動き始めたIntrigue:5
某日。レーペンシュルク家の王都タウンハウス。
シリカは、王太子と連れ立ってかねてより取り決めていた通り、レーペンシュルク公爵家への抜き打ち訪問を行った。
理由に関してはどうとでもこじつけが可能だ。なにせ、王太子としての立場があるのだから。
それに、王太子は解消されてしまったとはいえ、エレノアの婚約者だったのだ。
元婚約者が不当に家を追放されたとあって、黙って見過ごしているわけにもいかなかった。
ただ、今日この日までこうして一歩踏み出すことをしなかったのは、単純にエレノアへの後ろめたさがあったから、というのが大きかった。
もしかしたら、自分がエレノアのシリカに対する非道な仕打ちを咎めたせいで、公爵家から追放されてしまったのではないか――そう考えると、なかなか当人のいるレーペンシュルク公爵家へ訪問することができなかったのである。
とはいえ、シリカを通じてエレノアの近況を聞いて以降は、その罪悪感も幾分か和らいできてはいるが。
あとは、単純に王太子としての立場が、なかなかそれを許してくれなかった、というのもあった。
未だ跡を継いでいないとはいえ、仮にも王太子である。執り行わなければならない政は山ほどある。それゆえに、予定を開けるのに四苦八苦していた実情もあるのだ。
それらの事情があったために、今日という日までレーペンシュルク公爵家への訪問がかなわなかった。
だが――事態は、政が忙しいと言ってはいられないような状況になってしまっていた。
シリカから聞いたエレノアの近況。その話の中に、王宮内に潜んでいたサキュバス族とかかわりが深いであろう事案が出てきたのだ。
もとよりエレノアの貴族社会追放について、何らかの陰謀があったのではないかとも疑っていた王太子である。
そこへ、エレノアの側付きメイドの身に起きた不審な事件。
エレノアの実家に何かがあると思わないわけがなかった。
少なくとも、エレノアの一件に関しては絶対に何かあるだろう。そう確信して、王太子はシリカを伴ってレーペンシュルク公爵家のタウンハウスの門をくぐった。
その途端、王太子は体の奥底からわずかにこみあげてくる謎の疼きに顔をしかめた。
――これは……魔力。あれからまだ一か月くらいしかたっていないのに、その間にこれか……。
レーペンシュルク家のタウンハウスは、エレノアが追放される前は彼女の身体から放出される魔力もあってか、少なからず清らかな魔力で満ち溢れていた、と王太子は記憶している。シリカほどに信仰心がなく、聖女としての実力はどちらかといえば職人よりのエレノアであったが、それでも放出される余剰魔力は清らかなものであったのは確かだった。
だが――その聖なる魔力によって浄化する者がいなくなった今のタウンハウスは、その時とは打って変わって穢れ放題となってしまっていた。
「王太子殿下、お気をつけください。邪悪な魔力に満ち溢れています。私はこの手の魔力には神のご加護がありますから大丈夫ですが、王太子殿下はそうではないでしょう?」
「あぁ……。事前に、『レジストバリアー』をかけてもらっていなければ多分、まずかったと思うぞ」
「えぇ。そうでしょうね……」
敷地内に入ってから気づいたこと。それは、薄っすらとだがショッキングピンクの靄のようなものが、敷地全体を覆っている点であった。
呪いや、魔族の放つ魔力に耐性のあるシリカはともかくとして、王太子他、その手の魔力に耐性の無い者は、対策なしでは正気を保ってはいられない空間と化している。
相手はこの魔力について隠蔽工作を講じているようだが、レーペンシュルク家を訪ねればその途端にこの有害な魔力によって精神を汚染されてしまうであろうことは明白だった。
これだけでもう、今回の来訪目的は達したようなものであった。
「これは…………多分、サキュバス族の物では、ないかと思われます」
「だろうな。どことなく甘ったるい感じがするが、王宮内に潜んでいたサキュバスも同じ臭いを漂わせていた」
「おそらくは、毒魔法――空気中の魔力に、毒を含ませているのでしょう。吸い込んでしまえば、思考を阻害され、相手の思い通りに誘導されてしまうたぐいの」
エレノアがいた時には特にそうなるようなことはなかったが、それはおそらく相手が押さえ込んでいたのかもしれない、と王太子は考える。
『真実の眼』を持つ者の前で不用意にサキュバスが魔力を放出しては、怪しまれるだろうことは明白だ。
「屋敷のいたるところから、邪悪な気配も感じますね――メイドもほとんどはサキュバス族に成り代わってしまっていると見えて、間違いないでしょう」
「それは…………ゾッとしないな」
それだけここはサキュバス達も重視しているのか、はたまたそれなりの地位のサキュバスが潜んでいるのか――。
あれこれ考えながら、王太子は玄関に到着すると、ドアノッカーを使用して玄関ドアをノックした。
中から現れたのは、王太子もよく知る接客女中。
おそらく、門前に立った際に対応した守衛が、テレパシーの魔法で王太子の来訪を館内に報せたのだろう。
「この度はようこそお越しくださいました。あいにくと公爵閣下、奥方様ともに領都の本邸へとお帰りになられていますが、何かご用でしょうか」
「…………あぁ。ちょっと、エレノア追放の件について思うところがあってな。その件で、館内を見させてもらいたいと思ってな」
王太子の急な来訪。そして有無を言わせないような王太子の入館要請。
対応にあたったメイドは、最初はものすごく渋り、さすがにレーペンシュルク公爵がいない間にむやみに館内を荒らされるのは気が引ける、というようなことを王太子に失礼が内容に、オブラートに包んで伝えようとした――が、結局王太子の強権に抗えるはずもなく。
メイドは、観念したかのように、王太子とシリカを館内へと招き入れるのであった。
そのメイドの瞳に、妖しい輝きが宿っていたのを、王太子はもちろんシリカも見逃すことはなかった。
エレノアが王太子のレーペンシュルク家王都タウンハウス訪問の件を知ったのは、その当日の夕方ごろのこと。
コーネリアとアネットを伴って、サキュバス達の対策をどうにかできないかと女スミスのもとへ赴いた際に、彼女が呼んでいた夕刊紙でそれが判明した。
「レーペンシュルク家の王都タウンハウスに訪問、ですか……」
「王太子殿下はともかくとして、聖女シリカ様もとなると――嬢ちゃんが抱えてるっ厄介ごとも加味すると、こりゃかなりきな臭いね、今回の訪問」
「そうですよねぇ……」
ぶっちゃけ言えば、ゲーム知識のあるエレノアにはこれはシリカたちがいよいよ王都に蔓延るサキュバス排除に向けて本腰を入れ始めたことの証左である、ということが分かっていた。
ただ、本命であるレーペンシュルク家本邸にいるボスを倒しても、王都やほかの地方に散ったサキュバス達を駆逐するのはなかなか骨であり、ゲーム『ツイント』のシリカルート中盤は、もっぱらサキュバス駆逐のために王国中を駆けずり回る物語になる。進行中のルートによっては、そのサキュバス駆逐の国内行脚が終わりに差し掛かるあたりで、サキュバス化したエレノアと対峙することになるが。
閑話休題。
女スミスがエレノア達に見せた『ルベルトノーブルタイムズ』のとある一面には、レーペンシュルク家の王都タウンハウスに行ったものの、レーペンシュルク公爵とその夫人は本邸に戻っており不在であった。このため、王太子とシリカはレーペンシュルク領へとそのまま赴き、レーペンシュルク家本邸へとそのまま訪問する意向を示している、という内容が記されていた。
「ま、王太子は王太子であんたに勝るとも劣らない希少な祝福をいただいているというからね。この電撃訪問で、サキュバス問題も何とか解決に導けるかもしれないよ?」
「まぁ、そうなることを祈るばかりですね。警戒しっぱなしでは、先にこちらの方が消耗してしまいますから」
「違いないね」
そう言ってしばし笑い合ったところで、さて、と女スミスは夕刊紙をしまい、エレノア達は本日女スミスのもとへ訪れた本題を話し始めた。
「本日は、あなたにお願いしたいことがあって来たのですが、大丈夫でしょうか」
「あぁ、問題ないよ。今請け負っているものは納期がまだだいぶ先だからね。王国軍に納入するものについてはつい先日済ませた後だし」
「そうですか。とはいえ、それほど時間は要しないのですが……じつは、サキュバス対策でちょっと問題が生じてしまってまして」
「うん? サキュバス対策というと、嬢ちゃんに特殊効果を付与してもらったアクセサリだろう? 私は使ってないけどね」
それでは渡した意味がないのではないか、と内心で突っ込むエレノアであったが、持ち込んだ話の方が重要だったのであえてそこはスルーして、新たに発覚したサキュバスに関する情報を女スミスに伝える。
女スミスはへえ、と若干意外そうにはしたものの、エレノア達が思っていたほど大きくは驚かなかった。
「あれ? 驚かないんですね」
「あぁ、まぁな。というのも、この前ちょうど問題に上がってるサキュバスどもが来たんだがな」
「えっ!?」
それこそびっくりである。
まさか、エレノア達が知らないところですでに女スミスがサキュバスと接触していたとは思ってもみなかった。
ただ、それだけでびっくりするのはまだ早かったようで。
「たまたま知り合いの錬金術師に頼んで作ってもらった護身用の特殊効果付きのナイフが反応してな。それで大体把握した」
そう言って女スミスが腰から取り上げたのは、一振りの大ぶりなナイフ。
なるほど料理などの作業に使うには不向きだが、護身用として使うには十分なものだった。
「その名も毒消しナイフって言うんだ。名前が売れると暗殺やら誘拐やらで、何かと毒を盛られるからな。そいつら対策に攻防一体の短剣を作ってみたのさ」
いわく、ナイフに『毒無効』の特殊効果が付与されているらしく、持っているだけであらゆる毒を防ぐ防具に。そして武器として使えば毒を有する魔物や魔族の力を削ぐこともできるという。
思わず、なんだそれは、と突っ込みたくなったのはエレノアだけではない……はずだ。
「なんと言うか…………そもそも普通、『毒無効』というのは身を守るための道具などに着けるものではないですか?」
「うん? 誰がそう決めたんだ。毒を打ち消す特殊効果なんだ、毒を持つ相手を無力化しないはずがないだろう? それを見込んで武器に着けることの何が悪い?」
取り付く島もなかった。
とはいえ、推論としては一応頷けなくもない話であったし、実際に『毒無効』の特殊効果は発動したのだから、意味は確かにあったのだ。
――とはいえ。
「そういうのは、肌身離さず身に着けていても差し支えの無いものにつけていてこそ、意味があるのだと思うのですが……」
その言葉に、女スミスはごもっとも、と頷いて、作ってもらってからそのことに気が付いて、ちょっとだけ後悔したと語ったので、やはり毒消しナイフの有効性は女スミスにとっても「微妙」の一言に終わったようであったが。
「ま、そのことをあいつに伝えたら、じゃあ結界方式にしよう、とか言ってそのあたりの対策も万全になったけどな」
「結界方式?」
「ああ。この魔石に所有者登録をすると、所有者が手から離した時に『毒無効』の特殊効果が結界として展開されるって寸法らしいが……私は門外漢だから、理屈はよくわからん」
「それなら大体理屈はわかります」
一応、『レジストバリアー』という魔法をはじめとして、そういった状態異常を防ぐ結界を張る魔法もないことはないのだ。
女スミスの語るそれは、おおよそそれを応用したものだろう、とエレノアは瞬時に把握した。
そして所有者登録。これは、一部の魔道具に導入可能な術式の一つで、これを済ませた魔道具は、所有者登録をした本人か、本人が特別に許可した人にしか触ることができなくなるという安全装置の一種である。
『毒無効』の特殊効果を結界として展開しているときに、外部の存在によって毒消しナイフを動かされ、結果として結界の範囲外に追いやられてしまうという事態を防ぐための措置だろう。
なるほど、微妙な品だけど対策はしっかり練られているんだな、と意外としっかりとできている武器を眺めて、でも欲しいかといわれればそうでもないなぁ、などと無自覚に吟味してしまうエレノア。
そんなエレノアの様子に気づいたのか、女スミスはわざとらしくそういえば、と一言前置きをしてから、
「あいつ、妙に張り切っていてな。まったくおんなじ物をケースいっぱい寄こしてきやがったんだ。よかったら家で扱ってみたらどうかってな」
「え? そ、そうなんですか……」
「あぁ。だが、思ったほど売れ行きは良く無くてな……。このままだと不良在庫になってしまいそうなんだ。よかったら引き取ってくれないか?」
「…………、」
エレノアは一瞬、何だその押しつけがましい視線は、と思ったが、その直後に、女スミスの『サ・キュ・バ・ス』という囁き声で自分たちが求めているものと一応合致していることに気づき、火急な対策を必要としていたことも相まって、躊躇いがちながらも渋々了承することにした。
「ありがとうな! っはぁ~、おかげで倉庫のスペースに余裕ができたよ。あんたらもサキュバス対策が進んでwin-winってやつだな!」
「…………そうですね」
一応、棚から牡丹餅ではあったものの、なんだか思っていたのとは違うシロモノを押し付けられてしまった気がしないでもないエレノアは、少し投げやりにそう返した。
傍らでアネットが目を輝かせていたのは――目の錯覚だと、思いたいエレノアであった。
場所は再度変わって、ここはレーペンシュルク家、本邸。
時刻は夜。
彼女達にとっては活発に活動する時間でもある。
対聖女用暗部組織のリーダーは、公爵夫人の自室にあるテラスから宵闇に包まれた領都の街並みを見下ろしながら、その手に持った魔道具を片手に独り言のようなものを囁いていた。
それは傍から見ればの話であって、彼女がやっているのは通信の魔道具による会話であったが。
「朗報よ。――聖女シリカが、ターゲットから離れることがほぼ確定したわ。これで、聖女シリカに気を配ることなく、一気に計画を推し進めることができる」
『そうですか! それは僥倖ですね。それで、どうしましょうか。――人は揃っていますので、すぐにでも仕掛けることは可能ですが――』
「焦らないで。動くのは私の合図があってからよ」
『わかりました』
「あぁ。それと――もしかしたら、私――――かもしれないから、その後のことはよろしく頼むわね」
『なっ!?』
「ことが済んでしまえば、あとはこちら側でいかようにもコントロールできるようになる。だから、大丈夫のはず。でしょう?」
『そ、それはそうですが……』
「ならば問題は無し。――よろしくね」
そう言って、半ば強引に彼女は通信を断ち切る。
そして、ペロリ、と妖艶に唇を舐めると、
「うふふ……さぁ、いらっしゃい、聖女シリカ。ここにあなたが来れば――私達の勝ちは確定するわ」
自分たちの価値が揺るがないものとなりつつある現状を鑑みて、これまた妖艶に微笑む。
――ただ、悲しいかな。彼女は現場を離れていたがゆえに、部下から直接詳しい話を聞くことはできなかった。
サキュバスの使う戦法のほとんどが、エレノアによって間一髪で対策をたてられてしまったことを、彼女は知る由もなく。
ゆえに、総力をもって奇襲すべきか、という部下の問いかけに是と答えてしまった彼女たちの未来は――少なくとも明るい、とは言えないものになってしまった。




