過ぎた時のIntrigue:3
エレノアは、目の前でぐったりと机に突っ伏しているアネットに視線を向けて、やっぱりちょっと刺激が強かったかな、と少しだけ自責の念に駆られた。
実際のところ、彼女が差し出したマジックポーションを列挙すれば、そうなるのは明白なのだが、
まず、マジックポーションの中では最も価値が低く、効果も治療魔法であるがゆえにどこへ行っても見かけることが多いエイドヒールポーションはまぁ、いいだろう。
これはあってもなくても、数本程度なら誤差のようなものである。
次に差し出されたのはミドルヒールポーション。鑑定結果で製作者がエレノア自身と表示されたが、この時点ではまだアネットは、『おっ? これは意外と優良物件かな、この娘は』などと期待を寄せるようなことを考えていた。実に甘い認識だ。
彼女はここ数日間で平民街に起こした奇跡をまだ知らなかったのだ。
三番目に差し出されたポーションは、エイドヒールスプレー。エリアエイドヒールと呼ばれる、その名の通り周辺の味方を一挙に癒す治療魔法を香水用の小瓶に詰めて、ポーションを一吹きすることで周囲にその効果が撒き散らされる、という方式で製作された、もはや魔道具の領域に踏み込んだヒールポーションだった。
この時点でも、一応はまだそこそこ流通していたので、『……それなりに腕が立つ娘なのかな。将来有望かも』などと、まだ甘い考えを持っていた。
しかし、四番手が登場すると、いよいよその考えを打ち捨てなければならなくなってきた。
然るポーションはすなわち――リバイバルポーションという名を与えられた、流通してはヤバい類の『セイントポーション』である。
いわゆる、死者蘇生薬である。
『セイントポーション』の名が示す通り、聖職者の身が扱える聖魔法でしか作れず、聖職者しか取り扱ってはいけないことになっている。当然、その対価として頂いたお布施はすべて教会のモノ。それが原則である。
聖女という役目を神から与えられているために、聖職者になるといえば有無を言わさず教会に迎え入れられる権利を持つエレノアではあるが、名実ともに聖職者ではない現状の彼女が売ろうとすれば、当然教会によって審問に掛けられることになる逸物である。
これを差し出された時点で、ようやっとアネットは『あ、こいつほんとはやべえ奴だった!』と、己の認識を変えたのであった。
その後も、出るわ出るわ、普通ではない高級ポーションや流通禁止のポーションたち。
そのすべてが、治療目的に使用できるものだったことだけは幸いだったが、さすがにエリアミドルヒールスプレー(七番手)が差し出された時点で、アネット側からストップがかかったのであった。
「もういいです、もういいですから! エレノア様、それ以上差し出されては危険です! 同かこれくらいでおやめになってください!」
「えぇ~? でもでも、まだ結構あるんですけど~?」
「どんだけなんですかぁ!?」
と、これがアネットが机に突っ伏する直前の、最後の会話であった。
このことからも、交渉の場になるはずだったはずが、エレノアの無自覚な精神的蹂躙の場になってしまったことは想像に難くない。
結果として、商業ギルド側が完全に諸手を上げて敗北宣言をする羽目になってしまうと、誰が予想したことだろうか。
アネットも、そしてエレノアでさえ予想していなかった事実である。
机に突っ伏して、完全に気力をなくしたアネットを前に、どう言葉をかけて再起動させようものかとあれこれ考えていたエレノアだったが、
「……何をやっているんだ、お前は」
という威厳のある言葉が聞こえて、はっと顔を上げた。
先ほど、エレノアの元メイドの売約手続きをするために奥へ一旦引き上げた男性職員が、再びこの場に戻ってきたのだ。
アネットにとって、まさに、絶望的な戦場に舞い降りた天使であった。
「あぁ、しゅに~ん、ようやく戻ってきてくれたんですかぁ~」
「お前は……お客様の面前で何をやっているん、だ……?」
大切なお客様の面前で何という体たらく。そう言って、カツを入れようと思ったところで、アネットからずいっと差し出されたそれを見て、怪訝そうに首を傾げる男性職員。
そして、エレノアの持ち込んだポーションに何かあったのかと疑り、急いでモノクルを装着して一本一本見分していく。
最初に掴んだのが、アネットがお手上げ状態になるきっかけを作ったリバイバルポーションであったため、一本目の見分を終えた時点で、すでにこめかみがぴくぴくと震えていた男性職員だった。
その後も、問題ありとアネットに判断されたポーションのこと如くで同じ反応を見せ、最後に普通に流通できる数種類のポーションにあたった次第だ。その順番は、まさにアネットとは真逆。
「こ、これは確かに……ベテランのお前がこうなるのも頷ける、な…………」
困惑した表情を隠せないまま、男性職員はまるで化け物を見るような怯えた目で、エレノアを見やる。
その視線を受けてエレノアは少なからずショックを受けたが、男性職員はそれを気に留めつつもあえて無視した。
エレノアに、それだけのことをやったのだ、と分からせるためだった。
「はぁ~……。エレノア様ぁ? あなたは、市場というものを、ぶっこわしたいのですか……!」
「ひぅ……っ」
すぅ、と一息深呼吸をして、男性職員は表情を一変。
「どうやら、あなたには別室にて特別講習を受けていただく必要があるようですね。ご案内いたしますので、どうぞこちらへどうぞ」
「い、いえ……その、」
「ど・う・ぞ、応接室へご案内させてくださいませ」
「ひぃ…………!」
そのままエレノアを『ご案内』して、一般的な価値観というものをこれでもか、というほど懇切丁寧に『ご説明』したのであった。
「はひぃ、ちゅかれまふぃた……」
「……その、お気持ちはお察しいたします」
男性職員による『特別講習』は、終始彼のお怒りモードのままで行われ、時刻を知らせる鐘が、少なくとも二時間は経過したことを報せるまで続けられた。
そうして、満足した彼は『それではあなたが購入を希望された奴隷を連れてきますので、そのままここでお待ちください』と退室。
そうして、入れ替わりで入ってきたアネットにねぎらわれて、今に至るというわけだ。
先ほどとは真逆に、エレノアが突っ伏して、アネットがそれをどう慰めようかとあたふたとする状況。
エレノアが商業ギルドに訪問してきてからの短時間で、そこまで疲弊させるほどの講習とはいかなるものなのか。すくなくとも、元々のエレノアの記憶にも、そして前世の記憶にも、今日というこの日ほど濃ゆい時間はいまだかつて経験したことがなかったのは確かである。
「ま、まぁ、過ぎたことはもう仕方ありませんし、エレノア様も市場に流せるものとそうでないものを見分ける、一般的な価値観は身に着けることはできたはずですから。これもお店を開くための一歩と思って、受け止めていただければと……」
「ふぁい…………真摯に受け止めます……」
突っ伏したままの状態で弱弱しくそう言われれば、それ以上に説得力のある返事はない。
とりあえず、目の前の女性に一般的な価値観が無事に身についていることを祈りつつ、自らが作成してきた書類を机の上に用意した。
「ほら、いつまでもそうしていないで、お顔を上げてください。あなたが救いたがっていた人とのご対面ですよ?」
そしてそう言いつつ、アネットは『チャリン』という鎖が鳴らす乾いた音を響かせながら、トン、とエレノアの肩に手を当てた。
そこでようやっと、エレノアは面を上げた。
もちろん、救いたがっていた人、という言葉に反応したからである。
目の前に座るアネットは、なぜかその手に頑丈そうな鎖の先端を握っていた。その鎖を視線で辿っていくと、その先――アネットの背後に控えるようにして佇む、一人の女性と目が合った。
「ぁ……、…………」
その女性は、ぼろ布に身を包み、何事かエレノアに語り掛けようとしたが、なぜかそれを踏みとどまる。
そして、両手首に嵌められた手枷の鎖を鳴らしながら、悔しそうな顔で拳を握り締めた。
その理由を、エレノアは――元々のエレノアの記憶を受け継ぎ、この世界の社会情勢をしっかしと知り尽くした彼女は知っている。
――身分差によるものであった。
上下関係が過剰なほどにはっきりとしているこの世界。
基本的に、王侯貴族は平民に話しかけることはあっても、平民からは許可がない限り、貴族に話しかけることはできない。それは、上の立場にある貴族ほどその機会は減っていき、王族であれば平民と接触する機会など視察の時以外にはありえないほどである。
同じように、平民と奴隷の間にも同じくらいの『超えられない落差』というものがあった。
貴族と平民の間にあるそれと同じく、平民や貴族からは話しかけることができても、奴隷は勝手に口を開くことも、手を触れることも許されない。
ただ忠実に作業をこなすだけの、人の形をした道具という扱い。それが、奴隷という身分に落とされた者の扱いだった。
当然、そんな扱いをされれば人の命など長続きはしない。だから、奴隷に身をやつしたものの首には、健康を維持するための魔法が込められた首枷が嵌められることになっている。
ちょっとやそっとではない怪我でも治せるほどに、それは強力な治療魔法の術式が込められているのだ。
だから、借金などの理由で身を売る際には、相応の覚悟を必要とされる。
簡単に死ねない体になるということが、生殺与奪権を引き渡してしまうという事実をより強固なものにしているからだ。
少し前まで、側仕えとして仕えていた人を目の前にして、思わぬ形で再開することとなったエレノアのもとに、本当はなりふり構わず走り寄り、縋りついて泣きつきたい。その気持ちは、エレノアにもよくわかった。
それでも、奴隷に落ちてしまった、という事実を、そうなってしまったことで置かれた自身の現状を、その元メイドは完全に受け入れてしまっている。
ゆえに、彼女はエレノアの下へ駆けつけたくとも、それを理性でねじ伏せたのである。
――身分は違えど、主のために身を捧げるという、メイドとしての矜持を保つために。
「エレノア様のお持ちいただいたマジックポーションは、鑑定の結果、一部を除いて確かに、こちらの奴隷――コーネリアの対価とするにふさわしい価値がある、と判断いたしました。従いまして、当ギルドといたしましては、エレノア様のご希望の通り、一部のポーションと引き換えに、コーネリアのお引渡しをいたします」
「……っ、ありがとう、ございます」
「では、コーネリア。そこに立ちなさい」
アネットが厳しい口調で元メイドにそう指示すると、彼女は二人の横に――机の、いわゆるお誕生日席と言われるような場所の前に移動した。
それを横目で確認したアネットは、手に持っていた鎖を机の下に会ったらしい金具に繋ぎ止めて、今度は手元に置いてあった書類の束から、一番上のものを手に取った。
そしてそれを、お読みいただいた上で、ご同意いただけるなら著名をお願いします、とエレノアに手渡す。
内容を読めば、コーネリアの身柄引き渡しに関する書類であることが分かった。
簡単に要約すれば、この取引の成立をもって、奴隷・コーネリアはエレノアに所有権が移譲されること。
コーネリアは、奴隷に服する期間は終身とされているために、いかなる理由があっても開放はできないこと。
所有権移譲の対価は、エレノアが本日持ってきたポーションの一部とし、物々交換によって成立とすること。
この件についてはこの書面をもって決着として、以後双方でこのことに関する口論は認めないこと、などが記載されていた。
「……終身奴隷なんて…………本当に、コーネリアの身に何があったというの……?」
元メイド――コーネリアの人となりを知るエレノアからすれば、それだけの罪を犯すなど、信じられない事実であったから、ただ茫然としてコーネリアを見つめることしかできなかった。
視線を向けられたコーネリアは、ただ悔しそうな顔をして、エレノアに視線を返すのみ。
――宿に帰ったら、詳しく話を聞く必要がありそうね。
とりあえず、そう結論付けて、早いところその不自由な立ち位置から少しでも解放してやるために、書面に署名を施した。
これで、コーネリアの主は、エレノアとなった。
「署名いただきまして、ありがとうございました。一応、対価として頂いたの内訳は、こちらに記載されておりますので、あとでご覧ください」
「はい、わかりました。……コーネリア、こっちに」
彼女は金具から鎖を外すと、早速コーネリアに指示を出す。こくり、と頷いて、嬉々とした表情でエレノアの後ろに控えた。
話の流れで、必然とそれを見届ける立場にあったアネットは、その光景にとてつもない自然さを感じ、本当に二人は心を通わせた主従だったのだな、とようやっと納得したのであった。




