Business、battle、リバーシブル:3
予想外の人物が、想定外の状態で現れたために、店内も一時期騒然としていたものの、意外にも店外に並んでいた人たちにはなんら被害は及んでいない様子であった。
てっきり、狡猾なサキュバス達のことだから、客たちをもけしかけて、混乱の度合いを強めるのではないか、とも思ったものだが、エリスが予想していた通り、サキュバス達は本当に欲しい情報だけを得て去っていったらしい(もっとも、エリス以外にサキュバスが来ていたかどうか事態は不明だが)。
そんなわけで、少し遅れてしまったものの、本日もエレノアの店は無事に開店することができた。
エレノアはといえば、いつものごとく売り場で接客を行いつつ、ポーションが売れたら倉庫から蔵出しして、その分を追加で作成するというサイクルを繰り返している。
そうして、昼頃までいつも通りの営業を続けて、交代で昼休みに入る時間帯がやってきた。
――ちなみにカイルとルルネは、この時間帯に宣言していた通り戻ってきた。
ルルネの口の周りに何らかのたれがくっついていることから、おそらくどこかで買い食いしてきたのだろう。
閑話休題。
さて、エレノアの店では、商業ギルドから送られてきている人員や使用人と兼務してくれている従業員から順次とっていき、最後にエレノアとコーネリアが昼休憩に入るというふうにしている。
本日もそのようにして休憩を取っていき、エレノアとコーネリアがいざ昼休憩に入る。そして、食堂で昼食をとる段階になると、エリスがアネットとともに食堂にやってきて、一緒に食事をとりたいと言ってきた。
「エレノア様がよろしければ、私に否やはありませんが……その、エリス様は、服を着替えようとは思わないのですか?」
エレノアは別段断る理由がないため、一つ返事で頷いた。
が、コーネリアは少し控えめな視線で、彼女のことを直視せずにそう聞いた。
エリスの格好は、未だに際どい格好のままだったからだ。
確かにエレノアとしても、その格好のままでいるのはどうなのか……とも思ったが、そもそも服を上に重ねて着るにしても、そうでないにしても、背中の翼がそれを邪魔するだろうという結論にすでに思い至っていたため、聞くに聞けなかったのである。
事実、コーネリアの問いかけに彼女は苦虫を嚙み潰したような顔で、エレノアが思った通りの理由を言った。
「い、いえ……翼が邪魔で、上着を羽織ることもままならないので……」
「そう、ですか……」
体の自由は得られたといっても、やはりそういった問題は生じてしまう。
表情が優れないエリスは、他にも似たような問題が生じているという。
「それと、その……この足のせいで、エレノア様に、謝らないことができてしまいました」
「私に……?」
「はい……。その、ベッドのマットレスに穴をあけてしまいまして……」
「あぁ~、確かにその鋭いヒールじゃぁね……って、そもそも脱がなかったの?」
サキュバスと化したエリスの足には、敵の拠点で身に着けさせられたのだろうか、太もももまで覆うブーツが履かされている。
そしてそのブーツのかかと部分には、攻撃にも使えそうな鋭いヒールまでついている。
そんなものを履いた状態でベッドに横たわれば、そうなっても別に不思議じゃない、と思ったところで、脱げばよかったじゃないかと突っ込んだ。
しかしエリスの表情はすぐれないまま。
俯きがちな彼女の口から語られたのは、サキュバスの知られざる身体構造であった。
「これ……服とか、ブーツとかじゃないんです」
「え……?」
「服のように見えるこれは、実は皮膚の一種で……。靴のように見えるこの固い部分も、蹄とは違いますが、いわゆる爪――角質の一種だと聞きました」
「ええっ!?」
「そ、そうだったのですか!?」
「そうだったみたいです。私もいきなりこの皮膜に腕や足が包まれたり、かかとからとがった角みたいなのが生えてきたときにはびっくりしたんですが……」
ちなみにサキュバス達が普段放出している『毒』は、主にそういった皮膜の部分と尻尾から放出されているという。
そしてその『毒』自体が、皮膜の乾燥を防ぐための役割も果たしているのだとか。
――なんというか、改めてサキュバスっていう存在の危険性を思い知ったような気分。
とは、とてもエリスの前では言えない面々であった。
とかく、そんなとんでもないカミングアウトがあったものの、食事には支障はないということで、本日の給仕を担当していた使用人たちが、彼女たちの分も運んできた。
使用人たちは、エリスのことを若干警戒しているようであったが、その顔にすごく見覚えがあることから、なにか訳ありなんだろうなぁ、と思われたらしく、深くは聞かれなかった。
「…………おいしい……。よかった……味覚までは、少なくともまだ変わっていないみたいですね」
「多分、今の状態でそれなら、完全に眷属化の呪いが完成しても変わらずにいられると思うよ」
エリスにそう言葉を投げかければ、彼女は微妙な顔をしながらもとりあえずは形だけでも喜んだ。
やはり、他の何よりも、食というものは大きいということなのだろう。
人が付くった、人のための料理。それを当たり前のように美味しいと感じられることのありがたさを、エリスはしみじみと感じている様子であった。
「コーネリア、食べ終わったら、エリスさんに着られるような服を見繕ってもらえないかしら」
「かしこまりました。取り急ぎ、用意いたします」
しかし、それでもエリスの今の外見からするに、普通の服では着られないことは容易にうかがえる。
そこでエレノアは、必要があれば買いに行くことも視野に入れるよう伝えた。
それを聞いていたエリスは、ただありがとうございます、と頭を下げるのであった。
それからほどなくして、四人は食事を終えてそれぞれの午後の活動へと移行していった。
エレノアはもちろん、彼女にしかできない作業があるのでそっちに回ることになる。
アネットも、本日はエリスとともにいるのかと思いきや、午後からは売り子に徹すると申し出た。
エリスのことについてはある程度割り切ることができたのか、アネットの接客中の様子を見る限り、もうそれほど気にしていない様子である。
コーネリアはエレノアに命じられた通り、エリスのために衣類を用意することに。彼女も既存の服では着用は難しいと考えたか、使用人の一人とともに服飾雑貨店へと買いに行くと言っていた。
そして最後にエリスについてだが――彼女は、その今の姿からして到底店頭に立てるような姿ではなかったし、かといって商業ギルドに戻っても受け入れてもらえるかは不明だった。
落ち着いて説明をするにも、今は未だ気持ちの整理がつかないということで、アネットが商業ギルドに戻る際に言伝を頼むことにし、しばらくはエレノアの店で世話になることに。
ただ、エレノア達のもとに逃げ帰った本日は、昼食に同席したほか三人が異口同音に放った『あなたは絶対安静です』という命れ――脅迫に大人しく従って、宛がわれた部屋で大人しく休むことになった。
そうしてエレノア達も他の従業員に混ざって午後の営業に尽力していったのだが――
ひっきりなしに来る冒険者たちに、どんどん減っていくヒールポーションの数々。
エレノアも作業室での補充作業に追われ、開店からの数日間を想起させられるような忙しさを感じていた。
「なんというか、午前中の半ばくらいからじわじわと増え始めてきましたけど、何かあったんでしょうかね」
「そうだね。心なしか、リカバーヒールポーションやミドルヒールスプレーなんかもいつもより出て言っているような気がするし……」
最初はいつもと同じくらいだったのだが、食後売り場に戻ってみれば、すでにたくさんの冒険者たちでごった返していた。
売り上げもその分多くなっており、昼前の時点ですでにここ一週間の平均売上高の七割近くに到達するほどに稼いでいた。
その内訳も、特定のヒールポーション――いわゆるリカバーヒールポーションやミドルヒールスプレー――がいつもより売れた、ということではなく、主力商品であるエイドヒールポーションやミドルヒールポーションの売上数がいつもより多かった、と内訳書には出ていた。
「うーん、近場で何かあったかな……」
仕事の合間、ちょっとした休憩のために下がり、作業室にやってきたアネットに対してエレノアは作業の手を止めることなく、そう質問を投げかけた。
アネットはそうですね、と腕を組んで少し黙考し、
「そういえば、半月ほど前に郊外でグラウンドドラゴンの変異種が出たって情報が商業ギルドに入ってきたのですが、もしかしたらまた似たようなことでも起きたんでしょうかね……」
変異種――そう聞いて、エレノアの脳裏に閃くものが一つ、あった。
それは例によってゲーム知識から来るもので、いわゆるシナリオとはそれほど関りがない、フィールドボス的な感じのボスにまつわるものだった。
とある事情からレーペンシュルク公爵家の王都タウンハウスに泊まっていた王太子一行だったが、突如屋敷内でサキュバスに奇襲される。何とか撃退するも、館内部の状況から、少なくともレーペンシュルク公爵家はなにかが怪しいと断定した彼らは、館を探索。
しかし、いくら調べても何も有力な情報は得られなかった。
館の調査が空振りに終わった一行は、それで納得することはできずにそのままレーペンシュルク公爵家領へ魔導車で向かうことに。
だが、その途中で、彼らを猛烈な揺れが襲う。
それが、件のボス――ヒュージフロッグの登場シーンであった。
そう。ヒュージフロッグ。そのボスの出現する地域が、ちょうど王都の郊外だったはずだ、とエレノアはピンと来た。
ただ――そのヒュージフロッグと遭遇するのは、エレノアルートのいずれか、もしくはシリカルートのとあるルートを進行しているときのみ。
それ以外のシリカルート、もしくは最後に解禁される共通ルートを進行している場合は、王都の冒険者たちが大型クエストという形で挑み、それなりの損害を出しながらも撃滅することに成功する、というシナリオになったはずであった。
なんにせよ、王太子がレーペンシュルク公爵家本邸に凸をかましているタイミングでこれなら、その可能性は高そうだとエレノアは結論付ける。
「多分、アネットさんの正解、かな……。勘だけど、安めのポーションがよく出てるってことは、それだけ怪我の備えが多く必要だったってことだし。普通じゃない魔物が出たとなれば、今日のこの客足にも納得できるし」
「まぁ、可能性の一つでしかない、と指摘されればそれまでですけれどね」
それでも、ゲーム知識のあるエレノアからしてみれば、王太子の行動から推察してもちょうどその時期にあたるからだ。
ただ――このことが、エレノアの心の中に一つの大きな懸案を生じさせる一つのきっかけとなったのを、この時この場にいたアネットは知る由もなかった。
そうして、時間はあっという間に過ぎ去っていき、トラブルこそ開店直前にあったものの、本日も無事閉店時刻を迎えることとなった。
本日増加した客足は、夕方まで衰えることはなく、本日の売り上げは計算上、概算でここ一週間の平均値の五割増しにまで登り、事務室内はお疲れ様ムードがいつもより100%増しで感じられた。
そうして忙しい一日を終えた本日の、深夜。
エレノアは、眠る前に一杯、ハーブティーを飲もうと思い、コーネリアに用意を頼んでいた。
コンコン、と室内に響くノック音。
誰何を問い、コーネリアであることを確認すると、ティーセットをトレーに乗せて持ってきた彼女を部屋へと招き入れる。
コーネリアは、ただ静々とハーブティーをティーカップへ注ぎ入れる。
そうしてハーブティーがなみなみと注がれたそれをエレノアへと差し出しながら、彼女に話を振った。
「お嬢様。それで、エリス様のご様子は……?」
「うん、まぁ、なんとかなった……のかな」
「そうですか」
「ただ、眷属化の呪いを、かなり入念にかけられたみたい。消息不明になったのは、本当に短い間だった。二週間も、経っていないはず。なのに、その短い期間で、ほぼ完全にサキュバスに変えられてしまっていた」
「…………っ!? それは……大丈夫、なのですか……?」
それは、何に対しての大丈夫なのだろうか、とエレノアは考える。
エリス自身が大丈夫か、なのか。
それとも、彼女をいつまでとはいわずとも、この店で面倒を見ることにして大丈夫か、なのか。
そして、彼女をここに置いておくことで、エレノアの身に危険がないのか、なのか。
そのどれとも取れる質問に、エレノアは少し考えて、そのすべてに応えることにした。
「エリスさん自身のことについては、わからない、が答えかな。正直、今の彼女は――心身ともに傷つきすぎている。立ち直れる可能性もあるけど、自暴自棄に走ってしまう可能性も否定できない。だからといって、私にはどうケアすればいいのかもわからないし――そもそも、すでに神聖な魔力に対してかなり脆弱になってしまっているみたいだしね」
「ここにとどまるなら、そのことについて考えないといけないわけですね……」
「えぇ、そういった意味では私は少なからず、側にいるだけで彼女を害する存在だからね」
解呪魔法を使うために神聖な魔力を腕に纏わせていたとはいえ、たったの数秒で重度の火傷のような炎症反応を起こしてしまう程度には、エリスのサキュバス化は進んでしまっていた。
もはや、彼女にとって神聖魔法は弱点でしかないだろう。常人であれば何もないか、むしろ魔法によってはプラスの効果すら発生させるというそれが、今のエリスは弱点になり果ててしまっている。
信仰心が足らずに、聖女として未熟。されど、エレノアは聖女なのだ。
その身に宿す、神聖な魔力を生み出す素質は、触れただけで簡単な呪いなら浄化してしまうほど。
神聖魔法に極度に弱くなってしまったエリスの側にいて、彼女を害しないわけがない。
そのことが、エレノアに、そしてコーネリアに思い重しとなって重圧をかけてくるかのようであった。
しかし、かといって彼女を放り出すわけにもいかないのもまた事実。なぜなら――
「……でも、どちらにせよ彼女は今行く当てがないはず。あんな姿になり果ててしまって……多分、サキュバスの種族の特性なのか、微弱だけど周囲に催淫効果のある毒も撒き散らしてさえいる……。少なくとも、今の彼女を解き放つには、彼女にサキュバスの力の扱い方を学んでもらうしかない……」
「けれど、単なる人質でしかないサキュバスにとっては、そんなことまで面倒を見る義理もなし……結局、サキュバス対策をいろいろ講じてきた私達が、面倒を見るほかない、ということですね……。あんな目に遭わされた、いや今もなお遭っている彼女のことを思うと、やるせなさはぬぐえませんね。それなら、せめて彼女の今後を考えて、私達が……」
コーネリアはこの場にいないエリスのことを慮って、頭を縦に振りながらそう言った。
それから、エレノアは最後にエレノアの身に危険がないかどうかについて彼女なりの見解を語った。
「エリスから危害を加えられる可能性は、低くはないけれどそう高くもないと思ってる。解呪できる範囲では解呪したし、これ以上敵に操られる心配もない、はずだから……」
『真実の眼』で見た限り、眷属化の呪いには、対象の種族を転換させる効果はあっても、魔力の性質を作り変える効果はあっても、掛けた相手を操る効果まではなかった。
そちらは、解呪できた方の呪いにしか含まれていなかったたので、ひとまずは安心できる、というのがエレノアの見解だ。
「再び敵に捕まればともかく、それまでは安全ということですか」
「えぇ。ただ……彼女が持ち込んだ情報によるならば、もう間もなく、サキュバス達が本気で攻めてくるそうだから、そっちの意味では準備しておく必要はあるわ」
「それは本当なのですか……?」
「可能性は否定できないわね」
少なくとも、エリスという捨て駒を使っての威力偵察はすでに終わっているのだ。
エレノア達に毒が利かないと分かった時点で、相手は強引に勝負を決めにかかってくる可能性が強かった。
「なんと言いますか……これまでのことを考えると、サキュバスというのはとても慎重で、強引な手段には踏み切ってこないと思っていたのですが……」
「シリカが今は離れているから、というのが大きいのかもね。彼女の目が王都内で光っている限りは、表立って行動できない。けれど……彼女がいない今は、教会と言えど王都内だけでは対抗しうるだけの戦力をかき集めるのは多分、無理でしょう」
少なくとも、シリカとの会話の中で、彼女自身もサキュバスに対して間違った認識をしていた節があったのだ。
彼女がそれなら、彼女に教育を施した教会側もまた間違った認識をしていないという保証はないわけで――そうなれば、シリカから忠告はされても、対策は講じ切れていない可能性がある。
魔法などで眠らされてしまえば最早それまでなのだから、教会を当てにできるかどうかは悪い意味で未知数であった。
「シリカがいないということは、それだけ魔族にとっても優位に立てるということなのでしょう。少なくとも、これまでの経緯を加味して敵の立場から考えれてみれば、このタイミングを狙わないはずがない」
「とはいっても、今のご時世、夜襲を狙うにしても外の大通りは街灯が設置されています。目立たないように行動できるのでしょうか」
「わからないわ。一応、サキュバス達が使うという、夢魔法やら精神魔法やらには対策を立てて来たけど……」
「サキュバス……夢魔にも分類される彼女たちは、元来夜行性の種族ですからね……。私達にとっては、実にやりにくいことこの上ない相手です」
今は深夜。サキュバス達にとっては、一番活発に動ける時間帯だ。
だからこそ、こちらも可能な限り、手を尽くさないといけない。
――彼女の眠れない夜は、すでに始まりの時を迎えていた。
お知らせ
この辺りでエレノアサイドのお話は一時停止。
次回から数話の間は、王太子サイドのお話に入ります。




