60 三つ巴
光の槍から逃れるために後方に転移した異界人の男女を囲むように黒い靄が発生する。男は背中から六本の赤黒い足を生やした。靄に向かって高速で刃を繰り出し掻き消そうとするが効果はなく、靄が塊になってその手に大鎌が現れる。
ゾクっ
男は言いようのない寒気を覚え、少女を掴んで空中に転移した。
「そのまま空中三メートル!」
アレスが異界人の気の流れを読み、転移先を予測する。果たしてアレスが指示した通りの場所に赤黒い繭と長い髪の少女が現れる。
モニカが三本の矢を連続で放ち、ネネが雷撃槍を放つ。それらは無防備に現れた少女に直撃した。
「うぐぅっ…………」
少女はそのまま『死神の鎌団』の只中に落下する。胸と腹に三本の矢が突き刺さり、左肩は雷の槍を受けて焼け焦げ、肩から先を失っていた。明らかに戦闘能力を失っている。
もう一つの赤黒い繭は転移を繰り返し『死神の鎌団』の攻撃範囲から逃れようとしていた。
「くっ…… 読めない! だがこちらに近付いているぞ!」
「むっ! なんかデカい気配が近付いて来る! 異界人とは別だ!」
アレスとヒューイが警戒の言葉を口にする。アイナは一旦スキルを解除し、みんなと共に後ろに下がる。
その瞬間、眼前に防御を解いた異界人が現れ、背中と両腕を合わせた八本の刃で攻撃を仕掛けて来た。
「おらおらおらぁーっ! 人間どもがっ!」
「神の右手」を壊さないよう頭を狙え。そう指示した本人が怒りに我を忘れ、殺戮の鬼と化していた。八本の刃を鞭のようにしならせ、槍のように伸ばす。二人の少女よりも遥かに速く重い斬撃がアイナたちに降り注ぐ。
しかし、アレス、ヒューイ、ペネドラ、そしてシュウ、リン、カイトの六人が、その全ての斬撃を捌いて行く。ただの一撃すら後ろに届かせない。気迫と集中、そして高みにある技によって捌き、弾き、前線を少しずつ押し上げて異界人に迫っている。
モニカとネネが攻撃の隙を狙っていた時、今まで目を閉じて長い詠唱を行っていた男から言葉が漏れる。
「よし! 少し退がってくれ! 水の精霊『ウィンディーネ』よ、力を貸してくれ!」
次の瞬間、アレスたちの居る場所にキラキラと光り輝く小さな水球が無数に現れた。六人が同時に後ろに飛び退ると、水球は一か所に集まり、螺旋状に渦巻く水柱へと変化する。柱の中心から更に眩しい光が迸り、パーンと水が弾けると中から氷の彫像のような美しい女性が現れた。
弾けた無数の水球は空中に静止している。氷像の女性はゼフを一瞥し、テンをちらっと見て微笑んだように見えた。
「なんのつもりだ? これで俺を倒せるとでも?」
異界人――ドルムスは褐色の肌を怒りで紅潮させ、八本の刃をウィンディーネに向けた。すると空中の水球が薄く丸い盾に変化し、それらで刃を受け止めた。
「なにぃっ!?」
丸い盾は、薄く鋭い刃へと変化しドルムスを襲う。八本の刃で自分の身体を覆いウィンディーネの攻撃を防ぐドルムスだが、赤黒い足のあちこちが傷付き、そこから緑色の血のような液体が流れ出した。
「すっげぇ……これが精霊の力か……」
ヒューイの口から呆けたような声が漏れた。『銀獅子団』の他の面々は言葉を失い、ただコクコクと頷いている。なぜかテンだけはうんうん頷いて満足そうな顔だった。
水の刃は槍に変化し、更に数を増してドルムスに向かう。ドルムスはたまらず転移して後ろに退がった。
「来た! 異界人の後ろから来るぞ!」
地響きと共に巨大な何かが近付いて来る。遠くの角から現れたのは――
「……犬? でっかい犬か?」
真っ黒な毛で覆われた顔がこちらを向いている。十メートル以上ある天井に届きそうな高さに顔があった。瞳は真っ黒なのに、爛々と光っているように見える。
のそりとその犬(?)が角から姿を現す。その巨体には、頭が三つあった。
「なんじゃありゃぁ!?」
「ケルベロスじゃ」
ヒューイの素っ頓狂な声に、テンが即答した。
「ん……ケルベロスって神話に出てくる?」
「えっ? 実際に居るの?」
「ああ、おるぞ。恐らくここの最深層におったんじゃろ」
「えーと、テンちゃん? つまり、神話級のダンジョンボスってこと?」
「神話級かは知らんが、ボスじゃろうな」
「なんで五百階層にいるヤツがここにいるんだ?」
「うーむ…………ひょっとして、我のせい?」
テンの神力は強い魔物が興味を持つ。珍しい力の源を確かめるため、ケルベロスがここまで来たというのならテンのせいである。
(我、やらかした……?)
「へぇ、テンのおかげで珍しいものが見れたな!」
アレスが朗らかに言ってテンの頭に手を置いた。
「そうね! 普通は居ることすら知らないものね!」
「ああっ! 敵だっつーなら、やることは変わらねぇな!」
「んっ! あれなら思いっきり魔術撃てる!」
「誰があのワンコを躾けるか競争っすね!」
誰も怒ってない。誰もテンのせいだと言わない。
「ふふふっ! テンちゃん、みんな面白いでしょ?」
アイナがテンを後ろから抱きしめた。テンはアイナの柔らかさを感じ、胸が熱くなった。
ちなみにその時、『紅の鷲獅子団』の五人はドン引きしていた。ウィンディーネすら、ちょっと顔が引き攣っていた。
「なんだこの汚らしい生き物は!?」
アイナたちとケルベロスの中間辺りでドルムスが喚いていた。そして八本の刃でケルベロスに攻撃を始めた。
縦横無尽に繰り出される斬撃に対し、ケルベロスはまるでうるさい羽虫といった風情で、巨大な前足でドルムスを「ぺちっ!」と弾く。ドルムスは真横に吹っ飛び、ダンジョンの壁にめり込んだ。
「ぐっ! なんなんだコイツは?」
ドルムスは本来の目的を忘れ、目の前のケルベロスを倒すべき敵と認定した。前足の攻撃を避けながら斬撃を繰り出すが、全く効いていないようだ。
そのうち、少し苛立った様子のケルベロスの左の頭がドルムスを丸ごと呑み込む。あまりの速さに躱すことが出来ず、ドルムスは咄嗟に防御体制の繭になった。
「あっ……」
アイナの口から小さな呟きが漏れる。
「グギャギャギャギャ! ゴリッ! ゴリゴリッ!」
金属が擦れ、潰されるような音がする。しばらく左の頭はもぐもぐと口を動かしていたが、突然「ぺっ!」と吐き出した。食べられなかったらしい。
そこには、原型を留めていないドルムスの姿があった。八本の赤黒い刃はひしゃげ、磨り潰され、所々千切れ、力なく解けている。驚くべきことに、まだ息があるようだった。
「さーて! あたしのパンチが効くか試してみるっすかね!」
ペネドラが肩をぐるぐる回しながら一歩踏み出すが、テンの声に立ち止まる。
「ペネドラ、待つのじゃ! 一度我が話をしてみよう」
そう言って、テンはスタスタとケルベロスに近付いて行く。神話級のダンジョンボスに向かって行く狐人族の幼女。事情を知らない者にはそう見える光景だ。
「ちょっと! あんな小さい子に行かせるの?」
リンがたまらずヒューイを問い詰める。
「あー、何て言うか、そのー……まぁ、大丈夫だ」
「はぁ!? あんたも見てたでしょ? 見てたよね!? あんな化け物に――」
リンの詰問は、ケルベロスの方から聞こえた「ゴシャッ!」という轟音に掻き消される。
慌ててそちらに目をやると、ケルベロスが地面に伏せをして、蛇の尻尾をぶんぶん振っていた。真ん中の頭をぽんぽんと叩く幼女の姿も見える。
「は?」
「だから言ったろ? 大丈夫だって。テンが一番強いからな!」
すると幼女がニコニコしながらこちらに戻って来た。
「なんか唸って来たから一発殴ったら大人しくなったわい! うわーっはっはっはっはー!」
「さすがテンちゃん! かっこいいー!」
「テン、よくやったな!」
「んーっ! テン、頼りになる!」
「テン、凄いわ!」
「ワンコ、躾けたっすね!」
「い、いやぁ、それ程でも……」
抱きしめられ、頭と耳を撫でられ、顔を上気させて照れるテン。リンと『紅の鷲獅子団』の面々は目が点になり、口をポッカーンと開けていた。
ワンコの躾けに暴力はダメです。
テンちゃんのは愛の鞭です、念のため。




