3 母性、芽生える
十九階層に辿り着したアイナは、両膝に手をついてぜぇぜぇと息を切らしていた。階層間の階段は長い。建物で言えば五階分ほどの距離と高低差である。
階層間を移動する魔物は滅多にいない。これは『血風の狼団』の受け売りである。人としては最低だったが、彼らとてAランク。正しい情報と考えて差し支えないだろう。
後ろを振り返って確認するが、炎牙虎は追って来ていない。
「キュイック……ひどいよぅ……」
階段の踊り場から一番近い岩陰に座り込み、アイナが泣きながら愚痴っていた。アイナの太腿には、キュイックが座っている。
キュイックにとってアイナは、さっき会ったばかりの見慣れない生き物で、食べ物をくれる存在でしかない。それよりも生存本能が勝る。炎牙虎に追われて一目散に階段を上って行ったのも仕方のないことなのだ。
(あれ? キュイックも魔物だから、階層間を移動しないんじゃ……?)
実のところ、魔物が階層間の移動を滅多にしないのは「縄張り」によるものだ。キュイックは生まれたばかりで縄張り意識がないため、普通に階層間を移動したのだった。
「あぁ……でも、親とはぐれちゃったね……」
「キュイ?」
こうなった責任はアイナにはないが、既に情が移っている。もう移りまくりである。私に飼えるかな? とか、エサは何食べるのかな? とか考え始めている。
ダンジョンで一度死に、たった一人置き去りにされ、そこで絶望してもおかしくない状況だった。キュイックの存在がアイナを救ってくれたのも事実である。キュイックにとってアイナが必要かどうかはさておき、アイナにとってキュイックは必要な存在だった。
少なくとも今は。
そんなことを知ってか知らずか、アイナは「この子を守らなきゃ!」と固く心に誓っていた。戦闘力は皆無なのだけど。十二歳の女の子に初めて芽生えた母性であった。
キュイックを手の平に載せてみる。重さを感じないほど軽い。持ち運ぶのに問題はなさそうだ。
試しに肩に載せてみる。まだ全然発達してない爪が肩の肉に少し食い込む。痛みはないが、キュイックの方に負担が掛かってる気がする。しばらくそのままにしていると、肩の上でバランスを取るのに慣れたようで、キュイックがリラックスしているのが分かった。
(このまま走ったりするのはまだ無理かも)
ここはまだ十九階層。ダンジョンの出口まで先は長い。どれくらい時間が掛かるか見当もつかない。
不思議とお腹は空いてない。『拒絶』で死から復活して間もないからだろうか?喉の渇きもなく、身体の調子はここ半年で一番良いくらいだった。
(とにかく出口に向かって移動しよう)
『血風の狼団』内で、マッピングもアイナの役目だった。ダンジョンの道筋を記した紙は荷物と一緒に持って行かれたが、道はなんとなく覚えている。
近くに魔物の気配はない。『索敵』などの気配察知スキルはアイナにはないので、音や臭いを頼りにするしかない。岩陰から岩陰へ、少しずつだが十八階層に続く階段へと向かって行った。
何度か魔物を見かけたが、思っていたより少ない。ここは十三階層。一切回り道をせず、身を隠しながら慎重に進んで来た甲斐あって、一度も魔物に襲われずに済んだ。しかし、あの二十階層からここに辿り着くまでに体感で半日くらい掛かっている。
魔物が少ないのは、『血風の狼団』の三人が倒しながら進んだおかげかも知れない。十九階層より浅い階層の魔物なら、彼らの敵ではないだろう。
ここに至るまで、アイナが口にしたのは干し肉の欠片がほんの少し。それも半分近くはキュイックに与えていた。そして最大の問題が飲み水だった。
一切戦闘してないとは言え、距離にして二十キロ近く移動している。さすがに水なしではキツい。キュイックには、服に沁み込んだ自分の血を与え、自らもそれを絞って飲みながら凌いでいたが、それも既に乾ききってしまった。
(あと十二階……)
魔物への警戒。半日も続く緊張。そこへ脱水症状が重なる。意識が朦朧とするアイナの頬を、肩に乗ったキュイックの口がつつく。
「あ……キュイック。ごめん、ボーっとしてた」
手近な岩の陰に腰を降ろし、岩に背を預ける。このままでは非常にマズいという事は、アイナにも分かっていた。そして、この事態を打開する方法が一つある、という事も。
(もう一回、死ぬしかないか……)
いくら『拒絶』があると分かっていても、死ぬのは怖い。それに、あの時はたまたま「死を拒絶」しただけで、今度は拒絶出来ずに本当に死ぬかも知れない。
そして、痛いのは嫌だ。あの虎の魔物にやられた痛みを思い出すだけで泣きそうになる。
(うぅぅ……魔物に殺されるしかないのかな……)
自らのまだ訪れていない死を嘆きながら泣いていると、キュイックが涙をペロペロと舐めてくれる。
「キュイック……」
アイナはキュイックが自分を慰めてくれたと勘違いしているが、実際には乾いた喉を潤しているだけであった。知らぬが仏である。
アイナがキュイックの優しさ(?)に感動している最中、当のキュイックはアイナの肩から下り、エサを探すためにフラフラと岩陰から歩み出ていた。キュイックだってお腹がぺっこぺこなのだ。
適当な大きさの虫とかいないかな? と地面をキョロキョロしながら進むキュイック。ちなみにキュイックは肉食である。身体が小さいうちは虫も食べる。
空腹感も立派な生存本能だが警戒が疎かになっていた。手の平サイズのキュイックを目聡く見付けた狼の魔物、B+ランクの「ハウンドウルフ」五匹の群れがキュイックを食い殺さんと我先に突進して来た。
「キュイックーっ! 逃げて!」
アイナがハウンドウルフ達とキュイックの間に両手を広げて立ち塞がる。突然現れた人間の小さなメスにハウンドウルフ達は一瞬面食らった。が、より大きなご馳走を前に、手の平サイズのキュイックの事など忘却の彼方に吹き飛び、嬉々としてアイナに飛び掛かった。
群れで一番大きなハウンドウルフがアイナの喉笛に喰らいつく。アイナより大きく、遥かに重いそいつの攻撃で、アイナの細い首は一瞬で噛みちぎられ胴体から離れた。
残りの四匹が胴体の思い思いの部分に喰らいつく。腹が喰い破られ、腕が千切れ、太腿の肉がごっそりとなくなった。
一番大きな個体がアイナの内臓を貪ろうと腹の中に鼻面を突っ込んだ時、アイナの全身から黒と青の炎が立ち昇る。
その余りに禍々しい気配に、五匹のハウンドウルフ達はアイナの亡骸(?)から後退った。黒と青の炎は更に激しさを増してアイナの全身を包み込む。外からは窺い知ることが出来なかったが、その中では早送りの逆再生のようにアイナの身体が修復されていた。
それは命属性魔術「復活」とは似ても似つかぬ光景。黒と青の炎は、非常に稀な「闇属性」の特徴であった。
その様子を、少し離れた岩陰からキュイックのつぶらな瞳がじぃっと見ていた。
(う、うーん……)
アイナはパチリと目を覚ました。
(こ、こわかったぁー……)
一際大きなハウンドウルフがアイナの首に噛み付いたため、襲われる恐怖はあったが大きな痛みを感じる前に絶命していた。
身体のあちこちを嚙み千切られたアイナだったが、ハウンドウルフ達は黒と青の炎に恐怖を覚え、後ろ脚の間に尻尾を巻いて逃げ出していた。
アイナの右脇に挟まるようにキュイックが収まり、顔をこちらに向けてじぃっと見ていた。
「キュイック……良かった……無事だった」
「キュイッ! キューイッ!」
アイナの声に、キュイックが嬉しそうな鳴き声を上げる。
キュイックの中で、アイナは食べ物をくれる変わった生き物ではなく、自分を守ってくれて食べ物もくれる変わった生き物にちょっぴり格上げされていた。
アイナはふと自分の身体を見下ろす。炎牙虎に殺された時に裂けた服は、さらにボロボロになっている。あちこち穴が開き、上半身の前側は半分近く素肌が露出していた。
だが、大事な所はまだちゃんと隠れている。十二歳と言っても女の子。人前で大事な所を晒すなど恥ずかしいことは出来ない。人っ子一人いないのだけど。
(ダンジョンを出たとして、これで町まで行くのは恥ずかしいな……)
などと女の子っぽいことを考えるアイナだが、傍から見たら恥ずかしいどころではない。全身ボロボロで命からがら逃げて来た幼い被害者にしか見えないのだ。まともな人が見付けてくれたら秒で保護されるレベルである。
(とにかく、生き返ったおかげで体調も復活した! 元気があるうちに少しでも先に進もう)
服に沁み込んだ自分の血を絞ってキュイックに与え、アイナは立ち上がった。もう少し進めば十二階層への階段がある筈だ。また脱水症状を起こす前に、出来ればダンジョンから脱出したい。
再び集中力を取り戻したアイナは、右肩にキュイックを載せ、周囲を警戒しながら歩き出した。
「アイナ、頑張って!」
「キュイックも頑張れ!」
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