エピローグという名のStart line:2
王太子達に連れられて、エレノアとコーネリアは昼前にはレーペンシュルク公爵家本邸へと到着した。
エレノアは、車から降りるや否や、全力で城内を疾走し、階段は付与魔法を自身の脚にかけてひとっとび。
そうして瞬く間に四階、執務室や公爵家のプライベートスペースのある階へとやってきた。
ここまで全力疾走する彼女が向かう先は、ただ一つ。
彼女の姉である、レミリア・レーペンシュルクの私室である。
そんな彼女を、廊下を歩く従僕やメイドが、何事かと視線で追いかける。
謎の事態にどよめく彼ら彼女らには、エレノアの全力疾走を見て若干混乱している様子は見受けられても、それ以外の理由で混乱している様子はほとんどなかった。
王太子の側でも、やはり公爵家本邸内部でサキュバスと戦うことになり、それにより使用人たちはひどく混乱したという。
しかし、エレノアが走りながら見る範囲内では、すでにその混乱もあらかた静まっており、レーペンシュルク家に勤める使用人たちの優秀さを、改めてうかがい知ることができた。
さて。
やがてエレノアは、目的地であるレミリア・レーペンシュルクの私室前へと辿りつく。
そのままの勢いで扉を開けようとしなかったのは、彼女にまだ考える余裕があったことを示していただろう。
やや間をおいて、深呼吸をして心を落ち着かせてから、彼女は意を決してノッカーを使って入室の合図をし、扉を押し開ける。
その先にあるリビングを通り抜け、寝室へ続く扉をノックして入室。
そこで、彼女は王太子から聞いていた『奇跡』と、対面を果たした――
視界の先には、二人の女性がいた。
両方ともエレノアがよく知る人物である。
片方は、かつての学友であり後輩の、教会所属の聖女。
頭部をすっぽりと覆い隠す白いベールを今は外してベッドわきにあるサイドチェストの上にのせており、珍しく彼女は素顔をさらしていた。
もう片方は、この部屋の主であるレミリア・レーペンシュルクその人。
がりがりにやせ細ったその体躯は、かつてエレノアも体験したことがある、極度の栄養失調や疲労からくるもので、それは見た者に彼女のこれまでの境遇を嫌というほど思い知らせるものでもあった。
恵まれた環境で蝶よ花よと大切に育て上げられる貴族令嬢には、とても耐えがたい仕打ちであろう。
視線の先にいるレミリアも、元々のエレノアの記憶にあるような髪色ではなく、極度のストレスから完全にその色が失われて、白く染まっている。
元々エレノアもレミリアも、輝かしい蜂蜜色の髪を持っていたが、今となってはそれは姉妹の共通点とは言えないものになり果ててしまった。
――それでも。
エレノアは、その光景を見て、涙を流さずにはいられなかった。
なぜなら、それは自身の家族について、ゲーム知識のせいもあって諦めかけていたエレノアにとってしてみれば、夢のような現実だったから。
――それは、エレノアとシリカが知らずのうちに共同作業で起こした、奇跡だった。
エレノアが追放された時点で、いかに王太子がいようとも、エレノアはレーペンシュルク公爵家の本邸には入れなかっただろう。
サキュバス達に魅了されていた衛兵によって妨害され、その敷居すら跨げなかった可能性が高かった。
そしてシリカがエレノアの店にヒールポーション作りの練習に行っていなければ、シリカは治療魔法の腕前が急成長せず、レミリアの延命は『ツイント』のシナリオを辿るかのように、払暁までには限界を迎えていたことだろう。
ヒールポーションショップを開くことでシリカの関心を惹きつけ、彼女に教会の施術の場以外でも治療魔法の鍛錬ができる場を設けたことで、彼女の治療魔法の腕前と、魔力許容量が急速に成長。
それこそが、この奇跡の正体だった。
レミリアを救出したあの瞬間において、シリカの自覚では、確かに魔力はかなりぎりぎりだった。が、実際には総量が増えた影響で、本人はそう感じていても実際にはまだそれなりには残っていたのである。
ちなみに、レーペンシュルク公爵家本邸には、マナポーションはほとんど残ってはいなかった。その上、シリカ達が持ち込んだ荷物も、どこかへ消え去ってしまっていた。
サキュバスがすべてどこかに持ち出して隠したか使い切ってしまったのか、備蓄してあったはずのマナポーションが姿を消していたのである。
その結果、アンネマリーは早朝、店が開く時間まで待ってから、シリカのために走り回る羽目になってしまったのは――別の話である。
とかく、そうした女性陣の奮闘があって、そしてエレノアとシリカの奇跡は結果として結実したのだ――
「あ…………エレ、ノア……」
エレノアが寝室の入り口で呆然として立ち尽くしていると、レミリアが気づいたのか、彼女の方からエレノアに向けて声を掛けた。
それは、弱り切った体から発せられながらも周囲によく通る、印象深い声質だった。
彼女に呼ばれ、エレノアもまた、我に返って姉の名を呼ぶ。
「レミリア、お姉様……レミリアお姉様っ!」
来る途中の、車中と同じように。
エレノアは、元々のエレノアとしての部分が歓喜に震え、いよいよ涙を流しながらレミリアのもとへと走り寄っていく。
それを、レミリアは微笑みながら迎え入れた。
それまでレミリアを看病していたシリカとは、レミリアを挟んで反対側に。
彼女のもとへたどり着いたエレノアは、そのままやせ細ってしまったレミリアを気遣い、勢いを殺してそっとレミリアに抱き着いた。
「レミリアお姉様っ! よく、……よくご無事でいらしてくださいました! 私は、私は……エレノアは、うれしゅうございます……っ」
レミリアの胸にうずもれながら、エレノアは泣きじゃくって再会をひたすらに喜ぶ。
彼女にとっては、すっかり諦めきったところへ、思いがけずもたらされた朗報であり、またそれがまぎれもない事実であったと確認出来た瞬間だったのだから。
この時ばかりは、エレノアの中に宿ったナカノヒトの部分は鳴りを潜め、純粋に元々のエレノア――公爵令嬢エレノア・レーペンシュルクとしての精神が最前面に押し出されていた。
「エレノア……お帰りなさい。……シリカさんから話は簡単に聞きました。あなたも、よく無事でいてくれましたね……。ありがとう……本当に、生きていてくれて、ありがとう……」
レミリアは、エレノアにそう言いながら、ぎゅっと抱き締める。
まるでそれは、もうどこへも行かせない、もう一秒たりとも離さない。そう行動をもって誓いを立てているかのよう。
傍らで見ていたシリカは、微笑ましそうに目を細めてみていたが、やがてベールをかぶると、そそくさと寝室から退室してしまった。
そうなれば、二人きりとなった彼女たちに声を掛けてやめさせるものなどそうそういるはずもなく。
しばらく時間が経ってから、少し遅めの昼食を持ってきた、コーネリアとレミリア付きの侍女がやって来るまで、この運命を覆す再会を、喜び続けた。
そうして、昼食をはさんで昼下がり。
エレノアとレミリア、そしてシリカは、昼食の場で合流した王太子(とその護衛の武士)も面子に加えて、レミリアを囲う形でこれまでの経緯と、今後のことについて話し合いを始めた。
レミリアは、当たり前と言うべきか、エレノアが追放された後のことを本人から聞かされて、再び彼女を抱きしめようとした。
ただ、さすがにシリカの前でそれは恥ずかしかったのか、エレノアは固くなにそれを断ったが。
少しだけ寂しそうにしながらも、レミリアは生きてくれていてありがとう、とエレノアにお礼を言った。
とはいえ、そのようなエレノアにとって良いばかりではなく、逆にたしなめるように叱られたりもした。
何に対してレミリアが怒ったかといえば、それはエレノアが、サキュバスのアジトに乗り込んだことに対してである。
「まったく。そういうのは、周りにいる人に任せなきゃダメじゃない! 何のために、あなたのところに高ランクの冒険者がついてくれたと思ってたの!」
レミリアにとっては、エミリアは自分にとってかけがえのない妹であり、そして今となっては唯一の存在となってしまった肉親である。
彼女たちの父親は、側室など取ってはいなかった。ゆえにエレノアとレミリアは、正真正銘同じ父と母を持つ、純度100%の姉妹だ。
それがことさらに、二人の絆を深めていた。
「うっ……ごめんなさい、お姉様……」
「ふふっ、さすがのエレノア様も、レミリア様の前ではそのようになってしまうのですね」
「うぅ……」
レミリアにこってり絞られて、しゅんとするエレノア――を、微笑ましそうに見るシリカ。
エレノアは、恥ずかしそうに縮こまるしかなかった。
そうして一頻りエレノアがレーペンシュルク家から追放されて以降のことを話し終えると、いよいよこれからのことについての話し合いへと話題は映っていった。
エレノアは、まず自分あてに王城から手紙が届いたことをレミリアに打ち明けた。
その内容はエレノアの貴族社会からの追放が、裁量としては重すぎると判断されたこと。
そのため、恩赦を与えられようとしているのだが――わざわざ、そのための場が設けられようとしているという事を話すと、レミリアも姉として、それに同行すべきではないかと主張しだす。
それに対しては、シリカが異を唱えた。
レミリアは、シリカの必死の延命措置と、侍女並びにその他使用人たちの奮闘の末、何とか一命をとりとめたものの、しばらくはベッドの上での生活を余儀なくされている。
地下牢という不衛生な閉所で満足に食事も与えられず、しかも毒まで盛られたことで死ぬ寸前まで衰弱してしまっていたのだから、それは当り前のことなのだが――レミリアは、どうしても同席したいのだと固辞し続けた。
全員で少し頭を悩ませた結果、それならばと王太子が国王に掛け合って何とかしてもらう、と自ら名乗りを上げた。
困った時の王太子――などという言葉が、三人の中でいつの間にか出来上がりそうな雰囲気であったが、きっと三人の気のせいであろう。
――その後、この日は久しぶりの姉妹の再会を記念して、ささやかながら晩餐会が開かれたのは言うまでもない。




