未明の襲撃
ズンッ。
巨大な振動で、イーリャは目を覚ました。
(な、何?)
ベッドの毛布を跳ね除けてベッドの上に起き上がり頭を巡らせるが、窓のないこの部屋では外の様子はわからない。
ズンッ。ズンッ。
その後も振動は続いた。そして、ズシンッ、ズシンッ、という振動。
まるで、巨大な動物か何かが歩くようなリズムだ。暫くベッドの上に座り込んでいたイーリャは、外の様子を見ようとベッドから降り、裸身に毛布を巻き付けて部屋の扉を開けた。廊下に出たところで、向こうから急ぎ足に母がやってくる。
「お母さん、何かあったの?」
「説明は後。すぐに着替えなさい」
切羽詰まった様子の母に押されるようにして出てきたばかりの自分の部屋に戻り、毛布をベッドに放る。服を取ろうとしたときには、既に母が箪笥から引っ張り出したシャツを放って寄越したところだった。
「下着はいいから、それを着て」
言われるままにシャツを身に付けている間に、手袋とソックスが投げてよこされる。いつも使っている長いものではなく、手袋は手を覆うだけ、ソックスも膝下までの短いものだった。
「ねぇ、何があったの?」
ソックスと手袋を身に付けながら、イーリャは母に聞いた。
「敵襲よ」
「敵襲?」
母の差し出したショートブーツを履きながら、母の言葉を繰り返す。
「ええ。どこかの馬鹿が、巨神でここに奇襲をかけたのよ」
それで今も続いているこの振動。
「しかも、一騎や二騎じゃない、最低でも五騎以上いる」
フェイスヴェールを付けているイーリャの脳裏に、昨日の大長老の話が蘇る。母は、娘を見ると小物入れから鋏を取り出し、ヴェールを半分ほどの長さに切り落とした。
「はい、これ着て」
渡された外套を引っ掛ける。
「どこかに避難するの?」
色眼鏡を掛けながら、部屋を出かかっている母を追いつつ問いかける。
「莫迦ね。迎え撃つのよ」
「え」
どんどんと先へ行く母を追って、廊下を走った。母は家の玄関まで、一息に走りきった。いつの間にか、母の手には伸縮棍が握られている。
玄関扉には父が張りついて、外の様子を窺っていた。
「あなた、どう? 行けそう?」
「ちょっと拙い」
振り向いた父の顔も険しい。腰には双剣を差している。
「奴ら、火炎砲なんてものを使ってやがる。それで、人が家から出て来たところを狙って焼き払っている」
「なんてこと……それじゃ、神殿まで行くのは無理?」
「すぐには無理だ。万一見つかってあれを受けたらひとたまりもない。俺やお前は兎も角、イーリャは何としても神殿まで連れて行かないと」
父の言葉に母は頷いた。
「ねぇ、どういうこと?」
イーリャの疑問に母が応える前に、父が言った。
「兎に角、奴らがこの辺りを離れるか、火炎砲の燃料が無くなるかするまで様子を見る。二人は裏口に行っていろ。そっちの方が見つかりにくい」
母は頷いてイーリャの手を引き、裏口へと向かった。
「お母さん、神殿に行くの?」
その間にも、イーリャは聞いた。
「ええ、イーリャ、あなたは神殿まで行かなければならない。どんなことがあっても。できる限り速やかに」
「何で? お母さんとお父さんも一緒だよね?」
母はイーリャを優しい眼差しで見つめた。
「いいこと? あなたは人形遣いなの。今回のような時には、神殿の巨神を駆って、ここを襲撃している巨神を撃退しないといけない。だから、できるだけ早く神殿に行く必要があるのよ」
昨日、大長老も言っていたこと。しかし。
「でも、私、自信ない……」
母は目線の高さを娘に合わせると、棍を壁に立て掛けて頬を両手で優しく包み込んだ。
「大丈夫。イーリャならできる。私とお父さんの自慢の娘なんだから。自分を信じなさい」
その優しい目を見て、それから昨日のアステリアの言葉を思い起こした。
(私に与えられた役割……)
「うん。やってみる」
「そう。その意気よ。神殿までは、私とお父さんが絶対に連れていくから」
そう言うと、母はイーリャの額に口づけして、立ち上がった。棍を持ち、窓の外を窺う。地響きはまだ続いている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「戦闘民族の街と噂されていた割に、呆気ないものですな、殿下」
「八騎も巨神を投入したのだ。当然であろう。寧ろ、巨神を一騎喪っているのは、彼らの力が噂通り、あるいはそれ以上ということであろうよ」
黒い飛行船から降下した八騎の黒い巨神。
街を焼く六騎とは別に、戦闘参加せずに佇む二騎の操者は、作戦の進行を見守っている。最初に投下された弐番隊の三番騎は、街の家から飛び出した男によって膝部分を破壊され、擱座していた。その男も弐番隊一番騎の火炎砲で灰と化している。
「生身のままで巨神と対等に渡り合う、“神の破壊者”がいるとは、噂は聞いていましたが、実在するとは思いませなんだ。行動不能と聞いたときは整備不良かと思いましたぞ」
「それだけでも、この街の住民は戦闘民族と言えるだろうよ、シルベス」
彼は、眼前に繰り広げられる、巨神による一方的な虐殺を、自身の巨神の中から冷たい瞳で見つめていた。
「それにしても、他の国は多数の巨神で取り囲んで巨神を奪うだけなのに、なぜこの街はここまでする必要が? 巨神もないのに」
シルベスと呼ばれた巨神の操者は、虐殺の様子を見ながら主人に聞いた。
「この街にも巨神があるという噂はあるぞ?」
「ただの噂でしょう。その程度で、確認もせずに殿下が動くことはありますまい」
「ふん。お前は誤魔化せないか。巨神なら、奪って忠実な部下を操者にすれば用は足りる。しかし、巨神と同等の力を持つ人間はそうはいくまい。洗脳という方法もあるが、そんなに強力な力を持つ者が容易く洗脳されるとは思えん。そんな奴らは敵となる前に斃すに限る」
「なるほど。しかし、“神の破壊者”も噂程度だったのでは? 殿下には確信がおありのようでしたが」
「そうか。お前は見たことがないか。この街の舞技団の舞踏を」
「は、確かに、見たことはありませんが」
「俺は見た。彼らが国を訪れた時に、たまたま、な」
彼は巨神の中で淡々と言った。今は誰からも見えないその瞳は、以前見たその光景を思い浮かべているようだった。
「彼らの舞踏は美しかった。無駄のない、力強い流れるような動き。あれで確信したよ。彼らなら“神の破壊者”足り得る、とな」
「それだけで、ですか」
「見るものが見れば、俺でなくともそれだけで充分だったろうよ」
「なるほど」
言葉が途切れた。二人が戦闘の外で会話をしている間も、虐殺は続いている。
「制圧部隊は?」
「は、すでに定位置に着き、合図を待っております」
「ならば、後は任せてもいいな。俺とシルベス、それに……」
言いかけた時、石造りの家の陰から人が飛び出した。身体の倍近い刀身の大剣を持ち、地を蹴り、“殿下”と呼ばれている男の操る巨神に一気に迫る。
「殿下!」
シルベスは自らの巨神を盾とすべく操り、手にした槍を男めがけて突き出した。地面を蹴って空を翔んだ男は目標を変えシルベスの持つ槍の上を一気に駆け登り、巨神の肩まで達した。
「はっ」
裂帛の気合と共に繰り出された大剣は巨神の肩口に突き刺さる。黒い巨神の手から槍が落ち、腕がだらんとぶら下がった。それを見もせずに肩から剣を抜いた男は振り向きざま、今度は首筋に剣を突き立て、切り裂く。切られたケーブルが垂れ下がり、オイルが飛び散る。
再び向きを変えた男は跳躍し、もう一騎の巨神を狙う。
「殿下!」
しかし、それを待ち構えていたかのように左の拳を繰り出す巨神。空中では避けようもなく、男は大剣を盾にしてそれを受け止めた。後方に吹き飛ばされる男。地面に叩きつけられる直前、身体を捻って辛うじて着地する。
瓦礫に足をとられて崩れたバランスをすぐに立て直すと、崩壊していた建物の陰に飛び込む。黒い巨神の操者が男を探そうと頭を巡らせたとき、障害物の後ろを移動していた男は逆方向から巨神に肉薄、膝辺りを目掛けて跳躍する。しかし、黒い巨神は腰を落とし、右腕を振り下ろした。
「ぐあっ」
男は剣を握ったまま、巨神の手に掴まれていた。
「あと一歩のところ、残念だったな。シルベスを仕留めたことは褒めてやろう。死ね」
黒き巨神は右手を握り締めた。
「がああぁぁっっ」
ぐしゃぐしゃぐしゃ。
ばきばき。
男は、持っていた大剣と共に全身を砕かれ、絶命した。巨神の指の間から、深紅の液体が滴り落ちた。
「油断しました。面目もない」
大破した巨神から出てきたシルベスの言葉は集音器により拾われ、“殿下”にも届いた。
「生身の人間の力も侮れんな。しかし、“神の破壊者”とやらもあれで最後だろう。予定通り、俺とシルベス、弐番隊は収容・帰還、同時に制圧部隊突入。壱番隊、後は任せる」
「は、お任せください」
壱番隊一番騎から応答が来る。
「女子供も容赦せず、一人残らず排除せよ。分かったな」
「は、心得ております」
上空で待機する飛行船が五隻、巨神を収容するためにその高度を下げてきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よし、行くぞ」
足音もなく二人の背後に忍び寄ってきた父が言った。
「巨神は?」
「少し離れた。こっち側からなら奴らの目に留まらずに行けそうだ」
父は扉に手をかけると少しだけ開けて外の様子を伺い、隙間を広げると素早く外に出て壁に背を付けた。
その後に、母に促されたイーリャ、そして母が続いた。音を立てずに扉を閉めると、父と母は顔を見合わせて頷き、イーリャを真ん中に挟んで壁に隠れるように歩き出した。家の壁から顔を出したとき。
(っ……街が……燃えてる……)
石造りの家は燃えることはないが、布でできた日除けや街路樹がそこここで炎をあげている。それを見て一瞬足を止めたイーリャを、母が背中を押して先を促す。止めていた歩みを再開させ、先を行く父に追いついた。どこからか、叫び声が聞こえる気がする。いや、聞こえる。
走りながら横目で見ると、何騎か真っ黒い巨神の姿を確認できた。さらに、上空には、これも漆黒の飛行船が八隻。数隻が高度を下げていてそれぞれ数本のケーブルを地面に垂らしている。巨神を回収するようだ。
「お母さん、巨神はもう引き上げるんじゃない?」
走りながらイーリャは言った。
「いや、まだ上空に待機している船が三隻いる。ということは、巨神も三騎は残るはずだ」
応えたのは前を行く父だった。家や瓦礫の陰を走りながら、状況を確認していたらしい。
「くそ。こっちは駄目だ。迂回するぞ」
行く父が言った。前を見ると、崩れた家が神殿への道を完全に塞いでいる。横道へとそれた父の後を、イーリャは追った。その時、鋭い声が聞こえた。
「こんな所にもいるぞ!」
声の方へ目をやると、黒衣の人間が三人、細長い筒をこちらに向けようとしていた。瞬間、父は両手に剣を構えて三人の不審者の方へと跳躍し、母はイーリャを抱きすくめて壁の後ろに身を隠した。
ドシュッ、ドシュッ、ドシュッ。
鈍い音と、続いて空気を切り裂く音。
「いやっ、はっ」
「あ!」
「ぎゃっ!」
「うおっ!」
続いて、父の気合と短い悲鳴。イーリャがさっきまで自分のいた辺りの地面には、金属製らしき短い矢が突き刺さっていた。母が壁から顔を出して素早く様子を伺うと、イーリャを引っ張って父の所まで移動する。父の頬から一筋の血が流れていた。
「お父さん、それ」
「ん? ああ、かすり傷だ。さっきの矢がかすったな。大丈夫、問題ない」
再び神殿へ向かう。
「くそ。奴ら、この街の人間を皆殺しにする気か」
父が悪態を吐く。
瓦礫の積まれた角を曲がろうとして、父は急に足を止めた。
「くそ。今度は六人か」
父は顎に手を当てて考えた。しかし、それは一瞬だった。
「よし、俺が囮になる。向こうから奴らの気を引くからその間に通り抜けろ」
イーリャは息を飲み込んだ。
「駄目だよ。お父さんも一緒じゃないと」
「いいかい、イーリャ」父は優しく言った。「お前が神殿に行けるかどうかに、この街の命運が掛かっているんだ。俺のことは気にするな」
「でも……」
「大丈夫。俺はあんな奴らにやられたりはしない。お前はあの巨神を相手にすることだけ考えろ。これを」父は左手をイーリャに差し出した。その手に持つ剣を。イーリャはそれをしっかりと握り締めた。「持って行け。神殿に着くまでの間、必要になるかもしれない」
イーリャは黙って頷くと、父の首筋に飛びついた。
「絶対に無事でいてね。死んだり怪我したりしたら、この剣返さないんだから」
「それは困るな。俺の得手は双剣なんだから」
父は苦笑いしてイーリャを離した。
「あとは頼んだ」
そう母に告げ、父はその場から飛び出した。
騒ぎが起き、黒衣の六人がすべてそちらへ気を取られた時、母はイーリャの手を引いてその場を立ち去った。イーリャも振り返らなかった。
母について、イーリャは走った。不意に、母が横跳びに跳びのき、家の陰に身を寄せた。イーリャも壁に張り付く。
神殿に続く道に、五人の男たちが油断なく辺りに目を光らせていた。
「……どうするの?」
そう聞くイーリャを、母は優しい、けれど厳しさの込もった瞳でイーリャを見つめた。それは、さっきの父と同じ目をしていた。
「イーリャ、あの五人を私に引きつける。その間に神殿へ行きなさい」
「お母さん……」
大きく見開いたイーリャの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「こーら、何をそんな顔をしてるの。お父さんが言っていたでしょ。『絶対に大丈夫』って。私も同じよ」
イーリャは黙って頷いた。言葉を出せなかった。
「いいこと、あなたは絶対に神殿に行くの。行かなきゃいけないの。あなたができるだけ早く神殿に行けるように最善と思う方法を、お父さんも私も取っているだけ。解るでしょう?」
イーリャはこくりと頷く。母は娘を抱きしめた。
「いい子ね。それじゃ、行きなさい」
イーリャを突き放すように男たちと別方向へ押し出すと、母は伸縮棍を構えて身を隠していた場所から飛び出した。イーリャも、壁際、瓦礫の端を選んで道を駆け出した。溢れる涙に目の前が曇る。
目の隅に何かが映った。それが何かを頭で理解する前に、イーリャはその方向へ向きを変えていた。
「いーやぁっ」
気合いと共に父から受け取った剣を振るい、舞う。そこにいた黒衣の男二人が血を噴き出して地に倒れた。
「長老様、大丈夫ですか?」
色眼鏡を取って涙を拭ったイーリャは言った。男たち二人の向こうに、長老が居た。剣を持った左手で、抉られたような右上腕を押さえている。
「イーリャか。すまんな。奴らの鉄矢に射られてこのザマだ。なんとか一人は倒したんだが」
「すぐに手当てを」
しかし彼は首を横に振った。
「俺に構っている時間があったら神殿に急げ。時間を無駄にするな」
厳しい声だった。
「でも……」
「俺なら大丈夫だ。こんなかすり傷、問題ない。行けっ」
イーリャは一瞬躊躇したが、すぐに頷くと、神殿に向かって再び走り出した。
神殿の前では激しい戦闘が行われていた。神殿に踏み込もうとする黒衣の一団と、それを阻む街の者たちの間で。イーリャは、背後から黒衣の男たちに斬りかかった。突然後方から現れた敵に虚を突かれて足並みの崩れた黒衣の男たちは、ほどなく街の者たちの前に崩れ去った。
「イーリャ、来たかっ」
先頭に立って剣を振るっていた男が言った。全身返り血に塗れている。
「すぐに中へ。大長老様も待っている」
イーリャは頷くと、別の者が開けた入口から神殿の中に滑り込んだ。すぐに背後で扉が閉められた。
神殿のホールには、数十人の街の人々が避難していた。子供や、足腰の衰えた老人たちが。その中に、セレアとユリテーナに身体を支えられた大長老の姿を見つけたイーリャは駆け寄った。
「大長老様、ごめんなさいっ。あたしが昨日の内に引っ越してればもっと早く来れたのに」
「気にするでない、イーリャ。十日後で構わないと言ったのは儂じゃ。正直、何の前触れも無しに襲われるとは思いもせなんだ。儂の読みが甘かったということじゃ。そのせいでお前に心労をかけてすまんかったの」
「ううん、大長老様は悪くない。私が悪いの」
「今はそんなことで揉めている時ではない。イーリャ、巨神に乗れるな?」
「はい」
イーリャは、力強く頷いた。
「よろしい。セレア」
セレアは頷き、イーリャを促した。イーリャは外套と色眼鏡、フェイスヴェールを纏めて放ると、セレアに続いて現れた地下への階段を降りた。
朝日のまだ昇りきっていない今、神殿の地下は暗かった。セレアは照明を点け、階段の入口を閉じると、イーリャを巨神へと促した。梯子を使って巨神の額の足場に昇る。二人が地下に来た時には目を閉じていた巨神は、照明の点灯と同時に目を開け、二人を見ていた。
巨神の額の、三番目の目のような赤い宝玉の前に立ち、イーリャは、どうするの?、とセレアを見た。
「手を出して」
セレアは腰の短剣を抜き、差し出されたイーリャの右手の親指の先を切った。
「痛っ」
小さな声を上げる。けれど、それに構っている時間はない。
「さあ、手を宝玉に当てて」
言われるまま、イーリャは血の流れる右手を宝玉に押し当てた。宝玉が微かに光を帯びた、ような気がする。
「これで良いはずよ。私も初めてのことだから何とも言えないけれど。さあ、下の足場に降りるわよ」
セレアは空中に身を踊らせると、一度足場に捕まってから下に飛び降りた。イーリャも続く。飛び降りた振動で足場が揺れる。
「さあ、ここで、胸を開くように巨神に言って。イーリャを乗せるように。さっきのでイーリャを奏者と認めていれば、開くはず」
「言うって、どうに?」
「声に出しても、心の中で語りかけても」
イーリャは巨神を見上げた。巨神はもイーリャを見下ろしているように見える。イーリャは両手を胸のまえで組み、巨神に語りかけた。
(お願いっ。街を護りたいのっ。あたしを乗せてっ)
鈍い音が響いて巨神の胸が左右に開き、空洞が現れた。応えてくれた。息を呑み、中へと進もうとする。
「待って。入る前に服を脱いで」
そうだった。昨日大長老様も言っていたっけ。イーリャはシャツに手をかけ、一気に上に引き上げた。白い裸身が露わになる。
それをセレアに渡して手袋を外した時、階段の方向から轟音が響いた。二人が思わず振り返ると、階段部分の天井が破壊され、黒衣の男たちが降りて来ようとしている。
「まずい。急いで」
セレアに急かされ、ブーツとソックスを脱ぎ捨てる。
(奴らがここまで来たってことは、上は……大長老様、ユリテーナ、みんなっ)
考えている暇はない。イーリャは巨神の胸に開いた黒い空洞へと踏み込んだ。背中を、セレアが覆う様子を感じる。
「うっ」
セレアの声。空洞の中から振り返ると、セレアの右胸から金属の矢が生えていた。
真っ赤な鮮血が迸る。
「セレアっ」
叫ぶイーリャに、セレアは微笑みを向けた。
「わ……たしは大丈……夫。イーリャ、あとはお……願い……」
二本目の矢が脇腹から飛び出した。
「セレアっ」
微笑みを浮かべたまま、セレアは倒れ、足場から落ちた。
イーリャは思わず手を伸ばしたが、それは虚しく空を掻いただけだった。男たちが長い筒をこちらに向け、矢を放つ。巨神の胸が閉じ、矢はそこに当たって金属音を立てたが、その音は既にイーリャには聞こえなかった。暗闇がイーリャの周囲にあった。
「ねぇ、どうすればいいの? どうしたらあなたを動かせるの?」
イーリャは声に出して暗闇に問うた。それに応えるかのように、イーリャの手足を何かが覆った。
「きゃっ」
思わず声をあげる。暗闇から伸びて来た何物かが、イーリャの手足の関節、胸、腰を掴む。その力は思いの他強い。四肢を引き裂かれそうなほどに。イーリャは全身に力を込めて、それに抗った。イーリャの身体を覆った物と同じものが、頭に覆い被さった。その途端、真っ暗闇だった視界に光が戻った。イーリャは神殿の地下を見下ろしていた。
階段からこちらに黒衣の男たちが展開し、イーリャに向かって矢を放っている。けれど、それはイーリャの身体に傷一つつけられていない。違う、これは巨神の視界なんだ。巨神に乗るって、こういうことなんだ。イーリャは耳を澄ませた。外の音が聞こえる。
「……絡を!」
「駄目です。この建物が電波を遮断するようです」
「くそ。外に出て連絡を取れ」
イーリャは足元を見下ろした。神殿地下の床が見えた。血だまりの中に、動かなくなったセレアの姿も。
「ぅぁあああーーーーーっ」
イーリャは叫んだ。
両手を持ち上げる。床を破って巨神の腕が現れた。
「うわーっ」
破れた床に、数人の男たちが飲み込まれる。一緒に落ちそうになるセレアの身体を巨神の左手が受け止め、右手を左から右へと勢いよく降った。
ブンッ。
残った男たちがその手に振り払われ、離れていた奴らも、その動きが巻き起こした風に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。神殿の地下に動く人間の姿はもうなかった。イーリャは左掌を見、それから天井を見上げた。右手で左手を蓋をするように覆い、腰を屈める。
瞬間、両脚に力を込め、宙に跳んだ。
バキバキバキッ。
神殿の天井を突き破って、イーリャは、白き巨神は外に出た。
ズンッ。
重い音を立てて着地すると、イーリャは傍の地面にセレアの身体を横たえ、立ち上がった。
周りを見渡す。陽の昇りかけた、破壊された街。
炎はもう消え掛かっている。どこからか微かに聞こえる、人々の叫び声。空に浮かぶ、三隻の黒い巨大な飛行船。そして、街を踏み潰している、三騎の黒い巨神。イーリャはそれらを睨みつけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
制圧部隊が目標の建造物に突入してから数ユークの後、異変が起こった。その建造物が内部から崩壊し、白い巨大な塊が飛び出したのだ。
「隊長! あれを!」
「見えている! 二番騎、三番騎、油断するな! 照準をあれに合わせておけ! 合図で一斉射!」
現場に残った壱番隊の巨神の間で通信が交わされる。もうもうと舞う埃が散っていく中に、それがゆっくりと身を起こした。
「白い……巨神……?」
破壊された大地を踏みしめ、こちらを睨みつけるように立つ巨神。
「隊長、殿下に連絡して指示を仰ぐべきでは」
二番騎から通信が入る。一番騎の操者は暫時思案しただけで決断を下した。
「殿下の船は既に通信圏外に出ておられる。それに、ここの制圧は我らに任された。想定外の事態が発生してもそれは変わらん。我らであれに対処する」
「了解!」
二番、三番騎から応答がくる。
手に持った矢筒を白き巨神に向けて構える三騎の巨神。しかし、一番騎が次の命令を発する前に、彼の視界からその白き姿は消えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数メユークで周囲の状況を概ね把握して、イーリャは行動を開始した。身を低く沈め、一番近くの巨神に向けて跳躍する。その目の前に足を着けると、低い姿勢のまま後ろに引いていた右手を黒い巨神の首筋目掛けて繰り出す。
右腕の手甲が流体のように形を崩し、右手を守るように変形して硬化した。
バキッ。
そのまま、白き巨神の右腕は黒い巨神の首を貫いた。頭部が宙に飛ぶ。イーリャは動きを止めず、右膝で蹴りを繰り出す。白き巨神の、長く伸びた脛装甲が相手の胸部を強打した。
ズシンッ。
黒い巨神・一番騎は背中から地に倒れた。残った二騎の巨神が白き巨神に向けて矢を発射する。イーリャは避けることなく、一本の鉄矢を左腕の手甲で弾き飛ばし、もう一本を右手で掴み取った。それを、無造作に見える腕の動きで放つ。一瞬身構える二騎の黒い巨神。
しかし、矢の目標は巨神ではなかった。一見、あらぬ方角へと放たれた矢は、最も離れていた飛行船の気嚢を貫いた。浮力を失った飛行船はバランスを崩して朝の砂漠に沈んでゆく。それに気を取られた黒い巨神が白き巨神に向き直った時、それは既にそこにいなかった。
イーリャは、受け止めた矢を放つとほとんど同時に、近い方にいる黒い巨神へと迫った。右脚を高く上げ、振り下ろす。
ガギッ。
鈍い音が響いたときには、白き巨神の鋭角になった足の甲が三番騎の首筋から胸まで食い込んでいた。二番騎が腕を上げて矢筒を白き巨神へと向ける。
イーリャは右脚を引き抜くと、三番騎の胸を蹴りつけた。三番騎が二番騎に向かって吹き飛ぶ。両腕を上げて防御する二番騎。三番騎が二番騎にぶつかり地に落ちた時には、イーリャは二番騎の後ろを取っていた。右手で二番騎の頭を掴み、足を払って宙に浮いたところを、力一杯空に向けて投げつける。
その先には残っている飛行船の一隻が浮いていた。空を飛んだ黒い巨神は飛行船の気嚢とキャビンを破壊した。巨神と飛行船が落ちるのを待つことなく、イーリャは腰を落として脚に力を込めると、一気に跳んだ。残る飛行船へと。左手で気嚢の先端を掴むと地面へと叩きつける。
砂漠に落ちた飛行船の上に、イーリャは着地した。街を振り返る。目を凝らすと、街路を蠢く黒い服に身を包んだ人間の姿が認められた。砂漠を走り、街へと戻る。両腕の手甲が剣へと姿を変え、イーリャの、白き巨神の手に握られる。
射かけられる矢を無視して、イーリャは黒衣の戦士たちを踏み潰し、剣を叩きつけた。血が飛び散る。阿鼻叫喚の声が上がる。
……やがて、動くものはなくなった街に、白き巨神は立ち尽くしていた。白き巨神が神殿から飛び出してから、五ユークと経っていなかった。