お店の準備、Get ready:3
空き物件の見学日当日。
エレノアは、馬車の窓から見える王都の街並みを眺めながら、膨大な数の空き物件からエレノアたちのお眼鏡にかなうものを探し出してくれたアネットたちに、改めて感謝をする。
今回もエリスがアネットに同伴してきており、彼女が言うには今後はアネットがエレノアの応対を行う際、アシスタント役を担うことになるとのことであった。
これは、商業ギルドでもたまにあることであり、エレノアに限らず、特に注目している商人については専属受付嬢に加え、手続きがスムーズに住むようアシスタント役が付くのだという。
エレノアが自身の知らずの内にアネットが自分の専属受付嬢になっていたとは知らず、目を白黒させたのは言うまでもない。
ちなみに、コーネリアは本日お留守番である。
コーネリアはエレノアの従者として、エレノアに可能な限り以前の(つまりはもともとのエレノアにとっての)普通の生活に近づけていきたいという一種のコンプレックスのようなものを抱いている。
それは炊事場や寝室、風呂場などといった部屋や設備に厳しい判断水準を求める要因にもなる。
風呂が欲しいというコーネリアの意見には賛同するものの、そこまで高い水準の生活環境は求めていないエレノアとしては、コーネリアのそれは邪魔にしかならなかったからである。
当然コーネリアは断固としてエレノアの『一人で行く』という申し出を拒絶した。最終的に首輪を通じて『命令』をしたことで、涙を呑んでそれを承諾してもらった形となった。
「それにしても、風呂付きの物件が見つかってよかったですよ」
「それを実際にご購入、もしくはお借りいただくかどうかはまた、別の話になりますけれどね」
営業スマイル、ゼロルクスなり。そんな謳い文句が聞こえてきそうなほど見事な微笑をたたえながらそれに答えたのは、クールビューティーな外見に、冷淡な性格を物語るような静かな声にぴったりと似合う商業ギルドの財務係、エリスであった。
「商業ギルドが所有している空き物件は、どれもすぐにお客様がご利用いただけるように、最低限の保全作業や修繕作業は行っております。しかし、実際に店として、そして時に住居としてご利用いただくにあたっては、やはりその人その人によって許容できるところとできないところがどうしてもありますから」
「エレノア様やコーネリアも、風呂付という条件をつけてはいましたが、特にコーネリアにはそれについて並々ならぬこだわりがある様子ですからね」
「あはは……」
あれはいまだに公爵令嬢だった頃のエレノアと決別ができていないだけだ、とエレノアが言えば、アネットとエリスはちょっとだけ理解を示したような表情になり、エリスに至っては
「エレノア様は、とてもお強いのですね」
とまでエレノアを評した。
エレノア自身のことに関して言えば、単純に精神が文字通り変容してしまったから、という訴えは、できようはずもなかった。
「そういえば、そのコーネリアは本日は一緒ではないのですね」
「かつても主従関係にあったという話でしたから、てっきり本日も同行させているかと思ったのですが」
「まぁ、本人は一緒に来たがっていたのですが、アネットさんが言ったように、彼女は私の生活水準に関して、並々ならぬこだわりがあるようですので…………正直、ちょっと今回はあえて席を外してもらった方が話がスムーズに進むかなと思いまして」
「なるほど。道理ですね」
エリスが、納得の表情で一つ頷く。
その表情に、辟易とした感情が含まれているようにエレノアが思ったのは、先日候補を探してもらったとき、アネットやエリスの選んだ物件の資料を、片っ端からバッサリと切り捨てたということがあったからだろう。
最終的に、コーネリアはエレノアから待機命令を出されたために、応接室の隅っこで話が終わるのを大人しく待つだけとなり、本日見に行く物件はすべてアネットとエリス、そしてエレノアの判断で『いいかもしれない』と判断した物件となっている。
「まぁ、コーネリアほどではありませんが、エレノア様の風呂へのこだわりも、なかなかなものだとは思いましたけどね」
「とはいいますけど……普通に考えて、身綺麗な人とそうじゃない人、どちらから薬を買いたいと思います?」
「それを言われると、ちょっと言い返すことは難しくなりますが…………。私達商業ギルドの職員も、原則として男女問わず寮住まいとすることが定められていますし、その寮に備え付けの浴場で毎日身を清めるように義務づけられていますからね……」
「特に私達受付嬢は毎晩毎朝、厳しくチェックされますからね……」
そうでしょうそうでしょう、と頷くエレノアだった。
ちなみに商業ギルドの職員の寮費は、税金とともに給料から天引きされているらしい。
最初の物件は、とある男爵が住んでいたという邸宅だ。
『祝福の義』でとてもいいスキルを授かったのか、その日以降目覚ましい功績を上げ続けて、一気に平民から準男爵、そして男爵へとなり上がったスゴイ女傑がもともと住んでいた家らしい。
反面、幸せな家庭を築けているとは言えないらしく、現在、その女傑さんは女手一つで娘二人を育てながら、王都のどこかで鍛冶屋をして国の軍や武士団を支えているという。
――ちなみに、封建制度を取り入れている国における貴族の爵位や扱いについては、その時代や国ごとによって異なる。この世界においてもそれは同じであり、現在でも国によってその爵位や貴族として認められる範囲は異なる。
ルベルト王国においては、貴族の爵位は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五つ。このうち、公爵、侯爵、伯爵は俗に上位貴族として貴族社会でも優遇される立場にある。
これらの爵位は世襲制で、親から子へ、子から孫へと受け継がれていく。が、貴族として扱われるのは当主とその配偶者のみであり、それ以外はたとえ貴族の血族、姻族であっても法の上では平民として扱われる(貴族の家族として、優遇はされるがちょっかいを出されても不敬罪は適用できない。適用した場合は貴族法により、最悪爵位取り上げとなることもある)。
また、それらとは別に当代限りの爵位として準男爵、武士、準武士というものもある。これらは準貴族として法律でも規定されているが、当代限りという点と、領地が与えられないという点を除いては貴族とまったく同じ扱いとなる。
そして武士といったが、これはなにかの間違いではなくあくまでも武士である。
ルベルト王国とその周辺数か国では、地球で言うところの武士道が発展しており、教会の教義で定義されている騎士道は軽視される傾向にあるのだ。
発展の結果、両者に共通するところもできてはいるものの、相反するところがあるところまで地球のそれと似通っている。
閑話休題。
エレノアは、ふと頭の中にまさかね、という考えと同時にある女性スミスの顔が思い浮かんだ。
(きっと、ただの偶然だよね……)
と、最初こそ否定しようとしたものの、ついぞその考えを否定しきるには至らなかった。
さて、そんな女傑が持っていたという邸宅は、貴族街にほどなく近い箇所に建てられており、しかし最寄りの商店街からも近いため人通りは十二分にある。
また、王都内にいくつか設けられている大通りの交点にあり、住宅街からも近いため、立地的にはとても良いといえる。
「なかなかにいいですね。資料で見てそれなりの広さがある、とはわかっていましたが、実際に見てみるとまた違った印象を受けます」
「そうですね。私も、実際の物件を見るのは今回が初めてですが、同感です。それに、資料では測り切れませんでしたが一階、二階ともにそれなりに広さがあり、エレノア様のご希望する店舗スペースも十分に確保できることでしょう」
「まぁ、壁を壊したりとかして、リフォームをする必要はありますけどね」
だが、ここの物件はそこまで高い物件というわけではなく、リフォーム料を含めても85万ルメナである。
貴族用の物件となれば一気に価値が跳ね上がり、安いものは200万ルメナから、高いものでは1千万ルメナ以上にもなる。
それらと比較すれば、準貴族用の建物は一代限りなので見栄えはそれほど気にしなくても済む分、平民から見ればそれなりに豪邸っぽく見えても実際にはそこまで高くならないケースがほとんどである。
頑張れば何とか手が出せる――その程度の値段に収まる場合が大半だ。
中も隅々まで確認し、ここなら立地条件的にも建物的にも問題ないだろう、とエレノアはここを継続して候補とすることにした。
ほかにいい物件がなければ、消去法でここになるだろう。それくらいには、エレノア的にはいい物件であった。
そこから少し離れたところにある二件目は、元々は宿屋として使われていた建物だ。
ただ、事故物件というやつで、ある日提供していた食事の中に毒キノコが含まれていたらしく集団食中毒を起こしてしまい、少なくない死者を出すという大事件となってしまったのだとか。
宿屋のオーナー夫妻や、当時料理に携わっていた従業員は捕まり、さらに当然ながら宿屋は営業停止命令。そのまま廃業となり、建物だけが取り残されたという次第である。
アネットが言うには、保全作業や修繕作業ができないわけではないが、作業にあたっていた人員はその後しばらくの間、何かしらの体調不良を訴えるという。
一度教会に頼んで浄化してもらったこともあったというが――何度浄化しても、体調不良を訴える声は途絶えることを知らず、もと宿屋とは言えないほどの大安値で売りに出されている曰く付きの建物である。
「…………、ここ、相当にまずいことになってますね」
「えぇ。…………中に、入りますか?」
「はい。こんなものが往来の激しい大通りの側に立っていては、いつ、何がきっかけとなり、どんな霊障を引き起こすかわかったものではありませんから」
「え? ……まさか、これを、どうにかするおつもりなんですか?」
「えぇ、まぁ…………これくらいなら、どうにかできそうですので」
言いながら、エレノアは神聖魔法を使用するための魔力を練り上げると、アネットたちに呼びかけて、中に入らせてもらった。
中に潜んでいた悪霊は、過去に建物に立ち入った作業員たちから精気を吸い取り続けた結果なのか半ば魔物と化していたものの、落ちこぼれ気味と言えど聖女に違いないエレノアにとっては、地縛霊から派生したそれは雑魚も当然の相手であった。
エレノアが軽く祓う程度に攻撃系の神聖魔法を当てれば、それだけでその悪霊は浄化されてしまう。
「………………、」
「……、コーネリアと過去にも主従の関係にあったという話から、おそらくはそうだろうとは思っていましたが……実際にそのお力を拝見いただくと本当に聖女様のお一人であらせられるのですね」
「まぁ、お祈りとかは嗜む程度にしかしてないので、本職さんほどじゃありませんけどね」
「それでも、すごいことには違いないですよ」
ギルドが呼んだ教会の関係者は、霊の力を弱めるのが精いっぱいだったというのに……と、アネットはなんとなく釈然としない表情でエレノアに語った。
それから、霊たちの気配がなくなった建物の中を見学し、元宿屋ということもあり、少し大きすぎるという理由から、エレノアはこの建物は候補から外すことをアネットに伝えたのであった。
それから昼食をはさんで、午後も候補となっていた数軒を回ったが、さすがにあらかじめ本命として見繕っていた前二つと比較すると、いまいちピンとこなかった。
そのため、午前に見学した二件に候補を絞り、そのどちらかから選ぶことにしたエレノアは、宿屋に帰るとやることがなかったため独自判断で宿屋の手伝いをしていたコーネリアに、その旨を伝える。
彼女は、二つ返事で了承すると、少し考えて、
「元宿の方が、安いのですよね?」
「えぇ。普通なら、その逆なのだけれどね」
しかし、こと今回で言えば話はまた変わってくる。
何しろ、事故物件も事故物件。
そこで新しく宿商売を始めた人たちのことごとくが不幸にあっては、ギルドとしても値段を安くせざるを得ない。
むしろギルドも、早く厄介払いをしてしまいたいという心情なのかもしれない。
物件の規模からしても、異常なほどに安い売り値を掲示されていた。
「お嬢様が聖女だからこそできたのでしょうね」
半ば魔物と化すほどの怨霊ともなれば、それこそ高位の聖職者でもなければ浄化することはできないだろう。
霊が魔物化するということは、それほどまでに深刻なことなのである。
「浄化できないまま、保全作業だけはきっちりと行っていたみたいだし……きっと、作業員から精気を少しずつ吸い上げながら、成長してたんだと思うわ」
「浄化することはかなわなかったとしても、天下の商業ギルドですからね。悪霊対策はきっちりできるでしょうから、取り殺されるということはなかったのでしょうけど」
「保全だけはきっちりとしておこう、という商業ギルドの頑張りが不運にも怨霊を成長させてしまうことになっていた……と。そう考えると、なかなかに皮肉な話ね」
まったくです、とコーネリアは一つ頷き、それからどうするおつもりですか、と視線でエレノアに問いかける。
無論、どちらの物件にするのかということだ。
「んー、せっかくだから、元宿の方にしようかと思っているわ。むしろもう片方のよりも安く済む分、浮いた分を人件費に回せるからね」
「それで居住スペースを含む空きスペースの保全要員を賄ってしまおう、と?」
「まぁ、従業員寮みたいなものになるでしょうけどね」
しかしそうなると、建物の大きさからしても、男爵家のタウンハウス程度の規模はあるし、コーネリアとしても願ったりと言ったところになるだろう。
「いっそのこと、メイドなども雇い、職務環境を万全にしてみてはいかがでしょう」
「それも選択肢の一つにはなるかもしれないわね」
その場合は、あなたにハウスキーパーをやってもらうことになるかもしれないわね、とエレノアが言うと、それは身分的にちょっと現実的ではないとコーネリアは返すのであった。
――同日の晩。
商業ギルドの職員、エリスは、魔石と光魔法を用いた街灯に照らされた夜道を歩いていた。
普段とは違う業務があったこともあり、エリスは昨日今日と、残業が続いている。
この感じたと、エレノアのもとに出向するまで残業になりそうだ。その可能性を考えると、ちょっとだけ陰鬱な気分になってしまうエリス。
とはいえ、エレノアという人に対してそれを恨みがましく思ってなどはいない。どちらかといえば、エリスにとってもエレノアは興味を向ける対象者である。
彼女は商業ギルドの有史以来、稀に見る人材だからだ。
しかも、アネットは類を見ない価値観の持ち主であり、きっとその彼女のもとについて従事することは自身の啓発にもつながるだろうとまで豪語している。
エリスはアネットとは同期だ。ゆえに、彼女の人となりもよく知っている。
アネットは、彼女を表側しか知らない人から見れば気さくな性格で、なおかつちょっとだけノリの軽い部分があるようにも見えるだろう。
しかしそれはあくまでも表向きそう見せているだけであり、内面はむしろ商業ギルドの職員にふさわしいほどに貪欲で、それでいて堅実さと誠実さを兼ね備えた性格だ。
不正はもちろん許さないし、暴力に対してもひるまない。ギャンブル性の高い道は選ばず、さりとて利益を得るためなら若干のリスクは承知の上でそれを踏み抜く。その上でリスクマネジメントは欠かさない。そんな人物だ。
表向きに見せている顔も、むしろそうしたほうが彼女にとってプラスに働いているからこそそうしているに過ぎない。
それに、なによりも商業ギルドの受付嬢という立ち位置に隠されがちだが、あれで彼女は実は冒険者ギルドにも登録していた過去があり、今でこそ冒険者業からは引退しているものの、盗賊たちの間では『首狩りアネット』の異名は今でも語り継がれているほどの暗殺者である。
アネットは――いざというときには容赦せずに、ただ冷徹に冷酷に、処罰対象に罰を与える。
いついかなるときであっても、冷静に必要な取捨選択ができる、できてしまう恐ろしい女性なのだということを、エリスは知っていた。
それらのことをエリスは知っているからこそ――アネットが、なぜエレノアを気に入ったのかも理解できていた。
エレノアは、いってしまえば黄金の種だ。
この場合の黄金の種は、大事に育てれば立派な金の成る木になるが、放っておけばいずれ破綻してしまうような存在、という意味である。
話によれば、通常なら煙たがられるはずのギルドからの監視要員も、むしろ喜んで受け入れたという。
しかも、アネットが密かにスキルを使って真偽のほどを確かめても、真実――つまり、嘘ではないと出た、と。
通常であれば煙たがるはずの監視要員を、むしろギルドからの支援要員として置き換えて考える――なるほど、話を聞けば確かにエリスとしてもエレノアは類を見ない価値観の持ち主なのだろう。
エレノアが言っていたという言葉にも頷ける部分は多分にある。
商業ギルドの職員は、モノとカネの流れを把握すると同時に、商人たちを手厚く支援する立場でもある。
ゆえに商業ギルドの職員は、客商売に関しても相応のスキルを持っていなければならない。
それを踏まえた時――エレノアは、確かに持つべきものを持っているのだろうということを、エリスは瞬時に理解した。
だからこそ、アネットの言には一定の理解を示したのである。
エレノアは――アネットが興味を抱くに値するにふさわしい人物なのだ、と。それこそ、自己啓発に繋がる何かを見出せるような何かを持っているヒトなのだ、と。
願わくば――彼女が、この王国で大成してもらいたいものだ。
そう思いながら、彼女はふっと夜空を仰いだ。
「エレノア様……あなたと、一緒に仕事ができる日を、待ち望んでおります。いち早く、開店の日を迎えられるよう、お祈り申し上げます」
最後に一言。そう呟いて――彼女は、いつの間にか到着していた商業ギルドの職員寮へと、入っていった。
――夜の闇に紛れながら、その後ろ姿を観察していたものの存在に気づかないまま。




