過ぎた時のIntrigue:1
※Intrigue:策謀、陰謀
お店を開くために必要なものといえば、なにが挙げられるだろうか。
店舗。市場調査。売るための商品。販促活動。パッと思いつくのは、そんなところだろう。
しかし、お金はかからないものの、決して忘れてはいけないものがもう一つある。
それは――行政への届け出である!
異世界と言えど、国というものがあるなら当然人々の営みを管理する行政がある。
で、あるならば。カネとモノの流れを管理し、監視する機関も当然存在するはずである。
それが――エレノアが本日、来訪した商業ギルドである。
ここで、その商業ギルドがなんであるかを説明しよう。
前述の通り、カネの流れを管理し、商人達が稼いだ利益をもとに税金を取りまとめ、御上に受け渡す税務執行官の代官的存在である。
ゆえに彼らには、不正を働いた商人たちを逮捕する権限や、税を払えなかった者たちの資産を差し押さえる権利が国から与えられている。
それと同時に、商業ギルドとはその国のモノの流れ――流通網を監視する役割も持つ。
そして商人たちは、その監視から逃れることを許されていない。
わかりやすく言い換えれば、起業をした際には、その旨をきちんと商業ギルドに伝えて相談という名の審査を受ける義務が生じるということである。
「では、次の方、どうぞ」
「すみません、開業手続きをしたいのですが」
「開業手続きですね。おめでとうございます。当ギルドは、お客様のご開業を、心より祝福させていただきます。さっそく手続きをさせていただきますね」
営業スマイル、ゼロルメナなり。
そんな言葉が思い浮かぶ度に見事な微笑を浮かべながら、職員――ネームプレートにはアネッサとある――が事務的にエレノアの応対を始めた。
「まず、最初にこちらの規約書をお読みください。読み上げますね――」
そう言って、まずは店を開くにあたって守らなければならないルールを一つ一つ説明される。
王都とて、平民の識字率は実はそう高くはない。
ギルド職員がこうして読み上げながら同意を促すのは、そのためである。
中には暗黙の了解的なものも含まれていたが、トラブル回避のための防止策であると説明されれば、疑問は挟めなかった。
「――と、長々と説明させていただきましたが、守っていただきたい規約は以上になります。エレノア様は、これらすべてに同意できますか?」
「はい、できます」
「それでは、こちらに署名を――代筆はご必要ですか?」
「いえ、大丈夫です」
この国の文字の読み書きは、エレノアの体にちゃんと染み着いている。
体を動かしているのが前世の記憶がよみがえったエレノアであっても、その手続き記憶はちゃんと呼び起こすことができた。
「…………、達筆ですね。ここまでくると、羨望を通り越して信仰してしまいそうです」
「大げさだと思いますが……」
「いえ、こればかりは…………」
目の前の職員――アネットは、どうやら自己評価ではあまり字体が体が美しくないようだ。
もっとも、エレノアのあずかり知るところではないのだが。
「コホン。それでは、規約にご同意いただきましたので、次の書類に移らせていただきますね。……こちらは、お客様が開こうとしているお店の業態、扱う商材になります。商材に関しては記入はおおざっぱでも構いませんが、市場価格が分からない場合、その詳細を申し出ていただければ値段設定のアドバイスをいたします」
「お店の業態……は、小売業? 薬局? そんな感じですかね」
「薬局……というと、扱うのは薬剤関連でしょうか」
「あ、はい。そうですね」
「それでしたら、販売する前に一度その薬品の検品をさせていただかなくてはいけません。本日はサンプルをお持ちですか?」
「はい、一応は」
エレノアは、この時のためにきちんと対策を取っていた。
薬研などの調合機材は、少々値が張ったものの、鍛冶屋で得た当面の資金から問題なく拠出できたので問題はない。
もちろん、今後しばらくの生活費と相談したうえでの判断である。
そして、その追加で導入した調合機材を用いて、薬草を用いた通常のポーション類も製作していたのだ。
「こちらが、私が扱おうとしている薬剤、その一通りになります」
初期投資費用は100万ルメナほど。
生活資金として当初10万ルメナを組んでいたので、これを差し引いてもまだ予算は50万ルメナはあることになる。
ちなみに、王都の住民が一か月生活するのにかかる費用は、何事もなければおおよそ3000ルメナほどである。
特定の方面の物価が異様に高いことの反動ともいえるが、これは価値観の違いによる、としか説明のしようがない。
エレノアの場合は、宿屋に長期滞在しており、食費も当然外食という感じになるので割高になるが、それでも6000ルメナで十分おさまる範囲内に抑えてある。
「では、僭越ながら一つずつ、品質の確認をさせていただきますね。これが十分に信用にたる品物であると確認できましたら、薬剤を売るのに必要な仮免許を、別途お渡しいたします」
「仮免許?」
「はい」
検品と聞いて、それだけで品質チェックを行うのだろうことはエレノアにもすぐに理解できた。
しかし、その後に続く言葉には、少々疑問を感じた。
どうやら、ポーションやマジックポーションを売る場合は、普通の営業許可証だけではいけなかったらしい。
「このように、人々の健康に深くかかわる品物を扱う場合、普通の商品とはまた別の基準があるのです。一つでも間違えば、人災に発展しますからね。なので、まずはサンプルをお持ちいただいてそれの品質が遜色ないものであるかどうかを判断し、その上で数か月間、我々の方でお客様の構築した流通ルートが信用に足るモノかどうかを監視させていただくことになります」
「か、監視……ですか」
「はい。具体的に言いますと、ギルド職員の店舗への出向。これを受け入れていただきます。配属先は仕入れ補佐と、取引補佐、会計の最低三人。出向した人たちの給料は観察期間が終わるまではギルド持ちとなり、それ以降もいてほしいと申請があった場合はお客様持ちとなります。そしてもう一つ。観察期間内におけるギルドへの卸売り。出向した職員の観察が十分であることを証明していただくために、入荷した量に対し、決められた割合だけギルドに卸していただきます。こちらは、卸売りですので、お客様が考えているよりかなり安い買取価格となることにもご了承いただく必要があります。薬剤など、特にギルドが監視の必要性ありと認めた品物を扱う場合は、以上のこの二つが義務化されます」
なるほど、とエレノアは頷く。
確かに、これは監視だろうと。
まず、ギルド職員を送り込むことにより、仕入れ先の随時確認、販路、そして会計処理が緻密にチェックされることになるだろう。
その上で二つ目の、ギルドへの卸売りだ。
ギルド職員の監視が本当に充分なのか。もしかしたら、懐柔されてなどいないだろうか。それらのことを逐次チェックされることになる。
別に、ギルド側は毎日同じメンツで出向してくるとは言っていない。つまり、毎回違うメンバーが監視にあたることだってありうるのだ。
いや。
「ちなみに、ギルドから出向する職員は、毎週毎に変更となりますのでご了承ください」
そうである、と実際に宣言されてしまった。
毎日とはいかずとも、面子の変更はやはりあるのだ。
これは二重に三重に策をめぐらし、少しでも不正の種を取り除こう、という意思の表れなのだろう。
ただ、エレノアとしては別に、両方とも願ってもないことだった。
ギルド職員の出向は、言い換えればギルド側からアドバイザーを送ってくれる、ということでもある。
エレノアは、前世の人格にせよ元々のエレノアにせよ、商売の知識など皆無なのだ。
少しでもその道に明るい人にいてもらった方が、安心できるというものである。
ギルドへの卸売りだって、言い換えればギルドが品質の保証をしてくれるということなのだ。卸売りというのは、その必要経費だと思ってしまえば痛くもかゆくもない。
エレノアの考え的には、むしろ美味しい話なのだ。
だから、答えなど決まっていた。
「わかりました。それでは、よろしくお願いします」
「かしこまりました。では、鑑定用の魔道具をお持ちいたしますので、少々お待ちください」
そう言って、アネットは、一旦窓口の奥へと入っていった、
ギルドの受付嬢・アネットは、先ほどまで対面していた、鑑定用の魔道具の準備をしながら、どことなく高貴な気品を纏った少女のことを考えていた。
少なくともアネットにとって、あの少女――エレノアのような人種の商売人は初めて見るケースだ。
アネットの知る商人というのは、どれだけ人当たりがよさそうに見えようとも、内面は排他的で利己的。
権力には弱そうなふりをして、自分の本当の手の内は決してひけらかそうとはしない、そんな狡猾な羊のような人種だ。
しかし、エレノアは、少なくともアネットがこの短い時間で観察した限りではそんな感じがしない。
商人であれば自然と身に着ける、含みのある作り笑いはおそらく、新米だから身についていないだけなのかもしれないが――あの感じを見る限り、それを身に着けることすら考えてはいない様子だった。
つまり、彼女は少なくとも、隠し事はしたがらない性格か、もしくはできない性格なのだろう。
おおよそ商売人には向かない人種だ。
しかし、それだけならアネットは価値のないものを見る視線で、ただ事務的に仕事をこなすだけだっただろう。
その考えを改めようとしたのは、本当につい今しがたのこと――彼女の商材が、ギルドが特に監視の必要アリとして定めているものの一つである、薬剤関連であることを知らされた瞬間から、先のことがあったから。
普通、商売人は自分の隠している本当の切り札を、見せようとは思わない。だから、こういう逃げ場のない監視をされると分かった場合は普通、嫌な顔をして、仕方なく、苦渋の選択をするかのような感じでこれを了承するはずだ。
そう、普通であれば。
だが、エレノアという少女は違った。
彼女は、それが普通であるかのように自然体で――ともすれば、どこか望ましいものを見るような目つきで、自ら『お願いします』とそう言ってきたのだ。
これが気にならないはずがなかった。
アネットは、ごく限られた時間の中で、早くもエレノアという未知の存在に魅入られてしまったのだ。
彼女のことを、もう少し観察してみたい。
そう考え始めている彼女は――この応対を終えた後の計画を、少しずつ、練り始めた。
――それが、彼女にとっての波乱の幕開けとは知らずに。