98 異変
「なんで私がこんな所に……」
『紅の鷲獅子団』の召喚士、長い黒髪を後ろに纏めたゼフがブツブツと文句を言っていた。いつもブツブツ言っている人だな、とアイナは思った。
今居る場所は、マザルガル帝国の帝都マザルから北東に十キロほど離れた「元」森林地帯である。ここには、先日テンが「どっぱーん」したマザル湖に繋がる水源の一つがあるのだ。
あれから十日経った。一度アイナ達は元の世界に戻り、パルマ教皇と今後について話し合った。
ルベリオ神聖国とクシュタニア公国主導の元、各国にマザルガル帝国の支援を要請。見返りにオリハルコンとアダマンタイトの鉱石が供与されると聞いて、各国に否やは無かった。
アドジオン帝国だけは、自国の復興で手一杯のため支援作戦には参加しない。ただし、水魔術が得意な魔術師達の派遣には応じてくれた。
各国が供出した食料、主に日持ちのする小麦や乾燥させた豆、根菜、干し肉や干し魚は、カルデ王国のギルハルド商会が取りまとめ、クシュタニア公国に集めた。クシュタニア公国には、並行して水を生成する大型魔道具の開発も依頼している。
フレデリクは現在、これらの支援物資をマザルガル帝国に送る仕事で大忙しとなり、アイナとは泣く泣く離れている。「泣く泣く」というのは控え目過ぎた。彼はまるで今生の別れかのように大泣きし、アイナの脚に縋り、幼子のように駄々を捏ねた。
『フレデリクさん。このお仕事は信頼するフレデリクさんにしか任せられません。お願いできますか?』
フレデリクの肩に優しく手を置きながらアイナがこう言うと、フレデリクは見る見る落ち着きを取り戻した。
『みっともない所をお見せして申し訳ございません。命に代えても、この仕事を全ういたします』
アイナはすっかりフレデリクの操作方法を覚えたのだった。
魔術師団の編成はネネに任せ、アレスが例の秘密の転移陣を利用して『紅の鷲獅子団』に会いに行った。召喚士のゼフに協力を要請するためだ。リーダーのシュウは本人に確かめもせず快く了承。そして現在に至る。
当面の水と食料の問題は解決に向かっている。しかし、根本的な解決策は見えない。それを探るため、ゼフと共にこの森林地帯にやって来たのだ。
「はぁ……なんだか寂しい場所だねぇ」
森と言っても、木々には葉が一枚も付いていない。地面は乾いてひび割れ、草も生えていない。立ち枯れした木、折れてしまった倒木はカラカラに乾き、手で触ると樹皮がボロボロと崩れる程だ。
そして生き物の気配もない。獣はおろか、鳥の囀りさえ聞こえない。
『銀獅子団』からはアイナとテン、ネネ、キュイック、ルベロ、ククル。『紅の鷲獅子団』からはゼフとリン。マザルガル帝国からファミュルカとアーニカ。七人と三匹で森を進む。
葉が全部落ちているし、木々も疎らなので鬱蒼とした感じは全くない。むしろ陽が直接差し込んで暑いくらいだ。
「あと二時間ほど歩けば目的地の筈です」
ファミュルカが地図を見ながら教えてくれた。もう既に三時間以上歩いている。
「そこで休憩しよう。ルベロ、お願いできる?」
「うぉん!」
少し拓けた場所があったのでアイナが休憩を提案した。ルベロが元の大きさに戻ると、陽を遮る影が出来る。アイナ達はその影に潜り休憩した。ルベロは日除けであった。
ダンジョン深層に居た恐ろしい生き物であるケルベロスは、現在テンとアイナ達の役に立つ事に喜びを見出した普通のワンちゃんになっていた。平和である。
「ウィンディーネが顕現すれば、この地も復活の余地はあると思うんじゃがの」
ルベロが作ってくれた日陰に布のシートを広げて寛ぎながら、テンがぼそりと呟いた。
「ウィンディーネって水の精霊だよね?」
「うむ。ウィンディーネはかなり上位の精霊じゃから、奴が顕現出来るほどの霊力がこの地に残っていれば、ほかの精霊に呼び掛ける事も出来るんじゃ」
「霊力?」
「精霊の力の源じゃ」
「それが残ってなかったら、どうなるの……?」
「うーむ……残念じゃが、この地に緑を取り戻すには気候が変わるのを待つしかないじゃろう」
「ん、それにはどれくらいの時間がかかりそう?」
「そうじゃな……我にも分からん。数年か、或いは数百年か……」
「数百年!? そんなにかかるかも知れないの?」
「これだけ長く雨が振らないのは異常じゃ。この地域だけなのか、もっと広範囲なのかも分からんし、確実な事は何も言えんのじゃ」
テンの言葉を聞いたアイナとネネは、周囲の景色を見ながら絶句した。数百年もかかるくらいなら、いっその事自分達の世界に移住でもしてもらった方が早いのでは、と思ってしまう。
ファミュルカの方をちらっと見る。アーニカはファミュルカの膝を枕にして横になっている。
もし、この地に緑を取り戻せないとなったら、ファミュルカは悲しむだろう。この国に住む多くの人々の苦しみが長く続く事になってしまうのだから。
「でも、その霊力が残っていれば大丈夫なんだよね!?」
「まぁ、恐らくは」
勢い良く尋ねたアイナに返ってきたのは、テンらしくない浮かない返事だった。これは多分アレだ。テンちゃんも良く知らないヤツだ。
「と、とにかく泉まで行ってみよう! 何か分かるかも知れないし」
「うむ、そうじゃな!」
「ん!」
三十分ほど休憩し、アイナ達は再び歩を進めた。
北に向かって更に二時間進むと、目的の「泉」に到着した。と言っても、直径百メートル程のすり鉢状に窪んだ場所があるだけだが。
元々この泉は、湧き水が貯まって出来ていたようだ。中心部の土が僅かに湿っているが水溜りすら出来ていない。その他は白く乾ききっており、苔すらも生えていなかった。泉の南側は、以前はそこから水が流れ出していたのだろう、細い水路のような溝がある。
「これが『豊穣の泉』……全く面影がありませんね……」
幼い頃に一度だけ訪れた事があると言うファミュルカは、変わり果てた泉を目にして言葉を失っていた。
「それではゼフさん。ここでウィンディーネの召喚を試してもらえますか?」
ネネがゼフに向かって告げると、ゼフは頷いて召喚魔術の詠唱を始めようとした。
「待って! 変な気配がする!」
リンのただならぬ声にゼフは詠唱を止め、ファミュルカを除く全員が臨戦態勢となる。
『紅の鷲獅子団』のリンは、魔槍「フェルグルエス」の使い手であり、『探索者』のスキルを駆使してパーティの索敵役も担っている。ヒューイの『察知』より索敵範囲はかなり狭いが、一番の違いは「障害物を見通せる」こと。
周囲には疎らに木々が立っているが見通しが悪いと言う程ではない。見える範囲に動くものはないようだが――
「下だ! 土の中から来るっ」
(アイナ様、土の下でございます!)
リンの言葉とククルの念話が同時に聞こえ、泉の周囲と中の土がぼこっと持ち上がる。土の下から現れたのは、体長五十センチはありそうな蠍型の魔物。子供の掌サイズの鋏を両腕に掲げ、こちらを向く湾曲した尾は三本。いずれも先端に鋭い針を備えている。
赤黒い外皮のその魔物は、久しぶりの獲物を見て歓喜に震えているようだ。それが次から次へと土の中から出て来る。
「気持ち悪っ! 『死神の鎌団』! …………って、あれ?」
アイナの声と共に黒い靄が五つ出現し、すぐに黒い外套を纏った人型に変わる。手に持つ大鎌は……ん? 草刈り用の鎌かな?
いつも猛々しさと禍々しさを纏っていた死神たちは、今アイナの膝にも届かない小さな姿になっていた。
「ふぇっ!? ちっさ!」
アイナのスキルに異変がっ!
次話は水曜か木曜に投稿予定です。




