっちゃ飛び跳ねてたで、行円が指を指して大笑いする。
「うちが出たら、十秒でしまいや。おもろないねん」
間違いない、それはそうや、それなー。各々が頷いてしまう。
「せめて、刃引きしとらん刀と槍を使わんと、オモロない」
え……
「矢にもトリカブト塗っておかんと、な」
八田は頭を抱える。
「それより、決勝の相手、鈴鹿寺ってあないに強かったか? センターの弓の子、二人射抜いとったよな」
照天が言うと、何故か珍龍が苦笑する。
「コロナ前に比べてな、全体的にレベル上がっとるんや。道士登録数は過去最多なんやで」
行円がそれに気付かず知ったかぶる。
「絶対王者、甲賀学苑の時代が、今日で終わりになるかも知れんな」
蕭衍がニヤリと笑いながら呟く。
「可能性は否定できへんな。何せ刀役が二本、折れてもうて出られへんし」
紅葉が不思議そうな顔で、
「誰かに借りればええやん」
珍龍が優しく丁寧に、
「あのな。銃刀法ってのがあってな。古武士道士は一人一本しか所有出来へんのよ。それも、一本一本きちんと登録して管理も厳重にせなあかんのや。だから他人の刀持った時点で、銃刀法違反となるんや」
「はあ? 意味が分からん。刃削っとるし切先も丸くしとるやないか、単なる鉄の棒やないか、何でそないに厳重に取り締まられにゃあかんねん?」
八田は紅葉の言葉に正直戦慄する。
この子はまだ令和に来て三週間ほどだぞ、それがどうだ、全くの令和人ではないか!
どうしてこの子はこれほど早く令和人に成り切ろうとしているのか。
紅葉の見つめる視線の先を追う。
フィールド脇でアップを行っている忠太が、いる。
八田はフッと微笑み、軽く頷く。
それでええんや紅葉ちゃん。君は余りに遠い旅をしてきたのだ。君を支え、君が支える、そんな存在がなければ、君は露と消えてしまうんや。
そのままやで、そのまま…
「ほお、刀役ごっそり替えてきたか、思い切ったな、忠太」
「でも遥ちゃんはおるよ、ってなんかめっちゃオーラ出てへん?」
「ホンマや… 全身で怒り狂っとるがな… ウケるー」
蕭衍が一言
「あれが焦りにならんとええがのぉ」
照天がムッとして、
「なんや和尚、どっちの応援しとんのや」
蕭衍はニヤリと笑い、
「さあ。どっちやろ」
珍龍が苦虫を噛んだような顔で、
「ほれ、アレや、鈴鹿寺の弓のセンター。あれ、和尚の甥っ子や」
照天と行円はえっと叫び、
「あああ、ホンマや、あれ常念さんとこの…」
「三男坊の、優矢ちゃんや!」
鈴鹿寺のすぐ近くに雨降寺と言うボロ寺があり、そこの住職が蕭衍の弟、杉山常念。兄弟仲はすこぶる良く、盆暮正月には志徳寺を家族でよく訪ねてくるのだ。
「優矢ちゃん、鈴鹿に入ったんか、昔から弓メッチャ上手かったよな…」
「確か甲賀学苑は落っこったんだよな、いっつも忠太のこと睨んどったし」
あああ、波乱の予感しかない……
「おお、始まるで、甲学はまたまたオーソドックスなフォーメーションや」
「左から遥ちゃん、真ん中が上野、大野? 何や二人とも二年生やんか、右翼が宇田、や」
「三本槍と魔弾の射手はいつも通りや。さあ、今回はどんな戦術で来るかのお、なあ紅葉ちゃん、君がおったらどんな作戦や?」
「うちが全員ぶった斬る。終了や」
あはははは、そうやったそうやった…
この子、甲賀学苑に入っても、強すぎて試合出れへんとちゃう? 皆の頭にそんな思いが浮かぶ頃。
ぶをーーーー
午後二時ちょうど。試合開始の法螺貝が雲一つない晴天の空に鳴り響く、令和四年度滋賀県大会の決勝戦の火蓋が切られる。
* * * * * *
第九十八回 滋賀県古武士道大会U15の部 決勝戦が始まる。
甲賀学苑の相手は、初戦の信楽古武士道愛好会に10対8で競り勝った鈴鹿寺古武士道少年の部である。
オーソドックスな戦法ながら、強力な弓陣が広く知られている。攻撃的な甲賀学苑にとって少し厄介な相手ではある。
戦前の予想では、初戦に大苦戦の末かろうじて勝利を収めた甲賀学苑だが、主力級の刀が二本抜け、また連携の悪さも危惧され、鈴鹿寺が一歩有利ではないか、とされている。
「甲学、妙に真ん中に固まっとるね」
「隙があらへんな。ええ構えやで」
「無理に突っかからんで、鈴鹿を引き込みー」
「おお、弓がええ調子やんか、てか…」
「味方の背後スレスレに… すごい技やわ、あれ、望月か?」
「ホンマスレスレや… あっ 危なっ え? ええ?」
「鈴鹿寺ぁー 溝口龍樹くん 脱落ぅー」
「マジか! 開始二分やで、弓で一人、さすがや!」
「ああ、刀の女子二人が望月の矢をサッとかわして、それが敵に命中や! なんて連携や、初戦と全然ちゃうやん!」
「やっと本気出しはじめたんかな。それにしても望月の矢、恐ろしいわ… 今のセンターライン越してたで、敵陣内の相手を射抜いたんやで」
「アイツ、忠太がいっとったけど、刀、槍、何でも凄腕らしいで。弓役じゃもったいあらへんか?」
「いやぁ、あんなん射れるやつおらんよ、望月は弓でええんちゃうか?」
「そやね、あとは刀がピリッとせんかいな。おーい、遥ちゃーん、がんばれぇー」
場内は大歓声に包まれる。鈴鹿寺チームは早々に一人失い、ジリジリと自陣に下がり始める。
戦前の予想とは裏腹に、刀と槍、そして後方支援の弓の連携が素晴らしい。とても初戦であれほど苦戦したチームとは思えず、古武士道通の多い滋賀の観客たちは
「これこそが甲学や。王者の戦や!」
と目を細めている。
「初戦ではただの木偶の坊やった大将の子が、よう声出してるわ。バラバラだった刀の子達も、よう統率が取れとる。これはこのまま甲学の圧勝ちゃうか?」
「鈴鹿言うたら、弓以外大したことあらへんさかい。このままじっくり攻めとったら、楽に甲学は勝てるやろな」
「「それにしても」」
通らは初戦を振り返り、
「あの大将の子、ラストのアレ、未だに信じられんわ」
「見たことないで、あんなジャンプ、それに蜻蛉返りからの斬り落とし」
「ネットで調べたんやけどな、あんな技未だかつて記録されたことないらしいで」
「ってことは、あの技は史上初なんかい? そやったら…」
「そや。過去にない技が決まった時。その技にはその道士の名前がつけられるんや」
「こんなん、滅多に見れるもんやないで、今日観にきて良かったわー」
「あの大将、名前はー、伴忠太、やて」
一瞬、ベテラン古武士道通らが沈黙し、
「ぶっひゃっひゃっひゃ」
「ギャハハハ、これって、あれか?」
「巨人の星や、あのゴツいキャッチャーとまんま一緒の名前や」
「懐かしいの、今の若い子らは知らんやろな」
ベテラン通がポツリと、
「『忠太斬り』、か。明日は日本中の古武士道界が大騒ぎや。いや、世界中か……」
照天が眉を顰め、
「全然甲学攻めいらんね、もっとガンガン攻めればええのに」
行円が目を細め、
「そやろか。攻めの筋を伺っとるんやないか? 迂闊に攻め入ると矢の餌食になるさかい」
珍しく知ったかぶらずに状況を正確に口に出す。
珍龍は額から流れる汗を拭きつつ
「そろそろや、甲学のテンションが上がってきとる」
気温は二十八度近くに上昇している。しかも空気は乾燥しており、こまめに水分を取らねば熱中症の恐れがある。
皆は竹筒に入れた水を一気に喉に流し込む。
「それにしても、鈴鹿の矢、なんであない高く射ってんやろ。アレじゃ当たる筈ないやん」
照天が手拭いで汗を拭きながらボソッと呟く。
珍龍、行円が頷く。だが珍龍は隣の蕭衍がニヤリと笑ったことに気づき、ふと太陽を見上げ、
「あかん! このままじゃー」
珍龍が叫んだ正にその瞬間。
「甲賀学苑 上野澪さん 脱落ぅー」
会場は一瞬何が起きたのか分からず沈黙するが、前半の半ばに鈴鹿が一人削った事実に徐々に歓声が湧き出している。
「なあ珍龍、何が起こったん?」
珍龍は頭を傾げつつ
「いや俺もハッキリとは見れんかった、ただ何本かの矢がめっちゃ高く上がって…」
紅葉がボソッと、
「忠助のボンクラが上からの矢に気付かんかったんや、それをあの不細工が身を挺して忠助を庇ったんや。ったく何をしておる、一晩くらい寝れんでもよう眼開けんかい、ボケ茄子が」
珍龍はハッとして、
「そうや、アイツ緊張で一睡も出来んかったって… 今、アイツらから見て鈴鹿陣地は西方向、そんでお日様は奴らのー」
「真正面やんか、そっか、アイツ寝不足で目が眩しくて、そんで矢が太陽の眩しさに隠れ、だからアイツ気が付かねえでー あれ?」
照天が首を傾げ
「何で鈴鹿の弓、あんな攻撃したんやろ。まるで忠太の状態を熟知― ああああ!」
行円が蕭衍を睨みながら、
「このクソ和尚! 優矢ちゃんにチクったな!」
蕭衍はすっとぼけながら、
「さあ。何の話や」
珍龍は呆れ果てながら、
「自分の甥っ子の方が大事なのは分かるけどな、なあ紅葉ちゃん、身内を売るってどうよ、現役武士的に…」
紅葉はキョトンとして、
「そんなん普通やでうちの時代は。立身出世のために親兄弟を売るなんて、ザラや。それにな、戦さの前日に怖くて眠れない方があかん。ビビりや。チンカスや」
小僧たちと八田は思わず座席からずり落ち、
「ふ、普通なんかい!」
「チンカスって… おい、誰が教えたんや、どんどんお病気が悪化しとるで…」
古武士道通たちは大きな溜め息をつきながら、
「なんや大将。いたいけな女子に庇って貰うて… 情けない…」
「いや、あの女子、よう遠矢を見とったで。刀で払うのは難しいと判断し、自らの身を挺してチームの敗戦を救ったんや。大殊勲や」
「そやな、危うく前半七分で呆気なく鈴鹿が優勝するとこやったんや、あの子大したもんや、えーと、甲学の二年生の刀の女子… 大野? 上野? どっちや?」
「上野、言うとったで、場内アナウンス」
「上野、澪ちゃんか。おお! 東京出身や、都会っ子らしゅうて可愛い子や」
「ウチの孫の嫁に欲しいのぉ、ひゃっひゃっひゃ」
前半10分を経過し、
甲賀学苑 10対10 鈴鹿寺
観客は茹だるような暑さにウンザリすると共に、優勝の行方に固唾を飲むのであった。
* * * * * *
「結局、前半が終わって10対10か。飛び道具合戦やったね」
照天がグビグビと水を飲みながら呟く。
「鈴鹿としてはプラン通りやったんだろな。後半も弓主体の防御戦に持ち込んでー」
「あれ? 決勝は延長戦あるんやったっけ?」
「そや。五分ハーフのサドンデスの延長戦や、どちらかが一人削られたら終いや」
「それでも決まらん時は… 弓合戦、か…」
行円が目を細めながら、
「この展開やと、延長、弓合戦で決着がつくやろな。それやと鈴鹿有利やないかな、『魔弾の射手』は調子イマイチやし。鈴鹿は優矢ちゃん絶好調や、甲学の優勝は大分厳しくなるで」
珍龍が眉を顰め横目で行円を睨む。
「お前、さっきの試合は、『11対5で甲学の圧勝や』なんて予想しとったよな」
行円は目を剥きながら、
「そやけど、結果は当たりやんか! 物事は結果が大事なんやで、過程はどうでもええ」
照天が呆れ果てた様子で、
「紅葉ちゃん。こいつの言うてること信じたらあかんよ」
紅葉は首を傾げ、
「結果が全てやで。戦いは。何か?」
ええええー
珍龍、照天、八田が悲痛な叫び声を上げる。
それにしても。
こんな阿呆どもと共に観戦なぞしなければよかった、激しく後悔する紅葉なのであった。
「後半、甲学はどう攻めるやろか?」
「延長になったら鈴鹿の思惑通りになるさかい、一気に後半勝負かけてくるんとちゃうか」
「そやな、ただ鈴鹿の弓は手強いで、そうそう鈴鹿陣内に入れんとちゃうか」
「上手く引き付けて叩くか、初戦の様に一気に攻め入るか。まあ見ててオモロいんは後者の方やけどな」
「まあ、毎回あないに上手くいくとは限らんで。決勝戦やし、も少し慎重にいくんとちゃうか」
「そやね。慎重に鈴鹿を左右に揺さぶって、体力削り、延長戦で一気にカタつける、なんてのもアリやね」
「ワシが甲学の軍師ならそうするな」
「そやね。まあ後半の中頃までは慎重に行くやろな」
幾千、幾万の戦いを目の当たりにしてきた目利き達の予想は、概ね以上のような感じである。
一・二年生が多数出場している甲学は体力的にも相当削られており、ハーフタイムのみに許される選手交代が試合の鍵を握っていると言えよう。
しかし。
「あら。甲学、交代なしやで」
「えー、ホンマや。大丈夫かいな、あの一年生の刀の子、相当へばっとったけどな」
「一年生やって、ちょっと前まで小学生なー、そんな子がこの舞台に立っとること自体、普通やないで」
「百地、遥ちゃんか。初戦では即死しとったが、今回は必死に左右に動いとるね」
「まあ鈴鹿は真っ先にあの子を標的にするやろ。甲賀は陽動作戦取るかもしれんね」
「お互い、刀三ずつや。真っ向勝負やったら甲学やろ。そやから鈴鹿は甲学のあのちっこい子狙うてくるやろな」
「そこで上手く小さい子削れたら、あとはドン引きして終いやな。」
「そうそう。そんでその小さい子削れんくても、時間稼いで延長戦、更に弓矢戦、の展開やろか」
ぶぉおーーーーーーー
運命の後半戦、開始である。
大方の予想通り、双方睨み合いが続く、と思いきや。
「ええええ、遥ちゃん、一人で突っ込んで行っとるやないか!」
「あっちゃー、初戦の名誉挽回ってやつか? 無茶苦茶や」
行円が吐き捨てるよう言う。
「あかんて遥ちゃん、ほら、あっという間に囲まれてもうた。これやと初戦と一緒やー」
照天が悲鳴を上げる。
「サポートは… 槍が敵の弓弾いとるだけや、あれじゃわざと一対三の状況を作っとるもんや、なにを考えとるんや、ああ、ほら、あぶな…… あれ?」
場内に響き渡るチャリンという刀と刀が交差した音、と同時に一人の鈴鹿寺刀役の刀が宙に舞い上がり、そして自由落下し。
ウオーーーーーー
場内に大歓声が巻き上がる。
「鈴鹿寺ぁー 金森瑠衣さん 脱落ぅー」
その大歓声が冷めやらぬ中。
左右から遥を囲んでいる、残りの鈴鹿の刀役の二人が目に止まらぬ程の遥の剣戟に圧倒され、観客の目が釘付けになる。
歓声は更に大きくなっていく、囲んでいる筈の鈴鹿の二人の刀役が逆に押されている!
そして。
あっ、と言う悲鳴が響き一人の刀役が地面にうずくまる、すかさず近くで見守っていた甲学刀役、大野雫が顔に回し蹴りを決め、そのまま仰向けに倒れー
「鈴鹿寺ぁー 徳永遼馬くん 脱落ぅー」
更に、その瞬間。
もう一人の鈴鹿刀役が遥の凄まじい突きをモロに決められ、後方にスッとび大の字に倒れ込んだ……
「鈴鹿寺ぁー 戸田一誠くん 脱落ぅーー」
鈴鹿の刀役が。消失した。
観客は言葉を失い、観客席はシンと静まりかえる。
今、何が起きた?
一瞬の間に、三人が倒されなかったか?
それも、あんなちっこい子に……
全員がまず己の目を疑う。そして三人の倒れて動かない道士という現実を眺める。口が阿呆みたいにポカンと開く。やがてその阿呆口から唸り声が上がりー
ウオォーーーーーーーーーーーーーー
本日、二番目の大歓声がスタジアムを包み込む。
「は、は、遥ちゃん…… 嘘やろ…」
珍龍が口から涎を垂らしながら呻く。
その横で行円が
「見えへん… 早すぎて刀捌きが見えへんかった…」
紅葉は決勝戦に入り、欠伸ばかりであったのだが。
「ほぉ。チビハルの奴。まあまあやるのぉ」
と初めて目を細め、
「今度ちぃと修行をつけてやろうかの」
と目を光らせ始める。
「ひょっとしたら忠助よりも筋がええのぉ、うちがマジで鍛えしのち、忠どのの家臣に加えしも吝かでないわ」
現役武士の一言に小僧達は震え上がる。
「あんな小さくて可愛い子やったのに……」
「俺らより百パー強いで…」
「これからは、敬語使った方がええかな…」
蕭衍は両手をきつく組み、深く目を閉じ、ポツリと一言。
「夜叉じゃ。あやつは人ではない、地獄から招かれし、鬼夜叉じゃ…」
己の甥っ子の負けがほぼ確定したからと言って、まだ十二歳の少女を鬼扱いするなんて…
蕭衍の大人気のなさに呆れ苦笑いする小僧達であったが。そんな彼らが散々吹聴したものだから、今日以後、遥の二つ名は
『甲賀の鬼夜叉』
となってしまった。
* * * * * *
後半四分
甲賀学苑 10対7 鈴鹿寺
「正直、ここまで一方的な展開になるとは思わへんかったわ…」
「そやな。もうこれで、鈴鹿は攻撃してかなあかんくなってもうたな」
「それにしても、まさかあのちっちゃい子一人で… えーと、百地遥ちゃん言うんやて、一年生や」
一人の事情通がハッとした顔で、
「ひょっとしてや、伊賀中等教育学校のエース、百地翔琉と関係あるんやないか?」
周囲の人々がおおお、と感嘆し、
「それなら納得や。名門甲賀学苑で一年生から本選やなんて」
「ああ、そうやね。あの百地翔琉の肉親か親戚なら納得や」
前方に一人座っている高校生らしき若者が、
「遥ちゃん、百地の妹やそうですよ。伴忠太とほぼ互角に打ち合うらしいで」
ほおおおお…
納得の唸り声がかしこから湧き出でる。
試合の流れは大半の古武士道通の言葉通り、三人差で勝っている甲賀学苑が自陣に引き戻り、魔弾の射手の援護を存分に受けつつ鈴鹿の槍の攻撃を軽くいなしている状況となる。
その槍役も、遥らが少しでも攻勢に出るとサッと自陣に引いてしまい、鈴鹿側は全く打つ手がない状態となっている。
「定石なら、槍衾からの総大将突撃やけど…」
「甲賀の槍、えげつないからなぁ…」
「伴の所に行き着く前に、全滅やな…」
「それでも、このままやったら、負けやし。突撃やろ」
「最後に意地見せて欲しいわ、鈴鹿」
「ん? 槍三本が前に出てきたで、総大将もすぐ真後ろや、これは来るで!」
「対する甲学は… 槍三本が前に出て… 刀が後ろに回るで、ああ、鈴鹿、囲まれてしもうた」
「素早いで甲学。よく連携取れとる。あああ、完全に囲まれた…」
「真ん中に総大将や、ああ、なんて遠矢が… これは、あかんよ…」
「すごい矢や、それに槍の攻撃のえげつないこと… おおおおっ またあの子が!」
「百地の妹が、槍をかいくぐったで、ああああっ 総大将と一騎打ちや!」
「強い! 押されまくりや、総大将、ああ、矢に当たりそうや、袋のネズミや…」
「すごいで、百地妹、ああっ すごい突きや、総大将タジタジやん…」
「もう、時間の問題や… ああっ 槍が一人倒されたっ」
「鈴鹿寺― 生駒祐希くん 脱落ぅー」
「もう、決まりやな、すごい勢いや」
「鈴鹿、タジタジやな…」
「ああ、今、甲賀の矢、あの槍に当たったんとちゃう?」
「鈴鹿寺 菅屋悠馬くん 脱落ぅー」
「もはや、これは… 『総崩れ』もあるんやないか…」
「残党狩り、状態やね、ああ、あの槍の子、上手いっ うわ、すごい蹴りやっ」
「うわっ すっ飛んだで、うわっ 槍手放すは背中ついたわ… あっちゃー」
「鈴鹿寺 滝川麗音くん 脱落ぅー」
甲賀学苑の素晴らしい連携プレーに、観客は声援を上げるのも忘れ、ただただ見入ってしまっている。
フィールドに一人残された総大将は、忠太との一騎討ちを望むが、その前を遥が遮っており。
更にその後ろに甲賀三本槍が、左右に大野雫と宇野かなが。一分の隙を見せずに取り囲んでいる。
風前の灯となった総大将は、せめて目の前の小さな少女だけは斬り倒すと決意し、刀を握り直す。
行円は固唾を飲み込みながら、
「相打ちでかまへん、気合い入れて行けや、遥ちゃん…」
照天も拳を握りしめ、
「いけるで、いけるで遥ちゃん、頼むで、勝ってや!」
珍龍が覗き込むように紅葉に話しかける。
「遥ちゃんはあの総大将を斬れると思う?」
紅葉は大きく欠伸をしながら。
「ハッちゃん、そろそろ行こか。おもろない、飽きた。」
八田は苦笑いしながら、
「もう少しや、最後まで見ていこうや」
「あと十秒で決まるで、ほな行こか」
そう言うと紅葉がサッと立ち上がり、スタスタと出入り口に歩いて言ってしまう。八田は慌てて皆に、
「えええ… ほんまいけずな子や… ほな、先戻ります、お先に」
と言い残し紅葉の後を追い始めた時。
チャリーーン
刀が弾かれる音が八田の背後から聞こえてきて、その直後。
「鈴鹿寺 総大将 太田久一くん 脱落ぅー 以上を持ちまして、この試合 甲賀学苑のしょーりぃー」
大歓声がスタンドを揺らす。
フィールドでは刀を五メートルも後方に飛ばされた鈴鹿寺の総大将が呆然と立ち尽くしている。
遥は残心のまま切先を総大将に向けたまま、その姿に観客は背筋に冷たいものを感じつつ、盛大な拍手を惜しまない。
「百地の妹… 恐るべし…」
「伴も凄かったが、あの子のインパクトは半端やない… 甲賀に新星誕生や!」
「池田駿、青木桃、伴忠太、そんで百地遥、か。恐ろしや甲賀学苑の刀使い…」
「近畿大会が楽しみや、伊賀中との兄妹対決、マジ観に行くわ」
「それなっ 俺、遥ちゃんファンクラブ作るわ」
「俺、会員番号一番なー」
滋賀県立近江古武士道フィールドに、新たなスターが誕生し、すぐに動画配信を通じて全国津々浦々に知れ渡る。
全国が、百地遥を知った。
* * * * * *
『アボマT V視聴の古武士道ファンの皆さま。見事、U15滋賀県大会を制した、甲賀学苑中等部の柴田勝己先生のお話を伺いたいと思いますー』
ブーーーー
部員からの大ブーイングだ。
水口にある大衆焼肉店『くろべこ』の貸切りの店内は、中等部員全員、高等部の一年生が数名、そして柴田教諭、高等部の前田りえ教諭が所狭しと座っている。
店の壁掛けテレビには今日の試合のネット配信チャンネルが映し出されており、つい今し方決勝戦が終わった所である。
「柴田せんせ。あんた顧問らしくちゃんと話せるでないの。ちょっこし見直いたわ」
どうやら前田先生はあまりお酒が強くないらしい、顔を真っ赤にして地元の金沢弁で捲し立てる。普段は冷たい視線で睨みをきかせているのだが、今は目元をほんのりと赤くし、こうして見ると思いの外可愛く思えてしまい、柴田もちょっと顔を赤くする。
『主将の伴がしっかりと皆をまとめー』
「そこは大将でしょうが。だちゃかんね、これからうちがみっちり教えてあげるわ、うふふ」
それは是非とも! よろしくお願いします、と頭を下げたのだが、りえの目が妖しく猛禽類の如く光っており……
嬉しくもあり、恐ろしくもある柴田は慌ててビールを一気に流し込んだものだ。
『それでは続きまして。甲賀学苑の大将である、伴忠太道士に来ていただきました!』
さっきより盛大なブーイングが店内に満ち溢れる、忠太は不貞腐れながら烏龍茶を啜る。
「チュータ、テレビ映りいーじゃん、きゃーー」
「カッコいいー、でも良かったねチュータさん、このアングルでー」
忠太はウザそうに澪と雫に振り返り、
「は? 何が?」
「チビなのバレなくって!」
大爆笑が破裂する、てめえら覚えとけ… 絶対カフェでパフェなんてゴチってやんねえからな、クソビッチめ。
『初戦では大変な活躍をされたそうですね、放映できなくて残念でした……』
ザマーミロー、当然やー、嘘つきぃー、
謂れのない誹謗中傷に少し凹む忠太なのである。
『ですが、初戦で伴道士が見せた技が、日本古武士道連盟の公式発表によると、七年ぶりに『新技』と認定されたそうです、その技はこのコロナ禍でも熱心に修行した賜物なのですか?』
『まあ、そうですね。この二年間、甲学の仲間と必死に鍛錬し続けた結果なんで。仲間には感謝っす』
一瞬の沈黙。
ほおおおお…
らしくねえ、カッコつけがぁー、柄じゃねー、きゃあぁーー、ヤバいーーー
忠太らしからぬ一言に三年生と二年生は思わず忠太を見る、忠太は真っ赤になり顔を伏せる。
『最後に一言。近畿大会に向けての抱負をどうぞ』
『あとひと月、仲間と更にコミ(ュ)ニケーションを深め、よりストラテト… あれ? よりスタラトテト… えー、スタラテジー… 何だっけ?』
(噛んだ、この人おバカ?、タ行ラ行やば、日本語使え、脳筋乙、腹筋崩壊、……)
容赦ない視聴者の口コミに、みな涙流しながら大笑いだ。
『ぶっ ストラト(テ)ジーですね、ん? あれ? ストラテ? ん?』
(感染ww、アナさん頑張れ、大学どこ?)
柴田以外の全員が腹を抱えて笑う中。忠太の学業を真剣に何とかせねばならない、その事実に正面から向き合うことを柴田は密かに誓う。
『そして、この人! まだ十二歳、中学一年生ながら、決勝戦では前代未聞の四人斬り! 百地遥道士に来てもらいました、百地さん、優勝おめでとうございます!』
ウオォーーーーーーーーーーーーーー
『くろべこ』が、揺れる。
画面には仏頂面の遥がダルそうに映っており。
「このツンデレが最高や」
「じゃどん、ちょっと目が潤んじょるじゃな、たまらんな…」
「この動画の再生数、ヤバいことになっとるそうや」
「ファンクラブが結成されたんだげなよ」
その裏で、澪と雫ら先輩女子たちが、
「はん、ちょーしこいてんじゃねーし」
「テレビ映り悪。ま、素がアレじゃねー」
二年生の葛城みさとはジョッキをどんとテーブルに叩きつけ、
「いつかぶっ潰してやるわ、覚えてなさいっ」
と真っ赤な顔で叫ぶ。別に酔っ払っている訳ではない、本家ホンモノと違い。
『お兄さんがあの有名な伊賀中等学校の百地翔琉道士だそうですね、』
忠太を始めとする上級生がハッとした顔で、遥を見つめる。兄の話をするととても不機嫌になるのは共通認識だからだ。だがー
『兄は、兄ですから。私は甲賀学苑の百地遥ですので』
(マジ十二歳ですか? カッコよすぎ、既に会員番号367番なのだが、推しますどこまでも)
「末恐ろしい後輩やな…」
「それな…」
忠太はフッと笑いながら、
「桃や俺なんか、あっという間に越していく、かもな…」
嬉しそうに呟いた。
前方から頭を、叩かれた。
その忠太の目の前に青木桃、その横に真央、忠太の真横には遥がちょこんと座している。
「…おい。そこは一宇に座ってもらおうと…」
遥はキッと忠太を睨みながら、小声で
「返事、まだなのですが」
忠太は顔を引き攣らせつつ
「…そのままで良い。なあ桃…パイセン、正直近畿大会、どーすればいいよ?」
パシっ 忠太の頭を再度叩きながら、
「そやな。まずはチーム内の不協和音をしっかりと収めることからやな。土山や小川、あと宇野のフォローをしっかりやるんや。真央、お前もちゃんとやるんやで、ええな」
真央は背筋を伸ばして
「へい。わかっとります姐さん」
遥はキョトンとして腰を四十五度曲げ桃に頭を下げる真央を見つめる。
「まずはそれからやね。三年生がバラバラやと下級生もまとまらんよ。そこしっかりな二人共、ええね」
…調子狂うわ。こないだからこんな感じ。あの女豹だか猛虎だか知らんけど、目付きも性格も極悪だった桃はどこへ行ってしまったのか…
忠太は頭を掻きながら不遜にも、
(アンタも俺も、成長してるってことか)
なんて思ったりしている。
「…てな感じや。五月の末は結構暑いで、体力向上が一番やないかな」
走り込み系が大嫌いな真央は顔を顰めるも、
「わかりました姐さん、キッチリ体力つけますけん… それより遥、お前さっきからチュータばっかに肉焼いとらんか? ワシらにもくれよ」
遥はキッとなり、
「あげてますが何か?」
と言って、脂身だけの肉を真央の皿に放り投げる。
真央はウンザリ顔で、
「なあチュータ。われ部内にハーレム作る気かよ? 澪といい雫といい、コイツといい… もうちいと身の周りちゃんとしろよ」
桃がケタケタ笑いながら、テーブルの下で忠太の足をつま先で蹴飛ばす。
悲鳴をグッと堪えながら、忠太は物思いに耽る。
川崎時代。寺にも学校にもあまり可愛いなと思う女子はおらず、漫然と過ごしてきた。それが甲賀に来たらどうだ! 目の前の桃は最初ブスだと思っていたが、普通にしてたり笑っている顔は結構可愛いと思っている。自分の真後ろにいる澪と雫、東京(と千葉)育ちだけあって洗練されており普通に可愛い。そして横でひたすら自分のために肉を焼いている遥。
小柄で顔はまだ幼く、だが数年すればかなり可愛くなりそうな雰囲気を持っている。
そして。
紅葉。
正直、生まれてこの方、これ程整った素敵な顔をした女子を知らない。顔のパーツそれぞれに非の打ち所がなく、そして何より。
昔から知っているような、いや知っている懐かしい姿形。
更に、令和女子が持ちようのない、死線を潜り抜けた者だけが有する殺伐としたオーラ。
己のマゾ気質に未だ自覚がない忠太だが、本能的にそのオーラに屈服しているのである。
今後彼女がどんな我儘を言っても、彼は全てそれを叶えてしまっていくであろう。それ程までに忠太の身も心も、紅葉に依存し始めているのだが、そんなことに中三の男子が気付く訳もなく。
「それより先輩。あとでちょっとお話が」
忠太はウザそうな顔で、
「勘弁してくれよ、今それどころじゃねーだろ。近畿大会に向けてチームまとめてかにゃいけねえんだってば…」
「あー、その話ではなく、です。」
「じゃあ何だよ?」
「夜の、修行の話。」
ああ、そっちか。
「わかった。帰り家に送ってってやるから、その道すがらにな」
遥は満足そうにニッコリ笑いながら頷く。ああ、やっぱ童顔だけど可愛いなー 忠太は少し胸がキュンとなる。
「よーーし、そろそろお開きだぞー。明日、明後日は完全休養な、疲れをしっかりと取れよ。蓮兎とサンジ、ゴールデンウイック(―ク)中に刀なんとかしとけよー、そんじゃ撤収―」
道士達は先生、先輩方にご馳走様でしたと口々に言いながら、三々五々店を出て行く。
無惨にも酔い潰れている前田りえを迷惑かつ嬉しそうな表情で柴田が介抱しタクシーを呼んでもらっている。
近江本線の水口駅から貴生川駅へ、そこから草津線に乗り換え、甲賀中央駅まで。この駅を使うのは殆どが下宿組であり、寄宿先はみな駅の北側のアパートである。忠太の住む志徳寺は駅の南側すなわち学校側であり、駅で皆と別れ駅前のベンチに遥を促した。
「それって、志徳寺に来て紅葉と修行してえって話だよな?」
「その通りです。あと山間走駆も毎晩付き合いたいですね」
忠太はうーんと唸り、
「そこまでしなくても… いいんじゃね? それでなくてもお前メチャ強えし。今日だって、まじビビったわ、本当に総大将ラクショーで斬っちまうし」
遥は少し照れながらもキッとした顔で、
「駄目です。初戦であんな情けない落ち方をするなんて… 本当に私は未熟者なのです。心をもっともっと鍛えねばなりません。そのためにも、私は紅葉さんや先輩と共に夜の修行を励んでみたいのです」
これが中一の女の子の言う言葉かよ… 忠太は呆れるというか驚くというか、何とも言えない気持ちと表情で空を見上げる。
駅前だが店は何もなく照明も最低限しかない。故に月の無い夜空に無数の星々が瞬いている。そう言えば最近は色々あり過ぎてのんびりと夜空を眺める余裕もなかったな、フッと笑う。
隣の遥も忠太につられて空を見上げている。
この子は自分以上に色々あったからー知らない土地に住み始め、知り合いのいない学校に入学し、部活で厳しい修行に明け暮れて、そして今日の史上稀に見ぬ大活躍―こうして星をのんびり眺めるのは甲賀に来て初めてなんじゃないか、と思い問うてみる。
「です、かね… こんなに綺麗に、見えるんですね…」
そう言ってから忠太の肩にそっともたれかかり、やがて静かな寝息を立て始める。
信じられない大活躍だったからな。
忠太は微笑みながら、遥が寝やすいように肩をそっとずらして差しあげる。
ふと紅葉の声が恋しくなり。
昨夜入力した紅葉の電話番号をタップする。
プルルっ
「なんじゃお主、焼肉とやら馳走は済んだのか? うちもその焼肉を喰うてみたいぞ」
ワンギリならぬワン出かよ… 軽く吹きながら、
「今さ、遥が隣で寝てるんだけどさ」
「ほう。添い寝をしておる、と。お主わしに喧嘩売っとるのか?」
「添い寝じゃねえよ、駅前のベンチだよ」
「さては、らぶほじゃな、このスケコマシが。そんな少女を犯すなぞ鬼畜の所業じゃ、戻ったらその首うちが刎ねてやろうぞ」
忠太は肩で笑いながら、
「そーゆーのいいから。あのさ、遥が今後、お前や俺とさ、志徳寺で修行したいんだって。お前どう思うよ?」
「どうもこうもあるかい、何じゃ今日の戦は。あまりにしょぼすぎて途中で帰ったわ。うちが出ていればどっちの戦も秒で終いや。全くもって修行が足りぬ、お主もチビハルもじゃ。明日から覚悟せい、よいな」
そう言うと一方的に電話を切られてしまう。
チームの住所録から遥の住所を調べ、遥を背負いスタスタと夜道を歩いて行く。彼女の寄宿先も他のメンバーが寄宿するアパートの一室で、一階部分の角部屋であった。
突いても叩いても全く起きず、仕方なく背負って歩いてきたのだが、実は遥の目はパッチリ開いていることに気づかない忠太である。
部屋の前に佇み、どうしたものかと思案していると、遥が眠たげな声で、
「先輩、これ鍵」
と言って部屋の鍵を差し出す。
それを受け取りガチャリと鍵を開け、部屋に入る。ビックリするほど、女子のいい匂いがする。
そう言えば女子の部屋に入るのは人生初なのであり、突如忠太の鼓動は倍ほどの速さになる。
「おい、着いたぞ、起きろって」
遥は目をギラギラさせながら
「んーーー、お靴脱がせてぇ」
無防備な女子の靴を脱がせる。女子とデートすらしたことのない忠太には、目も眩むようなシチュエーションだ。遥を背負いながら、何とか両足の靴を脱がせる。
灯りをつけると、裸電球が狭い部屋を照らす。殺風景だが非常に整理整頓されており、遥の性格そのままの部屋だな、とこの歳で一人暮らしをする遥に感心してしまう。
一方の遥。その悪魔的思考力はフル回転し、童貞忠太を今宵限りで己の支配下にする魔法を自分と忠太にかける。
「お布団に連れてって、お兄ちゃん」
お兄ちゃん お兄ちゃん お兄ちゃん
忠太の頭蓋骨の中に響き渡る、夢の言葉。こんな可愛い妹がいたら、と夢想したことは多々あった、それが今… 現実なのか?
身寄りのない忠太に兄弟姉妹はなく、故に兄として妹への振る舞いなんて全く知らない忠太は、判断力が吹き飛びただただ妹の指示に従うだけだ。
『お兄ちゃんごっこ』と言う恐るべき魔術に嵌められてしまった忠太は、部屋の隅に畳んである布団を敷き、そこに遥をそっと下ろす。
「んーーー、お洋服脱がせてぇ、お兄ちゃん」
遥も遥で、まだ十二歳。ここまではアニメや漫画で学んだ通りに進んでいる。のだが。
忠太が震える手でジャージのジッパーを一気に下ろすと、思わずヒッと叫んでしまった。薄っすらと目を開け忠太を見ると、目が異様にギラギラしている、目が血走っている、鼻息が荒い。
突如恐怖心が胸に込み上げてくる、同時に嘔吐感が湧き上がってきてー
覚悟は決めていた、と言うよりそれを心から望んでいたのだが、流石にまだ十二歳、身体と心のバランスが取れておらず。
「やめてぇーーー」
不意に襲った恐怖心から、忠太を思い切り突き飛ばしてしまう。
哀れ忠太、そんな十二歳女子の企みも変心も全く理解出来ず、布団の上で胸を隠すように怯えている遥を見て、
「あああ… すまん、俺、そんなつもりじゃ… ごめん、ほんとごめん、あああああ…」
と震えながら謝り、逃げるように部屋を出ていってしまった。
好いているとはいえ、男の恐ろしさを身にしみた遥は三十分ほど布団に顔をつけて号泣する。だがこの数日ですっかりメンタルお化けとなった彼女は、泣き終わるとニヤリと笑い、
「この貸し。どう使うか迷うわー」
と言いながら、立ち上がって浴室に向かうのであった。