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41 拒絶

 アイナが気が付いたとき、真っ先に目に飛び込んできたのは赤い髪の毛だった。その男は、今まさにアイナのショートパンツを脱がそうと悪戦苦闘していた。


「もがもがもがっ!? (何してるんですか!?)」


 アイナは男の手から離れようと身をよじる。その様子に、男が顔を上げアイナと目が合った。その目は、アイナが今まで見たことのない暗い目だった。


「あ? 気が付いたのか。ちょうどいい、反応がないと面白くないからな……」


 男から逃れようと上にずり上がる。足をばたばたし、縛られた腕で男の頭を何度も叩く。


「ちっ! 動くんじゃねぇ!」


 男がアイナの頬を平手で殴った。余りの勢いに口の中が切れて涙が浮かぶ。突然のことに驚き、一瞬アイナの動きが止まる。


「へっ。大人しくしてりゃいいんだ。そしたら気持ちよくしてやるからよ」


 再び男がアイナのズボンに手を掛ける。


(いやっ! いや! いやいやいやいやいやいやいやいやーっ!)


 アイナが声にならない叫びをあげた時。


 男の身体が黒と青の炎に包まれた。





* * * * * * * *





「ねぇ。なんだか騒がしくなくって?」


 絹のローブに身を包んだメレディス=カイア・クルディスが、裸の上半身を起こしたランデル=モル・アンドールにしなだれかかりながら尋ねる。


 ランデルは気怠さと余韻に浸っていたのに、それを邪魔された気分になった。


「何を言って……うん?」


 太腿に置かれたメレディスの手の温もりと、先程までの乱れっぷりの回想を断ち切るように、遠くから怒号や呻き声、金属音、それに地響きまで聞こえる。


「たしかに。一体何の騒ぎ――」


 ランデルの言葉を遮るように、寝所の扉が「ドン! ドン!」と乱暴に叩かれた。廊下では、侍女や執事の声と興奮した男の声がしている。


「恐れながら申し上げます!」


 扉の外から耳慣れない男の声が響く。ランデルは渋々ベッドから降り、ローブを羽織って扉を開けた。目の前に膝を付いて頭を垂れた全身甲冑の姿があった。


「何事だ?」

「はっ! 『銀獅子団』を名乗る連中が門の所で暴れております! 『仲間を迎えに来た』と伝えろと申しております!」


 ランデルはメレディスを振り返った。今の報告は彼女もしっかりと聞いたはずだ。


「あの子をこちらに連れて来なさい」


 メレディスが冷たく言い放つ。


「はっ!」


 兵が短く返事をした。


「プレアデス。お前も行け」


 ランデルがそう言うと、影の中からぬうっと男が現れた。その男は一言も発することなく、兵の後をついて行った。


「メレディス、これは――」


 扉を閉め、ランデルが振り返って口にする。


「予定が少し早まっただけですわ。あの子の喉に刃物でも突きつければ、『銀獅子団』も子ネコのように大人しくなるでしょう」





* * * * * * * *





 黒と青の炎に包まれた男は、声をあげることもなく消えた。男が着ていた服と金属の胸当てがアイナの腹から下に落ちていた。


(ふぅーっ、ふぅーっ、ふぅーっ)


 目を閉じていたアイナは、何が起こったのか分からなかった。ただ、自分に覆いかぶさっていた男がいなくなったのは分かった。


 縛られた手で猿轡を外し、歯を使って手の縄をほどこうとする。口の中に広がる血の味も、殴られた頬の痛みも感じない。口から血が滴り落ちるのも構わず、縄の結び目に集中した。


「おーい。いつまでかけるつもりだ?」


 階段の上から男の声がする。


「『死神の鎌(グリム・リーパー)』……」


 降りてきた黒髪の男が見たのは、闇の塊。そこから灰のような黒い粒子がとめどなく落ちている……大人の男より大きな闇の塊は、見ようとしても焦点が合わず、ぼやけている……その奥には、やけにはっきり見える二つの赤い光。


「ひ、ひぃっ!」


 黒髪の男は、声にならない叫びをあげてよろめきながら元来た階段を上って行った。男がいなくなったことに満足して、アイナはまた縄をほどこうとする。口元を血だらけにして、ようやく縄がほどけた。


 アイナはゆっくりと立ち上がる。その顔は、全ての感情が抜け落ちたかのようだった。その瞳は光を失い、深い海の底のような色をしていた。


 牢から歩み出たアイナに、闇の塊が付き従う。妖しい赤い双眸と、驚くほどはっきりと見える大鎌を携えた死神が。


 階段を上りきると、月夜に照らされた簡素な建物がいくつも並んでいた。金属の鎧に身を包んだたくさんの男たちもいる。彼らは、突然現れた銀髪の少女と、その後ろに浮かぶ禍々しい闇の塊にたじろいだ。


 遠くから走って来る甲冑姿の男が大声で叫ぶ。


「そのガキを捕まえろ! 領主様の所へ連れて行く!」


 その声に、周りの兵たちが我を取り戻す。武器すら持たない少女に警戒する必要はないが、後ろのあれは何だ? 兵たちが恐る恐るアイナを取り囲む。


「『地獄の炎(ゲヘナ)』」


 アイナが小さく呟くと、一番近くにいた兵が足もとから立ち上がった黒と赤の炎に包まれ、一瞬で焼き尽くされた。驚いた兵たちが一歩後退ると、次々に炎が立ち上がる。アイナを取り囲んだ八人の兵は瞬く間に灰になった。


 アイナの目はどこも見ていない。誰も見ていない。表情が変わることもない。


 兵たちが炎に包まれたのを見て、数人が弓を構える。素早く矢をつがえ、アイナに向けて放った。アイナの前方から五本の矢が迫る。


「『反射リフレクト』」


 アイナの前にオレンジ色の正八角形が出現する。矢はそこに当たった瞬間に向きが反転し、放たれた時と同じ速さで射手に向かって行く。


「ぎゃぁ!」「うぐっ」「な、なんだっ!」


 矢を放った五人に、次々と矢が刺さる。


 その隙に、プレアデスと呼ばれる男がアイナの目前に迫っていた。


 アンドール侯爵の子飼いの暗殺者、プレアデスは『影移動シャドーイング』という特異なスキル持ちだった。影の中を自由に移動できるというそのスキルを活かし、これまで数々の暗殺をこなしてきた。


 マリウス王子の暗殺も、プレアデスが実行すれば成功していたかも知れないが、臆病なアンドール侯爵は近くに置いて自分を護らせることを優先した。アイナの誘拐も彼の仕業である。


 プレアデスは影に潜り、アイナの背後に出現した。手には短剣と薬を仕込んだ布を持っている。アイナの口と鼻を布で塞ごうとしたとき――


「もうそれはいや」


 アイナが呟いた。布は黒と青の炎に包まれて一瞬で消えた。それに怯むことなくプレアデスは右腕をアイナの首に回し――


「もういやなの」


 プレアデスは悪寒を感じ、アイナから飛び退った。右腕が黒と青の炎に包まれ、肩から先が消える。鋭利な刃物でスパッと斬られたような断面からは血も流れない。痛みすら感じなかった。


(なんだこれは!?)


 一瞬自分の腕に気を取られ、すぐにアイナの方に視線を戻す。少女の光が消えた目がこちらを見据えていた。


斬撃スラッシュ


 いつの間にかプレアデスの背後にいた死神が大鎌を振った。プレアデスの身体は胸の所で上下に両断された。「ぐちゃっ」と湿った音をたててプレアデスだったものが地面に崩れ落ちる。


「あ……悪魔……」


 その様子を見ていた兵の一人が呟いた。周りの兵たちはアイナから少しでも離れようと武器を捨てて走り出した。アイナは感情のない目でそれを見ていた。


「『地獄の(ゲヘ)……』」

「キューーイっ!」


 キュイックが、淡い光を発しながら飛んで来た。アイナの前で翼をバサバサしながら「キュイっ! キュイっ!」と鳴く。


「キュイ……ック……?」


 アイナが両腕を前に出すと、その中にキュイックが収まる。後ろにいた死神が霧散していく。


「アイナーーーっ!」


 自分を呼ぶ声にアイナが顔を上げる。


「アイナっ!」「アイナー!」「アイナ」「アイナっちー!」


 知っている声。いつも聞いていた声。当たり前だと思っていた声。


 アイナの目に光が戻る。いつもと同じ、澄んだ明るいブルーの瞳。顔には血の気が戻り、頬と口の中が急に痛みだした。


 腕の中にはキュイックの、温かくてふわふわした感触。アイナはキュイックを優しく抱きしめた。


 アレスが。ヒューイが。モニカが。ネネが。ペネドラが。


 アイナの傍に駆け寄り、膝をついて抱きしめてくれる。頭を撫でられ、頬を挟まれ、もみくちゃにされた。


 みんなの顔を見て、声を聞いて、温もりを感じて、アイナは堰を切ったように大声で泣き始めた。

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