廃墟にて……
「……開けて」
小さな声でイーリャが言うと、身体を拘束していた何かが離れていった。暗闇。すぐに、正面の壁に縦の亀裂が走り、それが広がって外の光が射し込んでくる。イーリャは巨神の胸の入口に立ち、破壊された街を自分の目で見た。
(……夢じゃない……)
イーリャの瞳から涙が溢れ出た。巨神の中で、巨神の視点で見ていた世界は、現実と認識できていながらもどこか非現実味を帯びていた。いつもの自分と視点が違っていたからかもしれない。こうして巨神から外に出て、自分の肉眼で改めて外を見ることで、現実を再認識した。
汗に濡れた肢体を朝日が照らす。巨神が左腕を上げて、イーリャの身体に影を落とした。イーリャは巨神を見上げた。
「ありがと。優しいのね」
イーリャは涙を拭った。
「誰かまだ生きてるかもしれない。探さなきゃ。下ろしてくれる?」
巨神は右手を胸の前まで上げた。
イーリャがその掌の上に乗ると、巨神は跪いてイーリャを地面に下ろした。いつの間にか、開いていた巨神の胸は閉まっている。その間も、巨神は左手でイーリャに影を落とし続けていた。
「そっか。みんなを探す前に服をなんとかしなきゃ。あなたに心配かけちゃうもんね」
冗談めかして言って、イーリャは自分の家へと歩き出した。崩れ落ちた家々の間を行く白い裸身の美しい少女と、その後ろに付き従う白き巨神。誰も見るもののない中、二人はイーリャの家を目指した。その間も、イーリャの瞳からは、拭っても拭っても涙が溢れてきた。
家に着くまでの間、倒れている街の人を見つけるたび、イーリャは思わず駆け寄ったが、息をしている者はいなかった。
イーリャの家は、入口の扉こそ破壊されていたが、家の中はそれほど荒らされていなかった。自分の部屋に入ると、イーリャはその裸身をいつもの白い服装で包んだ。
外に出ると、巨神を従えて街の中を生存者を求めて彷徨った。街の人の遺体を見つけると、巨神が手甲を変形させた台の上に乗せていった。ずっと放置しておくわけにはいかない。弔ってあげないと。父と母の遺体を見つけた時には、その場に崩折れて泣き伏した。
二人とも、全身に無数の切り傷と鉄矢を受けて絶命していた。
(お父さん、お母さん、みんな、ごめんなさい。あたし、みんなを守れなかったよ……)
遺体は、街の人口の半分にも満たなかった。火炎砲で跡形も無く焼かれてしまったのだろう。人の影だけ残る壁がいくつかあった。
カナテやセクスリーの遺体も見つからなかった。影のどれかがそうなのかもしれない。
夕刻までかかって街中の遺体を集めると、イーリャは巨神を伴って夕陽に燃える砂漠に出た。巨神にも手伝ってもらって砂漠の砂の上に遺体を並べ、砂をかける。イーリャはその前に立ち、両手を胸の前で組んだ。
「砂より生まれし砂漠の勇敢なる民よ、砂に帰れ」
また、涙が溢れ落ち、砂に吸い込まれた。
「……もう、この街には居られないね……」
誰にともなく、口から言葉が漏れる。イーリャの後ろで、巨神も静かに佇んでいた。
その翌日は、黒衣の侵略者共の遺体を集めて、街の北側にある岩山の向こう側に捨てた。街を離れることに決めてからも、この街を破壊した奴らを街中に放置したくなかった。それが物言わぬ死体であっても。街中に倒れている黒い巨神も、白き巨神が外に運び出してくれた。
そうして街中の掃除が終わった明くる日、本格的に街を出る準備を始めた。運良く、倉庫にサンドバギーが二台残っているのを見つけたイーリャは、その一台に必要な物を詰め込んだ。
「リザーバーはそんなに要らないよね? あなた、チャージできるんでしょ?」
イーリャは時々巨神に語りかけた。一人で黙っていると、悲しみに溺れてしまいそうだったから。食料や武器、地図に着替えなどを街中から集めて、最後に、誕生日に父と母から貰った服を畳んで箱に入れた。
「これは持っていかないとね。お父さん、お母さん、大事にするね」
また涙が溢れそうになる。
すべての準備を終えたイーリャは、その日、陽が地平線の向こうに沈んでから、サンドバギーのハンドルを握った。
「みんな、ばいばい。静かに眠ってね。みんなの仇は絶対に取るから」
オアシスの端で最後に街を振り返り、それからイーリャは前を向いた。アクセルを踏み込む。サンドバギーが走り出す。後ろを、ゆっくりした足取りで巨神がついてくる。イーリャはもう、振り返らなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
書類をつまらなそうに見ている彼の執務室の扉が、荒々しく叩かれた。彼は目を上げた。
「入れ」
開いた扉から入って来たのは、忠実な臣下だった。
「殿下っ、失礼いたします。お耳に入れておきたいことが」
「聞こう。それとシルベス、少し声を落とせ」
「は。失礼しました」
彼の執務机の前まで歩いて来たシルベスは、一度深呼吸をしてから報告を始めた。
「例の、砂漠の街の件ですが」
「ああ、制圧部隊が戻ったか。遅かったな」
「いえ、そうではありません。残してきた部隊は全滅です」
「何?」
彼の目が光った。シルベスは、主人が口を開く前に続けた。
「帰還が遅いので、昨日、高速艇を現場に向かわせました。先ほどその偵察隊が戻ったのですが、破壊された街は無人、死体もなく、我らの部隊も死体となって街の外に捨て置かれていたとのこと。生き残りは飛行船の乗員数人のみ。彼らの言によると、街の中央付近のドーム状の建造物を破壊して一騎の白い巨神が現れ、瞬く間に我らの巨神を飛行船と共に殲滅、歩兵部隊もすべて惨殺され、その後、その白い巨神も街を去った、とのことです。……殿下?」
最初のうちこそ苦々し気にシルベスの報告を受けていた彼の唇が、いつの間にか笑みに歪んでいる。
「まさか、我らに反旗を翻す輩がいるとはな。しかも三対一という劣勢を軽々と覆すとは。面白いじゃないか」
「しかし……三騎、いや、弐番隊と私も含めると五騎もの巨神を喪うことになりましたが、陛下にはどう……」
「あの男を『陛下』なぞと呼ぶなっ」
シルベスの言葉を鋭く遮って、彼は言った。口からは笑みが消え、瞳には物騒な光が宿っている。
「はっ。失礼いたしましたっ」
シルベスはびくっと身体を震わせて直立し、頭を深く下げる。
「あの男は俺の祖父母から国を奪い、母上から幸せを奪った簒奪者だ。他の目の無いところでは敬称なんぞ付ける必要はない」
「はっ。申し訳ございません。肝に銘じておきます」
自分の三分の一ほどしか生きていない主人に睨まれて、シルベスは冷や汗を流していた。
「しかし、報告をしないわけにはいかないな。……解った、その件は俺からあの男に伝えておく。不愉快ではあるがな」
「は。申し訳ございません」
「いい。お前が謝る必要はない。俺がこうしていられるのも、お前のお陰だ。感謝している」
「勿体無きお言葉。我が忠誠はすべて、殿下と母君のものです」
「その言葉だけで充分だ。これからも、俺と母上のために宜しく頼む。……その件は先の通りだ。引き続き被害状況の精査と部隊の再編を頼む」
「は。しかと。それでは、失礼いたします」
臣下の退去した部屋の中で、彼の目は妖しい光を放っていた。
その光が、彼に仇名す存在の登場に高揚したものなのか、それとも敵と狙う相手に対する殺意か、余人には窺い知ることはできなかった。




