極限状態で受けるRequest:1
鍛冶屋を出たエレノアは、それほど時間が経っていないはずなのに、げっそりと疲れ切った顔で、その手に持たされたままの調合キットを眺めた。
確かに、それがあれば今後の生活でも、安定した収入が得られるようになるのは確かだろう。
この世界は、ただでさえ、魔物という脅威がある世界で、治療魔法やマジックポーションといった即効性のある治療手段は常に需要がある。
商業ギルドなどに卸せば、それだけで生活費は稼げるだろう。
エレノアのゲーム内での能力を鑑みれば、その確実性も高まるというものである。
『ツイント』に登場する聖女二人は、おおよそ相反する性能を以て、理不尽にも学園生活半ばで前線に立つことになってしまった主人公こと王太子を、手厚くサポートすることになる。
キャラクターの設定で行けば、聖女には神聖属性と各属性の魔法適性のほか、マジックポーションを始めとする薬剤などの消費アイテムを作成するための調合術や、素材同士を合成したり武器防具と素材を合成したりして、消費アイテムの作成や武具の強化を行うことができる合成術、そして入手したアイテムを鑑定し、あらゆる虚実を見破る真実の瞳がスキルとして与えられるということになっている。
そう、才能という一点においては、二人とも平等なのである。
ところが、育ちの違いなのか、聖女として生まれた二人は、互いに異なる性能を持ってしまっているのだ。
貴族令嬢の特権ともいえる潤沢な資金のおかげで、調合や合成などはお手の物となったが、温室育ちで戦いを知らないエレノア。
教会育ちで、聖女らしい淑やかさとやさしさを育むと同時に、魔を滅する者であるべしと戦う術を叩き込まれたシリカ。
その設定が、強く反映されているためなのだろう。
エレノアは、とにかく戦闘面では頼りない。
具体的には、主人公及び仲間にできるキャラクター、合計7人の中でもほぼ最下位といってもいい戦闘能力しか持ち合わせていない。
敏捷性と魔法耐性、そしてある理由から治療魔法の回復力においてシリカよりも優れているが、他は軒並み水準以下しかないのだ。つまり、支援一辺倒ならぬ治療一辺倒なのである。
HPと防御力は紙装甲で軟弱。かつ物理攻撃力も下から二番目。
さらには聖女であるにもかかわらず、肝心の魔法の威力が中途半端だ。シリカと比較して、使用できる魔法の種類に大きく差があり、回復魔法と(システム上の問題なのか)一定の効果が約束されている支援魔法以外は威力が中途半端なものまでしか覚えない。これではあってもないようなものである(エレノアルートでは魔法を得意とするキャラが別にいるので、バランスは取れているのだが)。
対するシリカがHP、物理攻撃力と防御力、攻撃魔法や補助魔法の威力と耐性。どれをとっても全キャラクター中トップクラスの性能を誇っていることから考えても戦闘面におけるその性能の差は如実に表れている。
普通に考えるなら、ほとんどのルートでエレノアかシリカ、どちらかしか仲間においておけないシステムという関係上、エレノアメインのルートは鬼畜難易度だ、と感じてしまうことだろう。
しかしながら、実はエレノアには他のキャラクターにはない強みがあった。
それが、クラフト系のシステムを使用できるようになる、という点だ。
『ツイント』では、素材と呼ばれる分類のアイテムも存在しており、それを調合や合成と言った機能で使用することにより、消費アイテムや武器防具を作成、または改造することができる素敵システムも存在しているのだ。
さらに、回復系アイテムの素材はすべて店売りとしても登場し、ゲームの最終盤で活躍する強力な回復アイテムですら、素材さえあれば無制限に使用可能になる。
ただし、バランスブレイカーなシステムに見えるこれにも欠点が一つだけある。
それが前述の、エレノアが仲間にいる時以外は実行不能という点である。
シリカは、戦闘面においては聖女教育で容赦なくたたき込まれたために、この上なく優秀だが――エレノアに憑依した彼の記憶によるならば、ファンブックの設定資料にはどこにも、調合や合成と言った生産技能を学んだという一文は書かれていなかった。
そして、キャラクターの性能は原則、キャラクター設定に忠実である。
つまり何がいいたいかというと、シリカを主軸に置くルートでは、前半で早くも主人公とエレノアが仲たがいしてしまい、味方キャラクターから外れてしまうために、このクラフト系のシステムは使用できなくなってしまうのである。
RPGの重大要素の一つである、回復アイテム。それが、シナリオの前半以降、制限が厳しくなるとあれば、どれだけ戦闘性能が良くてもMPの枯渇問題は付きまとうし、資金面でも金欠対策が常に必要となる。
ちなみに、魔法を得意とするキャラは、シリカのほかにもう一人いる。しかしシリカメインのルートではそのもう一人の魔法キャラは仲間にならず、その代わりにパーティ入りするのは耐久型のタンクだ。
つまり、シリカメインのルートはとにかくMP管理が重要になる、難度の高いルートが勢ぞろいなのである。
その点、エレノアはクラフト系システムという唯一無二の特技を以て、戦闘以外の面でパーティを手厚くサポートしてくれるので、エレノアが戦闘ではポンコツ性能だからと言って悲観するほどではない(最悪、エレノアの敏捷性の高さを駆使すれば、回復アイテムによるゾンビ戦法すら可能となってしまうほどである)。
まぁ、シリカもシリカで、最終的にはエレノアのサポート代わりになるくらいには手厚いサポートができるようになるのだが――『ツイント』が、周回プレイでも消耗品とお金は引き継ぎできない設計である関係上、金銭とMPという制限の解除には、どうしても魅力が溢れるというものだろう。
さて、そんなわけで、ここにいるリアルエレノアもまた、調合や合成と言った生産活動には腕に覚えがある。
正確には、現在エレノアの中に入っている彼ではなく、元々のエレノアの話なのだが――エレノアとしての記憶も引き継いだ彼にも、その腕は存分に振るえる可能性があるだろう。
なにせ、ゲームでもエレノアメインのルートで使用頻度が高かった回復アイテムは、治療魔法が得意でなければ品質の良いものが作れないものなのだから。
惜しむらくは、回復アイテム以外の道具などを作るための素材がないことと、作業スペースがないことだが――
「まぁ、素材についてはこれから――いや、明日、かな。街の外に取りに行けばいいかな……」
とりあえず、お金は手に入れたので、今日のところはもう宿を取ってゆっくり休むべきだろう。
ここ数日間、ろくに食べ物を食べてないので、そろそろ限界が近いのは先にも述べた通り。
疲れも限界に達しつつあるので、エレノアはそのまま貞操帯を売りに行く道中で偶然見つけた、それなりに大きい宿屋に直行した。
宿屋の亭主が応対してくれ、可能であればすぐにスープのような軽い食事も取りたいと伝えたところ、気前よく応じた。
「にしてもお嬢さん、身なりがいいですけど、どこかのお貴族様ではないのですか?」
「……えぇ、まぁ……貴族、だった……の方が正しいですけど」
「……? まぁ、何か事情がありそうな感じだし、深入りはしませんけど……」
「助かります」
「しかし、だとすると当面の生活の当てはあるのかい?」
「あー、はい……それに付いては、多分、何とかなるんじゃ、ないかなぁ、と……」
エレノアは、簡単に自己紹介をしてから、調合術と合成術、付与術を扱えることを示し、マジックポーションをはじめとする、薬剤を製造できるので薬師として生計を立てようと考えていることを素直に話した。
すると、宿屋の亭主はまるで餌に食いついた魚のようにエレノアに詰め寄り、詳しく話を聞きたいと言い出した。
「エレノアさん。あなたが作れるのは、どれくらい強力なポーションですか?」
亭主の問いかけに、エレノアはもともとの彼女自身の記憶をまさぐり、作っていたポーションの中でも最も難度の高かったものの記憶をピックアップして答えた。
「えぇ? っと、ちょっと今は持ち合わせがないのですが……一応、今まで作ったことのあるポーションですと、マジックポーションではリカバーヒールポーションは何回か作ったことがあります」
「おぉ!? それは、すごい……。それ以外では?」
「ほかですか? あとは、病毒の治療や解呪系で行くと、一通りは……」
「素晴らしい! その、実は、ぜひとも一つ、作ってもらいたいものがあるのです。私の、大切な人を守るために――」
若干前のめりになりながら、座ってスープを飲むエレノアに必死の形相でそう頼み込む亭主を見て、エレノアは――まぁ、話を聞くだけならいいかな、と一つ頷いたのであった。
宿屋の亭主が作ってほしいと懇願してきたのは、エレノアの記憶をあさってもそれほど成功回数が多くない、アンチミネラリーヒールポーション。石化や銅化、鉄化などといった、無生物化系の呪縛を解呪するためのマジックポーションである。
そもそも、マジックポーションと一口に言っても、それは『マジックポーションに分類されるポーション群』のことを指しているのであって、品目を上げれば実に多種多彩である。
なにせ、マジックポーションというのは薬草などを調合して作った普通の『ポーション』や、何の変哲もないただの水に自身が使用できる魔法を付与したものを指すのだから。
いうなれば、魔法の効果を水に溶かしたもの、と言ってしまえば話は早い。
中でも治療魔法を込めたものは『ヒールポーション』と呼ばれ、医療目的で重宝されている。
なにせ、かけるだけで簡単に傷病が治ってしまうのだ。そこに治療魔法が使える人がいなくても、治療魔法の恩恵を受けることができるというのは、実に魅力的で、実用性の高いものなのだから、逆に重宝されないはずもなかった。
そして、『ヒールポーション』もまた、治療魔法を付与された液体全般を指すために、それに分類される物を上げれば数多くの品目がそこに属することになる。
ただ傷を治すためだけのヒールポーションであっても、込められた魔法の階位に応じて、『エイドヒールポーション』『ヒールポーション』『リカバーヒールポーション』などといった具合で分けられる。階位は後に挙げたものほど上位の魔法が込められている。
狭義の意味での『ヒールポーション』は、そのままではややこしいので一般的には『ミドルヒールポーション』と呼ばれているが。
ただ、高位のマジックポーションほど、市場に出回らない傾向にあるのが難点だ。ヒールポーションも当然例外ではない。
その理由は至極簡単。製作者からすれば、マジックポーションとはすなわち、普通に使えば済むようなものを、わざわざ液体に付加するという面倒くさい工程を踏んで作るものだからである。
それならば、高位の魔法を扱える人であれば、普通に魔法を使ってできる仕事をこなしたほうが稼げる。つまり、マジックポーションを作ってまで商売をする価値がないのだ。
そして、今回宿の亭主に求められたのは、『アンチミネラリーヒールポーション』。解呪系ヒールポーションの中でも作成難度が高い――つまり、高位の解呪魔法が付加されたポーションで、やはりわざわざマジックポーションを作ろうなどと考える人は少ない逸物である。
ほとんど出回らないため、市場価格は算出不能。一瓶でも出まわれば、10万ルメナミスリル貨が使われるくらいには高騰している品物だ。
この時点ではエレノアも、それなら普通にアンチミネラリーの魔法――身体が金属と化す類の呪いを解除する魔法だ――を使用した方が早い、と判断したくらいだ。
ただ、少し考え直して、自分の立場を鑑みてポーションで渡したほうがいい、とその判断を否定したが。
判断基準は単純で、宿屋の亭主のリクエストがそれだったからだ。
その理由までは考えない。そこまで考えていたら、きりがないから。
「えぇ、構いません。ただ、先に部屋を準備していただきたいのですが……」
「あぁ、それは申し訳ありませんでした。確かに、頼みごとをする前にこちらの仕事を済ませるべきでしたね……。大変失礼いたしました」
宿屋の亭主は、エレノアに深くお辞儀をしてから、彼自らが客室への誘導を始めた。
その後。部屋に到着し、宿屋の亭主が立ち去るのを見届けるや否や、エレノアはふらふらとベッドに近寄ると――そのままそのベッドに横たわり、泥のように眠ってしまった。