極限状態で受けるRequest:2
翌日の朝。宿屋で自分に充てられた個室で、エレノアは久々に迎えたベッドでの目覚めに、気持ちよさそうに目を細めながら寝起きの余韻に浸っていた。
「ふぁ……ダメだなぁ……なんか、行動の端々に、なんかこう……淑女のしぐさみたいなものが……」
昨日は、いろいろと限界が近づいており、一種の極限状態にあったために己のふるまいを鑑みずに、ただ思いつく限りの行動をしていた。
しかし流動食とはいえ腹が満たされ、そして一晩質の良い睡眠をとれたことで余裕が生まれ、エレノア本来の生活習慣が戻りつつあるのだろう。
上体を起こして以降の彼女の動きには、その端々に気品が溢れていた。
それは、エレノアにとっての癖のようなものでもあり、彼にとっての癖は、おおよそ淑女にあるまじき生活習慣や身のこなしは、そのすべてがエレノアが受けてきた淑女教育に、そして王太子妃教育によって身に着けたそれによって上書きされていた。
唯一彼が憑依したことで大きく変わったことといえば、言葉遣い程度のものだろうか。
「たった一晩しかたってないはずなですのに、馴染むのが早すぎますわ……なんてね」
冗談めかして口走ったその言葉だけは、彼の精神が正しく違和感を覚えることができたことからも、それだけは確かなことだろう。
もっとも、それも女性的なものになることだけは免れなかったが。
「さて。食事が済んだら、今日は亭主さんに頼まれた物を作らないといけないわね……」
前述の通り極限状態だったエレノアは、結局依頼を受けたのはいいものの、疲れの方が勝ってしまい、エレノアは部屋に着くなりベッドに入って熟睡してしまったのだ。
さすがに宿屋の亭主にそれを見せるなどということはしなかったが――体が休息を求めていたためなのか、まだ夕方にもなっていない時間に就寝したにもかかわらず、翌朝まで眠り続けてしまった。
そして、今に至るというわけであるが――
「……さすがに、お腹が空いたわね……」
ある程度持ち直したとはいえ、無意識下で再び魔法頼みで無理やり保たせているような状態に逆戻りしてしまっている。
実質、昨日もスープを一杯以外は腹に入れてはいないこともあり、今日はスープや粥などの流動食で様子を見てしかるべきだろう。
そう思い、食堂で栄養価の高そうなスープ料理を頼めば、今朝は宿屋の女将から大いに心配された。
「あんた、そんなお腹にたまらない食事だけで大丈夫なのかい?」
「あ、はは……実は、わけあって絶食していたので、逆に今日いっぱいは流動食で様子を見たほうがいいのかな、と思いまして……」
「なるほどねぇ……理由は聞かないけど、苦労してるんだね……。あいよ、薬膳スープ一杯だね。すぐ作るから待っとくれ」
「はい。よろしくお願いします。あ、あと……飲み水を小さめの瓶に入れた状態でお願いします」
「……? あぁ、もしかしたらあんたがうちの旦那が言ってた人かい? あの人のために、わざわざ済まないねぇ。わかったわ、それも持ってきてあげる」
女将はなかなかに豪快な人のようだ。
少しだけ待ってて、と言い残して、そのまま食道の奥、厨房へと引っ込んでいった。おそらく、厨房担当に料理を頼んでいるのだろう。
少し待つと、女将はエレノアが頼んだスープと小さめの小瓶に入った水を持ってきた。
「お待ちどおさん。薬膳スープができたよ。絶食後って言うんなら、胃がびっくりしないように少しずつ食べな」
「お気づかい、ありがとうございます」
「いやいや。……旦那に頼まれているものは、あとであんたが直接渡しなよ。結構な貴重品なんだからさ」
最後にそう言い残して、女将は他の客の接客へと移っていった。
もうだいぶ日は登っているが、この時間に食事をとる人は、エレノアだけではなかったらしい。
ちらりと見渡せば、鎧などで武装した厳つい男や、魔法使い風の装いをした女などがぐったりとした感じで食堂のテーブルについていた。
真実の眼によれば、彼らはどうやら二日酔いでこの時間までベッドに横になって休んでいたようだ。
夜は夜で賑やかそうだ、と思わなくもなかったエレノアであった。
頼んだのはスープだけだったので、完食までにそれほど時間はかからず、エレノアはそれからほどなくして自分の部屋へと戻っていった。
部屋に入るや否や、彼女は室内に備え付けの簡易テーブルに受け取った小瓶を置き、早速宿屋の亭主の依頼品を作り始めた。
『アンチミネラリーヒールポーション』の精製である。
エレノアはまず、エレノア自身の記憶を呼び起こし、魔法の発動方や、マジックポーションの作り方などに関するモノを片っ端から掘り起こしていった。
それによるならば、マジックポーションに必要なのは、作ろうとしているマジックポーションに込める魔法の知識とそれを扱えるだけの技量。その魔法を液体に付加するための技術とその技量。そして、対象となる液体だ。
マジックポーションに込める魔法の知識や、それを扱えるだけの技量はいいだろう。マジックポーションは、魔法の効果が込められた液体なのだから、その魔法が使えなければ意味がない。
それから、魔法を液体に付加するための技術。これがなかなかに難しい。
なにしろ、発動直前の状態を維持した状態で、それを水に溶け込ませなければならないのだから。
水に溶け込ませるには、魔法を発動直前の状態で維持したまま、さらに三つの手順を踏まなければならない。
すなわち、封入、鎮静化、定着である。
発動直前の魔法の術式情報を対象の液体に封入して刻み込み、そしてそのために必要な魔力を発動直前の状態から『液体の中』に限定して霧散させることで鎮静化を図る。
そこまで成功したら、あとは魔力がそのまま液体から放出されないように、その液体になじませて定着させればよい。
ただ、封入の行程にせよ鎮静化の行程にせよ、発動直前の魔力を維持した状態でさらに手を加えるという関係上、極めて集中力のいる作業であることには違いがない。
定着についても、これは失敗しても大して被害は及ばないものの、失敗=込めた魔法の実質無効化という事態につながるため、気が抜けない作業であることに違いはない。
結局のところ、最後の最後まで集中力を途切れさせることができない、という事実に変わりはない。
エレノアが作ろうとしているのは治療魔法を封じ込めたヒールポーションなので、失敗しても周囲に被害は齎さない――それどころか、プラス効果である――から、さして心配はしていないが、アタックポーションやデバフポーションなどといったポーションを作る際は細心の注意を要する。
(大丈夫。私は魔法の使い方を知らないけど……エレノアの記憶が、導いてくれてる――)
まず、第一段階。魔法の発動だ。
治療魔法の術式情報を記憶の中から呼び起こし、体内の魔力を練り上げながらその術式情報をそれに組み込む。
そうすることにより、魔力は方向性を示され、発動の意志をもって体外に放出された時点で魔法という現象として、顕現することとなる。
それが己を癒したり強化したりするための治療魔法であれば、体外に放出せずとも魔法となりうるが。
エレノアの記憶による誘導で、難なく治療魔法を発動直前の状態まで持ってこれた彼女は、続いて第二段階――瓶の中に入っている水に、封入する行程へと移った。
(この術式を、瓶の中の水に封じ込める……付加魔法で――)
付加魔法とは、言い換えれば対象の無生物に目には見えない、魔法的な情報を書き込むものであり、SDカードなどの記憶媒体に、プログラムをメモ帳機能などで記録するのと似たようなものである。
発動直前で固定したままの術式を、発動トリガーをセットすることでスクリプトとして目の前の水に刻み込む。
そうすることによって、同梱された魔力を用いて、発動意志と定められた手順だけで、魔法の知識や技能がなくても、魔法を発動し、自在に制御できるようになるという仕組みである。
状態を維持したままのアンチミネラリーの魔法術式を、そのまま丁寧に、目の前の水に刻み込んでいく。
一語一句、その中の一文字も間違わないように。
そして、本人の体感時間で数時間ほどが経過したころ――実際には一時間と数十分しかたっていない――になって、ようやっと最後の一文を刻み込むことに成功した。
「ふぅ……」
(疲れたぁ……)
エレノア――いや、正確にはエレノアに憑依した彼はプログラミングの経験などない。
だから、それに近しい行為であるマジックポーションの作成――ひいては、魔道具の作成などぶっつけ本番だったりしたのだが。
もともとのエレノアが残していった記憶に助けられ、何とかマジックポーション作成の最大の山場を乗り越えたのであった。
あとは、マジックポーションの魔力源である魔力を鎮めて、触媒となる水に定着させるだけである。
発動直前となった魔力は、言わば興奮状態の獣と似たようなもの。
ゆえに、それを鎮めることで、魔力が魔法として発動することはなくなるのである。
厳密には、一度発動直前まで言ってしまえは、小康状態になるだけで、きっかけさえ与えればまたすぐに発動直前状態、そして実際に発動するまでに至ってしまうのだが。
そして、それを制御するのが、封入の行程で記録するトリガー――きっかけとなる行動である。
トリガーをセットすることで、そのトリガー以外では発動することがなくなる。魔道具では必須の、暴発対策である。
エレノアは、慎重に、活性化した魔力への働きかけを弱くしていった。
それにより、エレノアから発動の合図を待っていた魔力は、ただその場に固定化されただけの状態へと移行した。
「発動休止状態へ移行…………完了、鎮静化はうまくいったわね。あとは、魔力を水に定着させて、と……」
魔力を霧散させないように注意しながら、魔力への働きかけをやめるというのは、なかなかにわかりづらく、うまくいくかどうかはわからなかったが――体が覚えていたのか、やはりそれほど苦労せずに成功させることができた。
やはり、エレノア自身の記憶が残っている証左だろう。
「ただの水にならなさそうでよかった。あとは、この魔力を水に定着させて………………うん、うまくいった。これで完成、のはずだけど……」
最後の工程、魔力の定着を無事に終わらせたことで、アンチミネラリーヒールポーションはついに完成。
真実の眼で確認しても、まごうことなきアンチミネラリーヒールポーションであることが確認できた。
「アンチミネラリーヒールポーション――初仕事、完了ね。やったわ!」
できたばかりのアンチミネラリーヒールポーションを掲げて、エレノアはしばらくの間、感激のあまり舞い踊ってしまうのであった。
その後。昼食の時に、宿屋の亭主に取り次いでもらい、出来上がったものを手渡すと、彼も彼で大喜び。
さっそく、渡したい相手に渡してくる、と宿の仕事を放り出して、飛び出していった。
しばらくして、宿屋の亭主は気恥ずかしそうな顔をして宿に戻ってきた。
まぁ、当然だろう。衆目を鑑みることもせずに、年甲斐もなくはしゃぎながら往来の場を走り抜けていったのだから。
「助けたかった方は、無事に助けられましたか?」
「ええ。相手は友人の元冒険者だったのですが――数か月前に、コカットルの呪いの吐息を受けてしまいまして……」
「あら。それは大変でしたね。なるほど、だからアンチミネラリーを……」
「はい。下半身が石化してしまった状態で、冒険者ギルドの医務室に入院していたのです」
「そうだったんですね……」
亭主の言葉に、エレノアはゲームに登場したコカットルのグラフィックを思い浮かべる。
厄介な奴にやられたものだ、と思いながら。
コカットルとは、要するにコカトリスのことである。
ニワトリと竜、そして蛇の合成中であるコカトリスは、『ツイント』でも登場した多数出現型のボスキャラであり、宿屋の亭主が言ったように石化攻撃を仕掛けてくる困ったモンスターでもある。
ゲームでは、高価な値段ながらもようやっと各種状態異常対策のアクセサリーをそろえられるあたりで登場し、きちんと状態異常対策ができているか、またパーティメンバーできちんと役割分担がこなせているかのテスト的な役割も持たされている。
通常攻撃には猛毒の追加効果が設定されており、態勢がないと確実に毒状態にされる。
石化攻撃は味方全員に効果があり、固有で呪い系の状態異常に完全耐性がある聖女二人(実質一人)以外は装備品で態勢を整える必要がある。
さらにその眼光は相手を麻痺させる効果もあるため、麻痺耐性も整えておく必要もあるという念の入れようである。
これが現実になると、いかに凶悪なモンスターかがうかがい知れるだろう。
ゲーム世界では、コカットルの王国内における生息地は、実はエレノアが現在滞在している王都から結構近い。
王都にほどなく近い山の奥地で、ありていに言って、冒険者が探索中に遭遇してもおかしくはないモンスターなのだ。
むしろ、たまたま山の奥地から迷い込んできたはぐれコカットルに、駆け出し冒険者がやられるという事態は、特に真新しい事案でもないだろう。
「石化からの回復後は、しばらく復帰運動が必要になるでしょう。無理はしないように、と言伝をお願いします」
「ふふ、確かにその通りですね。かしこまりました、ポーションの製作者様からそのように気遣いがあったと、確かに申し伝えます」
そう言って、宿屋の亭主は――女将さんに叱られながら――仕事に戻っていった。