過ぎた時のIntrigue:2
「それにしても……」
エレノアは、今までのアネットの会話を振り返って、はぁ、と溜息をつく。
商業ギルドの防犯体制は、思った以上に厳格だった。
薬剤やマジックポーションを売る際に、厳格な審査が必要だろう、ということは端から予想はしていたし、だから自分で作ったポーションやマジックポーションを、各種類何本ずつか、揃えて持ってきたのだ。
しかし、それだけに飽き足らず、まさかしばらくの間問題となる行動をとらないかどうか、監視されるとまでは思っていなかった。
前述の通り、ありがたいと思っているのも確かな話である。なにしろ、商人としてのスキルが皆無なのだ、それ相応のノウハウがある人材を、わざわざよこしてくれるのであれば、これほど喜ばしいことはない。
しかも、監視期間の間は人件費も受け持ってくれるというのだから、ありがたさは倍増である。
しかしながら、その『監視』の二文字が、どうにもエレノアの心に重くまとわりついてならなかった。
(せめて、もう少しやんわりとオブラートに包んでくれたらよかったのに)
そうは思わずにはいられないほどに、ドストレートな言葉だった。
「監視、か……。さっきはあんなこと言ったけど、やっぱり気持ちのいい言葉じゃないのは、確かだなぁ……」
とりま、監視機関が終わるまでは、ギルド職員の対応も、事務的なものになるのだろうな、と思うと、内心げんなりとせざるを得ないエレノアであった。
そんな心境のエレノアが、鑑定用の魔道具を取りに行くために席を離れたアネットを待っていると、にわかに周囲が騒がしくなり始めたことに気づく。
なんだろうか、と周囲を見渡してみれば、そこには、どこか見おぼえがるような、女性の姿があった。
その女性のことがいやに気になってよく見れば、彼女は鈍く光る頑丈そうな金属製の首輪を嵌められて、それに繋がる鎖を屈強な男に引っ張られるままに強制的に歩かされているという、異様な状況に置かれていた。
不意に、エレノアの脳裏に前世の記憶が宿る前の記憶の一幕が、よみがえる。
――彼女は、いつだってエレノアに寄り添ってくれていた。エレノアの側仕えを任されていたが、その主従関係を超えるほどの信頼関係がそこにはあった。
――朝起きたときも、寝間着から着替えるときも、食事の準備ができたと報告に来てくれた時も。
――喜びを感じた時も、憤りを感じた時も、悲しみで涙を流した時も。そして、楽しかったひと時も。
――彼女が側仕えになってからの記憶には、必ずどこかに、笑顔の彼女が映り込んでいた。
視線の先にいたのは、エレノアがもともとのエレノアだった頃に、いつでもそばにいて彼女の面倒を見てくれた、側仕えのメイドであり、かけがえのない友達だったのだ。
須臾の一時、記憶の奔流に押し流された意識が現実に戻ったのは、アネットの『お待たせしました』という声が聞こえたからだった。
それがなければ、その騒ぎが終わるまで、ずっとエレノアはその彼女のことを眺めつづけていただろう。
「お待たせしました。それでは、ただいまよりお客様がお持ちしましたこちらのマジックポーションを――」
「あの!」
「はい?」
自分の言葉を遮られて、しかしムッとする前にエレノアのその焦りに満ちた表情を見て、何事かあったのかと真剣な顔つきになるアネット。
そんなアネットに、エレノアは少し離れた場所で倒れ伏している彼女のことを聞いた。
「彼女は?」
「あぁ、彼女はさる公爵家に勤めていた元メイドの女性です。彼女自身も貴族だったのですが、なにやら公爵家の方でトラブルがあったらしく――実家からも切り捨てられ、公爵家からの罰ということもあって、ああして奴隷にされてしまったのです」
「なんて、こと……」
おおよそ、エレノアの記憶の中にある、エレノアの実父がすることとは思えない所業だ。
いったい彼女に何があったというのか。
エレノアは、つい先ほどまでの手続きのことなど一切忘れて、彼女を助けたい、ということだけしか考えられなくなってしまっていた。
「もしかして、お知合い、なのですか……」
「はい……わけあって今は名乗れないのですが、私はもともと、エレノア・レーペンシュルク、という名前だったのです」
「レーペンシュルク……って、もしかして――」
「はい、元、になりますが、そういうことになるでしょうね」
レーペンシュルク家のゆかりのものなのか。問いかけようとして、しかし『わけあって』と前置きをされてしまっては正直に聞くわけにもいかず。
結局、中途半端な形となってしまった問いかけにも、エレノアは律儀に応答する。
「彼女は、私付きのメイドだったんです。朝は起きるときから、夜は寝る時まで……彼女は、私の側仕えになってから、とてもよくしてくれました。そして、何か不正をするような人でもなかった……なのに、なぜ…………」
『エレノア』として、とても悲しみを感じてしまったのだろう。彼女は、人前であることを憚らずにぽろぽろ涙を流し始めた。
できることならば、彼の元メイドを救ってあげたい。
彼女に対し恩義を感じている身としては、目の前のあの光景を見てしまえば、そう思わずにはいられなかった。
だから。
「あのっ! 実は、持ってきたマジックポーションは、各種数本あるんです!」
「…………物々交換。彼女を、それでご購入――いえ。お救いになりたい、と?」
「彼女にも、何か事情があったと思うんです。彼女は、本当に私に世話を焼いてくれました……。だから、できることなら、なにか、その恩を返せるようなことを、してあげたいんです……!」
「……わかりました。上に、何とか掛け合ってみましょう。もう少し、お待ちいただけますか?」
「はい……! よろしくお願いいたします……!」
仕方がありませんね、と言わんばかりに再び席を立つアネットを、エレノアはすがるような目で見送ることしかできなかった。
アネットが再び戻ってきたのは、それからしばらくたってのことだった。
彼女は、別の職員――男性を伴っており、彼女らの立ち位置からして、これからの話は新たにやってきた男性職員の方がメインになるのだろう、とあたりを着けた。
「お話はお聞きしました。本日お持ちしたマジックポーションのいくつかを対価に、本日連れてこられた奴隷を購入したいとのことでしたね」
「はい……。お願いできますでしょうか。なんとしても、彼女を救いたいのです」
エレノアは、縋りつくような視線で男性職員を見やり、その心からの声を伝えた。
彼女を救えるなら、何でもする。そんな強い意志のこもった熱い視線を受けて、男性職員は、若干考えるようなそぶりを見せたが、
「………………。まぁ、いいでしょう。私どもとしては、対価をいただけるのであれば文句は言えませんからね。彼女を奴隷として売るにしても、その売り出し方はまだ決めてはいませんでしたから」
と、快い返事をエレノアに返すのであった。
「では…………!」
エレノアは、決死の覚悟で、ともすれば相手をにらみつけるような形相で机に手をついて、前のめり気味に職員と向かい合っていたのだが――返事を聞いた途端、ぽかんとして、それから期待に満ちた眼差しで、男性職員に確認を取る。
ほんとうに、それは売ってくれるのだと判断して、良いのかと。
「えぇ。対価さえいただけるのでしたら、すぐにでもお引渡し致しましょう。また、それと同時に店を開くにあたって必要な審査も一緒にやってしまいましょう」
それを聞いたエレノアは、ほっとして、そのまま崩れ落ちるようにして、真後ろにあった椅子にドカッ、と座りこむ。
男性職員が、特に特異な条件をほかに付けることなく、簡単に首を縦に振ったことで、緊張の糸が切れてしまったのだ。
「…………ありがとうございます……。本当に、ありがとうございます」
「……アネットから話を聞きましたが、本当に彼女のことを気に行っていたのですね。……すぐに連れてきますから、エレノア様はお売りいただけるマジックポーションのご用意をお願いします。……アネッサ。値段交渉はお前に任せる。少しでも高く見積もって差し上げなさい」
「はい、わかりました」
そういって、男性は奥の方へと戻っていった。
再び、エレノアとアネットが向かい合う。
しばしの間、双方の間で沈黙が流れた。先にそれを破ったのは、アネットの方からだった。
「彼が、あのような決断を下すとは、本当に珍しいことがあったものです」
「そうだったんですか?」
「えぇ。彼は、自分が決めたことはほとんど曲げない人ですから。なにも実力を示していない商人が取り合ったところで、聞く耳を持たないことで有名なんです」
「え? でも、さっきは……」
あの元メイドの奴隷の扱いは、まだ決めていなかった、とそう言っていたではないだろうか。
それは、間違いだったのだろうか。
疑問を隠せないエレノアに、アネットはクスリ、と微笑んで、本当に不思議な人だな、と思いながら事情を説明する。
「あれは彼なりの抵抗ですよ。自分で決めたことを曲げた、と周りには知られたくない。でも、今回は、その決めたことはまだ外部には知らせていないことでしたから、最初からまだ何も決めていなかった、という体を貫いて、自分は考えを曲げたわけではないのだ、と商人たちに示したかったのかと」
「そう、だったんですか……」
そんな人が、わざわざ自分のために、曲げたくもない意志を曲げてくれたのだ、と知り、エレノアは感謝の気持ちしか湧いてこなかった。
そんな、ほんのりと涙ぐんだ笑みを浮かべたエレノアを、微笑ましいものを見るような目つきで眺めて、再度クスリと笑うと、
「さて。それでは、少々予定が変わってしまいましたが、エレノア様がお持ちしたポーションをお見せいただいてもよろしいでしょうか」
と、この場の雰囲気を改めるようにエレノアにポーションを出すよう促した。
もともと元メイドのことがなくても、あとはエレノアがポーションを出して、それをアネットが鑑定して店を開くに値するかどうか、評定を下すところまでいっていたのだ。
アネットは手に持っていた鑑定用の道具――モノクルのようなそれを目に着けると、さ、遠慮なく出してください、とポーションを置くためのケースを机の下から取り出した。
さて。そんなこんなで一時中断したマジックポーションの品評会だったが、誰か、忘れているはいないだろうか。
持ち込んだポーションはすべてエレノアの自作品である、というその事実を。
それが再開された時に、価値観の狂ったエレノアが持ち込んだマジックポーションを見て、その場が混沌と化したことは想像するに難くない話である。
この時のことを、後にアネットはこう振り返る。
――私が彼女に着いていこうと、いえ着いていかなければならないと確信したのは、まさにこの瞬間だったのだ、と。
それがどのような瞬間だったのかは――鑑定が終わった直後の彼女を見てみれば、一目瞭然だろう。
「…………ダメだ、この娘。早く、誰かが常識を教えてあげないと、市場が崩壊しちゃう……!」
それは、これ以上なく見事な精神の蹂躙劇だった。
次々と出される高級なポーションの数々。
最初こそ、ほほう、と目を輝かせるアネットであったが、鑑定結果に出る『製作者:エレノア』の文字を見て、表情を一転。少し青ざめたようなモノへ。
さらに次々とエレノアが差し出すポーションやマジックポーションも、そのすべてが――高級品。
アネットがギブアップを告げたのは、最初のマジックポーションが差し出されてから起算して、わずかに数分後のことだったという。
エレノアに、強力な助っ人兼お目付け役が付くことが確定した、運命の瞬間でもあった。